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ナインゴッド  作者: 上下左右凹凸
第1章 七葉入学編
1/2

第1話 9人目①

 その日は、夜になっても嫌な暑さが残る夏日だった。


【10年前】

『緊急“(ゲート)”警報!!緊急“門”警報!!”門“発生!”門“発生!警戒レベル、5!!敵性体、最大レート、SSS(トリプル)!!』


 未曾有の大災害が起きた。

 雷の化身。

 鎌倉の夜空、突如として開いた35もの()()()

 その中でも一際大きい穴から降り立ったそれは、ものの数秒で街を雷で埋め尽くした。

 ゆうに全長100メートルを超えるその巨体は次いで横浜、相模原、八王子を稲妻を伴って渡り歩き、壊滅的な被害をもたらした。

 その足は一歩踏み出すごとに高電圧の電流が流れ地面が爆発する。

 その息は常にプラズマを纏い、電磁波が周辺の機器を狂わせる。

 柔らかく、硬く、特殊な金属質な皮膚は地球上の物質では貫くことすらできない。

 山のような巨体を持つ、竜のような姿は神々しさすらある。


『緊急警報!!緊急警報!!個体名ナルカミが八王子市に到達!市民の皆様は直ちに避難してください!!また、死神、全能神による飽和攻撃が開始されます!直ちに離れてください!!』

 

 防災無線の音声が倒れ込んでいる少女の耳に届く。

 しかし少女はぴくりとも動かない。

 限界を迎えた体は1ミリたりとも動くことはなく、仰向けに寝転んでいるだけだ。

 (よわい)は5歳程度だろうか、少女の周りでは燃え盛る瓦礫の山と()()()()()()()()()()が囲んでいる。

 その絹のように白い顔には軽い火傷が痛ましげに赤く腫れ、服は焦げくさくなっている。

 左膝は骨折しており、誰かに支えられて立つこともできないだろう。

 幸い、致命傷はなさそうだが、このまま放っておけば衰弱してしまうのは目に見えている。

 生気を失いつつある少女の目に映る景色、遥か先には大きな一対の角を携えた巨獣とその取り巻き。

 そしてそれらに対抗する術師達。

 この少女は施設暮らしである。

 魔獣が接近してくるために施設の住人達と避難場所に向かっていたが、逸れてしまった。

 逃げ惑う人々、何百もの人々が右往左往する様子がその瞳に映る中、目の前に転倒する老婆が一人。

 反射的に体が動いた。

 人混みを掻き分け、老婆の手を取る。


(早く安全なところに連れて行かなきゃ)


 手を引いて走り出そうとしたその時、錯綜する無数の光の柱が辺り一帯に突き刺さろうとしていた。

 衝撃が走る、熱が駆ける、爆風が辺り一帯を押し流す。

 目が覚めた時には少女の体は地面に転がっており、体のあちこちが痛みを訴えていた。

 少女に残された体力は殆どない。

 その体は気怠く、重く、動かせない。

 最近目覚めたばかりの術式に魔力すら、回す気力もない。

 あの(いかづち)の中、こうして生き延びれたことだけでも奇跡だろう。

 多分、稲妻が炸裂する直前に少女に何かが覆い被さったことだけは覚えている。

 …………右手には皺だらけの片腕だけが力無く握り返されている。

 きっとそういうことなのだろうと、言葉で飲み込む前に瞬時に理解する。

 ついさっきまで一緒に逃げていた沢山の人はどうなったのだろうか。

 もうみんな逃げて行ったのか、それとも、私だけが生き残ってしまったのか。

 気づけば少女の目からは大粒の涙がとめど無く溢れていた。

 苦痛や寂しさから来るものでは無く、ただただ自らの非力を嘆いて。

 昔からそうだった。

 助けを求める誰かを、沢山の人を守らねばならんと常々思っていた。

 そのきっかけが何だったのかは覚えていない。

 気づいた時にはそうしなければならないと、少女は理解していた。

 少女は声も音もなく泣いているがすぐにその涙は止まることとなる。


『バキ!バキバキバキ!メキョメキョメキョ!!』


 空間にヒビが入り、広がっていく。

 やがてヒビは闇が広がる穴となり、この世界と異界をつなぐ橋渡しとなる。

 黒い穴は完全に開き切り、それは勢いよく穴から飛び出した。

 それは何周か周囲を旋回したかと思うとズシンッと音を立て、少女の目の前に着地する。


「ガァ"!ガァ"!ア"ハハハハ!!」


 カラスのような容貌だが体高は2メートルを優に超えるだろう。

 その瞳は充血し切って大きく赤くなり、(くちばし)は通常の鳥類のそれとは違い、剥き出しの歯茎の肉からなっている。

 嘴から生えている歯並びの悪いすきっ歯がカチカチと音を立て、獲物を見つけた喜びを唄っているかのようだ。


「あ……」

 

 少女は指一本も動かせない。

 無抵抗な少女にカラスは容赦なくその歯を突き立てようとする。

 

(……シスターやみんなは逃げられたかな?こくちゃんは、無事かな)


 少女の体は動かない。

 その代わりに静かに目を瞑る。

 その時だ。

 何かが勢いよく、風を巻き込みながら迫ってきたのは。


「はい、そこまでだよキモイの」


 少女の白い髪が風に巻かれ、声が少女の体を乗り越える。

 ガキィン!

