第十四話 現実が追いつく日
テレビの中で、見慣れた官房長官が深く一礼した。
背景は記者会見場。フラッシュが焚かれ、空気は張りつめている。
『本日未明より報道されている“夢の中で体験される特殊な空間”について、政府として確認した事実を説明します』
勇希はリビングのソファに座ったまま、リモコンを握りしめていた。
妹の咲良は部活で学校、両親は仕事。家にいるのは自分だけだ。
『この現象は、個人の主観的な夢ではありません。一定の条件を満たした人間が、共通した環境――便宜上「ダンジョン」と呼称します――にアクセスしていることが確認されました』
――来た。
胸の奥が、ひどく静かにざわつく。
掲示板で散々語られてきた噂が、ついに公式の言葉になった瞬間だった。
『負傷や体調不良については、現実世界に反映される割合は限定的であることを確認しています。ただし――』
一瞬、間が置かれる。
『夢の中で死亡した場合、その後同様の空間にアクセスできなくなる事例が複数確認されています』
記者たちが一斉に騒めいた。
勇希は、無意識に唇を噛んでいた。
十分の一しか反映されないはずの負傷。それでも、死は例外だ。
画面が切り替わり、質疑応答に入る。
『安全性についてどうお考えですか?』
『なぜ今まで公表しなかったのですか?』
『政府はこのダンジョンを管理できているのですか?』
官房長官は、言葉を選びながら答える。
『完全に安全だとは言えません。しかし、放置することの方がより危険だと判断しました』
『すでに専門チームを立ち上げ、医療・心理・安全保障の各分野で検証を進めています』
勇希は思う。
――遅い。
遅すぎるとは言わない。
でも、これは“始まってから”の対応だ。
会見の途中、画面下に速報が流れた。
【米国政府、同様の現象を公式に認める】
【欧州連合、共同調査チーム設立を発表】
【アジア各国も順次声明】
世界が、一斉に同じ方向を向き始めている。
『本現象は、我が国だけの問題ではありません』
官房長官の声が、少しだけ強くなる。
『各国政府と連携し、人類全体の課題として対処していく方針です』
勇希は、テレビを見つめながら背もたれに体を預けた。
夢の中の通路。
湿った石の匂い。
動きの鈍いモンスター。
あれが、公式に“存在する”と認められた。
なのに――。
(……何も言わないんだな)
勇希が気づいたのは、言及されなかったものだった。
誰が作ったのか。
なぜ選ばれる人間がいるのか。
どうして、夢という形なのか。
核心には、誰も触れていない。
『なお、ダンジョン内で入手した物品の一部が現実世界に影響を与える事例についても確認されています』
その言葉に、勇希の肩がわずかに強張る。
ポーション。
聖水。
意識不明者に効果があったという、噂。
(……咲良)
妹の横顔が、脳裏をよぎる。
もう治ったはずの古傷。
それでも、消えない罪悪感。
(回復薬なら…)
会見が終わり、キャスターがまとめに入る。
『夢か現実か分からない世界で、人は命を懸けている――。私たちは、選択を迫られる時代に入ったのかもしれません』
テレビの電源を切る。部屋が、急に静かになった。
勇希は、自分の手のひらを見る。剣も魔法もない、ただの高校生の手だ。
(ダンジョンは、逃げ場じゃない)
分かっている。
分かっているのに――。
眠れば、また呼ばれるかもしれない。呼ばれなければ、それでいいと思う自分もいる。
でも、もし。
もし、次に進める場所があるなら。
そこで手に入るものがあるなら。
(オレは……)
答えは、まだ出ない。
ただ一つ確かなのは。
世界はもう、夢を夢だと笑えなくなった、ということだった。




