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生贄の乙女の恋  作者: 現野翔子


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18/26

誕生日翌週のお祝い

 一つ大人になった気分で、また仕事の日々に戻る。一段と気合を入れ、巡回に向かった。服装も仕事内容も先週までと同じだが、どこか違った気分でバラジーを見る。精霊の使い手としてかけられる声も以前より堂々と受け止められている気がした。

 クレハは今日も街の人々から依頼を受けているのだろうか。首都まで仕事に出かけているのだろうか。セイカもルナと共に世界を傷つける者達を捕らえているのだろうか。そう思いつつクレハの泊まっているという宿の前を通りかかれば、丁度宿から出てくるクレハが目に入った。

「誕生日おめでとう、アルドラ。今週末、楽しみにしててくれ。とはいっても大した物は用意できないけど。」

 祝ってもらえることに意味がある。私も少し大人になったのだ。そう胸を張ったのに、よく分からないような顔をされてしまった。毎日会っている人でないと分かりにくいだろうか。

 楽しみにしていると言ってそれぞれの仕事に戻る。彼も今日はこれから狩りに出かけるところだったそうだ。獲物の種類や近場であることから朝早くの出発ではなかっただけらしい。私も仕事中のため長々と話すことはできない。それなのに今度はケイドに話しかけられる。先週末は楽しかったかというハイルとのお出かけに関する話題だ。当然楽しかった。とても素敵な時間だった。詳しくは教えてあげない。秘密と言ったのは私の飲酒歴に関してのみだが、それ以外の時間だって軽々しく話したくはなかった。その代わり今週末にまた会おうと巡回に戻ろうとする。しかしケイドはまだ話したい、今週末に会えるのは昼食時のみかと引き止めた。私にも色々と予定があるのだ。週に一日は好きなだけ眠って過ごす日も確保したい。クレハやセイカと存分に話す時間でその日の予定は埋まっている。ケイドとは昼食の時間を作っただろう、と再確認した。

「それは、そうだけど。クレハとかセイカも一緒に、だろ。あの人とは二人で過ごすのに。」

 それはハイルの好意だ。大人になるに相応しい場所と時間を用意してくれた。以前、ケイドとの食事に行く際の服装に迷っていた時のお礼として、私の誕生日の一日が欲しいと言われたのだ。そんなもの口実で、祝ってくれるつもりだったことは私にも分かっている。私としては嬉しい申し出であり、思い出しても頬の緩む一日だった。それなのにケイドはお礼なら過剰としてケチをつける。その上、私が服に迷った事実を喜んだ。私を困らせて楽しいのだろうか。せっかく緩んだ頬が今度は別の方向に曲がってしまった。

「じゃあ今週末、楽しみにしてるから!」

 言いたいことを言って去っていった。別に私は優しさで服に迷っていたわけではない。まだバラジーや都市部での決まり事をよく分かっていないからこそ、恥をかきたくなかっただけだ。そもそもあんなに悩んだ理由もケイドが事前に店を教えてくれなかったせいだ。どうしてあんなにも行き先を秘密にしていたのだろう。

 一人で考えても分からない。また昼食の時にハイルに相談しよう。今は巡回に集中すべきだ。気を引き締め直し、午前の巡回を済ませる。今日の昼食は何にしよう。一緒にどこに行くか決めても良い。そう何も買わずに事務所へと戻った。

 近場の喫茶店を選び、ホットサンドを注文する。軽く食べつつ、早速なんだかケイドの様子が変だったと話を切り出した。

「子どもらしい対抗心だろう。困るなら俺の名前を使って断ってくれて良い。個人的な予定でも仕事でもな。」

 私には分からない何かがハイルには見えているようだ。それなのに何への対抗心なのかまでは教えてくれない。これは私が本当に大人になるための課題なのだろうか。少し考えてみるが何も思いつかない。ケイドとは特別親しいわけでもなく、対立するような事件も起きていない。時折一緒に食事をする程度には親しい。彼の仕事で何かあったのだろうか。疲れすぎると人は変なことをすることもある。ケイドも私の誕生日を祝うために何かしてくれているのかもしれない。

