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後篇

※前後篇で一つの物語です。基本、視点移動はありません。

 前篇を読まれていない方は、先に前篇を読むことをお勧めします。

 




 最近、私の方に聖女レインが突っかかってこないと思ったら、オスカーの方へ行っているらしかった。


「羽虫が一匹増えただけですよ」


 と、なんでもないような感じではあったが、私としては心配なものだ。

 カトレアが、大切に想っていた人。

 これがどういう感情なのか折り合いは付いていないけれど、きっとこういう愛の形もあるだろう。

 そう、思うことにした。


「明日の舞踏会へは、この前贈ったドレスを着てきてくださいね。

 カトレアを想って見繕ったのです」

「ふふ。私、あの深い青紫色、好きです。ありがとうございます」


 オスカーの瞳のようで──とは、言えなかったけれど。

 彼は少し熱くなっているであろう私の頬を撫でて、満足気に馬車に乗り込んでいった。

 私が聖女から嫌がらせを受けていると知った日から、オスカーは毎日私を送り迎えしてくれるようになった。

 馬車に向かって手を振る。

 また明日会えるのに、少し、寂しいと感じた。




 ◆




 そうして迎えた舞踏会の日。


「よくお似合いです、カトレア」

「オスカー様も。かっこいいですよ」


 私はエスコートを受けて、舞踏会に出席している。

 オスカーは黒の正装に、小物は青紫色で統一してカトレアとのペアルックが強調される装いをしている。

 私たちは学園でのこともあるので終始壁のそばを離れなかった。

 本日の舞踏会に聖女レインが招待されていない以上、気を張る必要もない。

 しかし、私もオスカーも賑やかなところは得意ではないので、最低限の挨拶を済ませた後はいつも軽食をつまんだり、自由に過ごしていた。

 今日は両陛下とラッフィーナ、彼女の婚約者への挨拶はもう終わったので、後はダンスを数回踊って帰るだけだ。

 白のシャンパンを片手に、そろそろ一曲踊って帰れるだろうか。

 そう思った時だった。


「え、──せ、聖女レイン様の、ご登場です」


 紹介の後、金管のファンファーレが鳴る。

 しかしそれらはどこか戸惑いが滲んでいて、予定外であることがありありと窺えた。

 扉が開いて、聖女レインが会場へ。

 大階段を降りて、ヒールを鳴らし、我が物顔でホールの中央へ立った。


「みなさんこんばんは! わたし、この国に召喚された聖女の、レインですっ」


 ぺこりと無邪気に頭を下げる姿は下街の子どもを彷彿とさせる。

 それだけならよかったのだが、あろうことかまた、聖女レインは短いスカートを着用していた。

 それにしてもあれは誰が作ったドレスなのだろう。

 ところどころほつれていて、それを誤魔化したような跡がある。

 一応聖女の扱いは国の貴賓だと思うのだが……おそらく、「彼女には必要ない」と判断されるなにかがあったのだろう。


「聖女として、みなさんにお願いがあります」


 胸の前で祈るように手を組む姿はさながら聖女だが、いかんせん格好が破廉恥すぎて、出席している貴族たちは呆れている。

 中には性的な目で見ている者もいるだろうが、おそらくその人たちも、聖女レインのことは「人」として認識していないのだろうなと思った。

 そうとも知らず、聖女レインの独壇場は続く。


「カトレア・アルペカルト伯爵令嬢! オスカーとの婚約を、破棄しなさい!」


 ……え?

 ざわざわと周囲がざわめく。

 私は心の中で、女性が言うパターンもあるのだなとぼんやり思った。


 皆が眉をひそめる理由は星の数ほどあるが、まずぽっと出の聖女レインが婚約に関して口を出すべきではないこと。

 先日確認したところ、私たちの魔力の相性は類を見ないくらいよかったようで、特例として、見届人の欄には両陛下の署名がされている。


 なにがどうであれ、彼女がこの婚約を否定できる理由はないはずなのだが……。


「わたしは入学してからずっと彼の傍にいました。

 愛し合っているんです。だからわかります!

