第一話 ちょっと臭いから良き風呂を
人類が技術革新の末にヒトが住める人工衛星を空に飛ばし始めて数百年。私はそんな衛星の中で生まれ育ち、宇宙での暮らししか知らない。でも、それも悪くない。ここには多種多様な人間がいて、多種多様な食にありつけるからだ。
衛星飯。今日も私は、飯を食らう。
PCを閉じる。充電コードを抜く。19時を少し回り、外はもう暗い。黒いキャップに灰色のウィンドブレーカーを羽織って、部屋を出て外に向かう。今日は金曜日、長い長い夜だ。
最寄駅まで歩いて10分。そこから電車を乗り継いで20分ほどのところにあるミユキダマリ駅へ向かう。
電車を降り、改札を出て、3番出口から駅を出る。目の前の交差点を渡って大通りを横切ると、右手にあるコンビニを左折。狭い路地を5分ほど歩いていくと、目的地が姿を現す。
まばらな街灯は役に立たず、代わりに看板がギラギラと道を照らす。デコボコの地面にはポイ捨てされたゴミが撒かれ、脇を固める建造物は建て増しに建て増しを重ねた末、それぞれが寄り掛かり、大量の電線でグルグル巻きにされている。人の往来は忙しなく、キメた格好の人間は1人もいやしない。
ここは難民街。この衛星内でも3大難民街の1つ、ダイコクエリアだ。色んな戦争で色んな地域から、住む場所を失った人間が流れ着いた場所だ。
この衛星では性風俗業を始めとした「夜のお店」は基本的に禁止されているが、難民街は警察の監視が行き届いておらず、そういう店が溢れている。目抜き通りのフクロク筋はそういった店が特に集積しており、金曜の夜は一発かまそうという客が店頭の人見世から手招きする嬢を見漁っている。ただ、私の目当てはそこではない。
フクロク筋から2ブロック離れたところにあるテンナンセイ筋。自動車がギリギリすれ違えるほどの幅の通りには、とんでもない数の屋台が軒を連ねている。毎晩毎晩開催される「夜市」では宇宙の隅々からやってきた難民がそれぞれの出身地の料理を販売しており、私はこれを楽しみに毎週のようにダイコクへ足を運んでいる。
テンナンセイ筋を歩く。とにかく色々な匂いが混ざる中で、何語なのか分からない言葉で客を誘う店員たち。年齢も多種多様で、母に連れられたようなちびっ子も手を振って客を呼ぶ。両側に広がった屋台と食事用の机と椅子、そしてごった返す人の波で殆どなくなった隙間を縫うように、ノーヘルのおじさんが全速力で原付を走らせている。
私はそんな人の流れに上手く乗りつつ、両側に広がる屋台料理を物色する。毎週のようにやって来ているのに、いつも新しい発見がある。多分どの店も公的な許可なんか得ていないだろうし、使っている材料だって安全性は全く担保されていないだろうけど、でもそこにある「ライブ感」を楽しみたくて、足繁く通ってしまっている。
そして今日「も」、見つけてしまった。
「Nasi Goreng Pattaya」。
看板に書かれた文字の右側には、オムライスのようなものが描かれている。この夜市でオムライスの屋台なんて初めて見た私は、物珍しさを少しばかり感じて、吸い寄せられてしまった。
価格は8ティル。大卒1年目の平均月収が8500ティルほどと言われる中、破格の安さだ。電子決済が市中隅々まで浸透している中、この夜市も屋台一軒一軒で電子決済が可能となっている。QRコードを使用して8ティルを支払い終えると、30代と思しき男性の店員が調理を開始する。
カウンターの向こうには大きな鉄フライパン、まずは油を注ぐ。続いて大きなおたまで無造作に潰されたニンニクっぽい何かをフライパンへ投げ込み、細かく刻まれた野菜を入れていく。やや多すぎる油に入りジューッと音を立てる具材は揚げ焼きのような形となると、程なくしておたま一杯分の米を入れて炒めていく。
ボトルに入れられた調味料を注いでいく。茶色い液体を2種類、赤い液体を1種類入れる。途端に漂う独特な臭い、生魚が入っていたパックを1日置いておいたような臭いだ。続いて白い粉末を2種類。味が整った焼きめしをおたまに入れ、プラスチックの皿に盛る。
空になったフライパンに再び油を注ぐと、今度は鶏卵を2つ取り出しておたまに割り入れる。長箸で軽くかき混ぜ、フライパンに注ぎ込む。フライパンを回して卵液を薄く広げると、火が通って薄皮になった玉子焼きの上に先程の焼きめしを乗せ、おたまを使って器用に包み込む。
フライパンに皿を逆さの状態で乗せ、ひっくり返す。焼きめしを薄い玉子焼きで包んだ料理、中の具材が赤いチキンライスではなく茶色い焼きめしになっているという違いはあるが、やはりオムライスのような形状だ。
店員が赤い液体を注ぐ。ケチャップというにはややサラサラしているようだが、線状に被せられた赤い液体はこのオムライス状の何かをよりオムライスっぽくしている。
皿に野菜を盛る。恐らくあれはキュウリだろう、皮を少しばかり剥いて飾りに仕立てている。最後にプラスチックのスプーンを乗せ、店員が私に渡してくれる。手のひらを目一杯広げたくらいのサイズの皿にパンパンに盛り付けられた料理は、片手で持つにはやや重すぎるくらいだ。
「Nasi Goreng Pattaya」。今日の晩飯だ。
近くの椅子に腰掛ける。机が近くにないために膝を机代わりとし、いざ実食。玉子焼きと赤いソースと焼きめしを上手く同時にスプーンに乗せて口に運ぶと、まず広がったのは魚っぽい風味。そうか、これはナンプラーで味をつけているんだ。
加えてピリッとした辛さと柑橘系の酸っぱさ。玉子焼きの上にかけた赤い液体はチリソースだったようだ。鼻に抜ける香菜の独特な「植物臭さ」もこの料理では良いアクセントになっている。
総じて美味しい。何か暑い日の夜に食べたくなるような、まったりしていながらも爽やかさある不思議な感覚の料理だった。
10分もかからず完食。ゴミは各自持ち帰りが基本ルールとなっている夜市において私もまたそのルールに従い、持参したゴミ袋に皿とスプーンを入れる。口をきつく縛り、持ち手を右手の人差し指にかけ、席を立つ。
吐く息はまだ魚臭さと植物臭さが抜けず、舌もややピリリとする。ただ、喧騒の中で絶え間なく立ち上がる多種多様な臭いに比べれば、これもまた一興というものだろう。美味しかった、それだけで元は取っている。
ダイコクを出る。すぐそこにはミユキダマリ駅が見え、駅前のロータリーに置かれた大時計の時針は8と9の間を指し示している。まだまだ夜は長く、人の往来も激しい。
途端に自分の臭さがとんでもないサイズ感になり、私は焦りを覚える。夜市とは違って完全に整えられた世界では、この臭いは異質でしかない。アスファルトで綺麗に舗装された道路にデコボコは見当たらず、先ほどまでの景色が嘘のようだ。
別にそれが嫌だとは思わない。そうやって生きてきたし、この世界でも自分の居場所を見つけられている。難民街に足を踏み入れるのも、立場の差を利用したスラムツーリズムだ。
駅の改札を抜ける。立ち止まる用もない。
まだ入浴剤が残っているはずだ、早く帰ってゆっくり浸ろう。