表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

短編集「二本目の縄」

作者: めてうす

 アルドレフは九死に一生を得た。敵の弓兵が放った矢が目前まで迫っていたのである。その矢をルプスが手で受け止めなければ、アルドレフは死んでいただろう。それほど危うく、また今回の戦いは敗色濃厚であった。


 アルドレフは一兵に過ぎない。他の兵と同様に戦場へと駆り出された農夫である。家族があり、それを守るために行きたくもない戦に参加した。というのも、本当に家族を守りたいのなら逃げた方が良い。しかしアルドレフには農地がある。小作人よりはましな、小さな農地である。つまりアルドレフは逃げようにも、土地を捨てては生き長らえないことを知っていた。次に家族を守ろうとするなら、戦争に行かずに農地を耕していれば良い。アルドレフが戦争に行って、もし死んだのなら家族は男の働き手を失ってしまう。しかしアルドレフは家族を守るために戦争へ混じって戦った。迫り来ている国だけが敵ではないのである。もしもアルドレフが戦争に兵として参加しなければ、家族諸共大きな非難を受けるだろう。中には過激な手段を取る人もいるかもしれない。たとえ、土地を追い出されるようなことをされても、それでも悪く言われるのはアルドレフである。だからこそアルドレフは戦った。戦った末に、旧友でもあるルプスの手によって生を拾ったのだ。






 ルプスは昔から人一倍勇敢で、桁外れの頑強さを持っていた。十人がかりで運ぶ荷物も、ルプスは一人で悠々と運ぶ。反射神経も優れ、ルプスには一兵が放つ矢など止まって見える。それ故に、戦では重宝されていた。


 しかし、戦いは無くなった。将が討ち取られ、戦争で負ける。そのことは先刻まで争っていた敵国の属国になるということだ。もう戦いは無くなった。そこに膨大な膂力を持った者が居る。それは脅威であり、恐怖でもあった。


 けれどもルプスは立派な戦士である。戦が終わったのなら猟師に戻って、今までのように暮らしていくつもりだった。護衛として働くことを命じられたとしても応じるつもりだった。そう考えながら猪などを狩っていたルプスに、国からの召集が掛かる。


 それから数日後のこと、ルプスは様々な因縁や疑惑をこじつけられ、今や死刑台へと上っているのである。そこは厳かな雰囲気の裁判所でもあり、処刑場でもある場所だ。理由は多岐に渡る。化け物じみているから。襲われたらたまらないから。城の衛兵では止められないから。あり得ないものは否定していったが、たったひとつ、そのひとつの理由で死刑の判決が下された。


『それほど力が強いのは、魔女の手先だから』






 アルドレフは苦悩した。それは今も進行中で、悩みの渦中にある。そしてまた、異常を感じ取っていた。アルドレフは、自分以外にもルプスに助けられた兵士がいたことを知っている。酒屋のリームも門番のガンネもルプスに助けられている。けれども彼らは、他のものと異口同音に「魔女の手先を殺せ」と言っている。何かが間違っている、とアルドレフは感じた。


 アルドレフの内にある正義の炎は、燃え盛っている。縄が一本下げられた絞死刑の台へと向かうルプスは依然として、憂いに満ちた表情である。けれども抵抗は一切していない。まるで、運命なのだと諦めている様子である。アルドレフにはルプスが何を考えているのか分からない。だがルプスの瞳には人々に対する嘆きと諦観が渾然としているように思った。それはルプスが、自身の行いが間違っていたと言っているようでもある。ルプスに非がないことをアルドレフはとっくに知っていた。アルドレフには家族がいる。ここで声を上げれば、自分だけでなく家族も巻き込むかもしれない。


 それでも、たとえ非難を受けようとも、アルドレフは声を響かせようと思った。これ以上自分の正義に欺けなかったのである。これ以上命の恩人を貶めたくなかったのである。


「この処刑に異議のあるものは申し出よ」


 そう言った厳格そうな老人が辺りを見渡す。その瞬間、アルドレフは決意した。


「その処刑を待て!疑いがあるだけで、その男にはまだ何の罪もないだろう!」


 そう言った直後、アルドレフに場の皆の視線が一斉に向いた。ある者はアルドレフを睨み付ける。またある者は緊張の面持ちでアルドレフを見る。すると、先程の老人が怪訝な表情でアルドレフに問い質した。


