おさめたものは沢山でした
写真屋の袋を右手にぶら下げながら、ふらふらと帰路に着く。
珍しく寄り道しないで歩いたためか、十分程度で家の前までこれた。玄関の前でポケットから鍵を探す。左手でポケットを漁るけど、なかなか鍵が出てこない。少し焦って右のポケットを漁る。ジャージのポケットも一応確認して、玄関の前で固まる。
スペアキーなんて素敵なものは持ってないし、財布の中も全く入ってない。この寒い中、薄着で一晩越すのは流石にあたしでも無理だ。
探すしかないと判断して玄関前で踵を返す。振り返ったら、目が合った。
「ぁれ?」
美少女が門の前に立っていた。あの日とは違う、温かそうなコートを着込んで、鼻の頭を赤くして、桃香が立ってた。
混乱した頭をフル活用して、何を言うか考える。考えて言った言葉は、なんとも間抜けなことだったけど。
「桃香?」
「それ以外誰がいるのよ」
とげとげしい声は確かに桃香だ。というか何かお怒り気味。腕組んで仁王立ちって。完全にお怒り状態。会って早々怒られるって嬉しくないよね。
「久しぶり?」
「そうね。お久しぶり、ばか姉」
その呼び方は健在なんだ。
「え、何でいるの?綾香さんたちは?」
「それより、一個質問」
怒気を膨らませて桃香が近づいてくる。怒ってる桃香も久々で、その顔を見て頬が少しだけ緩む。
「この前のばいばいって、どういう意味?」
この前って、公園で言ったことだよね。ばいばいってさよなら以外に意味無いはずだし。あたしもそのつもりで言ったし。
考えてる間も桃香はどんどん近づいてくる。後ろに下がりたかったけど、残念ながら動かすのが不可能な玄関が鎮座してるため、下がれない。後一歩でぶつかりそうな距離で、桃香が止まる。
「そのままの意味だけど。ほかになんか意味ってあるの?」
「ばか」
至近距離というか目の前で馬鹿呼ばわりされるのは初めてだ。しかも相手年下だし。情け無さがじわじわと出てくる。
「私、あんたにありがとうも言ってないよ」
「言う必要あるの?」
間髪いれずに言ったら、目を丸くされた。一瞬謝ろうかと思うほど驚いた顔をされた。え、変な事いったかな?
「・・・・・あのね。私が父さんたちと笑えたの、誰のおかげだと思ってるのよ」
「大樹さん」
「アホ」
今度は桃香が間髪入れずに言い返してきた。さっきから罵倒されまくり。悲しくなるから止めて欲しい。涙目の桃香が下を向いて肩を震わせる。見て分かるほど、震えてる。
「ごめ「ごめんなさい」え?」
台詞が被った上に同じこと言った。桃香が真っ直ぐにあたしを見て謝ってくる。桃香が謝るような事は何もしてない。謝る理由なんて一つもない。なのに、泣きそうな顔で桃香はあたしに謝ってる。
自分が動揺してるって分かった。それと同時に、言いたい事があったのを思い出した。
「あのね、桃香」
「・・・・・なに?」
「あたしね、桃香があたしの家に居なくて寂しかった」
家で一人で大好きな写真を見ていたときの感覚は、きっとこれだ。写真屋を出るのが少しだけ嫌だと思ったのは、家に誰もいないから。話を聞いてくれる人も、聞いてあげることも出来ないから。
とても子供っぽいけど、あたしはそれだけ桃香に依存してたんだ。あたしは何かに依存しないで生きてきた。
依存した物は、カメラだけ。物だけで、人には一度も依存しなかった。それは悲しい事だって、昔学校の先生が言ってた気がする。そのときは、意味が分からなかった。だけど今なら分かる。あの先生にも、そうだねって同意できる。
「そうなの?」
「うん。凄い寂しかったんだ」
「・・・やっぱ馬鹿だね」
桃香が一歩踏み出してきて、あたしに抱きついてきた。あたしの方が身長あるけど、包み込むようにあたしを抱きしめてくれた。
抱きしめられたのは、久しぶりだった。人の温かさに驚いて、でも嬉しくて。最後に抱きしめれたのは、いつだっただろうか。
「桃香、あたしには親、居ないんだ」
抱きついたまま話してるから、顔は見えない。今は顔も見たくなかった。無言で何も言わないから、あたしも淡々と続ける。
「中学二年のとき、親と大喧嘩したんだ。怒って家飛び出して、学校行ったの。そしたら授業中にね、担任が真っ青な顔で教室に走ってきてさ」
目をつぶって、あのときの教室を思い出す。あたしは授業なんてろくに聞いてなくて、シャーペンでまわして遊んでた。ノートには何も書いてなかった。教室の扉が突然開いて、真っ青な顔の担任が立ってた。
「それでも、あたしを廊下に引っ張り出して、すぐに帰りなさいって言ってきたの。あたし馬鹿だから、事の重大さに気づかないで聞いたんだ」
