美味しいご飯と珈琲と。+(プラス)日常
腹を抱えてのそのそ歩く。リビングの真ん中に置かれたテーブルには、美味しそうな卵粥が置いてあった。廊下で腹がなったのはこのお粥が原因かもしれない。その正面にはさっきまで考えてた桃香が座ってた。顔は玄関にいたときより、表情が柔らかくなっていた。
「早く食べてよ。ばか姉、どーせご飯食べてないんでしょ」
「え、いいの?」
そう言いながら、桃香の正面の椅子に座る。今はばか呼ばわりされてることなんて気にしない。
桃香は自分で入れた珈琲を啜っていた。あたしは椅子の位置をずらして、卵粥の入った土鍋を自分側に寄せる。手を合わせて挨拶をする。礼儀くらいはわきまえている。
「いただーきます。お、やっぱり美味しい」
口に入れて、素直な感想を言う。
桃香が飲んでいた珈琲を吹いた。いや、正確には吹くのを堪えたから、気管に珈琲が入ったらしく盛大に噎せる。あたしの感想に照れたのか。
「大丈夫?」
スプーンで卵粥を掬いながら聞いたら、ジト目で睨まれた。
「大丈夫じゃない。てか、何、今の感想」
語尾のクエスチョンマークを省いた、お怒りな質問。咳き込んでるのに無理に話すから言葉が途切れ途切れだし。どうやらまた怒らせてしまったみたいだ。もっと気の利いた言葉で卵粥を賞賛するべきだったかな。
「いや、だって本当に美味しいよ。食べる?」
「私が作ったんだから、味くらいわかってるよ」
差し出したスプーンを眺めながら、気怠そうに答える。あたしの反応に疲れたのか、溜め息まで吐いてる。
もしかしなくとも桃香にはあたしが負担をかけてるのかな。いや、あたし以外にそんな生物いないか。いたら困る。ここは二人しか住んでいないはずだから。
「御馳走様でした」台所で土鍋とスプーンを食洗機に突っ込む。席を立ったついでに自分の珈琲を淹れてからテーブルに戻る。
桃香は机に教科書とノートを広げて勉強を始めてた。シャーペンで丁寧にノートに文字を書き込む姿を、珈琲を飲みながら眺めた。
「ねぇ、何でいつも写真撮るの?」
「ん、写真はあたしの生きがいだからさ」
唐突な質問だったのに、間髪いれずにそう言った。というか勝手に言葉が出てきた。珈琲を啜ってそんなことを考えてたら、桃香が手を止めてノートから顔を上げる。珈琲を飲むあたしを正面から見据えてくる。
「意味、あるの?」
「そりゃあ、あるさ。でもあたし以外は、理解しにくいと思うよ」
「そう、なんだ」
落胆した声だったような気がした。顔も下向いたし。だけど本当に理解してもらえるような理由じゃないしな。
あたしは意外と桃香に好かれてるのかな。もしかするとコイツはツンデレというやつか?いや、本物?見たこと無いから分からんけど。
空気が重くなるような気がしたから、話題を此方から提供する事にした。
「桃香は勤勉だな。あたしには真似できねーや」
とりあえず、目についた教科書とノートの話題を出した。桃香もあたしの意図に気づいたのか、返事をしてくれる。うむ、空気を読む達人だな。
「あんたはやらないだけでしょ。本気出せば、もっと凄いのにさ」
「いやいや、煽てても何も出ないよ」
一緒に顔の前で手を横に振る。そいつぁーないぜーと言うのを示してみた。
「煽てじゃないわよ。何でそうかな……」
悩むように顎を手の甲に乗せて、上目遣いで見上げてくる。
「うーん、あたしの良いとこなんて、自分じゃ思いつかないけど」
「そんなのは私も一緒よ」
「え、桃香は良いとこ一杯じゃん。料理上手いし、勉強も出来る。更に美少女だ」
「最後のはどうなの?」
「良いとこに決まってるじゃないか」
「そーですねー。てか、だったらばか姉もキレイじゃん」
投げやりに桃香は答えてノートと教科書を閉じて、シャーペンをポーチに片付ける。手元にあった台ふきでテーブルを拭く。あたしの使っていたカップも邪魔らしかったので手で持ちあげた。
珈琲を飲みきってカップをテーブルに置くと、そのカップと勉強道具を持って桃香が立ち上がる。
「あれ?勉強おしまい?」
「休憩よ。珈琲のお代わりいる?」
「いる」
テレビの棚に教科書類を突っ込んで、台所に回る。カップにお湯を注ぐ音が響く。それを聞いてると瞼が重くなる。温かい珈琲と卵粥のおかげで睡魔が活性化してきた。せっかく美少女が珈琲を淹れてくれるんだから、お返しせねば。
あの子は珈琲の淹れ方に拘るから、少し時間がかかる。その間に動きたいから気持ち早歩きで隣の自室に入る。シンプル、と言いたいが正確には物が無さ過ぎる部屋に唯一ある、机の上のカメラを手に取る。ついでにカメラの横にあった青い長方形の箱も手に取った。
リビングに戻って椅子に深く座って、カメラを弄る。カメラバックに入れてる布で丁寧にカメラを拭く。山を登ったせいか砂埃が酷い。だけど大切なカメラなので掃除は適当にはできない。
三日間の間に撮った写真の量は118枚。多いかどうかは分からないが、普通の人はそんなに撮らないだろう。それはもう現像した。今回も新しいフィルムを持って山に登ったけど、その途中で見つけた花とか空を撮ったからあまり容量はなさそうだ。
「おまたせ」
カップを両手に持って慎重に歩く桃香から、カップを一つ受け取る。さっきと同じ席に腰かけて、息を吹きかけながら珈琲を啜る。この子は猫舌だ。
いつだかあたしが淹れた緑茶を黙って差し出したら、飲んだ瞬間涙目になっていたし。淹れたばかりだと先に言っておけば良かったかな。って少し反省した。
「見ていい?」
桃香がテーブルの上に置いてた青い箱を持ち上げる。
「いいよ」
「ねぇ、何枚足した?」
「んー、四日くらい前に118枚くらい追加した」
箱の蓋を開けて、テーブルの上に中身を全部ひっくり返す。ばさばさと音を立てて、大量の写真がテーブルを覆う。
「うわ、増えたね」
カップが倒れないように非難させてから、写真に手をつける。
写真を一枚一枚眺めながら、テーブルの上で分けて置いていく。几帳面な性格には、乱雑に箱に入ってる写真は許せないらしい。いつも桃香があたしの撮った写真を分けてまとめてくれる。
「いつも悪いねぇ」
老婆っぽく言うと、桃香がゆるく笑う。
「その言い方、似合ってるね。私が好きでやってるからいいの」
「きれいだね」そう言いながら写真を眺める。
あたしはカメラをきれいに拭いて、テーブルに置く。淹れてくれた珈琲に口をつける。美味しい珈琲を飲みながら、ゆったりした時間を過ごす。これが、今はあたしの日常になってる。
桃香は家に居て、美味しいご飯を作ってくれたり、話したりする。あたしは珈琲啜ったり、外に写真撮りに行ったり、自由に生きてる。
昔のあたしだったらこの風景を見て、目を丸くすると思う。実際ならあたしはまだ、高校最後の冬を過ごしているべきだったし。
だけどそんな和やかな空気は、一本の電話で変わった。