大人になって
ハイルとの関係性が変わった、いや言葉にされた翌日。私はヴェントに昨日のことだけでなく、先週の誕生日、それ以前の新しい家の候補を見て回った時、家具などを選んだ時、一緒にヴェリタテ村に泊まった時、ハイルに相談した時のことを話した。バラジーに来る前から私のことを見てくれていたヴェントには分かっていたのか、やれやれと言うような仕草をされた。そしてふとヴェリタテの付近で見た、ロゼットとフレイムの戯れを思い出す。どうしてハイルが私に見せようとしなかったのか、ロゼットが見られてしまったと言ったのか。あれはいわゆる恋人同士の戯れだったのではないだろうか。恋人になったということは、私達もいずれああした触れ合いをするのだろうか。今はまだ互いの手にしか触れていない。いや、ネックレスを着けてもらう時に、一瞬だけ首筋に触れた。頭を軽く撫でてもらったことも、背中を支えられたこともある。
気付けば、まだ何も無い、ハイルに触れられただけの指を、私は何度も擦っていた。意識してしまえばこの話題を続けることも難しい。意識を来週のことに切り替える。いつもは週末をどう過ごしていただろう。来週はハイルとお出かけするのだろうか。二人で出かけたことはあるが、恋人同士の逢瀬と意識したことはない。服は今持っている物で十分だろうか。仕舞われた服を確認し、十分あるか確かめる。スカートやワンピースも増えた。コートだって可愛いかどうかを考えるようになった。ハイルはどれを着ていても、いつも私を褒めてくれるが、彼の好みはどこにあるのだろう。誕生日に選んでくれたドレスは彼の好みなのだろうか。しかしその日のレストランに行ける服装という視点で選ばれたそれを参考にすることも難しい。また明日の昼休み、彼の好みを聞いてみよう。
平日の食事の予定、次の休日の予定。話しているだけで空を飛んでいるような気分になってくる。ヴェントはいつもこんな気分で空を駆け回っているのか尋ねても、何も答えてはくれなかった。
恋人になってから初めての仕事。まず護送団サマジアの事務所に向かい、今日の午前の予定を聞く。バラジー北東部、高い服を売っている店の多い地区の巡回だ。特にそれらの店の屋上は外から見えづらく、お金を持っている人も多く集まる場所のため、特に注意の必要な場所になる。目立つ警備も雇われているが、護送団サマジアも巡回することでより犯罪者を遠ざけられるらしい。各店の経営者が雇っているとなると一般市民からの心象が悪くなるため、こうして巡回する形を取っているそうだ。
ヴェントを介した関係性にももう慣れた。風の精霊であると同時に私の飼い狐のようにも思われているようで、ヴェントという名前を呼んでもらえることも増えている。お年寄りはヴェントが名前で呼んでほしいと言っても風の精霊様と呼ぶことが多い。新しく名前を覚えるのが難しいのか、それとも信心の問題だろうか。これはもう仕方ないと諦め、精霊様でも良いとヴェントは諦めている。
サマジアの団員達からも声はかけられる。姐さんの声かけの意味も、今は違って聞こえた。自分がなんだか偉くなった気分だ。なんとなくハイルの真似をして片手を上げるだけの返事に留め、すぐ自分の巡回に戻った。
午前の巡回が終われば昼休憩。今日はハイルも気に入っていると言っていたパン屋でクロワッサンサンドを買って帰ろう。どのくらいの量を食べられるだろうと思い出しつつ、自分の食べたい物やハイルの好きそうな物を幾つも選び、弾む足取りで事務所へと戻った。
午前終わりの報告も、何事もなかったという普段通りの簡潔なもので、ハイルもすぐ昼食のため席を移動する。私が買ってきたパンを用意し、ハイルがコーヒーを淹れてくれる。食べながら話す内容は巡回中に起きた、業務とは関係のないもの。ヴェントを名前で呼んでくれる人が増えた、お年寄りはなかなか名前を覚えられないみたい、サマジアの団員達から姐さんと呼ばれた。些細なことでも、そうか、とハイルはいつも聞いてくれている。
「姐さんとは以前から呼ばれていただろう?」
