神秘の泉ディフダ
立ち寄った街バラジー。人が多く、私達の素性など誰も確かめない。人数分の食料として必要な量もセイカが考え、手早く買ってくれた。銅貨を渡し、買い物する私達の関係性が聞かれることもない。私とクレハは着替えも持ち出せなかったため、それも買ってくれた。資金は全てセイカの懐から出ている。十分なお礼をしなければならない。
「移動中に狩った物を換金した財布から出している。それは三人の金だ。」
礼は不要と言われても何も言わずにいるほうが心苦しく、これから自分にできることは何だろうと考え始める。そのこともどこか浮ついた気分にしてくれた。姉を失ってから、これからの自分のことなんて考えなかった。今はこれからのことを、自分のすることを考えている。
三人と一匹で今度こそ目的地に向かう。少々不穏な噂があっても、セイカは自分がいる、心配無用と案内してくれた。なぜかヴェントもやる気満々で、むしろセイカではなくヴェントが先導するように歩いている。その泉の所在は大雑把にしか分からないという話なのに、迷いのない足取りだ。詳細な位置まで教えると神秘の泉ディフダにいる精霊が怒るという話があり、そのため発見した人も隠しているのだ。約束を守れそうにないと判断された場合にはその場で斬られるという噂まであるらしい。私達はクレハが炎の精霊の力を授かっており、セイカが何らかの精霊の力を授かっているようであるため、その場で斬られることはないだろうか。会話くらいはできそうだ。
噂になっている泉ではあるが、森の奥深くにあるという話でもあるため、人が多いことはない。しかしその森に入ってすぐ、少年が一人彷徨っていた。私達より少し幼いくらいか。確かにその年齢なら森で狩りを行っていてもおかしくないが、一人は珍しい。私達姉妹のような立場ならそういうこともあるが、その割に服装は綺麗だ。健康的な容姿に見える。どういった立場の子なのだろう。一人で森まで来たのか、今別行動をしているだけなのか。森で単独行動は危険だ。警戒させないよう努めて優しい声を出し、彼に話しかけた。しかし彼は何も答えず、じっとこちらを見るだけだ。クレハが返事を求めてようやく答えてくれる。
「ケイドです。一人で来ました。母が病気で、治すために来たんです。あなたも同じじゃないんですか?」
クレハに促されてようやく返事してくれたのに、私のことだけを見続けている。こんな森の中で一点を凝視すること自体危険だ。森の中での行動に慣れていないのだろうか。私達三人での行動なのに私にだけ同じではと言ってくることにも違和感がある。同じ違和感にクレハも気付いたのか、私の代わりにアルドラの健康のためと答えてくれた。
反応の薄いケイドを放置することもできず、会話を続ける。森での単独行動は危険だ。そう重ねるクレハだが、ケイドは帰るつもりがない。私も母親の病気のために危険を冒す彼に帰るよう重ねることも人でなしのように感じられ、何も言えなかった。セイカを見ても特に興味を示していない。
「勝手について来たら良い。ついでに守ることもある。」
絶対に守るとは言わないが、セイカはこう言いつつしっかり守ってくれる。だから安心して良いと言えば、ケイドはなぜか私の隣に並んだ。よく考えれば戦う力を持たない者が一塊になっていることは正しいはずだ。いざとなれば彼と一緒に隠れられるよう、心の準備をしていよう。
森を進むにつれ、静けさが私達を包む。もう一人では戻ることも恐ろしくなる距離だ。木々の隙間に大きな水球が見える。人が入ってしまいそうなほど大きく、なぜか弾けることもない。好奇心に手を伸ばせば、触れる前にヴェントが阻止した。危険な物なのかもしれない。
さらに進めば、水球の数がどんどん増えていく。そして、中身の入っている水球まで現れた。信じられないと言うようにクレハも声を漏らす。私のその光景を上手く言葉にできなかった。水球の中には、眠っているような人間が入っていたのだ。苦しそうな表情ではない、死んでいるようでもない、でも生きているようにも見えない。眠るように死んでいるのか、死んだように眠っているのか。目覚めるのか、もう目覚めることはないのか。近くから眺めても何も分からなかった。
この水球にも動じることなく、セイカは先へと進む。ケイドも一瞬動揺しただけで気を取り直した。私もクレハに手を引かれて、ようやく足を進める。
幾つもの水球に老若男女あらゆる人間が閉じ込められている。何か化け物が人間の展示場でも作っているようだ。