 目の前で、何かが何かを受け止める音がした。

 目をパチリと開けると、一人の女がカラスの歯を真紅の槍で受け止めている。

 女の隊服、その背には『ISU』のアルファベットがバサバサとはためいている。


「無事かな?可愛いお嬢ちゃん」


 聞かれてコクコクと頷く少女。

 それを見てニッと微笑み、女は槍で上手くカラスの体勢を崩す。


「アルゴーン」


 女がそう口にすると槍から溢れんばかりの白い炎が噴き出す。

 噴出した熱気は風の刃となって、周囲の瓦礫に灯る炎すら巻き込み槍に注ぎ足していく。

 身の危険を感じたカラスが女に襲いかかるがもう遅い。

 女は風を巧みに操り炎を手繰り寄せ、カラスの喉元へ一気に放出する。

 

「ア"ぁ"…ァ"……」


 胴から離れたカラスの首はボトリと落ちる。

 女はすかさず、君の悪い笑い声を上げなくなったカラスの死骸を刻んで燃やし尽くしてしまった。


「……さぁてさて」


 槍を肩に担いだ女は少女に歩み寄る。

 出来るだけ不安にさせないよう、しゃがんで目線を合わせ、努めて笑顔で。


「歩けそうかな?お嬢ちゃん?」


 遠く。

 遠い場所で轟音が鳴り響く。

 死の力と法の力。

 二つの力を持って雷の化身を打ち砕かんとする音が。

 だが少なくともただ一人。

 その音が少女の耳に届くことはなかった。

 その理由はあまりにも明白だ。


「…か」


「ん?」


「かっこいい……」


 目の前の術師の戦う姿に、誰かを守ろうとするその姿に。

 どうしようもなく強く、心を惹かれてしまったから。

 やっと、自分の命の使い方を理解した気がしたから。


【現在】


 とある中学校、五時間目の終わりの合図が鳴り響く。

 週番の号令によって皆思い思いの方向に散っていく。

 次の授業の準備をする人。

 友達と話している人。

 日来(にちらい) 弥果(みか)は後者の人間である。


「確か次の授業って魔導史……だっけ?」


「そうだよー。……まさか忘れてきてないよね?宇宙(そら)?」


 魔導暦307年度と書かれた日誌の1ページに、今日の日付と天気を記録しながら、弥果は親友に問いかける。

 今週のもう一人の週番である弥果が今日は日誌を担当することになっていた。


「ちゃんと持ってきたよ!昨日あんだけチェックしたんだから!」


「でも魔道史の教材に気を取られて数学の道具忘れてちゃあね」


「う……」

 

 宇宙はこれは困った、反論できないとばかりに頭を抱えている。


「ほんと宇宙は色々忘れっぽいからね。この間も遊びに出かけた時、時間忘れて遅刻したり、財布家に置いてきたり」


「面目ない。お昼飯(ひるめし)美味(うま)かったでごわす、ごちになりやした」


「いや、ごちにはさせないよ?ちゃんと返して」


「ふぅん……(泣)うぃ……」


「…その言い方、また何かに影響されたでしょ。何見てたの?」


「月9のドラマでござりんす。おもろいで?」


 わいわいと声が溢れ、教室は活気に満ちている。

 そんな彼らの頭上、スピーカーから次の授業まで3分前を告げる予鈴が流れる。


「あ、やば…!弥果!またね!」


 宇宙がそう言って自分の席に戻る。

 次の授業を受け持つ教師が教室に入ってきた。


「座れー。そろそろ授業始めるぞー」


 クラスの担任であり、歴史を受け持つ谷川(たにかわ)先生だ。

 彼の合図をきっかけに号令がかかる。


「今日から歴史は魔導史の授業もやっていく。今日に至るまで、魔導歴がどう形成されてきたか見て行くぞ。じゃあ教科書の5ページ開いてー」

 

 生徒達が教科書を開いていくのを確認して、谷川が教科書を読んでいく。


「えー西暦2030年。みんなが知るように突如として魔界から、第一世代魔王が侵攻してきた。この大侵攻によって当時の日本、ロシア、中国含めた62カ国が滅ぼされ、軍人、民間人含めた約11億9000万人が2日間に殺害されたとされている。この事態を受けて始祖神八代目継承者は単独での撃退は不可能と判断。そこで自らの命を()して魂を九つに分割、練り合わせ、九人の人間に付与した。神と人、神界と人界。二つの世界が密接となることで紀元前以降、2度目の神代(しんだい)が訪れる。2度目の神代をもたらしたことで人類の戦力そのものを底上げしたんだ。現在ではここから魔導暦が始まったとされているな。更に……」


 3年に上がってからというもの、弥果はこの授業をとても楽しみにしていた。

 彼女には夢がある。

 あの時、おぶってもらった恩人(ヒーロー)のような、術師になりたい。

 あの大きな背中で頼られるような、立派な術師に。

 故に彼女は術師に関すること、とりわけ術師になるための養成機関、八専(はっせん)に合格するために必要とすることを誰よりも貪欲に吸収しようと努力していた。

 大量の調べ物を漁っていたためか、特に魔導史の座学が一番楽しく、得意であった。


『キーン、コーン、カーン、コーン』


 一時の楽しかった授業はたった50分ほどで終わってしまった。

 今日はいつもより長めになる、帰りのホームルームが始まる。


「皆、今朝配った進路選択の用紙はあるか~?書いてない奴は時間やるから今書いて、各々教卓の上に出してこい」


「やっべ、書くの忘れてた。先生~、俺あんま決まりきってないんだけど何て書けばいいかな」


「じゃあ今のところ気になる進学先とか仕事書け~。教師(おれ)が言うのもなんだがふわっとしたものでもいい。ただ出してもらった用紙は三者面談の時に使うからそのつもりでな、岡野」


「はいよー」


 教卓の上に生徒達は各々用紙を提出していく。

 真面目に書いたものもあれば今思いつくままに書いたものまで。


(割とみんな真面目に考えてるな、2、3人はふざけて出すもんだと思ってたが。岡野も書きかけだけど、案外中身はしっかりしてる。中3ってのはいいね、エネルギッシュで。…問題は奴か)


