4
※※
「……いおい、…………ゲンか」
「えぇ……じか………………な事…………」
長い長い眠りについていたような感覚。ぼうっとする意識の中、どこかから話声が聞こえた。かすれる様にボソボソと、次第に起き始めた脳がその言葉をはっきりと拾い上げていく。
「……うわぁ、これは酷い……」
「どうしてこんな結果になったんだ……」
酷い?
酷いってなんだ?どうしてって……と、そこまで考えた所で先程までの出来事を思い出した。
目前に迫るトラック。避けようもなく、諦めに悟りを添えて目を閉じた俺。一瞬の衝撃を感じるとそれきり記憶は一切なく、眠ってる様な暗闇の中、気がついたところで今の声が聞こえるまでに至る。
(もしかして……俺は生きているのだろうか?)
すでにこうして起きて、色々考えているのだからそうなのだろう。幽体な訳で無ければ。
それに仮にそうだとすれば、先の発言も納得出来る。
ここはきっと病院で、一命を取り留めたものの、いまの俺は見るも無残な姿なのだろう。瞼や身体が動かないのも、脳だけが起きて身体が寝ている世間一般に言う金縛りとかではなく、そういう事なんだ。トラックに轢かれたのだから無理もあるまい。
むしろよく生きてた。
「どうする、これ?」
「どうするもこうするも、決まってるだろ」
「だよなぁ……やるしかないよなぁ」
声の主は見えないが、恐らく2人。張りのある声と落ち着きのあるその声はどちらも若そうに感じられた。もしここが病院で間違いなければ、この2人は医者なのだろう。俺の意識が戻った事に気づく様子なく、遠慮は無く繰り広げられる会話は、何処と無く困っている様に感じた。
一体何に困っているのだろうか……と、一瞬だけ悩むも、この場で話す事などひとつしかない事に気づいた。
(たぶん、俺の手術方法だろう)
少なくとも俺は今生きている。起きている事には気づいてないようだが、生きているならばその選択は逃れられない。どんな姿なのか。そもそもちゃんと形が保たれているのかも分かったものではないが……。
ただ一つ言えるのは、意識がはっきりしてきた以上、気持ちとしてはあまり聞きたくは無い内容であるという事だ。
諦めようと結論を出されたらへこむ。体もへこんでるだろうが、心までへこませて死にたくはない。
なので迷惑をかけて申し訳無いが、聞きたくないので出来れば別な所で話して欲しいのだが――――
「とりあえず……生皮剥ごうぜ?」
――――ちょっと待て。
「それ超いいっ!んで、頑丈な鱗貼り付けてやろうぜ!」
どんな手術法だ。
パチンッと指を鳴らす音に加えて、医者(仮)の声のトーンが上がるのが分かった。
確かに自身の手術内容を聞きたく無いとは願ったが、何も人体を使った人工動物の生成法を聞きたかった訳じゃない。
それにキメラの成功は今のところ植物や昆虫のみであり、人間と獣を合成したキメラは存在しない。動物に人間の胚を用いた実験はあるものの人を媒体とした実験はない。
また人間の細胞以外の細胞を人に使用する事は世界が禁じている。もしこれが心臓の弁膜に問題がある手術ならば、代替器官として牛や豚からの移植もあるがだがしかし。だがしかしだっ!
今の会話を聞くにあたって心臓の話など一つも出ていない!
おまけに今なお続けられる会話の中に「羽根もつけようぜ」だの「角は?角もあったらかっこよくね?」だのと。明らかに生かす為の手術には感じられない。
部分だけ聞けばドラゴンの生成。とんだ種族変化。とび過ぎて飛躍してる。
生かすと活かすを履き違えた発想に冷や汗が止まらない。そばで人の動く気配を感じて、脳がガンガンと警鐘を打ち鳴らしてくる。
「んじゃ意見もまとまった事だし――――始めようぜ」
――――っざけんな!
「俺の意見聞かねーで勝手にまとめるんじゃねえぇぇっ!!!」
目をかっ開いて足を振りあげる。するとちょうどよく顔上に来ていたのか、振りあげた足は見事に医者(仮)を蹴り飛ばした。
あれ?身体動くじゃないか。
そのまま振りあげた足の反動で起き上がり、腕と足、胴に触れてるがどこも怪我をした様子はない。頭も正常に動いているので重症なのはどうやら思い違いだったようだ。五体満足万歳。感謝で五体投地したい気分だ。
「わあぁぁぁぁっ!大丈夫かっ、トゥーリ!?」
「お゛ぉう……」
トゥーリ?