『何で?あたし親と喧嘩したから、家には帰りたくない』
「そしたらね、担任に横っ面叩かれたの。あれには驚いた」
そのあと泣きながら担任は教えてくれた。家にトラックが突っ込んできて、たまたま玄関先に立ってた二人が撥ねられたこと。即死で、近所の人が連絡したときには息をしてなかった。そう話してたらしい。
それでも実感のなかったあたしはふらふらと教室に戻って、机にノートとか広げたまま、鞄だけ持って学校を出た。学校の先生が車を用意してくれたけど、それを無視して歩いて家まで行った。
「家の前まで来てね、初めて実感したんだ。玄関はぐしゃぐしゃで、パトカーとかが家に沢山いて、野次馬もいっぱい。それでも見えた。玄関先が赤黒かったのが」
ずっと立ってた。気づいたら先生が車で来ていて、怒鳴られながら車に乗せられた。病院に直行して、看護婦さんに連れられて家族と対面した。
寝台には二つの体。顔にも白い布が被せられてて、看護婦さんは気遣ってくれた。
「お顔、見ますか?って聞いてきた。心の中で最後だからって、自分に言って顔を見た」
「二人とも、無表情だった」
だけど、あたしも二人と同じような顔をしていたはず。看護婦さんが慌ててあたしを部屋から出したから。きっと危ないと思って看護婦さんがあたしを出したんだろう。
「・・・・・それで?」
黙ったあたしを心配して、桃香が続きを促してきた。きっと桃香なりの気遣い。
「結局あたしは、保護者が居なくなったからって親戚のところに行ったんだ。優しい人達でね、初めて会ったあたしを泣きながら抱きしめてくれた」
その日を境にあたしは変わった。家はとても住めないからって、必要なものだけを持ち出すために一度家に帰った。家の片付けなんて一度もしたことなかったから、初めて見るものも沢山あった。
親の形見になるものが必要だって言われて、両親の寝室にある棚を探した。棚の中には、母さんの化粧道具とかアクセサリーがあった。一つだけ、変わったものが入ってた。それがあたしの目を惹きつけた。
それがカメラだった。掃除の行き届いたカメラを見たとき、久々に触るものじゃないんだろうって分かった。きっと両親のどちらかの私物だと考えた。
「あたしがカメラで生まれて初めて撮影したのは、壊れた家だったんだ。壊れた自分の家を、無言で撮った」
結局引っ越しの準備は親戚の人がやってくれた。あたしに必要なものなんてほとんど無かったから、家にあった物の一割くらいしか持って行かなかった。
「それからはもうやりたい放題でね、写真を撮った。いろんなものを好きなだけ。新しい中学はちゃんと最後まで行ったよ。でも、進学した高校はほとんどさぼっててね」
友達なんて一人もいなかった。中学でも面倒だったから人と関わるのを避けてた。高校なんて自己紹介の時間に爆睡してたくらいだった。授業中も写真のことばかり考えて、撮りたい場所を見つけたら、学校も平気で抜け出してた。
「今思えば、親戚のおじさんたちにも悪いことしちゃったよね。謝りもしないで家出てきちゃったし」
考えてみればすごく勝手な奴だな。あたしって。
抱きしめてた桃香を離して、顔を覗く。頬は涙が伝ったあとがある。話してる間に泣いたんだろう。視線に気づいて、赤くなった鼻先をコートの袖で隠した。
「ねぇ、泣かなかったの?」
主語のない問いかけ。それでもあたしには理解できた。
「うん。葬式でも泣かなかった。何でかな」
「そうなの。あのね、気づいてる?」
「何が?」
桃香があたしを指差す。その顔はどこか嬉しそうだった。
「今、泣いてるよ?」
頬に手を持っていって、触る。確かに指先に水滴がついた。
大切な家族が居なくなっても泣けなかったのに、今、情けなく泣いてる。自覚した途端に視界が歪む。頬の上を雫が勢い良く滑り落ちる。それを止めることなんて出来そうになかったから、パーカーの袖で目元を強く抑えた。
「あはは。情けないね。何で、今泣くんだろう」
心は痛くないのに。悲しいわけじゃないのに。話したのは、ただの過去なのに。どうして、今なんだろう。どうせなら、もっと昔に泣きたかった。
泣くんだったら、母さんと父さんが居なくなったときが良かったのに。
「大丈夫」
桃香があたしの両腕を引いた。膝が自然と曲がって、玄関前にしゃがみ込む。そのまま視界が塞がれて、頭上から桃香の声だけが聞こえてくる。
それだけ理解して、やっと桃香に抱き込まれてることに気づく。頭の中には壊れた玄関と、二つの遺体が乗った寝台がフラッシュバックする。
「泣いていいんだよ。私が父さんと母さんに愛されてるって気づけたのは、あんたのお陰なんだよ。私に教えてくれたの、あんたなの」