 谷川が物思いに耽っているとコンコンと扉が鳴る。


「どうぞ」


 教室に入ってきたのは今年赴任したばかりの若い女性教諭だった。


「失礼します。谷川先生、例の教材が届きましたが」


「あーあれですか、今向かいます。早めに生徒に配布したいですし。」


「手伝います、先生。俺終わったんで」


「助かるよ黒尽。まだ出してない人はできればこの時間中に出すようにね。あ、そうそう。席から離れて周りと相談してもいいからね」


 そう言うと谷川は男子生徒を連れて職員室に向かっていった。

 途端に教室の活気が盛んになる。


「弥ー果っ!でけたー?」


「んーもうちょい。宇宙はできたの?」


「うむ、ばっちし!もう出したー!」


「宇宙は理学療法士になりたいんだよね」


「うん、進学先もそれに沿うようにした!あ、ねね、安坂(あさか)さんはどこ行くつもりなの?」


 宇宙は弥果の隣の席の女子に声をかける。


「んー、ちょっと迷ってる。絞り切れてなくて。一応これで提出するけど。弥果ちゃんは?」


「んっとね、私は志望校は絞ってるから、第二と第三にどのコースを書こうか迷ってる感じかな」


「弥果ちゃんは七葉(なのは)だっけ?凄いよね、日本八専受けるなんて」


「小さい頃から術師になりたかったから、絶対受けたいとは思ってたし。……問題はその第一が合格できるかだけど」


「弥果ちゃんなら出来るよ、私たち弥果ちゃんが頑張ってること知ってるし!頑張って!」


「私も弥果が毎日頑張ってること知ってるよ!魔力操作の練習ならいつでも言いな!手伝うからね!」


「私も手伝うよ!」


「うん、ありがとう」


 その時だ。


「いーや、弥果には無理だろ(笑)」


 少女に心無い言葉が突き刺さったのは。 


「…なに戸崎、無理ってなに?あんたに弥果ちゃんの何が分かるの?」


 安坂がピリつき、キッと睨む。

 戸崎は度々問題行動を起こしている。

 生徒に挑発をかけ、衝突することもしばしば。

 そのためにクラスどころか学校中から嫌われている。


「はー?分かるも何もそいつは魔力操作が全くできねぇじゃねぇかよ」


 笑いながらそう言うと戸崎は魔力を回路に流し込み、術式を発動する。

 その掌は白い骨のような物質でガチガチと音を立てて覆われていく。


「そいつがこの程度の操作さえ出来ないの知ってるだろ、ただでさえ暴発する癖によ~」


 ケラケラと笑いながら挑発を仕掛ける。

 それに何も言えないでいる弥果をチラっとみると彼女の志望調査用紙を奪いとった。


「!何するの!」


 弥果が取り返そうと立ち上がるが戸崎はひょいと離れながら用紙を読み上げる。


「えーと、第一が七葉の魔導科、第二が七葉の普通科、第三が七葉の技師(ぎし)科ぁ?全部七葉かよ、キモチワル(笑)よくこんなの書けんね~。なぁ皆様方!こいつが術師になれると思うかえ?七葉に入学できると思う?思うわけねぇよなぁ!」


 戸崎は相手の嫌がることを逆撫でするのが得意だ。

 戸崎の言葉に周囲がざわつく。

 その反応は様々だ。


「そりゃ戸崎の言う通りではあると思うけど」「でもさ、日来、普通に努力家だし戸崎より全然応援したくなるよな。合格も絶対できないってわけではないと思うし」「でもよ、合格の可能性は限りなく低いと思うぜ?」「まぁ、それは分かるけど…入試までに黒尽みたいに魔力のコントロールしっかりしてればいけると思うけど」「弥果、普通にいいやつだし嫌いではないけどさ。正直私は厳しいと思う…」


 弥果はそれらの言葉に何も返せない。

 声を出そうとしても口内の空気の塊が口をつぐんでしまう。

 魔力のコントロールが最大の課題であることは彼女が一番理解している。


「あんたこそその性根でよく巫覡(ふげき)を志望校に書けるよね!あんたみたいなのが術師になれるなんて余計にあるわけないでしょ!!」


「はー?こんなのと同列に語んなよ。同情して可哀想だからってみっともねぇぞ、オトモダチ~ん」


 宇宙と戸崎の衝突がヒートアップしそうになる。


「やめて、宇宙」


「でも弥果……!」


「これは私の問題だから」


「……!っ……」


 親友(弥果)にそう微笑まれたら何も言えなくなってしまう。

 宇宙を説得した弥果は転じてキッと戸崎に向き直る。


「…なんその目」


「…私は諦めないよ」


「あ?」


「貴方になにを言われても関係ない!私はなるんだ!!あの人みたいな術師に!」


「……調子乗ってんじゃねぇっちゅーの。大体な、目障りなんだよテメーみてぇなやつは!」


 そう言って戸崎は覆われた骨で硬化させた拳でもって弥果に殴りかかる。

 だがその拳はすんでの所で()()()()()()()()()()()()()()()()()()に止められた。


「岡野く、ん」


「大丈夫かー?お前ら」


 岡野が術式を発動させ、戸崎の拳を相殺する。

 邪魔をされた戸崎は明らかに苛立ち、青筋を立てている。


「ん……無事だけど、岡野も無事?」


「おー平気だ。宇宙も大丈夫だな?」


 クラスメイトの無事を確認し、鉄のように硬く、熱く熱された腕で戸崎を振り払う。

 少しだけ距離をとると岡野は戸崎に向き直り、語気に怒りを混ぜて戸崎に対抗する。


「…ほんと黙って聞いてりゃさっきから不快なことばっか言いやがって」


 岡野は普段こそお調子者だが、クラスの仲裁役としてとても頼りになる存在だ。

 特に戸崎とは何度も衝突しており、いつの間にか全校生徒から戸崎を止める役という認識になっている。


「あ?」


 邪魔をされたせいか、戸崎はあからさまにイラついている。


「テメェみてえなカスが術師になれるわけねぇだろ。人に物言う前に鏡見ろ」


「あーん?優等生ぶんな馬鹿坊主。まさかてめ、こいつがまともな術師になれると思ってんのかよ」


「少なくとも性根腐ったテメェよりかはな」


「かーっ、言うねぇハゲ坊主。もしかしてこいつに惚れてる(ほの字)なのけ?一年切ってんだよ、今更間に合うわけねぇだろが」


「まだ4月だろ、それまでに間に合わせればいいだけだ。日来もそこは理解してるだろ。だからこそ覚悟して受験するんだろ?頑張ろうとしてる奴の足引っ張ろうとしてるお前がみっともねぇだろ」