「アルドラ!」
急にクレハに抱き寄せられる。振り向いた視界の端には、私に向かってくる水球とクレハの手から発せられた火球が互いを打ち消し合っていた。大丈夫かと心配もしてくれる。クレハのおかげで怪我一つない。こうして守られなかった場合に、あの水球の中の人間になっているのだろうか。クレハがいなければ私もその仲間入りしていたかもしれない。
彼から離れないよう、咄嗟の対応の邪魔にもならないよう、距離を意識して歩く。ケイドと冷たい手を握り合い、静かに奥へと進む。こうまでして伝説に頼る必要があるのだろうか。私は病気でも病弱でもない。しかしケイドの母親は神秘の泉の水を欲するほどの容態。私とヴェントは森の入口か街で待機しているほうが良いのではないか。ここまで来てしまっては一人と一匹で戻ることもできず、ケイドの母親にとっては一緒に戻ってもう一度入る時間が致命的になってしまいかねない。結局私は何も言えずに、ただセイカの後について行った。
行き先を知っているかのように、セイカは先を歩く。いつの間にか先導はヴェントからセイカに変わっていた。ヴェントは時折私の顔や手を舐め、これ以上冷えてしまわないようにしてくれている。こんこんと鳴いて、私達の心を癒やしてくれる。彼がいたから、私は生贄になることだって受け入れられた。今は彼がいるから、一歩ずつ前に進めている。
ついに水球が行く手を阻み始めた。それらをクレハが炎で蒸発させていく。濡れた地面を歩くことにも勇気が必要だったが、それはヴェントが授けてくれた。水球は一度壊れれば効力を失うのか、濡れた地面に足を踏み入れても、何も起きなかった。それなら水球に閉じ込められた人も助けられるのではないだろうか。
「助ける必要があるのか?」
セイカは一度、人を殺すことが使命だと言っていた。クレハも私も、そして今はケイドも守ってくれているのに、そう言っていた。今はクレハも水球の中にいる人々を助けることに否定的な態度を取っている。それは炎の精霊から力を授かってから日が浅く、力加減を上手く調整できないという実践的な理由からだ。迂闊に炎をぶつければ中の人間まで傷つけてしまうかもしれない。助け出した後、私達だけで人々を街まで連れ帰ることも難しい。それよりは街に状況を伝えるに留めるべきだという現実的な判断だった。
いくつも連なる水球を全てクレハが打ち破り、とうとう神秘の泉ディフダに辿り着いた。太陽に照らされ煌めく水面はまるで別世界への入口だ。思わずヴェントをぎゅうと抱きしめ、水面を覗き込むケイドを見送った。
「これで母さんは助かる!」
懐から取り出した小さな瓶にケイドは水を汲もうとする。しかし水面にその手が届く前に水面が持ち上がり、ケイドを吹き飛ばし、水球の中に入れてしまった。クレハは私を抱き寄せ、セイカは剣を構える。水面からは空を溶かしたような体の女性が現れ、水面に浮かんでいた。
「また人間?懲りないわね。他人の家に無断で乗り込んでくるなんて。さっさと帰ってちょうだい。」
人間ではない。水色の肌も、水面に座る姿も、人間のものではない。髪も水をそのまま纏っているようで、そのまま泉に溶けてしまいそうだ。
その女性はクレハを見て、さらに顔を顰めた。
「フレイムの回し者?やだわ、暑苦しいのが入り込んでくるなんて。」
クレハは炎の精霊フレイムの力を授かっている。それを見ただけで見抜くなんて、やはり人間業とは思えない。彼女も精霊なのだろうか。言葉遣いに気を付けつつ、彼女に精霊なのかと問いかける。すると彼女は簡単に教えてくれた。
「ええ、そうよ。水の精霊アクア。何?知らずに来たの?よく見れば精霊がいっぱいじゃない。そうね、あなた達にお願い事があるの。」
こちらが返事をする前に彼女は説明を始める。以前はジュースを作るからと一部の人間に少しだけ水を分け与えていたそうだ。しかし人間は約束した以上の水を持っていくようになり、それに怒ったアクアがこうして立ち入る人間を水球に閉じ込め始めた、と。病気や怪我を治す効果などなかった。それはアクアに拒まれた人間達が生み出した幻想だ。ケイドや私達の行動は徒労だった。
精霊の力を授かったら丈夫になるというお話もある。アクアは力を授けたことはないのだろうか。そう尋ねれば軽い調子で、もちろんある、と教えてくれた。しかしそのおかげで丈夫になることはないとも言われてしまう。元々精霊の力に耐えられる体を持った人間だった、頑丈だから精霊の力に耐えられただけ、と。