「お前は一昨日大人になったところだろう?そんなに急いで全てを理解しようとしなくても良い。大人でも何も分かっていない輩もいることだしな。」

 そういった人達に教育しているのがサマジアなのだろう。借金の取り立てで監視されていたというケイドの話を覚えている。あれに利子も追加されているとなれば他の債務者達はもっと大変だっただろう。私達は通りすがりに協力しただけのため何もなかっただけだ。

「お人好しもいたものだ。他人の借金をただで返済してやろうなんてな。」

 あの時は何も考えていなかっただけだ。セイカも本当に暇潰しだったのか、私が気にしている様子を見せていたから手を貸してあげたのか。今もそこまで手を貸すのだろうか。そこまで考え、素性もよく分からない私を雇ってくれたハイルも同じだと気がついた。改めてお礼を言い、こうして穏やかに相談できる相手が村でもいただろうかと思い返す。姉にもなるべく明るい話題をするようにしていた。二人で支え合って生きていくために、なるべく暗い話をしたくなかったのだ。もっと旅してみようと提案する勇気があれば、姉も一緒にサマジアに入れたのだろうか。


 ハイルと共に昼食を取る平日が過ぎ、今度はクレハ達と約束した日を迎える。朝食を手早く済ませ、待ち合わせている喫茶店に向かった。少々お高い店になるが、時間単位で個室を借りられ、会話には適している店だ。今日はヴェントにも同行してもらっている。クレハとセイカは先に到着していた。早速コーヒーを注文し、合間に摘めるお菓子も少しだけ注文する。

「アルドラ、誕生日おめでとう。」

 クレハからはバラジーで買える化粧品。自分では浮かれているかとか、少し大人すぎるかと手を出すことを躊躇してしまっていた品々だ。村にいた頃は全く触れたことのない物で、バラジーに出てからも自分から近づかないと知ることのない物だ。クレハはどうして私が興味を持っていると分かったのだろう。

「最近恋人できたみたいだから。でも化粧してる様子はないし、と思って。今日のネックレスも恋人から貰った物じゃないのか?」

 恋人ではなくハイルから貰った物だ。訂正し、そう言えば貰った瞬間にはもうクレハもサイフも帰ってしまっていたと思い出す。精霊との交流に関する個人的な礼として贈ってくれたのだ。説明してもなぜかクレハは驚いた様子で何か言いかけ、しかし結局言うことなく黙ってしまった。セイカから促されてようやく言いかけた内容を教えてくれる。

「色がアルドラにしては珍しいから。いや、そもそもアクセサリーを着けてるところをあんまり見てなかったけどさ。意外に似合ってるよ、その色も。」

 ハイルの選んだ服はどれも私を無理なく大人にしてくれたものだ。クレハの服装も実用重視であり、彼の赤い髪や瞳が鮮烈な印象を与えるためか、茶色系統で揃えられているのに地味な印象を与えない。それとも自分の髪色なども含めて選んでいるのだろうか。

 クレハからの贈り物に十分触れたからか、セイカも贈り物を出してくれる。リボンで束ねられたそれは柔らかなマフラーだ。私の相棒たるヴェントが刺繍されている。よく見るとセイカの指には幾つも包帯が巻かれていた。

「まずは誕生日、そして成人おめでとう、アルドラ。ただ、こうして見られると恥ずかしいな。私は、剣は握れても針は握れないらしい。」

 針は握り込んでしまうものではない。それでもセイカは手に怪我をしつつも私のために刺してくれた。とても可愛らしいヴェントで、説明されなくとも私の傍をいつも漂っているヴェントだと分かる。首に巻いてみても肌触りが良く、巻き方を考えればヴェントを常に見られる物だ。これも次の仕事の日にハイルに見せよう。

