生贄
木の実を拾い、野草を食らう。私一人でも未だに生きている理由は、風の精霊ヴェントの名を頂いた狐のヴェントが食料を確保してくれるからだ。このまま飢えて死んでしまっても良いと思っているのに今日も食事を取る。
村の人達が私達姉妹の家だった場所を訪れる。今日は私を生贄に捧げる儀式の当日だ。この村ヴェリタテのある森の一部が燃え、見える山が崩れ、水は濁った。そんなことがここ数年続いているため、精霊に祈りと生贄を捧げ、この災害を鎮めていただくのだ。最初に洪水が起きた年には姉ロゼットが生贄に捧げられた。それでも災害はまだ収まっていない。
儀式の場は小さな村に似つかわしくない真っ白な祭壇。その奥には大穴が広がっており、毎年生贄として家畜が落とされている。数年前には私の姉が落とされた。今年は私が落とされるのだ。その前の儀式として、髪を切られ、手足を斬りつけられる。生きたまま落とされた姉はもっと恐ろしかっただろう。痛みに身構えた。
「アルドラ!」
痛みはいつまで経っても訪れない。その代わり、私を切ろうとしていた人物の断末魔が聞こえた。続けて村人達の悲鳴が響く。私の名を呼んでくれた少年が誰かに叫ぶが、その言葉は途中で止まった。彼もこの村の住民だった。私の姉を捧げる生贄の儀式に反対してくれた数少ない人だ。
一体何が起きているのか。頭を上げれば目の前には倒れ伏す住民達がいた。血を浴びた女性が人々を斬りつけ、突き刺し、無表情に殺している。少年も狩りに使用していた剣を彼女に向け、今度は村を守るために行動を開始した。
二人の剣がぶつかり合う。少年は顔を顰め、女性の剣を受け止めた。衝撃を殺すためか飛び退き、腕を痛めたように押さえている。時間を稼ぐためか、女性とも親しいのか、言葉を交わし始めた。
「もう儀式は止められた。これ以上の攻撃は必要ない。アルドラも一緒に連れていけば今後の心配もない。村人を皆殺しにする必要なんて、どこにもない!」
冷静さを維持しようと努めていた彼の声は叫び声になっていた。必死の訴えにも女性は眉一つ動かさない。しかし少年を攻撃する手も止めている。彼のことを積極的に傷つけるつもりもないようだ。
「人は殺すべきだ。それが私の使命だ。」
彼女は人間ではないのだろうか。一度見た風の精霊ヴェントはもっと風のように透けていた。彼女は足も生えている、ただの人間に見える。少年も私も人間だ。それなのに彼女は彼を傷つけようとせず、おそらく私を一緒に助けてくれた。彼女の剣は彼に向いているが、一度もその身を傷つけていない。それらの行動と発言が一致していない。彼女は一体何者なのだろう。
彼女は剣の雫を拭い、片付けた。まだ生きている村人もいるが、殺すことは止めたようだ。少年は手に剣を持ってこそいるが、彼女には向けない。女性はこの風景に似合わない不思議そうな表情で少年に問いかける。
「君はこの村を守りたいのか?守るべき人を殺そうとした村なのに?」
少年は何も答えられない。守るべき人ではないのに私を守ってくれた。彼の家族だってこの村にいるのに、この村の決め事に逆らってくれた。女性は無言の返事に何を思ったのか、この村を見逃すと決める。
狐のヴェントが私の指を舐めてくれた。少年も剣を片付け、二人とも私に近づく。少年は私に手を差し伸べ、一緒に来てほしいと言った。このまま置いて行かれてはまた生贄になるだけだ。拒む意味などなかった。彼の覚悟を無駄にもしたくない。その手は姉の死後、何度か触れた時よりも暖かく感じられた。
「炎の精霊が力を分けてくれたんだ。名前もくれた。今の俺はクレハ、紅の葉を纏う者、なんだ。改めてよろしくな。」
この熱は炎の精霊の熱。私にも風の精霊の力があれば、姉を助けられたのだろうか。ただ生贄に捧げられる姿を見るだけの時間を過ごさなくても良かったのだろうか。そんな思考は「紅の葉を纏う者」という名前の由来だと見せてくれる精霊術によって霧散した。彼の体の周囲を紅の葉が舞う。まるで纏っているその姿は彼自身が炎の精霊の子と言われても信じてしまいそうなほど力強さに満ちていた。