 

「ほんとめんどくせぇなテメェ。できやしねぇ奴をわざわざ庇いやがって。カッコつけたがりの偽善者が」


「お前よりかはマシだろ?」


「…テメェと話すとガチのマジでイライラしまちゅな。ここでやるか?」


「おぉいいぜ、その口聞けなくしてやる」


 その言葉の空気が鼓膜に響くと戸崎は更に血が頭に昇る。

 その直後だった、二人の炉心が稼働し、魔力が精製されていく。

 そのエネルギーは全身の回路を伝い、内核(ないかく)に集まり、渦巻き、高まっていく。

 

「『骨牙鋲鎧(こつがびょうがい)』」


 戸崎の上半身が白骨(はっこつ)に覆われていく。

 バキバキと音を立てるリン酸カルシウムの集合体。 それは殴りを最大限高めるのに適した(がいこっかく)としてその形を形成していく。


「『赫銑拍動(かくせんはくどう)』」

 

 対して岡野は右腕を更に熱く、硬くしていく。

 更に心臓(ポンプ)から排出される血液は勢いと温度を上げていき、全身の身体機能を活性化させていく。


「何してるの二人とも!」


 空気中のエネルギーの渦の流れが激化していく空間を宇宙が諌めようとする。

 だがその声はエネルギーの渦に飲まれ、かき消されるだけ。


「宇宙、下がれ」


岡野(おまえ)本気のガチもガチ(マジ)で殴りゅ♡」


「おい何してんだお前ら!やけに騒がしいと思ったら!」


 隣のクラスの担任の教師が怒声を発する。


「二人とも術式の発動を今すぐ止めろ!何があった!」


「そう言って止めるわけねぇだろがい!」


「…ふっ!!」


 戸崎の白く固まった拳と岡野の熱された拳が衝突しそうになる。

 その時、弥果が急に二人に向かって駆け出した。


「弥果!」


 宇宙が止めようとするも弥果の体に腕は届かない。

 駆けながら右手を体の横に構え、そこに魔力の流れを集める。

 小規模であれば術式を暴走させず、意識を逸らすことぐらいはできるだろうと算段をつけ、術式を発動しようとする。

 だが、弥果が到達する前に二人の拳は突如として()()()分厚い壁に阻まれる。


「アイアンスパイク」


 白い拳と赤い拳。

 二つの拳は銀色の光沢を持つ一枚の壁に勢いよく打ちつけられ、『ガァン!』と派手な音が生じる。

 床から生えた銀の壁によって二人の喧嘩は阻止された。


「ありがとうな黒尽、先生じゃ二人の術式止められないからさ」


 教室の入り口に控えていた谷川が黒尽に礼を言う。

 床から生えた鉄の壁は谷川と一緒に戻ってきた男子生徒がその術式で生じさせた物だった。

 閃王(せんろう) 黒尽(こくじ)

 弥果と同じく、七葉を志望する術師を志す少年。


(こくちゃん……)


 そして彼は、弥果の幼馴染の1人だ。


「チッ、もう戻ってきたのか」


「先生!」


「悪いな岡野、戸崎の矛先がお前に向くようにしてたんだろ?ありがとうな。取り敢えず、後から詳しく聞かせてくれ」


「……うす。ごめん、先生」


「謝るな、どうせ戸崎が問題起こしてたんだろ?おい、戸崎。次はないって俺言ったよな?何をした」


「身の程知らずに物教えてただけだわい」


「あんたの方が身の程知らずでしょ」


 宇宙がすかさず反論する。


「黙れよテメェ。弥果なんかが術師になれるわけねぇだろ」


「……おい」


 宇宙と戸崎の喧嘩腰の言い合いは突如、少年の一言に遮られる。

 その場にいた全員の視線は例外なく、声の主である(黒尽)に向けられる。


「まだ言ってたのか?弥果」


 ゆっくりと歩き出す。

 その足は幼馴染の少女の方へ動いている。


「今まで何回も言ってきただろ。」


 一歩ずつ近づいていく。

 聞き分けの効かない子を(さと)すように話しかけている。


「お前の努力は知ってるよ。幼稚園からずっと一緒にいたからな。」


 少女の目の前でその足はぴたりと止まる。

 頭ひとつ分背が低い弥果の目を見ながら、黒尽は話す。


「何年も付き合ってきたな、魔力操作の訓練。そりゃ最初の頃よりは少しはマシにはなった。けどまだ制御しきれていないだろ。お前は極端すぎるんだよ。1か100の出力でしか術式を扱えない。それで味方だけでなく敵まで治癒して、尚且つ()()をまたされちゃたまらねぇよ」


