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「あ……?」
普通の男子高校生だった俺は、影の無い、本当に真っ白な空間に突然飛ばされた。
「こ、ここは……?」
見回しても、距離間の掴めない白が無限に続いているだけ。方向もわからない。上下感覚も麻痺していて、逆さまになっていても気づけないだろうな、と俺は思った。
そんなときだ。
突然、一人の男が、目の前に出現した。三十代くらいだろうか。寝癖のついたボサボサの髪に、縁なしのメガネ、くたびれた服装。童貞臭の漂う、ただのおっさんだ。
なんで、こんなおっさんが目の前に現れるのか、解らない。
呆気に取られていると、その男は「やぁ」と言った。
「あ……、あんたは、誰だ?」
「……私か?」
男は、眉をつり上げる。
「あんたしかいないだろう」
「……あぁ、たしかに、この空間には私しかいないはずだから、私に違いないな」
何言ってるんだこいつ。頭おかしいんじゃないのか。
「あんた……誰だ」
「そうだな……、とりあえず、〝神〟とでも名乗っておこう」
「は? 神?」
「あぁ、〝神〟だ」
「神様ってことか?」
「それは君の判断に任せる」
俺は軽く溜め息をついた。一体何なんだコイツ……。まぁいい。
それにしても、ここはどこなんだ……?
「おっさん、ここはどこなんだ」
「……ここがどこか?」
おっさんは瞳を動かさずに訊き返す。
「あぁ、そうだよ」
俺はいらつきながら言葉を返した。ホントに何なんだ、コイツは……。
「ここは……〝死後の世界〟だ」
「――はぁ?」
「〝死後の世界〟だ」
おっさんは、無機質な口調で繰り返す。
「はぁ……」
俺は髪の毛を掻いた。コイツ、本当に頭が狂ってるんじゃ……。
「その……つまり? ここは死んだあとの世界で、俺は死んじまったってことか?」
「そうだ」
こいつの言うことだ。にわかには信じがたい。
「そんなこと――」
信じられるか、と言おうとして俺は言葉を呑み込んだ。
待てよ? こういうシチュエーション、どこかで見なかったか……?
俺は必死に思考を巡らす。
あ……そうだ。ネット小説なんかでよく見かける、転生ってやつじゃないか?
だとしたら……。
「なぁ、おっさん」
「……何だ?」
「ここが死後の世界なのはわかった。じゃあ、どうして俺は死んだんだ? 理由を教えてくれ」
「死因か?」
「そう、死因だ。それと、なぜ俺は死ななければならなかったんだ?」
「死因は、事故死だ。トラックに轢かれて即死だった。理由は……バグだ」
「轢死か……」
俺は、自分の死んだその姿を想像して気分が悪くなった。おそらく、バラバラだったに違いない……。
ん? いや、そんなことよりも気がかりなワードを口にしなかったか、コイツ?
「バグ……? バグってなんなんだよ」
「バグというのは……、コンピュータのプログラム上の不具合や欠陥のことだ」
「言葉の意味じゃない。何のバグなんだ」
「これは表沙汰にはできないことだが……人間には、寿命がある」
「寿命があるのはみんな知ってるさ」
「その寿命は、神……すなわち、私によって定められている」
「は、はぁ……」
俺は呆れたような声を出していた。
「それで?」
「人間の寿命は、かつてはすべて私が管理・処理していた。つまり、寿命が来た人間は、私が一人ずつ手を下していた」
「ほぉ……」
そりゃ、ご苦労なこった。生粋のブラック企業じゃねぇか。
「しかし、私にも疲労や限界というものは存在する。したがって、数十年前、死期・死因などのすべてのデータ管理を、人間界で言うコンピュータによる自動演算に切り換えたのだ。そして、死期が来た人間は、自動で殺されることになった」
「はぁん?」
うん……なんかよく解らんが、神といえども、ラクしたいという気持ちはあるんだな。
「だが……私の組んだプログラムにはミスがあった。致命的なものではなかったし、発生率も極端に低いので、手直しはしていない。何しろ私は忙しいのでね」
「……ふぅん」
デバッグくらいしとけ。
「そして、そのプログラムのバグによって、寿命よりも早く死んでしまう人間が現れた。その中の一人が、君だ」
「なるほど……俺は、神様のミスによって死んでしまったわけですねぇ」
「そういう認識で構わない」
「あ。ちなみに、俺はいつ死ぬ予定だったんだ?」
「三十五歳だ」
「はっ?」
おいおい、平均寿命の半分にも満たないじゃないか。
「ちなみに死因は、三十五になっても彼女もできず童貞のままで、努めていたブラック企業で酷い仕打ちを受け、ショックのあまり自殺というものだった」
「はぁん!?」
生きていても仕方なかったということか……? くっそ……死んで正解だったのかもしれない。
「……本題は、ここからだ」
おっ、来たな……?