 実はカトレアってば、すごく我儘なんですよ? 

 オスカーが愛想を尽かしちゃうのも納得するくらいで!」


 白ける会場。

 しかし彼女の言動は更に熱を帯び、身振り手振りを交えて、いかに私がオスカーにふさわしくないかが熱弁された。

 その中には、オスカーに付き纏って家まで押しかけたこと。

 また、彼が強く拒否をしてもそれを「照れている」と断言したことも含まれた。

 私は、彼女が私にしたことと同じくらい悪質な行為を繰り返していたことを知って、怒りが湧いた。


「だからある日、思ったんです。

 こんなにもわたしと一緒にいる時間が長いなら、

 本当はカトレアよりわたしの方が好きなんじゃないかって……!」


 無意識に手に力がこもる。

 それを隣にいる彼は、ぎゅっと握り返してくれた。

 手袋越しにあたたかい体温が伝わる。


「そう──これこそ真実の愛! ヒロインが結ばれるハッピーエンド!」


 ばっと両手を天に突き出して月を仰ぐ。

 もはや聖女レインは正気ではなかった。

 学園ではどういった指導を受けていたのだろうか。

 そもそも彼女とは級友であるとはいえ、一緒に授業を受けたことはない。

 この世界の常識に慣れるため、別のカリキュラムを受けているはずだからだ。

 この様子を見るに、あまり効果はないように思えるが。


 くるりと黒髪を揺らして聖女レインがこちらを振り返る。

 その表情は恍惚としていて、どこか狂気に満ちていた。


「だからカトレア、婚約破棄を受け入れてね。

 わたしは聖女だから、愛を力に変えられる。魔王討伐には必要でしょ?

 大丈夫。そうしたらみんな幸せになれるから!」


 なんて身勝手な。

 これではお願いやおねだりの類ではなく、強奪だ。

 周囲を見渡す。


 いつしか中央にいる聖女レインと壁際にいる私たちの間には、人の道ができていた。

 まるで「どうぞ」といわんばかりに、中央まで行くことを催促されているかのようだった。

 他の者たちは、この後どうするのかとじっと品定めをするように私たちを見ている。


 今、この三人の中で最も爵位が高いのは、私。

 オスカーは学園や公の場では一歩引いて、決して私の前に出なかった。

 よく言えば弁えているとも捉えられる。

 しかし私は、それが寂しかった。

 彼のことだ。きっと見えないところで私を守っていたのかもしれない。

 しかし、それが私は寂しかった。


 ……であれば、今度は私がオスカーを守りたい。

 深呼吸をひとつ。今はそれで充分だ。


「……聖女様。言いたいことは、それだけですか?」

「は? 今更許してってこと? 悪いけど、オスカーはわたしのっ」

「オスカー様は私の婚約者です。事情がわからない以上、了承いたしかねます」

「だから、わたしとオスカーの真実の愛が理由だって!!」


 足がぐらつく。

 貴族として、人前に出る度胸はつけてきたつもりだった。

 しかし、いざ目の前に広がる目線を直に受けると、思うように頭が回らない。

 怖い。

 身体がもう逃げたいと訴える。

 しかし、私は誰よりも毅然と立たなければならない。

 だってそうしないと、オスカーを手放すことになってしまうから。

 カトレアと私が混じって、気持ちが曖昧になっていたと思っていた。

 思って、そう──思い込んでいた。

 でももう、嘘をつくのはやめよう。


 私は、オスカーが好きだ。


「ああもう、全然サポートしてくれないし役立たずだし!

