第二十三話 準備という名の覚悟
翌朝、勇希はいつもより少し早く目を覚ました。夢の内容は覚えていない。
それでも、胸の奥に残る重さだけは、はっきりとそこにあった。
「……大丈夫だ」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
洗面所で顔を洗い、鏡を見る。
目の下に、うっすらと影があった。だが、昨日ほどの疲労感はない。
身体は休めば回復する。問題は、心だ。
朝食の時間、咲良はいつも通りだった。
「お兄ちゃん、今日ちょっと元気ない?」
「そうか?」
「うん。ちょっとだけ」
勘が鋭い。
勇希は、曖昧に笑って誤魔化した。
「昨日、ちょっと寝不足なだけだよ」
「ふーん」
それ以上、咲良は踏み込まない。
その距離感が、ありがたくもあり、同時に胸を締め付ける。
――全部終わったら。
そんな、まだ言葉にできない誓いを胸にしまい込み、勇希は自室に戻った。
机に座り、ノートを開く。
そこには、ここ最近で書き溜めたダンジョン関連のメモが並んでいた。
罠の種類。
モンスターの傾向。
精神魔法を使う敵の特徴。
そして、大きく丸をつけた項目。
上級ダンジョン:精神耐性の重要性
「……甘く見てたな」
呟きながら、ペンを走らせる。
サキュバスとインキュバス。耐久力は低い。攻撃力も、純粋な物理では大したことがない。
だが、精神魔法。
あれは、対策なしで踏み込んでいい領域じゃない。
掲示板の書き込みが、頭をよぎる。
――「精神魔法の耐性は才能」
――「気合でどうにかなる」
――「慣れれば平気」
「……嘘だな」
正確には、半分だけ本当で、半分は嘘だ。
慣れはする。
だが、“初見殺し”の威力は、想像以上だった。
勇希は、スマホを手に取り、掲示板を開く。慎重に、関連スレッドだけを追う。
精神魔法対策。
精神耐性スキル。
聖水の効果範囲。
「……聖水」
呪いや内傷に効く。
精神への直接的なダメージは、軽減はできても完全には防げない。
つまり――受ける前提で、短期決戦。
勇希は、戦闘のイメージを頭の中で組み立てていく。
遭遇した瞬間に距離を詰める。一撃で仕留める。迷わない。
精神魔法を使わせる“時間”を与えない。
「……できる」
昨日の自分なら、言えなかった言葉だ。
怖さは消えていない。だが、それを理由に立ち止まる気はなかった。
ノートの最後のページに、大きく書く。
撤退ライン:明確に決めること
無理はしない。限界を超えない。それは、弱さじゃない。
生き残るための、最低条件だ。
夜。
布団に入り、目を閉じる。意識が、ゆっくりと沈んでいく。
夢のダンジョンへの招待は、選ばれるものだ。
だが、上級ダンジョンへの再挑戦は――自分の意思で踏み込む。
暗転。
次に目を開けた時、勇希は知っていた。
あの空気。重く、澄んだ、上級ダンジョン特有の感覚。
「……来たな」
足元は、石造りの通路。だが、前回とは微妙に違う。
壁の紋様。空気の流れ。罠の配置。
「同じじゃない……のか」
ダンジョンは、完全な再現ではない。
同じ“難易度”であっても、同じ攻略は通用しない。
それでも。
勇希は、深く息を吸い、剣を構えた。
「大丈夫だ」
自分に言い聞かせる。
怖い。だが、覚悟はある。
通路の先で、かすかな気配が動いた。
小さな影。甲高い笑い声。
――プチデビル。
勇希の視線が、鋭くなる。
「今度は……準備してきた」
ここからが、本当の上級ダンジョンだ。
逃げずに、折れずに、そして――守るために。
勇希は、一歩、前に踏み出した。