「では、この者が魔女の手先でない根拠はあるのか」

「彼は私の命を救ってくれた!それは善行だ!魔女の手先であるはずがない!」


 老人は何かを言い淀んで、口を閉じる。するとその反対側に座っている別の裁判官が言葉を発した。


「魔女の手先が善行をしたと?その証拠はどこにあるんでしょう?」

「私の命がここにあることだ。そして、彼に助けられた者はこの中に他にもいる!それが証拠だ」

「では、聞いてみましょうか。ここの死刑台の男に助けられた者はいませんか?」


 そう言うと、急にざわさわと騒々しくなる。アルドレフは見覚えがある二人を目で探す。しかし何故かそこに二人はいなかった。いつしか騒がしさは薄れ、誰も名乗り出ないままとなった。


「誰もいませんね。そうすると、あなただけ助けられたことになりますね」


 その発言に大衆たちが響めく。アルドレフは最初、その響めきの意味が分からなかった。裁判官は言葉を続ける。


「つまり、あなたを助けることで彼には利益があった。彼は魔女の手先という疑いは晴れていない。それはあなたも魔女の手先ということを意味しているのではないのですか?」


 大衆たちはその言葉に一層大きく騒ぎ立つ。アルドレフは愕然とした。うまくいかなければ、死刑される男を庇ったことで非難は受けるだろうとアルドレフは考えていた。それに家族が巻き込まれるかもしれないことも認識している。しかし、自身にまで疑惑が及ぶことなどあり得ないと思っていた。アルドレフは咄嗟に、別の助けられた者がいないかを見回す。その瞬間、アルドレフはぞっとした。視線を向けた人々の全てが「こっちを見るな」という顔をしていたのである。そしてまたアルドレフに侮蔑した視線を送っていたのである。


 アルドレフは悟った。


 




 正義とは、まさに炎のようなものである。ひとたび振りかざせば、悪者を燃やすことができる。炎は燃え広がる。燃え残りもできるが、概ね万能である。しかし、それはあくまで炎なのである。扱いを間違えれば、己に燃え移り、身を焼くこともある。正義は炎で、正しさとは多数に傾く天秤なのである。


 アルドレフは、正義の炎に燃やされたかのように、その心は焼け焦げて、黒々とした感情を生んでいる。アルドレフもまた、死刑の判決が下されたのである。多数対少数という構図にもなり、抗弁は唾棄された。その疑惑は、一瞬にして人々を変貌させたのだ。


 ルプスは旧友であるアルドレフに感謝をしながら、しかしアルドレフを馬鹿な人だと思った。


 二人の死刑に異議のある者は無く、アルドレフとルプスは絞殺刑に処される。二人が首に縄を通したのを見て、処刑人は足元の板を抜く。途端に二人の体が宙吊りになる。ルプスは身動ぎひとつせず、ただ脱力して死を待っている。対してアルドレフは苦しさに顔を歪め、もがいている。


 それから数分後、アルドレフはぴたりと動かなくなった。口からは泡を吹き、分泌物を垂れている。ルプスは初めから動いていないが、まだ生きてはいる。だが、ルプスの縄には異変が起きていた。ぎちぎちと軋む音を発し、少しずつ縄が細くなる部分がある。その場所はどんどん細くなっていく。


 そして遂に、その縄は切れた。ルプスの体が処刑場の床に転がる。ルプスには何が起こったのかが分からなかった。しかし辺りが騒然とし、拘束されているのだけ理解できた。






 絞死刑にはやり直しがない。ルプスは戸籍を抹消されて、解放された。しかし町にいると避けられ、遠くから石を投げられたこともある。ルプスは山奥にある自分の小屋に身を潜めた。狩猟の時の必要な道具を置くような小さな建物で、干してあった狼の毛皮を被って眠った。


 そして数日が過ぎた。ルプスは未だに、感情の整理がついていない。人々を、この世の中を見限って、死を自ら選択したのにも関わらず、生きているからである。神の存在を信じているなら何か分かるのかも知れない。けれども、ルプスに信仰はない。なぜ死ななかったかを漠然と考えるのみである。ただ、アルドレフの家族は皆、裁判の末に殺されたようだった。






