第二十三話(幕間)選ばれなかった現実――夢ダンジョンと国家の温度差
その会議室は、表向きには「医療政策検討会」と名付けられていた。だが実際に議論されている内容は、既存の法律や医学の枠をとうに逸脱している。
夢ダンジョン。
正式名称ですら、まだ決まっていないその現象は、すでに社会の深部にまで浸透していた。
壁面スクリーンに映し出される統計資料には数字と注釈が並ぶ。
「まず、前提の整理から入りましょう」
内閣官房の調整役を務める男が口を開いた。
「夢の中に存在するダンジョン内での死亡は現実の死亡ではありません。該当者は現実世界では生存しています。ただし――以後、ダンジョンに入れなくなる」
それは、すでに共通認識だった。
「その事についてSNSなどでは“二度とダンジョンに入れない者は詰み”と言う意見が散見されています。これは、一部の人間がダンジョン攻略者となれる現状に国民感情が悪化してこのような俗説が溢れたのでしょう。」
男は続ける。
「しかし、現段階では民間のダンジョン攻略者のそれを“詰み”と断定するのは早計です」
数名が視線を上げる。
「夢ダンジョンに入れないことで能力強化やドロップ品の取得は不可能になります。だがそれだけで人生が終わるわけではない」
医療側の専門家が頷いた。
「実際、夢ダンジョンに入れない、あるいは早期に撤退した者の中には別の形で社会的成功を収めている例があります」
スクリーンが切り替わる。
そこには、動画配信サイトやSNSのデータが表示された。
「ダンジョン体験を語るインフルエンサー。芸能人。評論家。解説者」
「“夢の中で死にかけた話”“初級ダンジョンで心が折れた話”“もう入れなくなった体験談”」
「それらが、一定の需要を持っている」
別の官僚が補足する。
「攻略者に悪感情を抱く一方で、ダンジョンはすでに一種の“コンテンツ”です。潜る者、語る者、見る者。それぞれに役割が分かれ始めている」
「中には、夢ダンジョンに入れなくなったことをきっかけに知名度を得た者もいる」
「“夢に選ばれなかった普通の人間の視点”は、逆に共感を呼ぶ」
会議室に、かすかな納得の空気が流れた。
夢ダンジョンは万能ではない。
入れない者は、切り捨てられるわけではない。
「とはいえ」
防衛分野の担当者が低く言った。
「夢の中に存在するダンジョンに入れるかどうかで個人の“可能性”に差が生まれているのも事実です」
「能力、資源、回復手段。これは長期的に見れば、国家間、階層間の格差に直結する」
沈黙。
そこで、医療側が話題を引き取った。
「回復薬、ポーション、聖水についても整理しておきましょう」
「現実医療においてこれらは極めて有効です。しかし供給は不安定。製造原理は不明。再現性もありません」
「つまり“ある人には奇跡、ない人には存在しない”」
「医療倫理の観点から見れば非常に危うい状況です」
「それでも使わざるを得ない?」
誰かが問いかける。
「ええ」
医師は即答した。
「救える命がある以上、使わない選択肢はありません。ただし全面的な公開は別問題です」
その言葉に、官僚たちの表情が引き締まる。
「情報公開についてですが」
資料がめくられる。
「政府内ですらすべての情報が共有されているわけではありません」
「ダンジョンの詳細構造。ドロップ品の分類。死亡判定の内部基準」
「これらは、部署ごとに断片的に管理されています」
誰かが、小声で言った。
「……意図的、ですよね?」
否定する者はいなかった。
「全部を共有すれば混乱が起きる」
「だが逆に共有しなさすぎれば、不信が生まれる」
そして、避けられない疑念が口にされる。
「もっと上――官邸あるいはそれ以上の“上層部”では我々が知らない情報を握っているのでは?」
その言葉は、重かった。
夢ダンジョンを“作った存在”。
その存在との接触の有無。あるいは、接触を試みた記録。
「少なくとも」
誰かが言った。
「各国の対応が、あまりにも早すぎた」
「事前に何かを知っていたと考える方が自然だ」
医師が静かに続ける。
「もし上が何かを知っているなら……それは、我々医療現場にも共有されるべきです」
「命を扱う以上、判断材料を隠されるのは許されない」
だが、返答はなかった。
この会議は決定の場ではない。あくまで“検討”の場だ。そして誰もが理解していた。
――本当の情報は、ここには降りてきていない。
夢ダンジョンは、人類に機会を与えた。
同時に選別も始めている。
潜る者。
語る者。
見守る者。
そして、知らされない者。
この国も、この世界も、まだ同じ夢を見ているふりをしているだけなのかもしれなかった。
会議が終わり資料が片付けられる。誰かが最後にぽつりと呟いた。
「……観測されているのはダンジョンに潜る者だけじゃない」
「俺たちも試されてるんだろうな」
その言葉に、誰も否定も肯定もしなかった。
夢はまだ続いている。
しかし、その温度は人によってまったく違っていた。