 なんでモブのくせにヒロインに譲らないわけ?!」

「そんなの関係ありません。私は、オスカー様のことが──」


 一歩踏み出した。

 こんな私でも、彼を守るのだと。

 しかし、私の中に変化があったのと同じように、聖女レインもなにか決心したような。

 そんな顔つきになって──


「あっそ。じゃあカトレアなんて、いらない」


 ──ひゅっ。

 矢が、髪をかすめる。音が空を切る。

 一歩ずれたところに突き刺さったそれは淡い光を帯びていて、大理石のような白い石の壁がぱらぱらと破片を落とした。

 ゲームで何度か見たことがある。

 光魔法しか使えない聖女の、唯一の攻撃手段だ。

 今のはたまたま外れただけ。

 いや、魔王復活の報がない今、聖女レインは魔法を鍛えていないだけだ。

 百発も打てば、何発か当たるだろう。

 私は急いで水の障壁を展開した。


「バリア張らないでよ……。当てれないじゃん?」


 ばしゅ、ばしゅ……。

 聖女レインが徐々に私たちとの距離を詰め始める。

 光の矢の威力も狙いもどんどんと上がる。

 私は魔力を練って貼り付けてを繰り返しているが、それもいつまで保つかわからない。

 両手を前に突き出しながら、叫んだ。


「……っ オスカー様、逃げてください」

「なぜです? カトレアがこんなにも頑張っているというのに」

「危ないからです! 私は、あなたを失ってまで戦いたくない!」


 戦う、というより防戦一方だが。

 しかしオスカーはこの状況をなんとも思っていないようで、どこか吹く風というか、攻撃がこちらに向けられている状況について、気にもとめていないようだった。


「おーい、なに話してるの? わたしのこと忘れてないよね?」


 ばしゃっ!