「…ここ1年はそうなったことはないよ。確かにまだ範囲を絞るとかは難しいけど!この5、6年は無駄じゃなかったんだよ!後1年ぐらいあれば、私だって…!」


「無駄ではなかったが5、6年か。ほんとに完璧になるまで1年かかると思ってんのか?お前はそれを考えられないぐらい馬鹿じゃねぇだろ」


 痛いところを的確に突かれ、弥果は言葉が出なくなる。

 それでも、諦めたくはないという強い気持ちが顔に表れている。


「……お前がそこまで術師に拘るのはあの時、庇ってくれたばあちゃんへの責任を感じてるからか?それともあの時、周囲の人の中で一人だけ生き残った罪悪感か?」


「…そ、れは。私は、ただあの人みたいに。誰かを助けられる術師(ひと)に」


「……なら尚更無理だな。お前じゃ誰も救えない」


 俯く弥果の肩に優しく手を置く。

 ビクッと震える弥果に、優しく言葉をかける。


「お前は根本から向いてないんだよ、術師に。それでもまだ言うなら、俺がお前の分まで頑張るから。だからお願いだ。お前は術師になるべきじゃない」


 そう言うと、弥果の肩から手を離した。


「……っ……。……」


 何も言い返せなかった。

 ……そんな自分が、ひどく悔しくてしょうがない。


「…日来」


 谷川が弥果に声をかける。

 顔は俯いたまま。

 ただその声だけを拾い取ろうとする。


「教師としてなら、俺はお前を止めるべきなんだと思ってる。術師は常に死と隣り合わせだ。それでも人気職であるが故に世界中で年間50万は術師となる。が、その内5()()()3()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。才能があってもなくてもだ。今この世で最も危険な職の一つだろう。だからこそ本来はお前を、いや、黒尽や戸崎にしたって止めるべきなんだと思う」


 戸崎だけが「あ?」と反応するが弥果と黒尽は黙って谷川の言葉を聞いている。


「だけどな、()()()としてはお前たちを応援したい気持ちもあるのも事実だ」


 それを聞いて初めて弥果は顔を上げた。


「お前が、お前達が明日を生きる活力となるものは誰しもが取り上げることはできない。それで後悔のない人生を生き抜けられるのなら全力で目指しなさい。ほら行くぞ戸崎、いつも通り生徒指導室(反省部屋)だ」


「めんどくせー」


「おい待て」


 谷川に促され、教室を後にしようとする戸崎に黒尽が呼びかける。


「…あんだよ」


「……」

 

 振り返る戸崎に黒尽は歩み寄っていく。

 どんどん距離を詰めていき、終いには戸崎の胸ぐらを掴む。


「ぐっ!!」


「…今後弥果には手出すな」


「ぐ…がっ……!」


 握る力を強めていき、気道を狭め反論する隙さえ与えない。


「……っ!!!」


 咄嗟に戸崎は術式を発動させ、骨を突き出す。

 それは()()()()()()()()()、黒尽に届くことはなかったが自分を掴んでいる手を振り解くには充分だった。


「……!…ちっ……!」


 ズカズカと足音をたて、戸崎は教室を出ていく。


「…黒尽、今のはやりすぎだ。戸崎が始めたことだから大目には見るが、お前も術師を目指すなら力加減気をつけろ」


「…はい」


 こうして今日の帰りのホームルームは終わった。

 静まりはやがてざわついた波を空間に波及させ、皆の足を帰宅へと促す。


「弥果…」


「宇宙」


「ごめん、あんまり力になれなくて」


「ううん、気にしないで」


「…私は、応援してるから」


「…うん」


「……やめない、よね?」


 正直、悩んではいた。

 自分は術師になっていいのかと。

 入試まであと1年、いやもう1年も切っている。

 自分は、本当にそこまで高められるのだろうか。

 ……でも、心の奥底では種火が燻っている。


「……まだ、やめたくない」


 その種火はとても熱い。

 炎は立ってこそいないが、その温度だけはどんな火炎よりも熱く高まっている。


(まだ素直に、諦め切れるわけがないじゃん……っ!)


