第一話 世界が同じ夢を見た夜
某月某日。
正確な日時を記録に残した者はいない。
なぜならそれは、公式な会議でも非公式な会談でもなくましてや歴史に残ると誰も思っていなかった――
ただの「夢」だったからだ。
しかしその夜、世界各国の首脳陣――大統領、首相、国家元首、最高評議会議長――
立場も文化も思想も異なる人々が奇妙な共通点を持つ夢を見ていた。
眠りに落ちる瞬間はいつもと変わらない。執務机に突っ伏したままの者もいれば専用寝室の柔らかなベッドに身を沈めた者もいる。
時差はばらばらで夜の国もあれば昼の国もあった。
だが、目を閉じ意識が沈んだ先で彼らは同じ場所に立っていた。
——揺蕩う意識。
——上下左右の感覚が曖昧な空間。
——そして、その中心にそびえ立つもの。
巨大な樹木だった。
天を突くように高く幹は広大な大地そのもののように太く、枝葉は星空のように無数に広がっている。
それは植物でありながら建造物であり概念そのもののようでもあった。
神聖、と形容するほかない。
だが同時にどこか冷静で理知的で人の祈りに応える神とは異なる印象もあった。
その樹の前に立つと誰もが言葉を失った。
そして、声が響く。男でも女でもない。老いても若くもない。
言語はそれぞれ違うはずなのに意味だけが直接、脳に流れ込んでくる。
『……あなた方に協力してほしいことがあります』
その声は懇願でも命令でもなかった。
ただ、事実を述べるように淡々としていた。
『異なる世界が困窮しています』
首脳陣の中には即座に「夢だ」と判断しようとする者もいた。幻覚、ストレス、脳の誤作動。
合理的な説明はいくらでも思いつく。
だが、その説明を拒むほど、夢は鮮明だった。
『あなた方の世界――地球には可能性があります』
声は続く。
『我々の世界ではいくつかのダンジョンが攻略不能となり人々の生活、文明、未来が停滞しています』
『直接の干渉はできません。ですがあなた方の発想、選択、試行錯誤は我々の世界に影響を与えることができます』
巨大な樹の枝葉がわずかに揺れた。
その動きに合わせるように無数の光景が首脳陣の前に浮かぶ。
洞窟。
遺跡。
草原。
地下迷宮。
そしてそれらを攻略する人々の姿。
『地球の人々に夢の中でダンジョンを体験してもらいたい』
『攻略の結果は類感魔法によって、我々の世界へ反映されます』
『見返りとしてあなた方の世界にとって価値ある品を用意します』
ざわり、と空気が揺れた気がした。
価値ある品。
その言葉に何人かの首脳は思わず警戒心を強める。
「取引」という響き。それは常に、裏を伴う。
『まずは攻略してください』
『最初のダンジョンは危険性を極力排したものです』
『攻略した者は再び夢の中に呼ばれます』
『その結果を見て判断してください』
そこまで語ると声は一瞬、間を置いた。
そして静かに付け加える。
『――なお、この話は、現時点では「知っている者にしか話せません」』
『意図的な制限ではありません』
『情報が未成熟な段階で拡散されるとあなた方の世界に混乱と犠牲が生じます』
『ごく軽度の暗示を施します』
『噂として自然に広がるのを待ってください』
その言葉が終わると同時に夢は唐突に途切れた。
——目覚め。
汗をかいている者もいれば、妙な高揚感に包まれている者もいた。
中にはすぐに忘れかけている者もいる。
だが数日後、世界のどこかで奇妙な一致が語られ始める。
非公式な会談。国際会議の合間。ちょっとした雑談の中で。
「……不思議な夢を見ましてね」
「巨大な樹の夢ですか?」
一瞬の沈黙。
「……ええ。あなたも?」
別の国、別の大陸、政治的には決して近くない者同士が同じ特徴を持つ夢を語る。
神聖な樹。
不思議な声。
ダンジョン。
協力要請。
最初は冗談として笑い合われた。
次に偶然だと片付けられた。
だが、件数が増えるにつれ誰もが無視できなくなっていく。
「これは……少し、不思議ですね」
その言葉の裏に誰もが同じ疑念を抱いていた。
——もしこれが夢でないとしたら?
その頃夢の向こう側では、巨大な樹のもとで“それ”は静かに思考していた。
地球という世界。
ノイズが多く、
可能性に満ち、
矛盾だらけで、
だがだからこそ多様な選択を生み出す場所。
まだ接続は不安定。干渉は最小限。
存在を名乗る段階ではない。
だが、少しずつ――
ほんの少しずつ地球と繋がり始めている。
『……焦る必要はないな』
誰に聞かせるでもなくそれは独りごちた。
『彼らは、必ず選択する』
『救おうとする者も利用しようとする者も恐れて目を逸らす者もいる』
『だがそのすべてが、必要』
巨大な樹の葉がかすかにざわめく。
まだこの時点では誰も知らない。
この夜が世界の対応を変え情報を分断し、人類の未来を静かに歪ませる最初の一歩だったことを。
そしてこの夢の主がいつか“ ”と呼ばれる存在であることも。
——それを知るのは、まだずっと先の話だ。




