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仕事と実務

 塩野に言われるままたどり着いたのは、ごく小さな洋服店であった。相田も網屋も、「こんな感じの店が商店街通りや市役所通りにあったような気がする」と考える。小じんまりとした、個人経営規模の店。古く、街中にひっそりと存在するような、そんな店。

 時間が時間であるから、当然店は閉まっている。なので、塩野は裏口に回り込んだ。裏手には従業員用の出入り口がある。チャイムを控えめに鳴らすと、すぐにドアが開いた。


「すみません、お待たせしました」

「いや、こちらこそ急かしてしまって申し訳ないね。さあ、こちらへ。連れの方も」


 ドアを開けたのは、老齢の男性だ。背筋がしゃんと伸びている。皺のないシャツ、洒落たベストにスラックス。ベストのポケットからメジャーが見え、左腕にはアームピンクッションがはめられている。ひと目見ただけで分かる、仕立て屋だ。

 網屋はさらに、別の側面も見えていた。一介の仕立て屋の老人と言うには、あまりにも体がしっかり鍛えられている。体捌きも足の運び方も。ああ、ここはルツボだものな、と網屋は結論付けた。どんな人間が何をしていてもおかしくない、それがルツボだ。


 裏手から入ってすぐの部屋は、仕立て部屋であった。仕事の最中であったのか、大きな裁断用の机には手触りの良さそうなピンストライプのメリノウールが広げれられ、型紙が載せられている。

 さらにそこを抜けると、店舗部分に出た。こちらもまた、小さな空間だった。だが手狭さを感じさせないのは、隅々まで手入れと気配りが行き届いた上品な空間であるからだろう。

 店舗の隅に、区切られたような場所がある。採寸用の場所だというそこには小さなローテーブルと猫脚の椅子があり、そこにかけるよう促された。

 老人は手早く紅茶を入れて持ってきてくれた。遠慮する間も与えてはくれない。ありがたく頂く三人に、「手狭なところだが、少し我慢しておくれ」と老人は告げる。


「さて、連れのお二人は初めてお目にかかるね。私の名前はネグローニ。ここで仕立て屋をしている」


 既に相手を知っている塩野はともかく、相田は自己紹介を額面通りに受け取った。相田から見れば、なんだかかっこいい上品そうなおじいさんだったからだ。自分の祖父とは違って、トラクターには乗らなそうな。

 が、網屋は名前を聞いた瞬間血相を変えた。


「ネグローニ……ルツボのネグローニ! もしかして、『GOAT』の?」

「よく知っているね、随分昔の話だと思うのだが」


 網屋の表情は驚愕に染まる。


「いや、あの、師匠の佐嶋から話をたびたび聞いていたものですから」

「おや、ヴォルフか! 奴が弟子を取るとは……あの男が、弟子か、そうか……私も歳を取るわけだ……。あいつは元気かい?」

「はい。今はニューヨークにいます」

「ふむ、ならばクラウディアも一緒なのかな?」

「ええ。尻に敷かれていますよ」

「だろうな。だが、一緒にいるのなら良い。あいつも落ち着く所に落ち着いたということか」


 網屋はますます緊張した。眼の前にいるのは自分の師である佐嶋の、かつての同僚。末恐ろしい話を散々聞かされた、伝説じみた部隊の一員。この老人ひとりで、どれだけの戦力に値するか知れたものではない。

 当のネグローニは何とも無い顔をして、仕事の話を始めた。


「さて。ドクターには電話で概要を話したな? なんとか今夜一晩で決着は着くだろうか」

「任せて! 壊しちゃってもいいのかしらん?」

「構わない。可能な限り詳細な情報を引き出してくれるのなら」

「予後を考えなくていいのならいくらでも! あとは、とっ捕まってる彼が詳しいことを知っているかどうか祈るしかないねー」

「そればかりはどうしようもないな。高望みはせんよ」


 ここでようやく相田と網屋は思い出す。塩野が受けた仕事は『解体業』だったことを。この、にこにこ笑ったそこら辺にいそうな中年男性が、実はとんでもなくおっかない人だということを。


「ああそうだ、彼を休ませてあげたいんだけど。埼玉からここまで、運転しっぱなしでクタクタだろうから」


 と塩野が示したのは相田の方だ。


「なら、二階に客間があるからそこを使うといい」

「あ、ありがとうございます。……でも、先輩は?」

「ごめんねぇ、網屋君にはやってもらいたいことがあるの。お外で見張りをしてほしいのね」


 手を合わせて拝む塩野に、網屋は嫌な顔ひとつせずに立ち上がる。


「……なるほど、何となくですが分かりましたよ、状況が。ここに来る奴は基本的に始末してしまって構わないと、そういうことですかね」

「うん! 理解が早くって助かるゥー! そんなのんちゃんにはビスコをあげようねえ」

「ポケットの中入れっぱなしのやつじゃないですか! それどう考えたって中身ボロッボロでしょう!」

「でもおいしいよ。おいしくてつよくなるよ」

「それは分かる」





 言葉に甘えて相田は客間へ向かい、網屋は外に出る。


 時間が時間だ、辺りは静まり返っている。これが繁華街や歓楽街であるなら違ってくるのであろうが、ルツボといえども閑静な場所はあるものだ。

 であるので、網屋は銃を手にしようとして取りやめた。近所迷惑になってしまう。懐に突っ込んだ右手はそのままに、ゆっくりと店舗の周囲を歩き始めた。ゆっくり、一歩づつ。建物の構造を把握する。表玄関、窓、裏口、影になる箇所、道に面した箇所。周辺の建物。壁面。障害物。

