第十一話(幕間)観測されるものたち
会議室の照明が、さらに一段階落とされた。
壁面モニターに映し出されているのは、地図でも戦況図でもない。
——空白だ。
「……これが、問題です。」
内閣情報調査室の分析官は、淡々とした声で続けた。
「ファーストダンジョン攻略のあの日以降、“世界樹”――便宜上そう呼称しますが、その存在からの直接的な接触は一切ありません。」
「夢での接触も?」
「はい。ダンジョンに招待される夢は続いていますが、“語りかけ”や“説明”は皆無です。」
誰かが指を鳴らした。
「一方通行か」
「そう受け取れます」
モニターが切り替わる。
そこに映ったのは、無機質な施設だった。
「ファーストダンジョンでの日本のクリア報酬――精霊樹ですが」
「現在、精霊樹は国家重要研究指定区域、隔離区画にて管理されています。位置情報は最高機密。常時、複数系統の監視下にあります。」
「……で、何かわかったのか?」
「物理的には、普通の樹木です」
一瞬、間があった。
「ただし」
分析官は言葉を切り替える。
「生体反応、成長速度、周辺環境への影響、
いずれも既存の植物学では説明がつきません」
「触れた人間への影響は?」
「現時点では、“体調が良くなる気がする” “妙に落ち着く” その程度です。」
誰かが低く笑った。
「気休めだな」
「ですが」
分析官はその笑いを無視した。
「精霊樹に欲望を向けた者ほど、体調不良を訴える傾向があります」
室内の空気が、わずかに張り詰める。
「……欲望?」
「所有したい、利用したい、奪いたい。そうした心理状態です」
「研究対象として距離を保つ者、あるいは“ただの樹だ”と認識している者には、特段の影響はありません」
「選んでいる、というわけか?」
「可能性は否定できません」
分析官は、そこで話題を戻した。
「問題は、接触不能である点です」
モニターには、各国首脳の映像が並ぶ。
「ファーストダンジョンで、“世界樹”は明確に意思を示しました。しかし、それ以降――沈黙しています」
「制御はやはりできないか?」
「そもそも、制御対象ではない可能性が高い」
誰かが、腕を組んだ。
「だが、こちらが何か“条件”を満たせば、再び接触できるかもしれない」
「ええ。現在、その条件を推測しています」
分析官は、いくつかの仮説を提示する。
「第一に、攻略者の質。単なる能力値ではなく、強い動機、譲れない理由を持つ者」
「第二に、夢への関与度。浅い体験ではなく、深層まで到達した者」
「第三に――」
一拍置いてから、続けた。
「信仰、あるいは疑念」
「……疑念?」
「はい。盲信ではなく、“なぜ存在するのか”を問い続ける者」
会議室が静まり返る。
「神に疑問を持つ者が、神に近づける、か」
「現時点で、我々は“観測者”に過ぎません」
「しかし」
視線が、会議室の全員をなぞる。
「観測されている可能性を、相手が認識している以上――いずれ、観測は干渉に変わります」
誰かが、小さく息を吐いた。
世間はまだ、夢だと思っている。
―――――
静まり返った会議室に、時計の針の音だけが残っていた。
「……結論から言えば、“向こう”からのアクセスは完全に途絶えている、と」
誰ともなくそう言葉にした瞬間、空気が一段重くなる。
ファーストダンジョンのクリア報酬として得られた“奇跡”は、秘密裏に確かに世界を変えた。
回復不能とされていた症例が改善し、理論上不可能だったデータが現実に存在する。
だが――それを与えた存在は、再び沈黙した。
世界樹。
名付けることすら躊躇われたその存在は、声明も要求も出さない。ただ、夢という形でダンジョンを開放し、選ばれた人間を送り込むだけだ。
「こちらからの接触手段は?」
「全て試しました。宗教的儀式、学術的解析、疑似魔力反応……結果はゼロです。」
誰かが苛立ちを隠しきれず、机を指で叩いた。
「交渉の余地がない神ほど厄介なものはないな」
その言葉に、誰も否定しなかった。
各国首脳陣は理解している。
世界樹は“敵意”を見せていない。
だが同時に、“味方である保証”も一切ない。
夢ダンジョンの存在が公になれば、民衆は必ず縋る。
救いを、力を、奇跡を求めて。
しかし――誰が選ばれるのか、その基準は不明。
死亡した者は二度と入れない。
重傷を負い、現実に後遺症を残した者もいる。
「……観測されているのは、我々の方かもしれませんね」
分析官の一言が、誰かの喉を鳴らした。
「人類がどう動くか。欲望を優先するか、秩序を保とうとするか。それを――試されている」
沈黙が肯定となる。
その頃、世界のどこかで。
高校生の高瀬勇希は、眠りの底で、理由のわからない胸騒ぎを覚えていた。
夢は見ていない。
だが、確かに“見られている”感覚だけが残る。
(……気のせい、だよな)
そう思いながら、勇希は無意識に、妹の部屋の方角を確認した。
守るべきものがある。
失ってはいけないものがある。
それが、誰かに“観測されている”などとは、まだ知る由もなかった。
――沈黙は、拒絶ではない。
ただ、答える時を選んでいるだけだ。
その事実を理解するには、まだ少し、時間が必要だった。
だが、観測者たちは知っていた。
これはもう、目覚め始めた現実なのだと。