「私は、バグによって死んでしまった哀れな者たちに、新たな人生を与えることにしている。生き返らせてあげられないのは申し訳ないと思っているが」
おっさん――もとい神は、淡々と言う。本当に申し訳ないと思っているのか甚だ疑問だ。
「つまり、俺は転生できるわけだな?」
「そういうことになるな」
「場所とかは、自由に決めちゃっていいわけ?」
「……もちろん」
「条件とかはある?」
「条件? たとえばどういった?」
「不死身は無理とか、持てる能力は十までとか」
「……条件から察するに、ゲームの中のような世界への転生を希望しているのだな?」
「察しがいいっすね、さすが神サマだ」
「条件なら、とくにない。だが、不可能なことはあるかもしれないから、それはそのときに通達する」
「マジで!」
よっしゃ!
俺は心の中で叫ぶ。
新たな人生で、サクセスストーリーを紡いでやるぜ!
「では、希望を聞こう」
「えぇと、じゃあ――」
俺は、大人気のRPGの名前を言ったあと、そのゲームの主人公にしてくれと頼んだ。
「なるほど……、問題ない。要望はそれだけか?」
「ほかにもあるぜ! まず、容姿はうんとかっこよくしといてくれ。それと、不死身の能力でしょ、たくさんの女の子でしょ、それから……」
俺は、ありったけの要件をおっさんに告げた。
それに……このRPGの世界に入れたらなぁ……なんて、俺は密かに思ってたんだ!
こんなところで夢が叶うなんてなぁ! 死んで良かったぜ!
あ、でも、ギャルゲとかエロゲの世界でもよかったかな? まぁいいや。女の子はたくさん出てくるんだ……! ハーレムだぜひゃっほぃ!