 こちとら10年近く、諦め悪くやってきたのだ。

 たった1年ぐらいで諦めてやるものか。


「宇宙、一緒に裏山来てくれる?」


「…!うん!いつものだね!」


「うん!お願い!」


 今の宇宙は、大事な親友への励ましの言葉は分からない。

 だからこそ、いつもの練習に付き合うのだ。

 親友がやりたいことをやるのが、彼女の望みでもあるのだから。

 宇宙と一緒に校庭まで行くとサッカー部が活動していた。

 その中には弥果達の幼馴染、立花(たちばな) 鉄重矢(てつや)の姿が見える。

 彼は宇宙と同じく、小学校の頃からの付き合いで昔は黒尽を含めた4人でよく集まっていた仲だ。


「あ、みっちゃん」


 弥果達に気づいた鉄重矢がボールから足を離して駆けてくる。


「てっちゃん。練習はいいの?」


「今は後輩に教えていた所。分からない動きがあったみたいでさ」


 「そうなんだ」と言いながら鉄重矢の後輩の方を見てみる。

 確かに一つの動きを繰り返し練習しているように見える。


「次の魔力操作のテスト、いつにする?日曜なら空いてるけど」


「うん、じゃあ日曜で」


「了解。これから練習?」


「そうだよ、さっき色々言われて悔しいしさ」


「あぁ…戸崎とこくちゃんに色々言われたんだったね。僕は伝え聞いただけだけど」


「あんさん、違うクラスだものな〜」


「宇宙も戸崎に食ってかかったんだって?友達のために色々言えるのが宇宙のいいとこだと思うけど、無茶はしないでよ?」


「はいはい、てっさんも怪我だけは気をつけてね〜」


「うん、ありがとう。頑張ろうねみっちゃん。僕ら3人で七葉同時合格しよう!」


「うん!てっちゃんも大会頑張って!」


「うす!連覇してくるよ!」


「せんぱーい、教えてほしいんすけどー」


 後輩に呼ばれ、はいはいと駆け戻っていく鉄重矢を見送って彼女達の練習場である裏山へと向かった。


 ◆◇◆◇◆

 裏山


 裏山には彼女達のお気に入りの場所がある。

 ラズベリーの木が乱立している神社。

 当の神社は今は誰も参拝に来ないが、ここいらは特殊な地脈による力場が働くのが手伝って4月頃からベリーが実る。

 夏は少しひんやりと気持ちよく、逆に冬は暖かなこの場所は知る人ぞ知る穴場だ。

 昔はよくここで弥果、宇宙、黒尽、鉄重矢の四人で遊んでいたものだとしみじみと思いを馳せる。


「あ!弥果見て!なってるよ、ベリー!」


「ほんと!たくさん!」


 2人が見上げればそこには木の実がなっていた。

 小腹が空いたので休憩がてら少し摘むことにする。

 少し高いところにあるので宇宙の術式で落としてもらった。

 術式で象られた空気はそよ風となり、手で包み込むように優しく、果実を包んで2人の(てのひら)にそっと収まる。


「わっ!やっぱ宇宙は凄いなぁ」


「私より弥果の方が凄いよ。私のはせいぜい少し空気を操るだけだもん」


「いやいやいや!私なんか自分の力を全く扱えないんだよ?ボン!ってよく暴発しちゃうし。それに()()()()もよく覚えてるでしょ?」


「あー、鈴の家で術式暴発させて敷地半分森になったあれね。でもね、弥果は自分のこと過小評価しすぎ。少しは認めてもいいんじゃないの?」


「いや……、私は宇宙が言うような凄い人じゃないし。出来ないよ、まだ認めるだなんて」


———私が自分を認める時は、出来るようになってからだ。

 弥果は兼ねてからそう決めていた。


「……自分に厳しいなぁ弥果は。苦しくないの?」


「苦しいよ。凄く、苦しい。辛い。でも、それじゃあの人にはなれない」


 あの記憶は忘れない。

 忘れるわけがない。

 私の命はきっとこう使われるためにあるのだ。

 その実感を覚えたあの記憶を、忘れるわけがない。


「…あの人みたいな命の燃やし方はできない」


「……弥果……!」


 宇宙はたまに、親友の目が怖くなる時がある。

 その目はどこか空虚で、しかし太陽よりも赤く、莫大な熱が(ほとばし)っている。


「……さ!早いとこ食べよう。少しお腹減ってたんだー」


 そう言って果実を一つ、口に含もうとした一瞬のこと。


『緊急“(ゲート)”警報!!緊急“門”警報!!”門“発生!”門“発生!警戒レベル、5!!』


 防災無線のサイレンが山の斜面に反響して鳴り響く。

 耳をつんざく轟音は本能に訴えかけ、逃走を脳に促すが突然の衝撃に2人の心は一気に緊張を帯びていく。


「!"門"警報……!?」


 突然のことに2人の筋肉は強張り、硬直してしまう。

 その数秒後。

 まるで何かが無理矢理引き裂かれているような、大きくて不気味な音が辺りに響き渡る。


『ベキ、バキバキバキ、メキメキ、バキョッ』


「!?何?何なのこの音!」


 突然の事態に宇宙はすっかりパニックに陥り、怯え切っている。

 一方、弥果の脳裏にはあの日、あの時の光景が駆け巡っていく。

 この音には聞き覚えがあった。

 十年前の雷の化身、あの巨獣による大蹂躙の記憶が蘇る。

 

(まさか、"門"の発生源はここ……!?)


 辺りをキョロキョロと見渡すと、宇宙が上空を指差しながら、怯えた声で呟いた。


「何…!?あれ……!」


 宇宙が指さす方に視線を向ける。

 するとそこには、今まさに()()()が空間にヒビを作りながら侵食していた。

 弥果は()()()()()()()()()()()

 途端に体が震え出す。

 10年経ってるとはいえ、一度死にかけたあの時の恐怖を忘れたわけがない。

 異界とこの世界を繋げる唯一の架け橋。

 穴からは深い闇が顔を覗かせている。

 遂に、"門"は完全に開かれてしまった。

 その中からこの世のものとは到底思えない異形の生物が一体、裏山に降り立つ。

 あれは、魔物だ。


「…逃げよう!宇宙!」


「っ……!」


 ここは開けている。

 一旦森に隠れるのが妥当だろう。

 走る、(はし)る、(はし)る。

 頭の中では危険信号が鳴り響き、サイレンのようにガンガンと脳みそを叩いている。

 生存本能から来るものなのか、今まで生きてきた中で比べ物にならないほどの速さで駆けた。

 だがそれ以上に魔物の身体性能は格が違っていた。

 すぐに回り込まれ、行手を阻まれてしまった。


「……!」


 …改めてその巨大な怪物の姿を確認する。

 その姿は俗に言う、ギリシャ神話におけるミノタウロスのそれに近い。

 しかし足元を見るとダチョウのような強靭な足が生えており、耳は大きく、背中からは昆虫のような6本の節足のような物がついている。



 ——こんな魔物、本に載ってあったっけ?



「う…あぁ……。」


 宇宙は完全に怯えきっている様子でいる。

 しかし下手に動こうものならまた先ほどのように回り込まれてしまうだろう。

 魔物もそれを分かっているから、気持ちの悪いニヤつき顔でジリジリと近づいているのだろう。

 正に万事休す。

 打つ手がない。

 

(…どうしよう。こくちゃんとてっちゃんの術式なら逃げることはできるかもしれない。でも私の術式は宇宙を巻き添えにするかもしれない。…どうする?最悪、いざとなれば宇宙だけを逃がせるタイミングを見て……!)


