地盤沈下の首都ヴィクルス
静かな日常が再開された。サイフはよく薔薇を眺めている。私も並んで眺めるが、もう互いにロゼットの話をすることはなかった。そんな中、大きな地響きが鳴る。何事かと建物の中からも団員が出てきた。しかしここには何の変化もない。庭の花々は咲き誇り、民家は建ち並び、店は開かれている。バラジー中央の塔も変わらず建っている。住民達も何事かと空を見ているが、地響きの原因は何も分からなかった。
少しの刺激のあった日常の最中、首都から連絡が届いたそうだ。首都ヴィクルスの地盤沈下。急に人間一人分ほど大地が下がり、馬車や馬による出入りが不可能になっているそうだ。自然現象なのかと疑問を抱くほど急激な変化だが、それ以上の変化は起きていない。首都も少々不便ながら日常が続けられているらしい。詳細は分からない。通常の交流もあるが、どこまでの変化があるのかという詳しい状況は入ってきていないのだ。首都に知り合いのいる人も多いのか、様子を気にしている団員は多かった。
そんな中、ハイルにサイフ共々呼び出された。新しい仕事の内容は首都ヴィクルスの様子を見てくること。首都に異変があったことでバラジーの住民も混乱するかもしれないと人手を特別多く割くことはできない。そのため私とサイフの二人だけが向かうことになった。混乱に乗じた暴漢も現れるかもしれない。その場合もサイフの剣とノクスから授かった力、私がヴェントから授かった力で対応できる。風の精霊であるヴェントも同行してくれるのだ。何も心配要らない。
その日のうちに二人と一柱でバラジーを発つ。首都の状況を把握し、生活に支障の出る要素がないか確かめるのだ。
首都の外には馬車が並んでいた。突然できた段差のせいで首都の中に入れなくなり、輸送にも多少の問題が生じているようだ。首都の外から運び込むための人が慌ただしく動いている。物の輸送のために何台あるのか数えられないほどの馬車が必要とされる。そのくらい住民の多い場所なのだ。外観だけでもバラジーより大きな都市で、もっと大勢が住んでいると分かる。荷物を持っていない人までも慌ただしく歩いていた。
邪魔にならない道を選び、体を小さくしてヴィクルスへと入る。都市の縁には簡易の梯子が作成されており、ロープで固定した荷物を上から下へ受け渡していた。段差は人間の身長ほどあり、最近露出したと思えないほど緑が茂っている。セイカがそこから滑り降りてきた。
「どうした、二人はここに用などないだろう?」
セイカは仕事だろうか。クレハは急に必要な人手が増えただろうと先に首都へ向かった。その後バラジーに帰って来ていないため、仕事をしているのだろう。そんな推測はセイカによって一部否定された。クレハは仕事のためヴィクルスにいるが、セイカはそれ以前からここにいる。その理由は人のいない場所で話そうとヴィクルスの外へと連れ出された。
始まったのはこの国の成り立ちについての話。地水火風、氷雷、光闇の八属性の精霊をそれぞれ引き連れた者達が力を合わせ、精霊と共に生きる国セレニアを建国した。しかし現在はそれらの家の者が精霊から力を授かることはなくなっており、そもそも精霊の目撃情報自体が減っている。そんな中、何者かによる村や商隊、巡回騎士の襲撃事件が相次いでいた。襲撃者の目撃情報として、髪はブロンドでセミショート、金の瞳、剣を持った女性、鋭い目付き、とセイカ自身に当てはまるものを自ら上げ始めた。
その程度の一致なら何人だっているだろう。そんな私の反論も、彼女自身の言葉で打ち砕かれた。
「人は殺すべきだ。世界樹に仇なす者は、全て私が滅ぼす。」
私のことはクレハと共に助けてくれたのに、まだその考えを改めてはいなかった。しかし補足された説明が、この言葉が彼女の思想を過激に表現したものだと教えてくれる。
世界樹を傷つける人間を止めるため、フォルドのフロストのように、人間への脅しを実行した。大地の精霊に協力を願ったそうだ。そして人の身長分だけ首都を下げ、研究の停止を交渉している。セイカは大地の精霊に協力してもらえる立場だ。彼女も何らかの精霊の力を授かっていた。それが大地の精霊だったのだろう。