 処刑から数週間が過ぎたある日の晩、ルプスは昼に狩った兎の肉を焼いて食べていた。すると不意に小屋の扉を叩く音がする。ルプスは、山で迷った者だろうか、それとももう一度捕らえに来たのか、と開けることを迷う。しかし前者だった場合を考えると、ルプスは扉を開かずにはいられなかった。


「夜分にすみません、慣れぬ山道に迷ってしまいまして、どうか一晩泊めていただけないでしょうか」


 訪ねてきたのは、迷った女性である。その女性が身に付けている黒い外套は少し破れ、泥に汚れている。目深に被られたフードの中では、この国では珍しい黒髪が流れていた。


「泊めることに問題はない。だが簡単にでも素性を明かしてもらわないと信用ができない」


 ルプスがそう言うと、女性はフードを取る。その女性の瞳を見てルプスは喫驚した。その女性の瞳は、左右で光彩の色が異なっていたのである。


「私はイリスと申します。山の向こうから来ました。私は、黒い髪とこの目のせいで魔女裁判にかけられそうになりました。魔女裁判はかけられて無罪になることはありません。ですので夜のうちに逃げたのです。しかし慣れない地に迷ってしまいました。そして先刻、ここに光が見えたので寄らせていただきました」


 ルプスは少し下を向いて眉を顰めた後、イリスの顔をまじまじと見る。感覚的に嘘をついてないと判断したルプスは、イリスを招き入れた。

 イリスが傍を通るとき、ふわりと甘い香りがした。






 ルプスが明日の朝食にしようと思っていた干し肉をイリスに渡す。するとイリスは美味しそうにそれを食した。ルプスは、あまりに美味しそうに食べているイリスを見て、薬茶も淹れる。イリスは深々と頭を下げて感謝する。その頭を上げて、それからルプスを見て微笑んだ。ルプスも少しだけ口角が持ち上がった。


 夜も更け、ルプスは簡単な寝床を用意する。そして立ち上がり扉に近付いて外へ出ようとしていた。イリスはそれを目で追ったが、用足しなどだろうと考え、止めることはしない。イリスは壁に凭れて目を閉じた。


 それから数十分が経過しても帰ってこないルプスを、イリスは焦りながら待っている。何かあったのではないか。探しに行こうか。しかし自分までも帰って来られなくなったら、などイリスは考える。せめて分かる範囲で探しそうと考えたイリスは、意を決して扉を開いた。


 すると、開いた扉のすぐそばにルプスが座り込んでいる。イリスは驚くのと同時に質問をする。


「あの、どうして中に入らないのですか?」

「君は眠れなかったのか?」

「え?」

「寝床を用意しただろう?客人で女性だから俺は外にいたんだが、あの寝床では寝付けなかったのか。もう少し上等な毛布があれば良かったんだが、あれしかなくてな。我慢してくれるか?」


 イリスは目を丸くして、そしてなんだかおかしくなって笑った。ルプスは不意に笑ったイリスを見て慌てる。それを見たイリスはさらに笑った。






 それからイリスは町へと降りていった。町に宿泊先の当てがあるらしい。ルプスはそれを見送って、生活の中に戻った。しかし、それからもイリスは夜になると時折、こっそりとルプスのもとを訪ねて来る。何か土産を持ってきては、ゆっくりと朝まで話をするのである。


 イリスは、ルプスにとって不思議な女性であった。ルプスの生まれつきの鋭い眼光も怖がることなく、自然に接する。優しく穏やかな性格は、ルプスを少しずつ癒したのである。ルプスはイリスを朝方に見送るのが切なくなるほどにイリスに惹かれていった。イリスも、山奥のこの家までの道をすっかり覚えていた。


