三、
昔々と言えるほどではありませぬが、ほんの少し昔、この家にはおじいさんとおばあさんが住んでおりました。
年老いておじいさんとおばあさんになる前までは、二人はお父さんとお母さんでした。
お父さんとお母さんには子供が一人おりました。どちらかといえばお父さんに似た、丸いお鼻の女の子です。
童はこの女の子が産まれる少し前からこの家に住み着いて、この家族を見ていました。
お父さんとお母さんはとても働き者でした。
お父さんは一日中畑仕事を。お母さんは家の仕事をこなしながら、手が空けば畑の仕事を手伝います。赤ちゃんが産まれて三人家族になってからは、もっと忙しい毎日となりました。
童はこっそりと、少しだけ家族のお手伝いをしていました。失くし物を捜し出してあげたり、吹き零れそうなお鍋に水を足してあげたり、女の子が風邪を引いてしまわないように跳ね除けられた布団を掛け直してあげたり。
その代わりと言ってはなんですが、童はお夕飯のおかずをちょっとだけつまみ食いしたり、女の子のお人形を借りて遊ばせてもらったりしていました。
家族は夜になると、布団をみっつ並べて親子三人、川の字で眠りました。
三人はいつも幸せそうでした。童はそれを少し羨ましく思っていました。
けれど家族はいつまでも三人一緒ではありませんでした。
女の子は大きくなって、余所のお家にお嫁にゆきました。
家族はまたお父さんとお母さんの二人きりになってしまいました。
二人は相変わらず幸せそうに暮らしていましたが、川の字には一画足りなくなってしまった布団は少し寂しげに見えました。
童はぴたりとふたつ並んだ布団の間にこっそりと潜り込みました。
お父さんとお母さん、二人のぬくもりが伝わって、寒い夜でもとても暖かでした。
童は、そうやって眠るのが好きでした。
やがて、お父さんとお母さんは年老いておじいさんとおばあさんになりました。
ある日の朝、この家で一番の早起きだったおばあさんが寝坊をしました。
おじいさんが目を覚ましてもまだ目を覚ましません。お天道さまが真上に来てもおばあさんは目を覚ましませんでした。
おばあさんはそれっきり、とうとう目を覚ますことはありませんでした。
家族はおじいさん一人きりになってしまいました。
ひとつだけになってしまった布団はいつもより冷たくて、とても寂しく見えました。
しばらくして、おじいさんはこの家を出て行きました。
お嫁に行った女の子が、寂しそうなおじいさんを見かねて一緒に住もうと提案したのです。
おじいさんはその提案を受け入れました。
お家には誰もいなくなってしまいました。夜になってもお布団を敷く人はもう誰もいません。
ですが童はお家を離れようとはしませんでした。
いずれまた、この家に住んでくれる人間が現れることでしょう。
童は待ちました。わずかに残された道具たちと共に新しい主が現れるのを待ちました。
冷たい夜は、幾夜も繰り返されました。
*
夜になって、鬼は湿った畳の上に寝転がりました。
相も変わらず、鬼は童に振り回されてばかりの毎日です。
鬼は住処を乗っ取ると言ったことを忘れてはいません。忘れてはいませんが、力ずくの手段に出ようとすれば付喪の道具たちに阻まれ、童の我侭に嫌々付き合っている内に一日が終わってしまうのです。
今日はもう何もしたくはありません。つまりは不貞寝です。
今宵は特に冷え込みます。
綿の詰まった布団とまで贅沢は言いませんが、筵のひとつでもあればまた気分も違うでしょう。ですがこの家にあるものはほんのわずかです、ないものを欲しがっても仕方がありません。
ひたり、と傍に何かの気配がいたしました。
うっすらと目を開けると、そこには赤い着物の童女の姿がありました。
童は鬼の隣に並ぶように横になると、身を寄せて懐に潜り込んできました。
「何をしている」
「今宵は特に冷えるでな」
湯たんぽ代わりにしてやろうということなのでしょう。
いつもの我侭です。ですが鬼は文句を言いません、何故ならば今日はもう何もしたくはないのですから。
童は鬼のぬくもりを奪います。その代わりに、鬼も童のぬくもりを奪います。筵も何もないよりは随分とましになりました。
「……川の字には一本足りぬが、まぁ我慢をしてやろう」
「何の話だ?」
鬼には童の呟きの意味が判りません。鬼には判りませんが、他にその呟きの意味を判ったものがいたようです。
柄杓が飛んできて、二人の間に滑り込みます。
「冷てえ」
「冷たいな」
金物が首筋と頬に当たり、二人は口を揃えて言いました。