「――ってとこかな!」
「……なるほど、かなり強欲だな。まぁ、問題はないはずだ」
「頼みますよ~!」
数十秒の沈黙があったあと、おっさん神は指をパチンと鳴らした。
その瞬間、俺の目の前に、大きなドアが現れた。
「さぁ少年。扉の向こうに、君の望んだ世界がある。……せいぜい楽しんで――」
おっさんの言葉が終わるまえに、俺はドアを開いて、新たな世界への一歩を踏み出していた。
*
「お疲れ様です」二十代くらいの若い男が、コーヒーの入ったマグカップを持ってきて、男の向かう机に置いた。
「あぁ……、なかなか疲れるね」男は縁なしのメガネを外して、鼻の上を指で押す。
「どうです? 今回」
「なかなか強欲な少年だった。彼の分身と仮想空間の生成に時間が掛かったよ」
「でも、なかなかいいデータが取れそうじゃないですか?」
「そうだね……」男は、コーヒーをすする。「これも、君の作った装置のおかげだ」
「いえいえ……僕は、そんなたいしたことはしてないですよ。犀木さんのプログラミング技術あっての『実験装置』ですよ」そう言って二神は、アクリルボードで仕切られた向こうの部屋――実験室を見た。
清潔感の溢れる真っ白な実験室の中心に、椅子がひとつ置かれていて、それには、少年が座っていた。彼に意識はなく、頭にはヘルメットのような装置が被せられている。その装置から伸びる無数のコードは、実験室の隅に置かれたメタリックシルバーの機械に繋がれていた。それらは、人間の脳に、特殊な信号やパルス波を伝え、現実世界にいるような感覚を脳内で再現できる装置である。
「それで、今回は、どういった実験ですか?」二神は、灰色の回転椅子に座った。
「君は、転生といったものをどう捉えている?」犀木が訊く。
「転生……? 輪廻転生ってやつですか?」
「そういうやつだな」
「そーうですねぇ……」二神は、左手の親指の爪を噛む。「人間って、死んだら終わりでしょう? 魂だけが生き続けるなんて考えは馬鹿げてますよ」
「なるほど、君はそう考えるのか」
「前世の記憶がある、とかよく聞きますけど、あぁいうのは全部作り話だって思ってます」
「確かに……人間は、そういう話が大好きだからな。マスコミなんかは、独自のマインドコントロール技術を持っているに違いない」
「犀木さんは、転生とか信じてるんですか?」
「私は、あると思っている」
「ほう?」二神は、眉をつり上げた。「まぁ、脳科学者ですもんね」
「脳には、まだまだ未知な部分が多い。宇宙よりも遙かに未知だ。宇宙人の存在を信じて太陽系外の探査をするように、私も、転生というのを信じて研究をしている」
「なるほど……。小宇宙ってわけですね、脳は」
「そういうことだ」
「それで、今回は、あの少年に転生を疑似体験してもらおうとしたんですね」
「その通りだよ、二神君」犀木は頷いた。「人間が転生したとき、脳はどのように働き、どのような思考や行動をするのかが、今後の研究テーマだ。そのために、彼は必要な犠牲なのだよ」
「彼、どのような反応を示していましたか?」
「彼の意識の中に私のアバターを出現させて、会話を試みたのだが……、かなりノイズが激しくてね、思考を言葉として認識するのは、やはり難しいようだ」
「そこは改良の余地ありですね」
「うむ」犀木は、またコーヒーをすすった。
「そういえば……聞きたかったんですけど、犀木さん、まえの実験で使用していた女子高生たち、どう処理したんですか?」
「死んだのを確認したあと、私の玩具にさせてもらったよ。人間ベースのアンドロイドとして、毎晩楽しませてもらっている」
「げぇ、死姦ですか、……悪趣味ですね」
「なら、次の日の夕食のハンバーグにしたとでも言っておこうかね?」
「ちょ……、本当にそんなことしたんですか? 僕、しっかり食べちゃいましたよ?」
「冗談に決まっている」
「犀木さん……悪い冗談はよしてください、狂ってますよ」
「君も、人のことは言えまい」
「まぁ……僕もかなり狂気な方だとは自覚してますけどね」
そのとき、モニターの方から音が鳴った。パラメータの数値に変化があったらしい。
犀木はマグカップを机に置いて、さまざまな数値やグラフィックが表示されたモニターを見る。
「ほう……、なかなか興味深い思考をしているようだ」
「じゃあ僕は、部屋に戻って、論文の続きを書いてきます」
「あぁ。また何かあれば、よろしく頼むよ」
二神は、犀木の研究室を出て行った。
犀木は、なおもモニターの数値やグラフを監視し続ける。
そのデータのすべてが、犀木にとって我が子のように愛しく、重要な意味を持つ。
だが、被検体には意味が無い。
犀木は、口元に不気味な笑みを浮かべた。
「さぁ……私を楽しませてくれ」
そして、必要なデータが揃えば、即座にCtrl+Alt+Delete――君の人生を、〝強制終了〟だ。