 二週目。今度は考える。相手ならどうする? どこから来てどこから入る? 自分ならこちらからだが、そうと限らない。ここの住人の実力を知らない可能性もある。あらゆる可能性を考える。愚か者が来るのか、試合巧者が来るのか。

 三週目。どのように始末するかを練る。後処理がどうなるのか、業者がいるのだろうか? 多分いるだろう、と見当をつける。この土地柄だ、きっとその手の業者がいるはずだ。死体ひとつだって価値がある、そんなところだ。清掃業者がいない訳がない。ならばあまり気にせず片付けてしまって良いのではなかろうか? 音に関しても特に注意は受けなかった。確実性を優先すべきか。


 と、ここまで考えた時だ。車の音が聞こえた。網屋は咄嗟に姿を隠す。

 程なく、一台の車が店舗に接近し、横付けした。そこそこにいいお値段のセダンタイプに男が二人。人相はよろしくない。

 がちゃり、と車のドアロックが外れる音。その時点で既に網屋は走っていた。店舗の陰から矢のように飛び出し、運転席と助手席の二人がドアを開けるよりも早く、後部座席のドアを開けて中に滑り込む。

 当然、前の二人は驚いて振り向こうとした。その余計な動きがまずかった。さっさと外に出てしまえば、彼等の人生はもう少し長かっただろう。

 振り向いて後ろを確認しようとする間に、網屋は手持ちの229二丁をホルスターから引き抜いていた。銃口をシートに押し当てて二回トリガーを引く。念には念を入れて、手持ちのプッシュダガー『月下飢狼』で首を裂いた。勿論、前に座る二人が動けないのを確認してからだ。心臓の動きはほぼ止まっていたので、血が噴水のごとく吹き出すという事態は避けることが出来た。


 しみじみと思い知る。特別に拵えてもらったこのダガー、いや、ダガーと言うには些か疑問が残るこの刃物、実に刺突しやすい。なんつうもんを作ってもらったのだろう。

 ナイフが好きな人が見たら興奮するかそれとも激怒するか、どちらかだろう。興奮されてもそれはそれで困るのだが。


「まずは第一陣。第二陣が来るかどうか……」


 後部座席から外に出て、中の死体は放置したまま。車に寄りかかって煙草を一本取り出すと火を付けた。

 ここからは待ちの態勢だ。





 塩野が案内されたのは地下室だった。重たい金属製のドアを開けると、暗がりの中に人間の姿が確認できた。

 ネグローニが明かりをつける。一人の男が横たわっていた。気絶しているのだろう。後ろ手に縛られたその右手は包帯が巻かれていた。


「おっ、寝てる寝てる。ありがとうございます、やりやすい状況作ってもらっちゃって」

「いや、放っておいたとて寝ていたさ。損傷箇所は右手人差し指と中指。銃を使う。他に何か聞いておいた方がいいことはあるかい?」

「いーや、十分。さて! 早速おっぱじめましょうかねぇ!」


 両手を古典的な商売人のように揉み合わせながら、塩野は倒れた男に近寄る。片膝をついてしゃがみ込み、男の頬をそっと撫でた。


「起きて、起きて」


 既に声色が違うことに、ネグローニは気が付いた。そして、自分の立っている側から塩野の顔が見えないことを感謝した。


 解体屋は人を殺す。人を、今までの過去を、人格を、根底から壊してしまう。保有している情報を引き出すのはついでである。副産物でしかないのだろう。

 解体している最中を見るのは怖ろしいものだ。下手をすれば巻き込まれる。解体屋の語る内容に、姿に、表情に何かひとつでも「思い当たる節」があったならば危険度は増す。自分まで壊されてしまう。

 塩野ほどの解体屋ならば、その場にいる人間の事も考えて解体作業を行うのだろう。信用のおける人物だ。が、怖ろしいものは怖ろしい。何度か解体の現場に居合わせたことがあるが、感じたものはとにかく「ざらりとした恐怖」であった。

 笑顔も、涙も、言葉のひとつひとつも、全てが人を壊すためだけに紡がれた部品。瞬きの回数すら道具なのだ。自然な反応にしか思えないそれらを「自然な反応だ」と認識してしまったらもうおしまい。いや、その警戒心すら、利用するパーツにしか過ぎないのだろう。

 だから、顔を真正面から見るのは避けたい。拭いきれない恐怖感が、己の視覚を撫でるから。


 男は薄目を開ける。意識が覚醒したのだろう。塩野が少しだけ動く。体の位置を変えたのは、男の視界に入る光の量を調整するためだ。


「大丈夫? ああ、生きてた。良かった、良かった……僕はね、君を助けに来たんだ」


 男の目が見開かれ、塩野の顔に釘付けになる。その様をつぶさに見ていたネグローニは悟る。この男はもう落ちた。もう彼は塩野の顔しか見えていない。


 見るな。聞くな。語るな。解体屋に出会ったら、その全てを遮断せよ。

 触れるな。認めるな。許すな。奴らは即ち、言葉で人を殺す暗殺者だ。

 証拠など何一つ残らない。証拠という概念すら、奴らは解体する。


 そう言ったのは誰だったろうか。ネグローニは思い出そうとしてやめた。吐き出される情報を録音しなければならないし、やることは思った以上に多いからだ。

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