「ウゥ……ウウルルルルル…」


 とうとう目の前まで近づいてきた怪物は唸り声を上げ、右腕をこちらに伸ばしてくる。

 これ以上はどうにもならないと、弥果が覚悟を決めて宇宙を突き飛ばそうとしたその瞬間。


「オラァ!」


 視界の隅から双剣を両手に構えた男が魔物に切りかかる。

 しかし魔物はその図体に似合わない素早さで攻撃を(かわ)し、瞬時に後ずさった。


阿牙倉(あがくら)!"門"発生地点に現着!戦闘を開始する!」


「同じく迅内(じんない)。民間人二名を発見。人員を要請、迅速な保護を要求する」


 弥果と宇宙、魔物の間に割り込むようにして双剣を携えた男、銃を手にした男が魔物と対峙する。

 コートのような黒の制服の背には『ISU』のアルファベットのロゴが刻まれていた。

 『()()()()()()』、縮めてISU。

 異能による犯罪や魔物討伐を一手に担う、神秘のスペシャリスト。

 世界中の術師達の総本山。


「怪我はねぇか!嬢ちゃん達!」


「は、はい!大丈夫です!」


「おーし、なら逃げろ!応援の術師を要請した、保護してもらえ!」


「…行こう宇宙!」


「うん!」


「……透。見たことないな、この魔物」


 迅内が阿牙倉に話しかける。


「ん、だな。ま、分からないなら分からないなりにやるしかねえだろ!」


 そう迅内に啖呵を切ると阿牙倉は縦横無尽に跳躍を始める。

 地面だけでなく、周りの木々、果ては()()()()()()()()()()()()足場としつつ、加速しながら立体的な動きで敵を撹乱(かくらん)し始めた。

 先程俊敏な動きを見せていた魔物も流石に目で追えないのか、残像を目で追うばかりでその場から動けないでいる。

 

「ウゥゥ……」


 逃げる少女達にチラリと視線を向ける。

 魔物にとっては先ほどの獲物を捕らえることが最優先事項であるが、自らの性能を確かめることも任務として与えられている。

 まずは2人を片付けるべきだと結論づけ、背中の節足、その一本の先をガパリと開く。

 魔物は確信する。

 目で追えないまでも、節足の先を接触させることができれば、自分の勝ちだと。

 だが魔物が思うよりも2人の術師は優秀だった。


(…!?背中のキモ足が開いた?十中八九何か仕込んでるな。なら…)


 阿牙倉は魔物の正面に着地すると一瞬で肉薄し、魔物へと迫る。

 これとない好機。

 節足の照準を定め、阿牙倉を迎え打とうとする。

 が、阿牙倉は魔物との距離、僅か2メートルまで詰めると土を巻き起こし、視界を遮る。


「グゥ…!」


 目眩しで視界を制限された魔物は一瞬、阿牙倉を見失う。

 高速機動を得意とする阿牙倉を一瞬でも見逃せばそれは充分致命的となる。

 

「オラヨッ!」


 通り抜けざまに節足を一本切り落とす。

 痛覚があるのか、魔物は悲鳴を上げ悶えている。


「グオォォオォォ!?」


「何だぁその背中の気味悪いやつは?嫌な予感がプンプンするなぁ」


 言いながらも木の幹に着地し、またも跳躍して一瞬で距離を詰める。


「す、凄い」


 阿牙倉の活躍に少女達も振り返らずにはいられない。


「まずはそいつを切り刻んでやるよ!」


 更に一本切り落とし、魔物はまたもや痛みを訴えている。

 しかし痛がりながらもこれ以上好きにさせまいと、阿牙倉が肉薄した瞬間を狙って反撃を試みようとする。

 先ほどの一撃をもらって完全に理解した。

 こいつを目で追うのは不可能。

 ならば予測を立て、タイミングを合わせるしかあるまい。

 通常、魔物はここまでの知能を有することはない。

 しかしこの魔物は確かな思考に基づいて目の前の邪魔者を潰さんとしている。

 阿牙倉の判断は正しい。

 この魔物の節足には特殊な機構が備え付けられており、この足の先の先端、四つの爪が四方に開くことで特殊な結界が発動、捕獲対象を幽閉し、眠らせ、檻の役目を果たす。

 確実に捕獲を実行するためにこの魔物には人間レベルでの思考が可能な知能が搭載されていた。

 もう一人の男も気になるが、この男に気を取られて見失った。

 なら今はこちらに集中するべきだと魔物は結論づける。

 阿牙倉は変わらず更に魔物を切りつけようと接近する。

 しかし、今背中を狙い続けているならばある程度の対処は可能だ。

 動きには完全についていけないが、()()()()()を喰らわせることはできる。

 魔物は振り向きざまに自身の右腕を盾に剣を()()()()()()()()()()()


「!?」


 一見捨て身の覚悟で受け止めたように見えるが阿牙倉だけがそれを理解していた。

 魔物はよほど嬉しいのか、いやらしい笑みを浮かべている。


「性格悪いな、テメェ」


 斬りつけた側の阿牙倉が苦痛な表情を浮かべ、対して魔物は残ったもう一本の腕で阿牙倉の腕を捉える。

 背中の節足、その内の一本の先がバカっと四方に開き、阿牙倉に襲いかかる。

 

(まずい!お兄さんがやられちゃう!)


 弥果が心中で叫んだ瞬間。


「おい、俺を忘れんなよ」


 何処からともなく声が聞こえたかと思うと、いつの間にか木の上に登っていた迅内が魔物の背を狙って狙撃する。

 銃弾は着弾した瞬間、節足を爆破する。

 魔物は痛みに悶え、苦しんでいる隙に阿牙倉は脱出する。


「大丈夫か?(とおる)?」


「…なんとか。それよりこれ、見ろ」


 迅内が登っている木の側に退避した阿牙倉は自身の右腕を見せる。

 見ればまるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()から血が(したた)っていた。


「奴にやられたのか?」


「あぁ、恐らく奴の術式だろうよ。奴の右腕に剣を突き刺した瞬間にこの傷が出来た。"結界術(プロテクト)"でコーティングして、"治癒術(キュアー)"で何とか動かせるけどな。後ろの……手?足?には攻撃が通じるあたり、単なる反射とか呪詛返しってわけでは無さそうだが。加えて(やっこ)さん、恐らく知性もある」