 贈り物を無事渡せたとセイカは満足そうにコーヒーを啜った。クレハも言葉を選ぶように視線を動かし、それから口を開く。

「この前ヴェリタテ跡地に泊まったんだよな。まさか、もう一緒に寝たのか?」

 そんなわけないと否定し、話そうと思っていたことを書き記したメモを見ながら話していく。こうして見るとその多くがサマジアやハイルに関係する内容だ。引っ越しももう済んでいるという話もできた。

「今までより会いやすくなるな。サマジアにあんまり出入りすると依頼が減るかもって思って会いに行けなかったんだよ。俺も宿にいる時間がまばらだしさ。」

 私なら家にこの時間よくいると伝えられる。家を貸してくださった方もサマジア関係なのか、特に詳細を説明することなく貸してくださった。街の治安維持の仕事、と言うだけで警察でも自警団でもないのに借りられた。他のサマジア団員の中にも同じ建物に住んでいる人もおり、一緒に事務所まで行く日もあるくらいだ。

 家の合鍵は渡していないかなどなぜかハイル関係の質問が始まる。渡す理由がないなど全ての質問に答えていき、それはケイドと約束している昼食の時間まで続いたのだった。

 セイカとクレハだけでなくケイドも張り切って昼食の場所を用意してくれていた。場所を借り、セイカとクレハが狩った肉や採集した植物を使ってケイドが調理してくれていたのだ。もう既に十分な贈り物を受け取っている。それなのにケイドはさらに贈り物を取り出してくれた。

「俺からのプレゼント!一足先に大人になるアルドラに、すぐ追いつく俺からのプレゼントだ!」

 ハイルからのネックレスが入っていたほどではないが自分では決して買わないだろうほど上質で小さな箱。それを私に向け、絵本の中の少年のように跪いた。ゆっくりと時間をかけて開けられた箱には指輪が入っている。

「おいケイド!」

「流石にこれは良くないと私にも分かるぞ。」

 クレハとセイカの批判にもケイドは惚けて見せている。私としても、これは受け取れない困った贈り物だ。

「なんで?別に深い意味はないんだからいいだろ?」

 深い意味を込めていないから良いという物でもない。私とケイドは何の関係もない人間だ。ただの友人という距離に過ぎない。私は彼に縛られるつもりもない。祝いの気持ちを否定したくなく、料理と祝福だけ受け取ると蓋を閉めてみせた。贈った当人にその意味がなく、受け取る側がそれを聞いていても、周囲はそう見ない。だから受け取れない。特別な関係にあると誤解された場合、ケイドはどうするつもりなのだろう。

 私の質問に予想外のことを聞かれたとでも言うように一瞬黙った。しかし特に困った様子なく、誤解する人が悪い、放っておけば良いと何もするつもりがないことを示す。一般的に指輪を贈ることの意味は村でも街でも関係なく通用し、私より年少らしいケイドも当然に知っているはずの年齢だ。今日という時間、時間をかけて作ってくれた料理、それらが何よりの贈り物だ、と私はケイドを宥めた。

「そのネックレスは何なんだよ。」

 ハイルからのお礼として貰った物だ。水の精霊アクアとの交渉、隣町フォルドの氷の精霊フロストの説得、この街バラジーでの風の精霊ヴェントを鎮めた功績。それらへの個人的な礼として頂いた。

「一般的に、男からのアクセサリーには独占欲が含まれるんだよ。俺の指輪が駄目ならそいつのネックレスも駄目だろ。」

 ハイルにそのつもりはなかっただろう。サマジアの仮眠室から早く出るよう促され、一人前の大人になれるよう手も貸してくれた。しかし先程私自身が当人の意味合いより周囲から見る意味合いが重要という話をしてしまったため、上手く反論できない。

「指輪と、それ以外には、大きな違いがあるんだよ。」

「大差ないだろ!」

 クレハの援護にもケイドは納得してくれない。折角誕生日を祝おうとしてくれたのに、口論になってしまっている。私がこの場を収めなくてはいけない。指輪を受け取ればケイドは納得するだろう。しかしそれはできない。指輪を断り、ケイドが納得する何かが要る。そう考えた時、ハイルから貰った口実を思い出した。ハイルから指輪を受け取るなと言われている、と嘘を吐く。

