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廊下に出ると足元が少しヒヤリとする。
静かな廊下に二人分の足音が地味に響いていた。
……ものすごく気まずい。
私の手を引きながら歩く、葵くんの背中がメチャクチャ怒っている。
「……ちっ、くっそ! アイツふざけんな!!」
そこにゴミ箱があったら蹴っ飛ばしてそうな雰囲気だ。
「葵くん、キャラが……」
「え? 何? 文句ある?」
「いやーー、うん、何でもないデス」
多分、乙女ゲームの『王子葵』なら言わないであろう台詞を吐く葵くん。
舌打ちもしないよね? あれ、もしかして腹黒キャラだったりするの?
振り返った葵くんの目が全然笑ってなかった。
「あ、そんな事よりあそこの水道で口濯いだ方がいいんじゃない? 死ぬほど濯ぎなよ?」
「死ぬほど濯ぐってどんなだ!」
「いいから! さっさとやる!! それとも今すぐ死ぬほどベロチューして上書きしてやろうか?」
「……うええええっ!」
「驚きすぎじゃない?」
「なんでもないから! 行ってきます!!」
手を振りほどくと、急いで視界に入った水道まで走る。
一瞬、葵くんの言葉に上書きして欲しいと思ってしまったから顔と体が熱い。
私の馬鹿! まずい、まずいよーー。意識するようになっちゃったよ!!
大丈夫かな? ちゃんと恋人役出来るかな? 不安になってきた。
はいはいどうどう、はいどうどうーー!!
落ち着けーー落ち着け、私よ。
そう思いながら水道で口を濯いでると、隣で手を洗う人がいる。
思わずそっちを見た私に彼女が気付いて目が合った。
「あら? 貴女はさっきの……」
天使……!! 今朝の天使じゃないですかああああ!!!!
「大丈夫でしたか?」
「はいっ大丈夫でしゅ」
……噛んだ。
「ふふっ、男性の方とは違って優しいですね。唇が少し切れて痛々しいわ、ごめんなさい」
言いながら、私の唇を指先で優しく撫でる彼女。微妙に気持ちいいのが気持ち悪い触り方だと思う。
今日は何か唇に縁があるな!……じゃなくて、撫でるのを止めようとしないんだけど何で?!
焦る私を見て、「ふふっ」と可愛く笑った。
その笑った顔が余りに可愛くて彼女に見とれる。
柔らかくて清らかな雰囲気と相まって、益々神々しい。
今、彼女と私しかこの世界に居ないんじゃないかと思うくらいに、周りの音が聞こえない。
私はキラキラしている彼女から視線を外せない。……と言うか、外したくない。
ずっと彼女を見ていたい。ずっと見ていたら私はきっとーー……。
「何してるのかな?」
「うぎゃーー!」
「何その反応」
突然、声をかけられて悲鳴を上げたら葵くんにジト目を向けられてしまった。
だ、だよね! ごめん葵くん!!
でもさ、いつもより声低めだったし! ホラー映画みたいな声の掛け方だったよ!! びびるわ!!
焦っていたら、葵くんはため息を吐くと私の手を取り歩き出す。
「あっ! あの!」
後ろから聞こえるこの声は天使!
葵くん! 天使が話し掛けてるよ……!
そう思っていたけど、葵くんは無視して歩いて行く。
そんなに関わりたくない人物なんだろうか?
ーーと、言う事はやっぱりヒロインなのかな?
彼女も空気を読んだのか、それ以上声を掛ける事はなかった。
廊下を曲がると、そこで一旦止まって葵くんに両手で壁ドンされる。
「次から次へとさぁ……、ねぇ! 隙がありすぎなんだけど!」
「ご、ごめんなさいっ!」
「無理矢理なんて嫌だしアイツと同類なんて真っ平だからしないけど、我慢してるんだからね? 分かってる?」
「……え? ごめんなさい?」
「……分かってないよね、それ」
ガックリと顔を下げると私の肩におでこを乗せる。
自覚したからか、葵くんの行動に一層胸が高鳴ってしまう。
程よく感じる肩の重さに、更にときめきを感じてしまう私は重症だ。
うう、ドキドキする。顔が熱い。
……ん? なんか、さっき我慢してるとか何とか言ってなかった?
待って待って、葵くんそれってもしかして私と……。
「ねぇ、今朝からヒロインに会うと悠莉おかしくなってるのに気付いてる?」
不意に葵くんから言われる言葉に、息をのむ。
「……そうなの?!」
「やっぱり気づいてなかった」
「や、ヒロインだよね! オーラが違うから気付いてたよ!!」
「そっちじゃないよ」
さっき言われた葵くんの言葉を思い出す。
『ねぇ、今朝からヒロインに会うと悠莉おかしくなってるのに気付いてる?』
「えっと、……私、おかしくなってるの?」
「そう」
自覚は無いけど、葵くんがそんなに天使ーー、ヒロインを警戒するなら私は葵くんの言う通り、おかしくなってるのかもしれない。
今日は何度目だろうか? 葵くんは顔を上げて眉間に皺を寄せながら深いため息を吐く。
「あの女に近付かないで悠莉、お願い」
「う、うん分かった」
今までみたいな威圧的ではなく、悲しそうに懇願する葵くんに動揺しながらも応える。
葵くんが悲しそうなのが辛い。そんなに悲しそうにするなら、ヒロインと仲良くするのは諦めるよ!
だって、葵くんの方が大事だからね……!
そう思いなから頷いていたけど、下から見上げる葵くんの表情は沈んだままだった。
「葵く……」
「あれ? いちゃつくのもいいけど、二人とも教室にいないと遅刻扱いになっちゃうよ?」
「えっ、あっすみません!」
通り掛かったらしい担任の如月先生、に声掛けられる。
もうそんなに時間経ってたのか!
でも今朝から色々ありすぎだったから、それぐらい経っててもおかしくないよね……!
「葵くん! 教室行こう!」
慌てて葵くんの手を取って、先生より先に行こうと促す。
「うん、そうだね」
返事をして笑った葵くんは儚げで綺麗だった。
でもやっぱり悲しそうで、私の胸がツキンと痛んだ。




