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人間の絆

我々は皆人生を生きている。これはいかなる人間とて例外ではない。そして私は次のように考えている。人生とは芸術である、と。芸術とは自己を表現するもの、ということをしばしば聞くが、ならば人生もまた自己を表現することではあるまいか。むしろ人生が最大の芸術である、といってもいいかもしれない。各自自分の人生という芸術を仕上げていく。その仕上がった作品は結局のところ自分しか味わえないものである。だが、何より自分が他のどの芸術作品よりも親密に鑑賞することができる。

「人間の絆」は人生を描いた作品である。主人公が生誕から30歳までを描く。だが人生の蜜は何よりその青春時代にあるわけだから、彼の人生の6,7割は描いたものといっても過言ではない。主人公フィリップは様々なことを経験していく。学校、留学、恋愛、芸術、医学、勤労。その経験していくのを作者は通俗的に描いてく。すなわちそこには崇高なもの、美しい抒情性といったものはない。ドラマはあるが劇的ではない。彼の人生の浮き沈みが通俗的に描かれる。いや、殆どは沈みであった。年を重ねるにつれ人生の軛が大きくなり、彼は車輪の下に押しつぶされそうになる。恋愛は上手くいかず、金も失う。それらがやはり通俗的に描かれる(またそこから脱する手段もまた通俗的である)。通俗的であるが、かといって平凡ではないところがこの作品の面白いところである。決してこの作品は陳腐ではない。登場する人物は陳腐であるといえばそうだが、それが読み手に対して嫌悪感を抱かせず、むしろどこか親しみをもたせる。それは現実と調和しており感情移入しやすいからだろうか。また哲学的な思索もあり、思想的な側面もある。いかに生きるべきか、ということを作者は模索していく。その答えは決して崇高なものではなく俗物的なものである

「一切は空である」に近いものがある。だが現実的でもある。綺麗言ではないゆえ、それは非常に印象的なものである。

 結局のところこの作品を玩味できるものは人生というものを実際に生きている人間であるという事が出来よう。大半の人間は年をとれば会社へと就職する。そこで自分でも何故だかわからないまま仕事をこなしていく。それ故自分がなぜ生まれてきたのか、何故自分が働いているのかを考えることは殆どない。だから生きることの意味を考えるものは例外的な人物である、ということができよう。だがそういう例外的な人物こそこの作品を楽しむことができるであろう。事実、フィリップは自分が何故生まれてきたのか、どのような行動指針で動くべきなのかを考えている。それを模索する故、色々と経験していくわけであるが、現実世界の人間も模索すれば色々と経験するはずである。その経験は苦いことが多いだろうが、その苦さ故この作品を味わうことができる。

 後半になると、フィリップは一つのことを悟っていく。すなわち人生というものの意義を。友人からペルシャ絨毯を託されて、それで人生の意義を考えろといわれたが、金を全てなくして、友人も死に別れてようやく人生の意義というものがわかる。すなわち人生というものに意味はないのだと。我々が生まれてきた理由というものは存在せず、地球上の生物進化のほんの一旦の存在にしか我々は過ぎず、無限の時の狭間で我々は死んでいく。人は生まれ、苦しみ、そして死んでいく。ペルシャ絨毯は糸を紡いでできるものだが、我々の人生というものも行動という糸を紡いでいき仕上がっていく。それは誰にも知られるわけではなく、ただ自分ひとりだが知るというわけだ。

 実際、我々の人生というものは難儀なものである。作品内においても主人公に限らず多くの人間が人生において挫折めいたものを味わう。若死にするものや赤貧な状態で生きるもの。年老いているものもどこかその生き様は悲壮めいたものを描いており、決して他人事ではない。現代もまた医療技術の発達により長寿が達成され、人があっさり死ぬということはなくなった。そして何だかんだいって経済が発展し裕福になったがそれでも多くの人間が不幸な思いをしている。長寿なのははたして幸福なのか。


もっとも幸福なのは生まれてこなかった者である。(伝道の書)


あの若かりし青春の日々、あの希望に満ち溢れた日々。それに別れを告げると、人は自分がなぜ生きているのかわからぬまま生きるようになる。仕事において嫌な目を見、かといって仕事を達成したからといって別段幸福になるわけではない。そういった日々が長く続いたことが果たして幸福なことだということはできるだろうか。人は苦悩する。そして行動する。本音を話さず、仮面を被りながら日々行動していく。それがペルシャ絨毯の如き模様を築き上げていく。その模様は一体どのようなものだろうか。私にはわからない。

 それで私もまたペルシャ絨毯の如き糸を紡いでいく。私は一体どのような糸を紡いでいるのだろうか。私は一時期どん底に落ちたことがあった。だがそれは結局糸を紡ぐ一つの出来事に過ぎないということだろうか。旅に出る。友人と語らい合う。本を読む。語学を勉強する。それもやはり糸なのだろう。私は今この本を執筆している。それもやはり糸。最終的に私のペルシャ絨毯は一体どのようなものになるのか。それはわからないが、私はできる限り人生というものを生き抜いて見せようと思う。あるいは自殺するのか?あるいは病死や事故死をするのか?それはわからない。だがそれがペルシャ絨毯にどのような影響を与えるというのだろうか。糸がぷツ切りになるがさりとてそんな大きく騒ぐようなことではあるまい。未完成品が完成品より美しいということもあるのだ。

最後医者の免許をとったフィリップは、スペインに旅行することを念頭に入れ、第二の人生に思いを馳せる。そこにある希望は青春の希望とはまた違ったものである。情熱的ではないがそれでも実存的なもので、彼の味わう希望は誰にでも味わえるものではない。人生をやはり生きようと考える人間こそが味わえる希望である。世界というものは色々な神秘に満ちている。我々の知らない世界というものがやはりあるのだろう。それを見ることに心躍らせる能力を持った人間が何より味わえる希望なのである。私も常にそのような希望を持ち続けたいと思う。

 作者であるモーム自身は、自分の人生を実に芸術的に生きた。世界の隅まで旅し、作家としてだけではなく、色々と活動をし続けた。彼の人生はなるほど暗雲めいたところもあるだろうが、それでも彼の人生を知るものをどこか勇気づける部分がある。私もまたそのような人生を歩みたい、と改めてこの作品を読んで思った。

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