声の方に目を向ければ、俺が蹴飛ばした人物であろう人に駆け寄る男の姿が見えた。若干の申し訳無さ。
だが仕方があるまい。正当防衛だ。
低い呻き声と共にモソモソとトゥーリと呼ばれた男が起き上がる。起き上がって――――その姿を見て絶句した。
真っ黒のスーツの様なズボンに、長袖のシンプルな襟付きシャツ。その襟元をロープタイでまとめた、一見なら普通で少しお洒落な着こなし。
だがそのシャツ上に乗る頭はお洒落でも普通でも無かった。
カラスのような真っ黒な羽毛に光沢のある長いくちばし。頭上にはオウムの様な長い冠羽が生え、暗色の中でギラギラと睨む目の色は紅色に輝いていた。
「大丈夫じゃねえよ……クソいてぇ……」
「だよな、めっちゃぶっ飛んでたもんな。正直笑えた」
「笑うなよっ、くそ!おい、てめぇ……この俺様に舐めた事しやが――――「随分と精巧な被りものだな」――――ばあぁぁぁっ?!!?」
「トゥゥゥゥーーーーーリィィーーーー!?!」
とりあえず鳥男の冠頭を掴んでみた。
もふもふとした柔らかい毛並み。一本一本が上質で、見たところ本物の羽根を使っているように感じられる。
叫べば口は開閉し、目も瞬きを繰り返す。叫ぶと共にブワリと広げられた羽毛がオウムのリアルさを出していて感動した。因みに広げる時は酷い興奮状態、詰まるところ、今の彼は驚きを表しているのだろう。芸が細かい。
親父が最近の被りものはよく出来てると言ってたが、ここまでとは。
「このクチバシと目は中で操作してるんだろうか……?体温までも感じるなんて……その仕掛けをどこに仕込むんだ?」
「おま、おいっ!?ブツブツ言ってねぇで離せっ!」
「やっべぇ!超だせぇ!超ウケル!!鳥だけにっ!!」
鳥だけに……?……あぁ、“鳥だけに” か。
じたばたと騒ぐ鳥頭に対して、げらげらと笑うもう一人の男に目を向ける。
シャツとズボンは鳥と同じもの。襟元のタイがロープに代わって、ひだの多いフリルタイとなり装いを豪華にする。その上に視線をずらせばあるのは鳥頭ではなく、鹿の頭が乗っていた。
力強い双眸は金の彩光を放ち、頭上には牡鹿の立派な角が伸び生える。
通常、鹿の角は一年で生え換わり、大体一歳から四歳まで成長していくと聞いたことがある。1歳で1叉2尖、成獣で3叉4尖となり、それ以上に分かれる事はないらしい。
しかし目の前の男の角はそれ以上に枝分かれをし、邪魔じゃないのだろうか?と思うほどに横に大きく広がっている。
落ちつきのある声色と角が相まって、その姿は神々しくも感じた。
台詞とテンションに残念さは感じるが。
非常に感じたが。
「立派な角ですね」
「お、分かってるね。触る?」
「ぜひ」
そういうと、ニコニコ――――と言っても顔は鹿のものなので人の顔ほどの差は分からないが、身振りと声の調子が上がったのでそう捉えた。差し出された角に触れると、明らかにプラスチック製ではなさそうな、鋭く頑丈な角。こちらも本物のようだ。
因みに中国では漢方にもなるらしいので、売りつけたら良い値段になるだろう。貴殿の角に幸あれ。合掌。
「……俺様の羽根には問答無用で掴んだ癖に、随分とえれぇ違いだなおい」
それは仕方がない。鹿というのは神の使いと言われているのだから。
例え被りものであれ、ここまで精巧に作られていたらおいそれと乱暴には扱えないのが日本人だ……と息を吐きながら天井を仰いで、ようやく気がついた。
真っ白――――ではない、煤けたように暗い石の壁。天井から床まで垂らされる大きなカーテン。ゆらゆらと部屋に灯りを灯す松明は等間隔に置かれてあり、体育館ほどありそうな部屋を薄暗くもしっかりと照らしていた。
そのまま足元に目を這わすと床には汚れのない綺麗な赤いカーペットが敷かれ、大きな扉から真っ直ぐに伸びるそれは威風のある椅子へと繋いでいた。
明らかに病院ではない内装。廃病ならともかく清潔感のないそれに首を捻る。
「――――ここはどこだ?」
「ようやくそこかよ人間!」
「面白いね人間って」
人間。サル目ヒト科ヒト属。人間をヒトと呼ぶならまた別の意味にもなるが、今はそう考えている場合じゃない。ようやくかと、叫ぶ鳥頭に笑いを絶やさない鹿頭を交互に見やる。
手に触れていた角を離して数歩下がる。それに合わせて動く二人の目は自然で違和感がない。精巧で、体温まであり、本物のような被りものを被った二人。
果たして本当に被りものだろうか?ここまで動く被りものがあるのだろうか?
言葉の意味を咀嚼すると、それまでの間ずっと押し込まれていた情報が溢れだす。
『おいおい、これニンゲンかよ』
『えぇ、マジか。せっかく呼んだのにそんな事ありかよ』
話を逸らそうと、必死でそんな事は無いと脳が否定の理由を打ちだそうとする。けれど無意識に正解を表示する頭が相反して、たまらず目を落とせば――――もう受け入れるしかないだろう。
先程まで俺が寝込んでいたであろうその足元には、大々に描かれた魔法陣が床に広がっていた。
拝啓 温かな陽が沈み、暴走車と暴走者の交差する交差点にて自身の人生と人世を考えさせられる季節がやって参りました。今は会う事の叶わぬ父母及び、ご友人の皆様はいかがお過ごしでしょうか。
この度、誠に勝手ではございますが不本意ながら“異世界転移”を致しました。
事実は小説よりも奇なりとは言いますが、きっとそんな事もあるのでしょう。