「そんな、ことないよ。あたしはあたしの我侭で、写真見せたり、口出したりしただけ」
「あんたの我侭のお陰で、私は温かい家族のいる家に帰れた。あの写真見て、母さんが恋しくなったよ。あの写真見なきゃ、母さんのことちゃんと思い出せなかった」
抱きしめられてる腕に力がこもる。きっと桃香も泣いてるんだろう。聞こえくる声が凄く震えてるし。
「この前はあんたに教えて貰ったけど、今回は私が教えてあげる」
「あんたは優しい。だけど自分をちゃんと理解出来てない。向き合わなかったでしょ。今まで一度も。一人になったとき、カメラの向こうを覗いて逃げてたんだよ」
確かにあたしは逃げてた。そのことにも気づかない振りをして、気づかされる前に親戚の家を飛び出して逃げた。ずっと逃げ続けてた。
篠宮さんのときもそうだ。このことを思い出したくなくて、思い出す前に逃げ出した。
「でも、あたしって弱虫だよね」「そんなの私も同じよ。全部に正面から突っ込める人なんてそうそういないわよ」「そっか。大変だね」「言い方が人事なんだけど」「これは性格だから仕方ない」「あっそ。だけど、私は好きだよ」「え、何、告白?」「なんでそうなるのよ」「雰囲気的に?」「アホ」「またアホ言われた」
中腰の体勢がそろそろ苦しくなってきたから離れる。離れたときにお礼を言ったら、微妙な顔をされた。
「でも、本当にありがとう」
「だからお礼は必要ないって」
「でも、あたしは嬉かったから」
地面に膝をついていた所為でジャージの膝小僧に砂がついてた。それを片手で軽く払って、ずり下がってたパーカーを着直す。ついでに鼻と目元を袖口で拭った。袖口が汚れるけど、そんなのは気にしなかった。
改めて桃香を見る。背中には前と同じリュックを背負っている。しかも中身が沢山入ってるのか、後ろで大きく膨らんでいる。
桃香自身もリュックが重いのか、何度も肩に食い込むリュックの紐を動かしている。
「そういえば、桃香なんでここに来たの?忘れ物?」
「違うわよ」
そういいながら重そうなリュックを地面に下ろす。玄関の中じゃないから汚い。リュックが汚れる、というあたしの心配を余所に服装を正す。さっきみたいな空気が広がって、少しだけ不安になった。
「今回はお願いがあって来ました。私を・・・・・・・・・・・・家に置いて下さい。勝手だけど、私はこの家も好きなの」
「・・・・・・・・・・・・・え?」
真剣な顔をしてるから、きっと冗談は言ってない。わざわざ荷物を降ろして、服装を正し、改まった言い方をされるのは、正直照れる。
唐突なお願いだけど、それはあたしにとっては嬉しい我侭。答えなんて、一つに決まってる。
「うん。いいよ。よろしくお願いします」
「・・・本当に良いの?こんな身勝手なお願いなのに」
「全然オッケーだよ。あたしも寂しかったし。あ、でも学校にはちゃんと行くんだよ」
「何保護者みたなこと言ってんのよ」「学校で大事だよ」「知ってるわ」
桃香は笑いながらリュックを持ち上げた。持ち上げた瞬間に何かを思い出したのか、あたしの顔を凝視してくる。一瞬戸惑ってから、困ったように目を泳がせながら聞いてきた。
「あのさ、私」
「私?」
「あんたの名前知らない」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」
あたしと桃香が出会ったのは一ヶ月ほど前。あたしは桃香の家族も名前も知ってる。なのにあたしは、桃香に自己紹介もしてなかった。
なんてダメな奴なんだ、あたし。これじゃあ年下に罵倒されても何もいえない。
この子があたしの名前を知らないということは、綾香さんたちもあたしの本名を知らない。うわ、やっちゃったよ。近いうちに謝りに行こう。
桃香の手にある重そうなリュックを無言で引っ張る。寒風のせいで悴む手を動かして荷物を担ぐ。そして、寒さに邪魔されないように、笑った。
「えっと、随分遅い自己紹介ですが、木野空です。これからもよろしくね?桃香さん」
間抜けな自己紹介を聞いて、美少女も一緒に笑う。
「よろしくね、空姉」
その笑顔があまりにも綺麗だったから、カメラにおさめた。心には、温かい気持ちをおさめて。
「よし、じゃあ家入ろっか」
「うん」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「どうしたの?」
「桃香、ごめん」
「え、どうしたの?」
「家の鍵、無くしたんだった」
「はぁ!?」
「探さないと家に入れない」
「・・・・・・・・・・やっぱばか姉だね。ほら、探し行くよ」
「うい」