 けれども、ルプスにはイリスに言えない秘密があった。







 ――――ある満月の晩、こつこつと扉を叩く者がいる。ルプスはすぐにイリスだと分かり、扉を開くとそこにはイリスが佇んでいる。片方の瞳を深紅に輝かせ、もう一方の瞳は黒暗々とした闇の深さを持っている。その不気味さと対照に、白皙の柔らかそうな頬は、ほんのりと桃色に染まっている。ルプスはそんなイリスを見て息を少し荒げる。額には汗が滲み、眼球は血管が走っている。イリスを招き入れ、傍らを通りすぎる瞬間、ルプスは我を失ったかのようにふらっとイリスに寄る。ルプスの手が、イリスの首にゆっくりと伸びる。するとそれに気付いたイリスがルプスに振り返った。


 ルプスは虚ろな目をして、イリスをじっと見つめる。イリスは見つめられることに耐えられなくなって、顔を赤らめてそっぽを向く。


 それからもう一度ルプスに顔を向けて、そしてそっと目を閉じた。


 ルプスの頭が割れるように痛む。ルプスの脳内では景色が高速で流れ、その度に鉈を振り下ろされたかのような激痛が、頭全体を蠢く。痛みで意識が飛びそうで、それでも痛みで意識を戻される。誰かに殺されたい程の苦艱を受け、ルプスは――そこから逃避しようと考えたのかも知れない。




 気が付けば、噎せ返るほどの甘い香りが、身体中にべっとりと張り付いている。ルプスは惚けていたようで、気が付けばそうなっていた。


 イリスの首に喰らい付いて、噛み千切り、飲み込んで、噴出する血を身体に浴びて、恍惚とし、イリスの首を断ち切り、この場に突っ立っていた。


 不意に滴が頬を伝う。喉の奥に何かが込み上げる。それが出てくる前に、イリスの首を拾い上げる。


 その顔を愛しく見つめていると、ルプスにある思考が過る。自分は何のために生きているのか、死ななかったのか。その問いである。ルプスはその答えをこの瞬間知り、再び大粒の滴を流した。


『自分はきっと、愛したこの女性を殺すために生きていたんだ』

 ルプスはイリスの唇に接吻をした。

 それから自分の喉を掻き切った――――。






 ――――朝に、ルプスが目を覚ますと、自分が泣いていることに気が付いた。そして先刻まで見ていた、夢であろう内容を思い返す。それを思い出した瞬間、怖くて震えが止まらなくなる。


 ルプスには、イリスにひとつだけ秘密がある。


 それは、彼女を殺したいという衝動に駆られることである。イリスの匂い、目を見ること、微笑み掛けられること。その他にも多くの事柄で、その衝動は発作的に起こる。ルプスにはそれが制御できない日が来ることに怯えている。夢の中では満月の晩だったと、ルプスは考える。前の満月はこれほどには衝動は強くはなく、しかしその晩は精神が落ち着かずに、眠れなかったのである。


 昨晩の月を考えると、今宵が満月であることはルプスには分かっている。イリスは今晩、ここへ来ると約束していた。


 イリスに来ないように伝えるため、ルプスが家の扉を開いた時、イリスが丁度家の前まで歩いて来ていた。


 その顔を見た途端、追い返すことなど出来なくなってしまった。


「今日はずいぶんと早く来たんだな」

と努めて自然に話しかける。


 イリスは柔和に微笑んで

「はい、今日は私がおもてなししようと思いまして、紅茶とお菓子を持ってきました。紅茶は淹れたてが美味しいので、ここで淹れる準備をするために早く到着するようにしました」

と答える。


 その微笑みを、考えを、ルプスは愛しく感じた。その瞬間、ルプスは酷い頭痛に見舞われる。夢の中ほどではないにしても、ルプスはその痛苦に顔を歪ませてしまう。するとイリスは不安げに、ルプスを慮る。


「ル、ルプスさん、大丈夫ですか?」

「……大丈夫だ、心配ない」


 ルプスは目頭を押さえて首を振る。しかしルプスの内面は、その衝動で理性が押し潰されそうになっている。ルプスは衝動が湧き上がったその都度、舌や唇を強く噛み、それに耐えた。そのせいかルプスの口の中には血の味が広がっている。今もイリスが立ち上がると同時にふわりと良い香りが漂うだけで、ルプスはその血を啜りたい衝動に駆られる。