 遂に、光の矢が水の障壁を穿った。

 障壁との魔力の繋がりがふっと消え、激しい疲労感に襲われる。

 無理矢理に魔法を解除されたことがなかった私は、戸惑いと強い決意を胸に、前を向いた。

 ──絶対に、死んでも彼を守る。


 しかし、視界いっぱいに広がっていたのは、紫。

 水晶のような、虹の端のような輝きのそれは、オスカーの瞳だった。


「カトレア、私に願ってください。そうしたら全力を以てあなたを守りましょう」


 顔が、近い。

 端正で、人形のように一部の隙もない造形が、眼前にこれでもかと押し付けられている。


「オスカー様、今はそんなことっ」

「私なら聖女をどうにかできる手段を持っています。

 しかし、立場上私はカトレアに婿入りする立場だ。

 現状命じられない限りなにもできませんし、権力だってありません」


 ぐっと、胸が痛む。

 そうだ、私は彼を縛っている側。

 優秀で見目もいいオスカーなら、学園での様々な出会いを経て、最上の縁とつながることだってできただろう。

 婿入りだけでなく、文官になったり他国への使者になることだって叶ったはずだ。

 しかし、その可能性を差し置いて、私を守ろうとしてくれている。

 期待しても、いいのだろうか。


「……まるで、悪魔の契約ですね」


 諦めたように頷いた。

 私はどこか、肩肘を張りすぎていたのかもしれない。

 身分の離れている婚約者が苦労しないよう、距離をとりすぎていたのかもしれない。

 しかし今は、今だけは甘えよう。

 彼の手段とやらに。


「オスカー様どうかお願いします。──私を、守ってください」


 彼は優しく微笑んだ後、私に背を向けて、聖女と対峙した。


「オスカー! やっとこっち向いてくれた! このままわたしと──」

「黙れ」


 駆け寄ってきた聖女レインが、突然崩れた。

 べしゃ、と顔から転けて、最初はなぜ地面に突っ伏しているのかわからないようだった。

 しかし数秒、十数秒経つにつれ彼女の顔が歪み、次第にその顔と同じ恐怖が直接伝わってくるような絶叫が、ホールを満たした。


「な、なっ……なんで足、わたしの足がっ!!」

「うまく切れたようでなによりです。うん、きれいに骨の断面が見えますね」


 滴る鮮血。

 しかしながらほんとうに切断した者の腕がよかったのだろう。


「やはり品性の欠片もない痴女は、こうでもしないとダメですか」


 血溜まりは片手分ほどの大きさであり、一分が経った頃には出血もおさまってきた。

 彼女のものであった両足が直立不動に佇む。

 痛みにあえぐ胴体部分も相まって、さながらホラー小説の一幕のようだ。


「お、オスカー、様……?」

「ああ、刺激が強すぎましたか。でも、この女はカトレアを何度も傷つけたのです。

 足だけではたりませんが、まぁ、聞きたいこともありますし。腕はその後ですかね」


 コツコツと靴を鳴らし、オスカーは聖女レインの前へ出た。

 それはまさしく王の行進で、彼の背しか見えない私には、そこに蠢く黒い影がはっきりと見えた。


「ねぇっ、助けて! くっつかない! 治癒できないの!」

「ええ。そのようにしましたから」


 ぱんぱんと汚れを払う仕草をして、オスカーは更に一つ、人差し指をくるりと回す。


「……それで?」

「え?」

「あなたは他に、カトレアになにをしましたか?」


 彼女は小さな口をぽかんと開け、浅い呼吸を繰り返す。

 オスカーはしばし待った後、時間切れとでも言うようにぱちんと指を鳴らした。


 つ──っ

 次第に聖女レインの首筋から、もはや見慣れたと言っても過言ではない赤い色が筋となって伝う。

 空白の、恐れに満ちた空気がまた漏れ始める。

 それがやがて白い床を濡らし、丸い斑点がまたぽつり、ぽつりと咲いた。


 そして、ぼちゃ、と。

 ふたつの塊が左右ともに、同じように落ちた。


「あ……うそ、耳が」


 地面を這う彼女が見たのは、自身の耳。

 必死に腕で上半身を起こしていたので、落ちる瞬間までもがはっきりと視認できたことだろう。


 段々と切り離されていく身体。

 家畜でも魔法で眠らせて解体するのが一般的なこの世界において、あまりにもこれは、惨い。

 そんな所業を、彼は平然と。

 いや。こめかみに青筋を浮かべ、淡々と。

 そう見えるように行っている。


 オスカーは一息つくと、聖女レインの頭を踏みつけた。

 黒の靴がなじる度にうめき声が細切れに聞こえる。


「あなた公衆の面前で、カトレアにこのような仕打ちをしたのです。理解できましたか?」


 その一言の後、彼女の表情がようやく酷く苦いものに変わった。


 聖女レインがオスカーへ向けていた感情は歪だった。

 しかし歪だったとしても、それは確かに愛だった。

 彼女は彼を愛していた。

 その事実が、今、ようやく彼女の首に手をかけた。


 しかし、聖女レインもずっと敵意を向けられていたことに気づき、焦ったのだろう。


「──な、なんでも、聖女であるわたしが叶えるから!

 身分だって! 魔王を倒してオスカーを王様にしてあげる!