「なんでそいつが言ったからってアルドラは従うんだ。脅されでもしてんのかよ!」

 脅されてなんていない。私は一度も脅されたことなどない。ケイドだって脅されていないはずだ。ただケイドの父親やその家族が借金を返済する気があるのか確かめられていた。お金を貸した側からすれば当然の行動だ。

「じゃあいちいち口出しするような関係なんだな、その人とは!」

 恋人なら他から受け取らないでほしいと言っていても自然だ。言われるまでもなく受け取るべきではないと私にも分かる。しかしいくらハイルを口実にして良いと言われていても、私的な関係の捏造などしても良いのだろうか。

 ハイルから貰ったネックレスを握り込み、黙ってしまった私の代わりに、クレハが察しが悪いと咎めてくれた。その「察し」はおそらく事実に基づかないものだが、その行動自体はありがたい。ただ事実でないがゆえに、その発言に乗ることもできないでいる。ハイルなら後から謝罪しても許してくれるだろうが、だからといって無断で関係を捏造することはしたくない。恋仲だと偽るなら先にハイルの許可を得るべきだ。そう一度相談してきたいと二人に伝えた。

「任せろよ。ケイドは引き止めとくから。」

 不服そうな彼をクレハに任せ、急ぎサマジア事務所に戻る。何かあれば事務所に来いとハイルも言ってくれていた。どうしてハイルも休みにしているはずなのに事務所にいるのかと昨日は思ったが、このためにわざわざいるようにしてくれたのだと今なら分かる。

 事務所ではいつもの席で、いつもより少し寛いだ様子で本を眺めていた。私が駆け寄る足音だけで頭を上げてくれ、急ぐあまり纏まらない説明も聞いてくれる。ケイドからの指輪を断りたいのに納得してくれない、クレハやセイカには既にハイルと恋人と誤解されていそうだ。そこまでは言えても、恋人のふりをしてほしいとまでは言えなかった。

「お前は俺に全身を飾られてどう感じたんだ?家具も全て一緒に選んだが、それに関してもどう感じている?」

 無理なく大人にしてくれた。魔法にかけられているような時間だった。家具などを選んでいる時は、必要なものを全て揃える必要があったため大変でもあった。しかし一人で一から十まで決める必要がなく、私の知らない選択基準や知識面の補足もあり、とても心強かった。

「その指に予約を入れても良いか?実物もなく言うのは少々締まらないが。」

 この指に、ハイルからの指輪が嵌められる。これは誤解でもなんでもない、まさしくそうした意味のある贈り物だ。まだ何も着けられていない自分の指を見つめた。不思議と違和感はなく、その指を自分で抱きしめる。それでも真正面から喜びを伝えることは照れくさく、予約受け付けましたとだけ返した。

 事実になったのだからもう断るために嘘を吐く必要などない。そうクレハ達の所へ戻ろうとすれば、ハイルに引き止められた。一緒に行こうという言葉に、まだ食事中でもあるため待たせてしまうと答えるが、ハイルに行動を変える気はなさそうに見える。

「指輪を贈ろうとする人間のいる場所に恋人を送り出す男などいないな。食事中も傍にいるつもりだ。覚悟しておくと良い。」

 わざとらしい覚悟という言葉に思わず笑みが零れてしまった。覚悟どころか安心だ。ハイルが良いのならぜひ一緒に来てほしい。そう今日貸し切ってくれている小さな会場まで案内した。

 会場に入ると、真っ先に見えたものはクレハの背中。彼が場所を空けてくれると、不貞腐れたような態度のケイドが見えた。机に肘をつき、足を組んで行儀悪く座っていた。セイカは呆れたような表情で静かにケイドを見張っている。私から報告をするのだ。何も着けられていない右手の薬指を擦り、深呼吸をする。しかし私から話し始める前に、不機嫌をそのまま音にしたような声でケイドが口を挟んだ。

「で?急に事務所に行ってどうしたんだよ、アルドラは。」

 指輪を受け取って良い相手は一人だけ。その前置きをし、指輪の予約が入ったと報告する。クレハとセイカは分かっていたと言うように祝福してくれ、ケイドだけがむくれた表情のまま私から目を逸らした。