 立ち上がったイリスは少し恥ずかしそうにして「きちんとした御手洗が無いのが、この家の欠点ですね」と言い、家の外へ出た。


 ルプスは大きく溜め息を吐く。ふと外を眺めると既に月が登っている。天空で輝いている月は、黄金の真円を描く満月である。


 イリスが扉を開けて戻ってきた。片方の瞳を深紅に、もう一方の瞳は漆黒に潤んでいる。白磁器のように白く、柔らかそうな肌は、頬の部分を薄く桃色に染めている。ルプスはそんなイリスを見て息を荒げる。眼球はせわしなく動き、血走っている。イリスが机の反対側に座ると、ルプスは虚ろな目をして、イリスをじっと見つめる。イリスは見つめられること気付き、恥ずかしくなり顔を赤らめてそっぽを向く。


 それからもう一度ルプスの瞳を見つめた。


 その瞬間、ルプスの頭が割れるように痛む。雪崩れ込む衝動と、激しい既視感に苛まれて呻き声をあげる。


 殺してはだめだ殺してはだめだ殺してはだめだ殺してはだめだ殺してはだめだ殺してはだめだ殺してはだめだ殺しては―――――。


 ルプスは頭の中でそう繰り返して理性を保とうとする。イリスを殺してはいけないと思うと、焦燥感と鋭痛にルプスは襲われる。理由もわからない衝動に、ルプスは泣き出したくなった。


 不意にイリスが顔を近付け、ルプスの目を見る。するとイリスがルプスの両肩を掴んで、こう言った。


「ルプスさん、あなたは苦しんでいるのですね。

恐らく私を、殺したくて――――」






 ルプスは全てを語った。初めから何か感じていたことから、今も抑えなければ殺してしまいそうなことまで話した。


 するとイリスは悲しそうに微笑む。


「今まで耐えてくださって、本当にありがとうございます。でももう良いのです」


ルプスは胸が切なく絞まって

「……なんでそんなこと言うんだ」

と聞いた。イリスは深い瞬きをして、それから決意したように言った。


「……私はiris、虹瞳の魔女です。そしてあなたはlupus、狼です。狼は魔女を喰い殺すものです。あなたは恐らく、人狼の血を引いています。その力、そして満月の晩の衝動は、私に会ってから酷くなったのでしょう?」


 ルプスは何も言い返せず、悲痛な顔をした。


「ですから、私を殺してください。殺さなければ、あなたが苦しみ続けるだけです。それに私は悪いこともします。町に降りたとき姿を変えたり、人を幻惑して住む家を借りることもしました」

「…………」

「ですから、殺してください。魔女の生き残りはもう私だけです。お願いします、どうか……」

「俺には……できない」

「……なぜですか。殺さなければあなたは――――」

「―――俺は、この上無く君を、愛してしまった」


 ルプスがそう告げた瞬間、イリスは目を見開いた。


「イリス、君を殺すくらいなら、俺は自ら死を選ぶ。夢の中で俺はもう君を殺してしまったんだ。あんなに辛くて悲しくて苦しいのは……もう嫌だ。


 君のことが、好きなんだ」 


 イリスは泣き崩れ、嗚咽を洩らした。それでも言葉を紡ごうとして、しかし嗚咽で途切れ途切れにしか話せなくなっている。その中で、ルプスは確かに「私も愛しています」と聞き取った。


 ルプスは幸福でいっぱいになった。それと同じ量だけ殺したくなった。


 ルプスは部屋の奥にある、毒矢に使う毒を手に取った。ルプスはそれを一気に自分の喉に流し込んだ――――。






 それから半年後、イリスは幸せそうにルプスの腕の中で眠っている。毒を飲んだ後、イリスは必死にルプスの胃を洗浄し、薬草を飲ませ、何度か夜が明けても看続けた。数日経って、ルプスは意識を取り戻した。ルプスは目を覚まして、異変を感じた。力がほとんど入らないのである。それは一般の人の力と比べても弱々しかった。しかし、もうひとつだけ、変わっていることがあった。


 イリスを見ても、触っても、殺意が湧き起こらないのである。

 二人は歓喜し、お互いを抱き締め合って、そしてどちらからか泣いた。


 一頻り泣いた後、互いに見つめ合って、幸せな口づけをした。



 二人は誰にも見つからないこの場所で、こっそりと結婚した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