「貴女だってヴェントの力を持っているじゃない。十分丈夫なほうよ。」
こんっ、と返事するヴェント。姉ロゼットが生贄に捧げられて以降、ずっと傍にいてくれる狐。片時も離れないこの子が精霊。そう言われてもすぐには信じきれなかった。しかしよく考えれば人語を解しているような動きをし、私を慰めてくれていた。野生の狐にしては綺麗で、器用だった。どうして私に力を授けてくれたのか、常に傍にいてくれるのか分からない。それでも私は彼の存在に支えられていた。
頼み事はここから、とアクアは伝言を私達に頼んだ。人の記憶力に配慮してくれているのか、内容はとても短い。しかし伝言を持っていく相手は彼女にも分からないと教えてくれない。それでどうやって伝言すれば良いと言うのか。
「約束を守りなさい。この言葉を上手く受け取ってくれそうな人を探して。」
他にも話し合える人間がいたら寄越して、など指示され、ケイドも解放される。指示に従う代わりに無断で侵入した私達を許してくれる。話を聞けていなかったケイドにも神秘の泉の水に病気を治す効果はない、水の精霊アクア自ら教えてくれたと説得し、何も持たずに街へと帰還した。
帰り道にも人の入った水球は並んでいる。気になりつつも何もできずに通り過ぎた。ケイドはそれを気にする様子なく、落胆した様子で街の入口まで同行する。ここでお別れだ。そう挨拶したのに、なぜか彼に引き止められた。お礼をしたい、母親の容態がどこまで悪化しているか分からないから隣にいてほしい、と不思議なお願いだ。最初に声をかけたのは確かに私だが、主に助ける力を持っているのはセイカだ。しかしセイカもこのお礼を歓迎している様子ではないため、私が代わりに行ってあげても良いだろう。その返答は怖い顔のクレハによって阻止される。私の旅の一員なのだから宿探しなどを任せきりにしてしまうような態度は良くなかったか。そう反省をすれば、ヴェントがこんこんと私の肩と頭を行き来し始めた。いったいどうしてしまったのだろう。
「セイカ、今日と明日はこの街で休もう。宿探しを任せていいか?」
「ああ、守ってやれ。それがお前のすべきことなのだろう?」
これで話は終わりだと言わんばかりにセイカは通りを歩いていく。クレハもケイドに案内を求め、三人と一柱でケイドの自宅へと向かった。
ケイドの家は家族三人で住むには少々狭いものだった。父親がケイドを叱りつけながらも無事で良かったと抱きしめ、母親も無事を喜んだ。神秘の泉の水がなければと必死だったケイドが不思議になるくらい、母親の顔色も悪くない。弱っているようには見えるが、このまま休んでいれば大丈夫なのではと思ってしまうほどだ。
「なんとか薬代を借りられましたので、それで。ケイドを連れ帰ってくださってありがとうございます。全くこいつは、私に妻と息子を同時に失わせる気だったのでしょうか。」
疲れた様子の父親だが、薬は安い物ではない。お金の工面はどうしたのだろう。貸してくれる知り合いでもいたのだろうか。しかし私より先にケイドがはっとした表情でそのことを追求した。
「まさか、あいつらから借りたんじゃないだろうな!何されるか分かんないだろ!俺が行ってくる!俺じゃまだ父さんほど稼げない。だから俺が行くべきだ。」
先程まで可愛い少年だったのに、途端に頼もしい少年に変わる。しかし父親も母親も彼を止めるということは、「あいつら」は余程危険な存在なのだろう。私でも危険には変わりないだろうが、それでも代わりに向かうことはできる。セイカやクレハなら強いから大丈夫と頼ってばかりではいけない。ヴェントが一緒にいれば、私だって立ち向かえる。
私だけ向かうことには全員から反対された。クレハはこれ以上ケイドのために何かをする必要はない、どうしてもと言うなら自分が向かうと特に強く反対した。しかしここで任せてしまっては結局私は何もしていない、ただ自分の我が儘をクレハに叶えてもらっただけになる。だから一緒に行ってもらうにしても、必ず私も同行すると言い張った。これも我が儘なのだろうか。そう思いつつも、そこだけは曲げられなかった。
平行線の主張に折れたのはクレハだった。私と、ケイドも一緒に行こうと決めてくれる。返済のために向かうべき場所を、クレハは強いから、炎の精霊の力があるから、ヴェントも精霊だからと説得して父親から聞き出し、三人と一匹で家を出た。