今までは精霊を従える人間、精霊の怒りを鎮めた者への呼び名だった。今は自分達の上司の恋人に対する呼び名だ。しっかりその立場に相応しい返事もした、とハイルの前で真似をして見せた。私もこれで大人の女だ、と胸を張る。それなのにハイルは似合わないと笑った。まだまだ子どもだろうか。唇を軽く尖らせると、私の内心などお見通しと言わんばかりのハイルはさらに笑みを深める。まだまだ大人の余裕は難しい。
「いつ気付くのだろうと思っていたところだ。姐さんと呼ばれていると知った時は驚いたんだがな。」
クレハにも見抜かれており、セイカすら気付いていた様子だった。ヴェントにも呆れたような顔をされた。もしかしてサマジアの団員達も最初からいずれこうなると読んで「姐さん」と呼んでいたのだろうか。そうだとするなら、セイカの言う通り気付かなかったことが不思議なくらいだ。
昼食を終え、切り替えて午後の仕事だ。また予定の共有から始め、また午後の巡回へと向かった。
休日を待ち、ハイルを自宅に招く。自宅に来てもらうのはこれで三度目、中まで入ってもらうのは二度目だ。一度目は引っ越しの時、二度目は誕生日のお迎えの時。恋人として来てもらうのは初めてだ。今日は最近私が気がついたことについて聞いてもらいたく、家に来てもらった。外で話すには少々気恥ずかしい話だったのだ。
家の中まで招き入れれば、少しだけ変わった部屋の様子にすぐ気付いてくれた。家具の配置を少し変えたのだ。ヴェントと一緒に服を選ぶならそれを並べる空間が欲しく、ハイルを招いた時に一緒に食事するなら向かい合って座れるようにしたかった。その理由まで細かく伝える。家具が重くなかったかと心配までしてくれた。その点はヴェントが手伝ってくれたため何の問題もない。人が精霊に頼り切りならないように、という話も私だけ特別とヴェントはすぐ力を貸してくれるのだ。私からお礼もするが、その手助けを当たり前に思わないよう気をつけたい。
自分でも少し練習したコーヒーを淹れ、ソファに腰掛ける。ハイルにも勧めるが、彼はなぜか私のすぐ隣に腰掛け、その上、腰に腕を回してきた。座っているのに体を支える意味はない。これは何なのだろう。
「気にするな。それで、どうしたんだ?何か話したいことがあるんだろう?」
近い。すぐにでも唇が触れてしまいそうな距離だ。彼のほうを向けない。思考を意識的に話そうと思っていたことに向け、クローゼットを開けた。特に見せたい物はハイルからネックレスを貰って以降増えた服だ。そこから服の色合いは黒や紫に偏り始めた。それ以前に購入した服もあるため、全体としては白っぽい服も多いが、ある時からその色を選びがちになっている。事務所で見るハイルの服装はいつも黒や深い紫だった。
私は誕生日に着ていったワインレッドのワンピースを購入した時の話をする。ハイルの隣に並んで歩くことを想像して選んだその服は、自分一人がただ着て歩くというだけでは決して選ばなかっただろう大人な雰囲気の物だ。それに合わせて選んだヒールも挑戦の意味合いがあった。色や形をなんとなく選んでいる時、店員さんがヒールに慣れているのか聞いてくれたのだ。慣れないならヒールは低く、太い物を選んだほうが良いと助言をくれた。一度高いピンヒールの物も試着させてもらったが、とても歩けたものではなかった。結局助言に従い、あの日履いていったヒールにしたのだ。
「英断だな。無理をして履く必要はない。鞄がいつも通りだったのも君らしい。」
あの後ドレス一式を選んでもらって気付いた。昼間の服装は靴に至るまで揃えたのに、鞄だけ仕事の時と同じ地味な茶色の物だったのだ。腰にベルトで固定し、手で持たなくて良い物で、おしゃれさの欠片もない。また鞄も選びに行きたい。こんなに持ち物が増えるなんて予想外だ。私にもこんなに物欲があったのか。
ヴェリタテ村でロゼットとフレイムの戯れを見た時の話にも流れていく。あの時のハイルとロゼットの反応の意味を察した。今ならあの時のように見つめられないだろう。
「まだ見る側でいる気なのか?」
ハイルが私の手を握り、指を撫で始めた。こんな風に触れられたことはない。しかし意外にも不快感はなく、同時に落ち着かない気分にさせられる。今まで意識したことなどないのに、反対の手をどこに置いておけば良いのかすら分からなくなった。所在のない手でスカートの裾を握り、熱い頬を隠すように彼の肩に押し付ける。笑いを堪える振動だけ感じながら、密かに購入した下着の色の話もするかどうか迷っていた。