首都の人々にはセイカが犯人と気付かれていない。それを良いことにヴィクルスの観察もそこそこにバラジーに帰還する。住民達は首都に異変があることまでは聞いているのか、気にしている様子を見せつつも自分達の日常を続けていた。子ども達は何も理解せず、ただ大人の変化を感じ取っている。
サマジアでの報告は受け取られ、私達にもフォルドでの対応について聞かせてくれた。氷の精霊フロストが町を氷漬けにしたように、大地の精霊が首都を沈めたのだ、フロストとの約束を守っているフォルドは安全と説明することで、フォルドの人々を安心させている。バラジーにはフロストのような精霊がいない。ノクスはバラジーにいるが、サマジアの精霊のような存在であり、フォルドのフロストのような存在ではない。同じ手法がバラジーでは使えないのだ。
ヴェントではフロストのようになれないだろうか。バラジー全体を覆う暴風を生み出すことができる。しかしあの時は世界樹を傷つける云々など関係なく荒らしただけだった。美味しい水を生み出してくれているアクアならという提案も、水に満ちた場所がほしい、街の象徴になるつもりはないという言葉で断られた。フォルドと同じ手はやはり使えない。首都の状況が伝わっても、すぐに街が壊されるわけではないとは思える。警備などを増やせば人々は安心するだろうか。精霊のやることなら人の見回りなど意味はないと感じるだろうか。
首都との交渉はセイカが大地の精霊と共に行う。バラジー住民の安心感はハイルが市長と協力して与える。そう結論付けられ、私の役割は精霊と共にバラジーを見回ることになった。風の精霊ヴェントと水の精霊アクア。アクアは水の入った小瓶から体を出すようにし、住民達に姿を見せている。水の精霊アクアの住処はバラジーに近い森。行方不明者も出ていたが、原因が分からない間も立ち入り禁止になっていた場所だ。行方不明の原因が水の精霊だと分かっても、住民達の怒りの矛先にはならなかった。それどころか今ジュースや酒を作っている情報で楽しみにされている。風の精霊ヴェントも油断を誘う見た目のせいで許されている。
私は彼らを引き連れ、団員達に可愛いと言ってもらえるこの容姿で住民の声に応える。手を振り、子どもの声に応じて少しだけ精霊術を見せる。大人達も私の精霊術に安堵しているように声をかけてくれた。団員達ともすれ違う。主に住民を安心させるためであり、彼らも精霊達が何かを仕掛けてくることなどないと知っている。
「アルドラ!聞いたか?」
駆け寄ってくれたのはケイド。彼も首都ヴィクルスの異変の噂を聞いていた。情報は広めないことになっている。しかし私は嘘を吐くのが下手だとよく言われていた。あれは親しい相手限定なのだろうか。分からない今迂闊なことは言えず、犯人は不明とだけ応える。本当はセイカが大地の精霊に頼んだのだと聞いたが、そこは伏せた。まだ住民に広まっている情報ではない。ハイル次第で公開するのかどうかは決められる。そう表情も悟らせないよう微笑みを意識した。
ケイドの仕事も少し減っている。街の清掃の仕事は続いているが、外壁の清掃は減った。そのせいで収入が減っているそうだ。その状況が継続するなら借金の返済も滞るかもしれない。そこを指摘すると痛い所を突かれたと顔を歪めた。しかしすぐ気を取り直し、私を昼食に誘う。最近はハイルと共に昼食を取ることが日常になってきた。首都の異変以降特に忙しいようで、休憩時間すら一定ではない。昼食はどうしているのだろう。その時間くらいは取れているのだろうか。今日の昼だって約束しているわけではなく、毎日昼食を共にしているわけでもない。それでも誰より忙しそうにしているハイルにお礼の気持ちも込めて、何か美味しい物でも買って帰ろうかとぼんやり考えていた。自分でもはっきりそうすると決めていたわけではないが、それでもケイドの提案を受け入れる気にもならず、ハイルに相談したいことがあるからとその誘いを断った。