 だってわたしは、オスカーは王家のご落胤ってことを知ってるんだから!!」


 と、金切り声を上げた。


 ざわりと周囲の貴族が揺れる。

 理由は複数考えられるが、真っ先に挙げられるのは、「魔王」「王位簒奪」という盲言を撒き散らす行為そのものが不敬であること。

 しかし、もしこれがすべて真実なら。

 今最も注目すべきは、落胤という点か。

 ちらりと様子を窺ってみると、晩年を生きる前公爵夫妻や王弟も、動揺を隠せないでいる。

 おそらく国の重鎮すら知らない、王家の中でも極秘中の極秘といえる情報なのだろう。


 問題は、それをなぜ聖女レインが知っているかだ。


「……その情報を、どこで? 誰から?」

「さぁ? 召喚されたときには知っていた、としか今は言えないけど。

 オスカーがどうしてもって言うなら、

 話してあげてもいいよ!」


 聖女レインはオスカーが食いついたの思ったのか、かつてないほどに饒舌に話し始める。

 前の世界の話。

 この世界のすべての結末を知っていること。

 物語で綴られたキャラクターの苦悩の数々。

 特にこの場にいるラッフィーナの婚約者はありもしない自分と彼女の虚像が語られて、さぞ気持ち悪い思いをしたことだろう。


 ただ唯一──両陛下だけは語られるものが増えるほど、どんどんと顔色が悪くなった。


「それにラッフィーナはいつも小さいいじめばっかりで、正直言ってしょぼかったし──!」

「ああ、もう結構ですよ」


 シャンデリアの明かりが不自然に揺らめく。

 ばつん。

 音にしたら、そんな感じだろうか。

 オスカーが無造作に振った人差し指から、聖女レインへ青い稲妻が走る。


「──っ? ──!!」


 かす、ひゅーっ。

 彼女からはもう、息を吸って吐く音しか聞こえなくなった。

 当の聖女レインはというと、なぜ? と縋るような視線をオスカーに向け、少しずつ、ずるずると足を失った身体でこちらへ這ってきている。


「安心してください。

 あなたの腕では不可能でしょうが、どこぞの神官なら治せるはずです」


 まるで、心当たりがあるような。

 そんな口ぶりでオスカーは冷ややかに彼女を一瞥し、更に奥の方へ視線を動かす。


「それにしても──これは一体どういうことです? 人の王よ」


 ホールより少し高く作られている王の直系たちが座るための、一際目立つ席。

 両陛下と、ラッフィーナ。

 前者はなにか思うところがあるらしく、ぐっと苦虫を噛み潰したかの表情を浮かべてまっすぐにこちらを見ていた。


「ッ申し訳ない……。しかし私どもも、どこから情報が漏れたのかはッ」

「ええ、構いません。人の情報管理能力のなさは重々承知していますから」


 朗々と、まるで些事とでも言うように彼は続ける。


「……それにしても王家の落胤ですか。ありましたね、そんな話も。

 確か有事の際は次代のために王位を守るという条件と、子爵家の籍を交換という契約でしたが──」


 オスカーの黒の礼服が翻り、どこからともなくホール内に風が吹く。

 彼は心底面倒そうにため息をついた。


「今ここで国に混乱を招くのも、一興でしょうか」

「そ、それは──!」


 ぼう、と手のひらに現れた黒い炎。

 近づかなくてもわかる熱。

 怒りとはまた違う、ただ冷徹な感情。

 感じたことのない魔力の塊がそのまま圧縮されたかのような閉塞感が場を満たす。

 壁に飾られている花が枯れて散り、世界が急速に色褪せていくような感覚に襲われた。


 ──私は、この演出を知っている。

 無機質な黒を基調とした大広間に、ぽつんと、王が足を組んで座っている。

 その紫の瞳はとても退屈そうに細められ、時折なにかに思いを馳せるように、彼は遠くを見つめていた。


 頭が、割れるように痛い。


「止めてくれッ!その怒りが静まるのであれば、私の首でもなんでも差し上げると誓おう。だから──!」


 がんがんと頭の中からなにかが這い上がってくる。

 そのなにかが、目を、耳を、鼻の奥を力任せに叩く。


「魔族の王よ、どうかッ……どうかこの通りだ!」


 がらん、からん……。

 うっすら目を開く。

 王冠が落ちた。

 ここにいる全員が息を呑んだ。

 十数年前に魔族との盟約を交わしたことで国境を攻められることが減り、それ故生きる賢王と呼ばれている王が。

 我らが仕えるべき国の王が。

 脂汗を浮かべ、拳を固く握りしめながら、頭を下げている。