「おめでとう。だと思ったよ。ネックレスとか明らかに趣味が出てたし。」

「アクセサリーは独占欲、だったか。なるほど、言い得て妙だな。」

 クレハとセイカに指摘され、急に頬が熱くなる。思い返せば、ハイルからは服も一式贈られている。そのことも家具などを一緒に選んだことも先程ハイル本人から確認された。あれらにもそのような意図があったのだろうか。ネックレスだって私が自分では選ばないだけで、素敵だと思える物だ。ただ自分で手に取るには格好良すぎないか、大人すぎないかという躊躇が先に来てしまうだけだ。

 気を取り直し五人での食事が始められた。お誕生日席に私、その左右にクレハとセイカが座っていたのは、ケイドに隣を確保させないためだったのかもしれない。いつの間にか私のすぐ隣にハイルは椅子を持ってきており、席のなかった隣を確保している。そのことも当然のように二人には受け入れられ、午前中に話した内容を全てハイルに伝言されてしまった。午前中の雑談がまるで成就した恋のお話だ。クレハからハイルに伝えられる私の話はどこか知らない誰かの恋物語のようにも聞こえていた。

 一人を除いて賑やかな昼食の中、クレハが改まった様子でハイルに質問をした。念の為、一応、と何度も前置きしてから言った言葉は、私に「変なこと」をしていないかという内容だ。「変なこと」とは一体なんなのだろう。私はいつも助けられてばかりだ。心配している様子なのに私の表情を見て、聞く必要はなさそうとすぐに引っ込めた。それも不思議な行動だ。

「お前も最初は俺を警戒していたな。結果としてその警戒は正解だったわけだが。」

 何かハイルには伝わっている。それなのにクレハは警戒が不正解だったと否定した。さらにただ私のことを心配しただけと弁明する。私が先週まで未成年であったこと、ハイルが護送団サマジアという少々後ろ暗いところのある組織の取りまとめ役であること、などが気になったそうだ。それならここは私が何か言うべきだろう。考えもまとまらないまま、今日の指輪の話を相談するまでそのような話は一切なく、私も意識していなかった、と始める。そのくらい私のことを大切にしてくれていた。私の感覚に合わせてくれていた。ハイルやサマジアが後ろ暗い場所というなら、サマジアに所属した私自身も既にそこに居場所を持っている共犯だ。年齢なんて関係ない。クレハは心配してくれただけなのに、私の言葉にはいつの間にか熱が入り、溢れ出ていった。

「さっきまで自覚していなかった人とは思えないな。そこまでの想いがあるのに気が付かないものか。不思議なものだ。」

 セイカの言葉に私も同意だ。今言葉にしてみればこれだけ溢れてくるのに、自分でもどうして午前の彼らとの会話中、何も感じずにいられたのだろうと不思議になる。それでも今自覚できたのだから良いかとハイルに同意を求めれば、肯定と同時にまだ足りていない自覚もある、と返されてしまった。どんな自覚が足りていないのだろう。しかしこの質問は、また二人の時に、とはぐらかされてしまった。

 長い昼食の時間を終え、三人と別れる。貸し切っていた部屋を出る際、ハイルが一度だけ振り返った。何かあったのかと私も振り返ろうとすれば、なぜか止められる。不思議に思いつつも逆らう意味を感じられず、私はただ従った。クレハとセイカの見送りの言葉だけを受け取り、ハイルと共に帰路に就く。ふわりと手を握られ、器用に右手の薬指が撫でられた。

「先程は急な話になってしまったからな。改めて、ここは俺の指定席だ。反対側の予約も入れよう。キャンセルは不可だ、分かってくれるな?」

 もちろんだ。むしろ自分からの予約もしっかり覚えていてほしい、と握る手に力を込める。もっと遠い場所に家を借りれば良かったとほんの少しだけ後悔しつつ歩いた道すがら、その手はずっと繋がれたままだった。

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