第十八話 違和感の森で、名を持つ影と相対す
中級ダンジョンに入るたび、勇希は必ず同じことをしていた。
深呼吸を一つ。足裏の感覚を確かめ、背負ったリュックの重さを確認し、頭の中で手順をなぞる。
――今日は、いつもと違う。
入場した瞬間から、それは分かっていた。
これまで潜ってきた中級ダンジョンは、ある程度の「共通項」があった。
森林型なら湿った土と苔の匂い、洞窟型なら冷えた空気と水音。
だが、今日のダンジョンは違う。空気が、澄みすぎている。
木々は確かに生い茂っているのに、葉擦れの音がない。
風がないわけじゃない。なのに、音だけが切り取られたように静かだった。
「……静かすぎるだろ」
思わず、独り言が漏れる。
いつも見ている掲示板ではよく「中級は慣れ」と言われる。初級よりもモンスターは強いが、パターンを覚えれば事故は少ない。
勇希自身も、ここ最近は安定して周回できていた。
だからこそ、この違和感が引っかかる。
勇希は足を止め、索敵に意識を集中させた。音、匂い、地面のわずかな揺れ。
ダンジョン内で身についた“数字に出ない感覚”が、警鐘を鳴らす。
――いる。
だが、どこに?
中級モンスターの気配は、基本的に分かりやすい。集団で動く鳥型、茂みを荒らす小型獣、足音の重い中型。
しかし今回は、どれにも当てはまらない。
まるで――ダンジョンそのものが、息を潜めているようだった。
勇希は慎重に進む。いつもより足運びを抑え、無駄な魔力消費を避ける。
その時だった。
前方、木々の間に“何か”が立っている。
人型。
だが、人間ではない。
全身は黒曜石のような質感で覆われ、関節部だけが淡く光っている。
顔に当たる部分は滑らかで、目も口もない。
それなのに――見られている、という感覚だけがはっきりとあった。
「……ユニーク、か?」
自然と、喉が鳴る。
掲示板で見たことはある。
“ユニークモンスター”――同じダンジョンでも低確率でしか出現しない、名を持つ存在。
中級ダンジョンでも出ることは稀。
そして、出た場合――難易度は跳ね上がる。
黒曜石の人型が、一歩、前に出た。地面が、わずかに軋む。
次の瞬間。
――速い。
視界が追いつく前に、勇希は横に跳んでいた。直後、さっきまで立っていた場所の地面が抉れる。
「っ……!」
反射で距離を取る。剣を構え、呼吸を整える。
相手は、攻撃のあと止まらない。無駄な動きが一切ない。
攻める、退く、構える――その切り替えが、人間以上に洗練されている。
――強い。
数値的な強さだけじゃない。“戦い方”そのものが違う。
勇希は焦りを抑え、まず様子見に徹した。
無理に決めにいかない。中級ダンジョンでの基本だ。
だが、その判断は――半分、間違いだった。
黒曜石の身体が、淡く光る。
次の瞬間、勇希の足元の影が“跳ねた”。
「――ッ!?」
影が、刃のように伸びる。
ギリギリでかわしたが、脛に熱が走った。見ると、浅い切り傷。
夢ダンジョンとはいえ、油断すれば大怪我につながる。
――こいつ、魔法も使う。
しかも、派手な詠唱も予兆もない。地形と影を“当たり前のように”使ってくる。
勇希は歯を食いしばった。ここで逃げることはできる。
だが――
(……ここで逃げたら、オレはまた)
脳裏に、あの時の妹の姿がよぎる。
小さな傷痕。
もう癒えたはずの、それでも残っていた過去。
守れなかったという後悔。
見ないふりをしてきた自分。
勇希は、一歩踏み込んだ。受けに回るのをやめる。相手の間合いに、あえて入る。
黒曜石のユニークが、初めて“間”を乱した。
その一瞬を、勇希は逃さない。
剣を振るう。
影が弾かれ、金属音が森に響いた。ダンジョンが、ざわめく。
――通る。
確かな手応え。
そこからは、消耗戦だった。
一撃一撃が重い。判断を間違えれば、即座に致命傷。
だが、勇希は耐えた。数字に出ない経験が、彼を支えていた。
最後は、互いに満身創痍。黒曜石の身体に、ひびが入る。
その瞬間、初めて“声”が響いた。
『――適応、確認』
次の瞬間、ユニークモンスターは崩れ落ち、光となって消えた。
残されたのは、一枚の光る欠片。
【上級ダンジョンへの招待状】
手に取った瞬間、胸が熱くなる。
――招待状。
掲示板で噂に聞いていた、上級への切符。勇希は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
怖かった。
正直、何度も引こうと思った。
それでも――
「……行くしか、ないよな」
呟いた声は、思ったよりも静かだった。森は、再び音を取り戻す。
風が葉を揺らし、遠くでモンスターの鳴き声がする。
中級ダンジョンは、もう“いつもの場所”ではなくなっていた。
そして勇希は、まだ知らない。
この一歩が、観測者たちの視線を、決定的に引き寄せたことを。
――いくつもの上級ダンジョンへの扉は、すでに開かれている。