 誰もが固唾をのみ、オスカーの一挙手一投足に注視した。


 しかし、オスカーはなんの色もこもっていない視線を王へぶつけた後、くるりと踵を返して私の方へ戻って来る。

 まだ黒い炎は消えず、熱はどんどんと迫ってくる。


「え、えっ」


 左右を確認するけれど、あるのは壁と枯れた花だけ。


 逃げ場のない焦燥感が私を蝕んでいく。

 チリチリと焼けるように、頭に火花が散り続ける。

 もう、立っているのもやっとだ。


 私はまだ、なにかを忘れているのか。


「──さぁ、カトレア」


 熱い。

 怖い。

 でも、彼の表情は酷く切なくて。

 すぐにでも駆け寄って抱きしめたいのに、身体が言うことを聞かない。


「あなたのためなら、私はなんでもしましょう。

 どんな願いでも叶えましょう。

 だから、どうか。これだけは約束してください」


 彼は跪く。

 黒いなにかが、私の手のひらを蠢いた。

 しかしそれは不快感を伴うものではなく、どこか懐かしくて、あたたかくて。


「私を、忘れないで」


 その瞬間、ぱっと弾けるように過去の記憶が、情報が身体を穿った。


 私が、カトレアと混じる前。

 あの日夢に見た小さい頃の出来事。

 屋敷の裏で見たあの生き物は、知性を持ち、私がひとりぼっちにしていることを案じ、話していた。

 彼と同じ雰囲気と、声色で。

 あの黒いヘビと、オスカーの声が、重なる。


「……その顔は、やっと思い出しましたか?」


 彼の手が頬を撫でる。

 カトレアになってから流さないと決めていた涙がとめどなく溢れて、拭われても拭われても、止まらない。


「え、なんでっ、私……」

「泣き虫なのは昔から変わりませんね。でも、カトレアには一番が笑顔がよく似合います」


 優しい匂いがした。

 そっと抱き寄せられた後、ふわりと空気を裂くような感覚に襲われる。

 足が地面から離れた。

 しかしただ地面から離れたという訳ではない気がして、ぎゅっと目を瞑ってから、ぱっと周囲を見渡した。

 ──高い。シャンデリアがもう、目の前にある。

 ひっ、と声が出て無意識に彼の身体を縋ってしまう。

 ラッフィーナや他の貴族たちの顔がよく見えた。

 私は今、空を飛んでいる。浮遊している。


「こうすれば、誰にも邪魔されないでしょう?」


 そう言う彼は憎たらしいくらい妖艶に微笑んでいて、その不意打ちに顔が赤くなってしまった。


「全部……騙していたのですか」

「今まで一度だって、カトレアに嘘はついてませんよ」

「ずるいですよ、それ。言っていないの間違いでしょう?」


 ふい、と顔を逸らす。

 そんなかすかな抵抗をしているときでも、身体は上に上に上昇していく。

 遂には舞踏会場のガラスの天井を突き抜けて外へ出た。

 きらきらと星の輝きを反射してガラスが周囲を舞っている。

 城下の夜景と相まって、なんて幻想的な光景だろうと見惚れてしまった。


「人というのはずるくて、それ故愛しいのですよ」


 とオスカーが言ったのは、少し経ってからのことだった。


「私があなたを見つけたとき、直接人の王に交渉したのです。

 『カトレアと同じように過ごして、共に生きたい』と。

 面倒事を押し付けられはしましたが、最終的にはどうにか、婚約を認めてもらったのですよ」

「……オスカー様であれば、力ずくで人でもなんでも従えられたのでは?」


 私が思っていたことを口に出したら、ぷっと声を立てて笑われてしまった。

 しかし、そう思ってしまうのも仕方ないだろう。

 本来魔王というのは、力をもってすべてを喰らい尽くす、飢えた種族の王なのだから。

 私が前世で聖女(プレイヤー)を通して見た魔王は、怖い、強い、おどろおどろしいといった印象が強かった。


「私は生まれた地以外で生活する時は、そこのルールを尊重したいと思っています。

 どんな種族であっても、一から文明を築き上げ、人々が笑い合える場所を作り、繁栄へと導いてきた――その歩みは、等しく尊いものですから。

 郷に入れば郷に従え、ですね。後は……」


 雲に手が届きそうな、そんな高度まで来てやっと上昇は終わった。

 月に照らされているオスカーの横顔は、魔王ではなく、ひとりの人としての色が濃く見えた。


「周りに受け入れてもらえた――

 それはつまり、カトレアのそばにいることが認められたということでしょう?

