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写真屋さんはお気に入りです


寒空の公園で親子の笑顔を写真におさめてから、もう三日たった。あたしの生活は昔に逆戻りして、昨日も一日食事もとらずに外を走り回ってた。

静かなリビングのテーブルにあるのは数え切れない数の写真。桃香が整理してくれてた写真の束を解いて、なんとなくテーブルの上にばら撒いてみた。


「すごい枚数だな」


自分でもよくシャッターを切ってるとは思ってたけど、こんなに沢山撮っていたとは思っていなかった。自然や風景しか撮ってない。それなのに空の写真が多い。見直して、自分が空を好きなのだと理解する。

ふと思い出して、桃香の使っていた部屋に足を向ける。二階に上がるのは、あの日桃香を起こしに行って以来。階段を上って部屋の扉を躊躇い無く開ける。真っ直ぐ部屋を突っ切って、机の上にある華奢な写真立てを手に取る。おさまっていた写真は、あたしが桃香にあげた写真だけ。でも一枚だけ、あたしが知らない写真が入ってた。


「なんだ、やっぱ好きだったんだよ」


幼い子供を抱き上げる若い男の人に、その隣で微笑む若い女の人。背景にはブランコと鉄棒が写りこんでる。

桃香と、大樹さんと綾香さんだ。

愛が分からないなんて言ってたけど、本当は近くで息づいてた。それに気づけた桃香はきっと幸せになる。もしかしたら今、綾香さんの病室で桃香は笑っているかもしれない。


「あ、それ、なんか良い」


自分でその姿を想像して、笑った。綾香さんとは病院の写真を撮るときに挨拶した。真っ白な病室の真っ白なベッドに横たわってる綾香さんは、綺麗な人だった。大樹さんみたいに若々しくて、だけど顔のつくりは桃香と一緒。桃香の顔はどちらかというと綾香さん寄りだろう。




『初めまして』


突然病室に訪れたあたしに、綾香さんは横たわったまま挨拶してくれた。その表情は穏やかで、人を安心させる笑顔を持っていた。


『連絡もせずにお邪魔して、申し訳ありません』『いいのよ。大樹さんが昨日の夕方教えてくれたから』『では、あたしが来た理由も?』『一応ね。でも私はあなたの口から聞きたいわ』


座って、とベッドの隣の椅子を勧めてくれた。体を起こそうと動いたけど、それはあたしが止めた。病人に無理をさせるためにあたしは来たわけじゃないから。

桃香と初めて逢ったこと、あたしの過去、家で話したこと、家に桃香を残して出てきた事、全てを丁寧に説明した。綾香さんは白い天井を見上げて、黙って聞いてくれた。全てを話し終えて一息ついた時、綾香さんが悲しそうな顔をした。


『桃香も、苦しんでたのね』


そうですねと肯定できなかった。

綾香さんの唇が、何か言おうと開きかけて閉じた。それと一緒に目も閉じて、考え込んでた。静かな病室にはあたしの呼吸の音と、綾香さんの呼吸の音が鈍く響いてた。


『ねぇ、一つだけ聞きたいの』


『何でしょうか?』


綾香さんの目が真っ直ぐあたしを見た。目を逸らせなかった。

『貴方は、桃香が大切(好き)?』

母親の目で、あたしにそう聞いてきた。綾香さんじゃなくて、桃香の母親としてそう聞いた声は真剣で、息が詰まる。


だけどあの時、あたしも目を逸らさずに答えられた。


『はい。桃香が大切です』


『ありがとう』花のような笑顔でそう返してくれた。母親らしい母親を、あたしは始めて目の前で見た。

そのときに、綾香さんの桃香に対する愛情を理解した。理解したときには、あたしの口から言葉が出てた。普段のあたしからはありえない言葉。



『撮らせてください』



カメラをかまえてレンズ越しに綾香さんの姿を捉える。綾香さんのお願いで、ベッドから体を起こして座っていた。触れたときの腕の細さに、少しだけ身震いした。病室の入り口まで下がって、光の向きを考えて、逆光にならないように立ち位置を直す。


『どうやって笑えば良いかな?』


『大事な人、思い浮かべてください』


そう、と言って綾香さんが視線をこちらに向ける。何か違う気がした。違和感を感じる。この感覚は良く知ってる。何かを撮るとき、何かが足りないときにいつもこの感覚が襲ってくる。人を撮るのがはじめてだったあたしは、どうすればその違和感が拭えるか分からなかった。


『どうしたの?』


声と一緒に、風が窓から入ってくる。


『窓の外、見てくれますか?視線ははずして大丈夫ですから』


綾香さんが体ごと、窓に向けてくれる。あたしのカメラには綾香さんの後姿が写る。

初めて撮れる、と確信できた。指が勝手に動く。昨日の夜、指が震えてシャッターを切ることに怯えてたのが、嘘みたいだった。


『『ありがとうございました』』


シャッターを切った瞬間、二人で同時にお礼を言った。それが可笑しくて笑いあった。あたしのお礼の言葉は、軽く感じた。でも、あたしなりに精一杯の思いは込めた。綾香さんが振り返ったとき、嬉しそうな顔をしてたから、伝わったんだと思う。




テーブルの上に放置していた珈琲を一気に飲み込む。生ぬるくなった珈琲は美味しくない。首だけ動かして、無人の台所に目を向けた。


「変なの・・・・・・」


誰もいないのは当たり前なのに、期待して振り向いたあたしがいた。昔から一人なのに、桃香が家にいて、話すのが当たり前になってた。胸の奥でつっかえてる感情は、初めての感情かもしれない。でも、どうしようもない感情だから、紛らわせるしかないから。