パン屋での選択肢は多い。ハイルはどれが好きなのだろう。分からないため幾つも買い、どれかを選んでもらおうとパンを選んでいく。このパン屋はどれも美味しいからとあれもこれもと本当に二人で食べ切れるのかと思うほどの量になってしまった。夜にも食べれば良いとパンを戦利品にサマジアの事務所へと戻った。
セイカが難しい顔で事務所から出ていった。首都との交渉が難航しているのかもしれない。それともお腹が空いているだけだろうか。首都の地盤沈下に関係していることすら知らされていない住民達はしばらく前からバラジーに出入りしている旅人として彼女と接している。サマジアとの交流があることで色々言う人もいるが、セイカ本人は気にする素振りを見せていない。
ハイルはいつもの席に座り、じっと紙を眺めていた。何枚か照らし合わせ、合間合間に何かを書きつけ、仕事中のようだ。そっと声をかける機会を窺っていると、ハイルが顔を上げてくれた。
「お疲れ。どうした、大荷物だな。」
昼食を一緒に取ろうと思って色々パンを買ってきた。大荷物と言われてしまっているため、少し買いすぎてしまったかもしれないとも言い添える。
「ありがとう。いくら掛かったんだ?」
さっとハイルは自分の財布を出そうとするが、私はそれを止める。自分のお給料を自分以外のために使ってみたかったのだと言い訳し、空いている席で昼食の準備を始めた。ただ皿に並べるだけでも、これが自分のお金で買った物だと思えば、自然と動きも軽くなる。今にも踊りだしそうな私にハイルもその好意を受け取ってくれ、コーヒーの準備を始めてくれた。
村ではほとんど飲むことのなかったコーヒーの香りを楽しみ、サンドイッチを頬張る。最初はソースなどの味の少ない物。ハムとレタスという簡素な中身だが、ハーブの風味を含むハムとシャキシャキした食感のレタスがお腹を動かしてくれる。今日はいつも以上にたくさん食べられそうだ。
「良い店を選んだな。この街にはパン屋も多いが当たり外れがある。ここは当たりの店だ。」
私が購入したことのある店はどこも美味しかった。ハイルは良い物を食べた経験も豊富なのだろう。私はこのパンの良さを十全に感じられていないのかもしれない。もっとよく味わってみようとしても、美味しいという印象は変わらない。他の店との大きな違いも分からない。ハイルは何に気付いたのだろう。
「レタスの食感が足りなかったり、パンの味がハムの味を隠してしまっていたり、だな。美味しいかどうかが一番大事だ。そのための食事だからな。」
言葉にできる必要はない。詳細も分からなくて良い。それならとまた美味しい、と次の一口、さらにもう一個と食事を楽しんだ。
ケイドへの口実に使ったハイルへの相談。それは全くの嘘ということもなく、セイカの扱いはどうなったのか、今後彼女の扱いや首都との交流はどうなるのか、という点を聞きたかったのだ。
「首都の対応次第だな。興味深い情報もある。数日休んだらまた少し出掛けてほしい先があるんだ。セイカも向かわせる。」
私とセイカが向かう。サイフは向かうのだろうか。クレハはサマジアの一員ではないため、首都で仕事をしているのだろうか。それで言うならセイカだってサマジアの一員ではないが、今回は彼女が引き起こしたことでもある。むしろ彼女からの情報かもしれない。首都の対応次第という状況になっているから、先程のセイカは難しい顔をしていたのかもしれない。自分の行動でもうどうにもできない状況に突入してしまったのなら、酷くもどかしいことだろう。諦めて受け入れる心積もりはできても、それはつまりもう何もしないということにもなる。セイカには似合わない落ち着き方だ。
食べてから休む時間を確保することなく、ハイルは仕事に戻ってしまう。少し危険な場所かもしれないと私には今日の午後から休みをくれたのに、本人は休みなく働いている。しかしそのことを訴えても変更するための労力を使わせてしまう。結局何も言わずに、次の仕事までの間休ませてもらうこととなった。休みの間だって精霊術の訓練はできる。ヴェントと共に、今後に役立つための力を高めながら待つとしよう。