 確かにあの時の私は浮かれていて、嬉しかったのを覚えています」


 その言葉には色々なものが混じっていた。


 普通の人として出会えていれば。

 ゲームのキャラクターとしてではなく、例えば前世で。

 自らの人生の中で言葉を交わしあえていたら。

 しかしその言葉はぐっと飲み込んだ。

 もしもの世界は、存在しないからだ。


「……私も。

 理由と過程がどうであれ、オスカー様にここまでしていただけて嬉しいです。

 正直、どう返せばいいかわからないくらい、私も浮かれています」


 ふっと笑う。

 なんだかもうここまで手を回されては、受け入れない方が不躾ではないだろうか。

 確かにやり方は不器用だと思う。

 手っ取り早くあの黒い炎を使って人間を従えればいいのに。

 遠回りをして、自ら魔王として人の王と盟約を取り付けて、順当に欲しいものを手に入れた。


「カトレアも、ですか?」

「はい。私が私でなくなっても、きっとまたオスカー様を好きになる。

 そう思えるくらい……私は、オスカー様をお慕いしています」

「……カトレアっ!」


 ぎゅっと、オスカーのあたたかさが私を包んだ。

 下のほうには薄い雲がかかり、まるで私たちを世界からそっと隔てているようだった。

 気づけば、この広い空に存在するのは私たち二人だけだと錯覚してしまうほどで。

 頭上ではしゃらしゃらと星が流れていて、夜空は澄みきった闇をたたえ、こぼれ落ちる光だけが世界をそっと洗い流していく。


「嬉しいです。もう、言葉に出来ないくらい」


 彼の熱っぽい瞳が私を穿つ。

 吐息が耳にかかってこそばゆい。


「ふふ。そういう言葉にできないものを、愛と呼ぶのかもしれませんね」


 それから私は、内側から蕩かされるようなキスを享受した。

 脳が甘く痺れて、きっと毒で殺されるならこんな感じなのだと。

 そんなことを思考の隅に置いて、一生続くであろうこの幸福に溺れた。




 ◆




 あれから、多くの時間を過ごした。


 まず、人里離れた森の中に、茶色の屋根の家を買った。


 あの一件で、もう貴族として生きるのがしんどくなって。


 しかし両親は今までの負い目もあったからか、駆け落ちではなく、貴族籍を抜けても交流を持ちたいと提案してくれた。


 最初はなにか裏があるのではと思ったが、腐っても生みの親だ。


 信じてみると心が軽くなったので、案外過去を受け入れることもいいことなのだなと思った。


 平民として生きることとなって、周囲の友人はとても心配してくれた。


 しかし前世でのバイトの経験が活きて、働くことには困らなかった。


 長い人生の中で子宝にも恵まれた。


 私たちの色を受け継いだ、かわいい子たち。


 成人してからは、街に降りて働いたり森の中で狩りをして生活していると聞いている。


 今までたくさん愛を伝えてきた。


 立派に育った子どもたち。


 そして、私も、オスカーも老いていく。



「ごめんなさい……。置いていってしまうことになるわね。

 寂しくは、ない?」


「大丈夫、私にも迎えが来るはずだ。すぐに後から追いかけるよ」



 最期の瞬間にも、最愛の人に手を握ってもらえるとはなんて幸せなことなのだろう。


 私はもうすぐこの世から消えてしまう。


 気がかりがあるとすれば、オスカーと子どもたちのこと。


 目の前には愛した家族が目に涙をいっぱいにためて、横たわる私を見ている。


 もっと一緒にいたかったな。


 でも、前に早死して恋も仕事もできなかった人生より、とっても充実した一生だった。


 願わくば、また会えますように。


 そう思いながら、抗えないほどの強い眠気に身を委ねた。








いつも応援コメント、評価、リアクションありがとうございます!


寄せていただいたご意見には、同じ温度で、できる限り早く返信をさせていただいております。


ぜひ面白ければ★★★★★、退屈だったら★☆☆☆☆をお願いします。


ここまで読んでくださったみなさんに感謝!!




⬇️この物語のアフターストーリはこちら⬇️

 【最愛の妻についた、たったひとつの嘘】

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― 新着の感想 ―
そう言えば、 「魔王も居ないのし、特に用も無いのに聖女をわざわざ召喚した」人達ってなにか責任を取ったんでしょうか? 「魔王が暴れているから聖女を召喚する必要がある」という前提で考えると、 「魔王が居な…
あんまりな聖女にちょっとびっくりしましたが。 神殿や王家からのお咎めというか、注意もなかったと。 クラスメイトはしっかりしていて、孤立するわけではなかったのはほっとしました。 保健室の先生って何者なの…
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