「あ、写真貰いに行こ」


イスに引っ掛けてあった黒いパーカーに腕を通して、ポケットに財布と家の鍵を入れる。左手にはカメラのバック持って、家を出る。

歩きながら、撮れるものがないかモデルを探す。近所はほとんど撮り尽くしてる。それでもあたしはカメラを向ける。だって、一日で世界はこんなにも変わるから。見ていて飽きない。目が勝手に全てを追いかける。体がふらふらと吸い寄せられるから、写真屋に行くだけで時間がかかる。

真っ直ぐに行けば片道十分。だけどあたしが写真屋にたどり着くのに使った時間は三十分。どんだけ時間かけてるんだよ。

古びた外見の写真屋さんは、あたしの家と少し似ていて親近感が沸く。その所為か、我が物顔で自動ドアを潜り抜ける。店は店長のおじさんとアルバイトの女の人の二人だけ。

写真屋はあたしの行きつけ。ここ以外の写真屋には足を踏み入れたことさえないから、結構お気に入り。


「こんちはー」


店の中には誰もいない。さすがに留守のはずは無いから声をかける。

数秒してから店の奥にある和室の扉が開いた。出てきたのはアルバイトさん。アルバイトさんの名前は聞いた事がない。というかあたしの方がアルバイトさんよりこの店と付き合いが長い。どんな学生だよ。あ、でも店長さんの名前も知らない。

いや、一度聞いた事ある筈。確か、林さん?・・・・違う気がする。


「こんにちは。今日も取りに来たの?」


「うい。何枚頼んだっけ?」


「三十枚だ」


アルバイトさんの後ろから白髪頭の店長さんが出てきた。アルバイトさんで姿が見えなかったから、一瞬アルバイトさんが店長の声真似でもしたのかとびびった。


「今回は少なめだったんだね」カメラのバックを揺らしながら伝えた。


「確認してないのか?」


「だって面倒だし」


店長さんはレジに向かって歩き出す。あたしは和室の前に立ったまま。いちいち動くのが面倒臭いから。レジ台で写真の袋をひっくり返して、商品の確認を始める。それを横目に見ながらあたしは天井近くに飾ってある写真を眺める。

店に飾ってある自然と建物の写真はほとんどあたしが撮ったもの。店長さんにお願いされて撮ったものもあるけど、ほとんどはあたしが気分で撮ったものばっかり。

店長さんは写真集を出す前から、あたしの写真を気に入ったと言って買い取ってくれてた。買い取るというか、物々交換で。

あたしの写真を店に飾る代わりに、あたしの現像された写真を無料で渡す。流石に釣り合わないからって拒否したけど、どうしても飾りたいから頼むと頭を下げられた。あんまりにも真剣だったから、頭を縦に振ることしか出来なかった。


「幾らですかー?」


ポケットから財布を引っ張り出しながら、レジに近づく。店長さんも写真の確認が終わったから、袋に丁寧に写真を仕舞う。だけどレジ台には五枚だけ、写真が残ってる。


「ん、今回はこの五枚?」


「ああ、大丈夫か?」


「ちょいとお待ちをー」


レジ台から写真を拾い上げて、中身を眺める。一枚目は公園のノースポール。二枚目は近所に咲いてた菊。三枚目は公園の青いブランコ。四枚目は冬特有のきれいな青空。

五枚目で、視線が止まった。


「あー、ごめん。これは無理」


店長さんの前に五枚目の、桃香と大樹さんが写ってる写真を出す。


「モデルからの許可か?」


「うん、そう。これは無許可で撮ったようなもんだしね」


綾香さんには許可を貰ってたけど、桃香と大樹さんには貰ってなかった。勝手に手が動いただけだから。

店長(林)さんは落胆したように肩を落とす。そんなに残念か。まぁ、あたしもこの写真は気に入ってるけど。


「モデルに許可取れないか?」「んー、無理だね」「知り合いじゃないのか?」「この前まであたしの家にいた子だよ」「じゃ、連絡取れるじゃねーか」「いや、ダメ」「何でだよ」「その親子は幸せだから」「意味が分からん」「あたしもよく分かってない」「おちょくってんのか?」「違うよー」


「とにかく、連絡はとれないから却下ー」


五枚目の写真だけを袋に勝手に突っ込む。何か言いたげにあたしを店長さんは見下ろしてきたけど、結局何も言わなかった。


「で、お幾ら?」「三百円」「いや、冗談はいいから」「冗談は言ってないぞ」「マジですか?」「ああ」「いや、悪いよ。要望断ったし、ちゃんと払うよ」「いらん。四枚貰ってる」「いやいや」


二人で無表情に漫才の如く話す。切りが無い。そう思ってたら、隣でガラスケースを拭いてたアルバイトさんが笑った。


「なんか、息そろってますね」


「そうかな?」


店長さんに聞いてみた。


「知るか」


「だってさ」


アルバイトさんは、それですよ、それ、と楽しそうにしてた。とりあえず財布から四百円出す。百円を無言で突っ返してくる店長さんから逃げるように、アルバイトさんの後ろに写真の袋を持って隠れる。

アルバイトさんは気にしてないのか、ガラスケースの水拭きをこなす。


「あ、林さん。写真ありがとう」


「林じゃねえ。俺の苗字は森だ、ボケ」


あ、違った。惜しい。一つだけ木が足りなかったね。これを機会に店長さんの苗字を覚えていられるように努力しよう。

アルバイトさんは肩を思いっきり震わせてる。そんなに面白いかな。


「じゃー、ばいばい」


自動ドアの前で、挨拶をしてみる。アルバイトさんも店長さんも挨拶を返してくれた。少しだけ、誰もいない家に帰るのが寂しくなった。


だけど、ねぇ。まさか会うとは思わないでしょー







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