精霊は簡単に人に力を授けない。私と姉も風の精霊ヴェントと言葉を交わしたことはあるが、力は授かっていない。他の精霊は見たこともなく、見たという人と話したこともない。クレハは狩りで倒れているところを治癒してもらったと教えてくれるが、それだけで力を授けてくれるなら炎の精霊の力を授かっている人間は多いことになるだろう。
「相性が良かったんだって。治癒だけのつもりだったのに力を俺に持っていかれたって悔しそうにしてた。」
人間のような反応をする精霊。そうして心を交わせたのなら、風の精霊ヴェントも姉を助けてくれたのだろうか。クレハは精霊を悔しがらせたことを喜んでいるのか、力を授かったからか、どこか誇らしげだ。その勢いのまま、女性のことも紹介してくれる。
私を助け、村人を襲った女性はセイカ、星の香りを纏う者。彼女の何らかの精霊から力を授かっているようだが、何の精霊からなのかは教えてくれなかった。精霊術も見せてはくれない。主に剣で戦うという自己紹介からも先程の動きからも想像できるが、精霊術はあまり使わないのかもしれない。姉の語ってくれたお伽噺では精霊術を使うと疲れたり怪我をしたりする人もいた。現実ではどうなのだろう。少なくともクレハは元気そうだ。
「お喋りはここまでだ。早く逃げるぞ。」
セイカはこれ以上の襲撃をやめた。私達を促し、村人達が反撃の準備を整える前にと移動を開始する。クレハが私を背負い、村を出てくれる。その足元には狐のヴェントがついてきていた。
廃村で身を休める。家の形はしっかり残っており、物も残っていた。食料品などはなく、死体もない。不自然な場所でも寝台があるなら良いと言わんばかりに、二人は寝支度を進めてくれた。私が生贄として制限された生活を送っていただろうと見ているだけだ。怪我の状態まで診てくれる。脈を確かめ、呼吸の感覚も聞かれた。少し痩せているだけで健康状態に問題ないと結論を出してくれ、クレハは今後のことを話し始める。セイカにも私のことを聞いてほしいと説明してくれた。
私は姉妹二人であの村ヴェリタテに移住したうちの妹で、姉は数年前に生贄として捧げられて死亡した。両親のことは知らない。ヴェリタテに移住した時には既になかった。
クレハ自身のことも聞かせてくれた。ヴェリタテには彼の家族もいた。彼らも生贄の儀式を黙認していたそうだ。私の姉が生贄に捧げられ、その恋人や私の様子を見て、クレハは人間を生贄に捧げることに疑問を抱いてくれた。彼の家族はセイカに殺された中にはいなかったそうだ。しかしあの状況では彼も村には戻れない。
「それは今必要な話か?私には何かを守る使命がある。遊んでいる時間はない。」
何かを守る使命。使命なのに何を守れば良いのかはセイカにも分かっていない。誰に与えられた使命なのだろう。それがセイカに力を授けた精霊なのだろうか。質問には部分的に答えてもらえた。その何かを探すために旅をしているそうだ。その中で幾つもの村を潰し、ヴェリタテもその一つになるところだった。それを止めたのはただクレハが止めたからというだけだ。
「殺して、壊して、何を守ろうとしたんだ?」
セイカはクレハの質問にも分からないとしか答えない。本当に分かっていないのだろう。しかし今なら私のことは守れたと言ってあげられる。少なくとも彼女がいなければ私は無事でなかっただろう。クレハだけで私は助かったのだろうか。彼もいなければ助からなかったが、彼女がいなくても助からなかった。そんな私に言葉に彼女も笑ってくれる。クレハもはっとしたようにセイカに謝罪し、旅に同行させてほしいと頼んだ。セイカはなんてことのないように一緒に来たいなら来ると良いと言ってくれる。使命の邪魔にならない範囲で私達のことを守るとも言った。