視界の端ではヴェントとノクスが互いの身繕いをし、寛いでいる。特にノクスは闇の精霊としての威厳の話もし、サマジア事務所ではこんなこと許さないと澄ました態度だ。私の家でも何も気にしなくて良いから楽という言葉は、気に入ってくれたということだろう。
「なら毎週末こうして過ごさないか?」
ハイルの提案は是非と言いたいものだが、一つ気になることがある。ノクスがとても気に入ったからこうして過ごすのだろうか。この理由は必要なのだろうか。恋人同士なら毎週末一緒に過ごすものではないのか。恋愛経験のない私には、それがお話の中だけのことなのか、実際の恋人関係にも適用できるものなのか分からなかった。それなのにそのことをハイルに聞くこともできず、帰りの時間が近づく。恋人として過ごしたい。その一言を伝えれば良いだけ。分かっていても、私の口からその言葉は出て来ないまま、彼を見送ってしまった。
一夜明け、やはり昨夜のことが頭に残っている。言えないまま見送ってしまったこと。次に会う時までに心の準備をすれば良い。ただそれだけのことが私一人では難しく思える。誰かに相談したい。レヴィナかサイフか、クレハかセイカか。サマジアの人ではハイルに伝わってしまうかもしれない。このことは私の口から伝えたい。クレハでもセイカでも急な相談は迷惑かもしれない。それでも彼らなら本当に困るなら断ってくれるだろうとクレハの泊まっている宿を訪ねた。
幸いクレハは宿で荷物やお金の管理を行っており、無事会うことができた。急な話なのに相談にも応じてくれ、喫茶店に同行してくれる。飲み物でもパフェでも奢る気だったのだが、そんなことなど些細なことと言わんばかりにクレハの目は好奇心に満ちている。
「どうだった?恋人になって一週間だけど、何か起きたか?」
ハイルのことと言っていないのに、相談といえばそれだろうと内容まで当てられてしまった。全てを話すことは躊躇われ、しかし相談するのに秘密ばかりでも要領を得ない。そう話す内容を選びつつ、一部を共有する。昨日、ハイルと二人きりではないが、私の自宅で共に過ごした。ヴェントとノクスも一緒におり、二柱とも寛ぎ、より親密になった様子だった。来週以降も土曜日は共に過ごす予定になっている。
「良かったな。それの何が問題なんだ?」
週末を一緒に過ごす口実として精霊を使われた。純粋に恋人として過ごすのとは違うのだろうか。真剣な悩みの相談なのに、クレハは楽しそうに目を細めている。その上、言えば口付けだろうがなんだろうがしてくれるだろう、と気軽に言ってくれた。そんな行動をしてほしいなんて言えない。しかし恋人として、精霊達がいなくても一緒に過ごしたいという内容程度なら私にも言える気分になった。口付けを願うよりは簡単なお願いだ。ハイルにも私と同じように思っていてほしいとも言えそうだ。
一つ悩みが解消できた。考え事がなくなれば途端に甘い物が欲しくなり、マカロンを一緒に食べようと注文する。そうすると今度はクレハからの相談があると切り出された。
「例えば、なんだけど。アルドラはどういうことされたら恋人になる、なりたいって思うんだ?」
私は指に予約を入れるという話をされた。ケイドに指輪を渡されそうになり、困ったと相談し、解決策を求めるとそれが出てきた。口実ではなく本当の気持ちだと信じられた。それは私がつい最近まで未成年だったからだろう。住民達からはよく思われない一面もあるが、それだけハイルが本当は誠実な人という証拠だ。
今にして思えば昼食を一緒に取ろうとしたり、何かあれば相談したり、真っ先に頼る相手として思い浮かべていた時点で、どことなく惹かれていたのかもしれない。家の相談だってした。家具も一緒に選んでもらった。仮眠室から引っ越したくなかった理由も彼に会いにくくなってしまうのではないかと思ったからだ。
「もう大丈夫、ご馳走様。参考にならないってことが分かった。」
力になれなかったようだ。クレハは何を聞きたかったのだろう。しかしもう相談事を続ける気はないようで、話は近況報告へと変わっていった。