分からない使命の邪魔にならない範囲。本人にすら分からない使命なのに、どうすれば邪魔にならないのかなんて私達に分かるはずもない。せめて足を引っ張らないよう歩こう。食事の用意もしよう。戦い方は知らない。彼らが戦っている間はしっかり隠れていよう。クレハも私に戦う力がないことは分かってくれており、基本的に私のことは自分が守ると言ってくれた。だからセイカの邪魔にはならないだろう、と。私の傍に寄り添う狐のヴェントにも挨拶するように手を伸ばす。しかし彼にはクレハの思いが伝わらなかったのか、露骨に避けられてしまった。それには剣の手入れを行うセイカも頬を緩める。
「君は精霊の気配が強すぎる。強い精霊の力が恐ろしいのだろう。」
強い精霊の力を授かっても、それを誇示しない。ただ美しい紅の葉を自慢気に見せてくれただけで、その力は私を助けるために使ってくれた。何も恐ろしいことなどないのだとヴェントにも説明する。クレハの態度も伝わったのか、ヴェントも威嚇せず、ツンとした態度を取りつつその手を受け入れてくれた。
私もこれからのことを考えなければならない。死ぬだけだった運命から変わった。ただ時間を過ごすのではなく、生きるために行動を始めなければならない。
三人と一匹で旅を始め、野営にも少し慣れた。元々野草や木の実を採集し、罠を仕掛けて食料を得ていたのだ。現地で食料を確保する旅にも違和感はなかった。姉がいた頃だって、村から食料を買うようなお金はなく、交換できるような物だってなかった。服など自分で用意できない物の購入を優先し、自分達で確保できる食料は後回しになっていたのだ。空腹を抱えたままになっても、それは仕方のないことだった。それを思えば、空腹を感じずに眠れる上、村人からの視線や嫌がらせを気にせずに過ごせる今は十分恵まれた時間だ。
私としては元気に日々を過ごせているのだが、特にクレハは私のことを病弱な少女と思っているのか、とても心配してくれている。私だって何か力になりたい。食事の用意や野営地の準備だけで十分なのだろうか。二人ともお礼を言ってくれるが、まだ不足している気がした。セイカは口数こそ少ないが、私のことを守り、これが美味しいらしいと私の知らない野草や獣の調理法も教えてくれる。使命の邪魔をしないでと言っていた人と同一人物なのか疑ってしまうほど優しい人だ。どこかヴェントと似ている。話せないことと話さないことは違うが、行動や表情で伝えてくれる点は同じだ。この一人と一匹は瞳の色も似ている。
「確かに似てるな。どっちも綺麗だ。」
セイカは星のように優しい金、ヴェントは稲妻のように力強い金。どちらも魅力に溢れる色だ。クレハも同じように彼らを褒めた。それに気分を良くしたのか、セイカは神秘の泉ディフダという場所を教えてくれる。万病に効く水の採れる泉と言われたり、その泉の水を飲むと健康になると言われたりするそうだ。だから私を連れていきたいと。私は病気でも病弱でもない。ただクレハやセイカに比べると体力が少ないだけ。そう反論しつつ、そこに行くことでセイカが安心してくれるなら連れて行ってほしい。今より元気になれるならそれも嬉しい。
自分一人で決めるつもりはないとセイカはクレハにも確認を取った。クレハも行こうと即答し、むしろセイカの目的地は良いのかと聞く。
「決めていなかった。今はディフダに行きたい気分だ。」
その気分は私のためのものだ。本当に目的地もないまま何かを守る使命を達成するために動いていたのかもしれないが、本当は目的地があるのに嘘を吐いてくれているのかもしれない。彼女の気分で助けられている。それへの感謝の言葉も受け取ってもらえたのか分からないほど薄い反応で返された。嫌がっているわけでも無視しているわけでもないことは、もう分かる。たった数日で分かるほどセイカは言葉ではなく行動や表情でその感情を伝えてくれていた。
旅の目的地は神秘の泉ディフダ。その前に近くの街で装備を整える。大きな街には行ったことがない。どんな所なのだろう。村を転々としたような人間でも入れてもらえるのだろうか。ヴェントを抱きしめる腕には自然と力が入っていた。