「…しかも見ろ、透」


 何やら魔物がブルブルと震えている様子が見て取れる。

 やがて傷をつけられた右腕がみるみる内に再生していった。


「マジかよ!アイラさん並みの再生速度とか、何でもありか(やっこ)さん!」


「節足は回復できないみたいだが。…こちら迅内。対象に「ダメージを反射させる術式」、そして「再生能力」を確認。加えて背中の節足には何かしらの能力が付随していると見受けられる。以上から対象の推定レートはSだと思われる。術式の相性上、我々では削り切れない。指示を乞う」


 迅内が無線機で本部と連絡を取り合う。

 一瞬、迅内の表情は驚愕の色を帯びるがすぐにいつもの冷静さを取り戻す。


「本部はなんて?」


「…チェイン様が来るまで持ち堪えろと。」


「!チェイン様が?」


「あぁ、それまで時間稼ぎをするぞ」


「……だな。おい、そこの嬢ちゃん達!お前ら何ぼさっと突っ立ってんだ!さっさと逃げろ!ちょいと邪魔だ!」


 その言葉で弥果は我に返り、宇宙の手を引いて走る。

 だが悲しいことに、魔物の眼は()()()()を見逃すことはない。

 先ほどの戦闘で充分分かった。

 こいつらでは自らを打倒することはできないが、自分もこいつらを仕留めるには骨が折れるだろう。

 ならば最優先事項をクリアするまで。


「ウロロォ……、ウオォォォォォォォアァァァァ!!」


 魔物は咆哮すると一歩踏み込み、力強い蹴りで弥果達に肉薄する。


「あ!クッソ……!なんでそっちに行くんだ!」


「分からん!だがあの子等が標的になっているのは確かだ!あの人が来るまで守り切るぞ!」


「……おう!」


 阿牙倉と迅内も後を追うように応戦する。   

 森の中は木々のせいで視界が悪く、進路を塞いでいる。

 枝や幹、根っこに引っかかるために魔物の移動速度は若干遅くなるものの、その足は止まることはない。

 その巨躯に見合うパワーで力任せに木々を薙ぎ倒して進む。


「『盛豪必墜(せいごうひっつい)』、量産物(レディメイド)|、大量生産、全待機(バレットロールアウト)!」


 術式の詠唱。

 言葉がつむがれ同時に多種多様な銃が迅内の周囲に大量に展開される。

 その照準はは目の前の魔物……ではなく、その周りの地形へと向けられる。


待機命令解除(フリーズアウト)一斉掃射(フルバースト)!」


 銃弾が一斉に火を吹き、魔物の周りの木々や地面に着弾する。

 同時に弾は爆発し、地形を抉り取る。

 魔物は突然の事態に対応しきれず、バランスを崩し倒れ込む。


「ナイス!悠一(ゆういち)!」


 阿牙倉はやはり空間を足場にしつつ、バネの如き跳躍で魔物に迫る。


「"結界術(プロテクト)"!」


 阿牙倉の右手に高密度のエネルギーが凝縮される。

 やがてエネルギーは掌サイズの球体を作り出し、(かご)の役目を持って目の前の魔物を捕えるべくその口を開ける。


「直接攻撃が出来ないなら!生け捕りにするしかねぇよなぁ!?」


 結界の檻で封じ込める。

 目の前の魔物は術式も強いが、単純にその膂力も強すぎた。

 相手はSレート相当。

 一級術師である二人にとってその2段上、上級術師の位の術師が複数になって相手取るような敵である。

 阿牙倉が現在行使できる最高硬度であってもその剛腕の前ではよくて数秒しか結界は持たないであろう。

 しかし攻撃が自身に跳ね返され、有効打がない以上、障害物による足止めの繰り返しで援軍が来るまでの時間を稼ぐしかない。

 阿牙倉達のこの判断は実に正しいと言わざるを得なかった。

 だが物事とは中々上手くいかないものである。

 今回の相手は()()()()()()()


「バリカタ喰らえ……っ!!」


 阿牙倉は、見逃さなかった。

 一瞬だけ、勝ち誇ったかのように魔物の口がいやらしく歪んだのを。


「……なっ」


 結界に閉じ込められたのは魔物……だけではない。

 ()()()()()()()()()()()()()

 突然のことに動揺する阿牙倉。

 その隙を魔物は見逃さない。

 自らを封じ込めた結界を突き破り、怪物の剛腕による右フックをモロに浴びせる。

 2枚の結界がクッションになるが、強烈な衝撃を浴びて阿牙倉は豪快に吹っ飛ぶ。


「ごっふっ!!」


 10メートルほど吹っ飛んだところで結界がひび割れる。

 結界と構えた腕、肩が緩衝材となり、気絶こそはしなかったがかなりのダメージが阿牙倉を襲った。

 モロに衝撃を喰らった左肩は砕け、血液が飛び散り、肩の骨が露出している。

 加えて臓器がやられ、肋骨の先が飛び出している。

 呼吸は乱れ、力ない呼吸音が口から漏れている。


「!?透!!!」


 相棒の声はその耳に届かない。

 頭の中では生命維持が危ういことを訴える警報が鳴り響く。

 命が危うい緊急事態だからだろうか、引き伸ばされた脳内時間の中、阿牙倉はやけに冷静に分析していた。


(……あーっ…、なるほど理解理解…。)


 脳は助かる方法を模索しようと更に思考を加速させようとする。

 だが阿牙倉の脳内に流れるのは『どう助かるか』ではなく、敵の分析だけだ。


(奴の術式はダメージの反射なんかじゃねぇ、『()()()()()()()()』なんだ)


 生きあがこうと不得手な"治癒術(キュアー)"の簡易回路を形どりながら魔力を流し込み、阿牙倉自身の術式のエネルギー源となる呪力を同時に練り上げる。

 "治癒術"の影響による煙は何かを燃やしているかのように止めどなく傷口から溢れている。


(相手と自身の肉体を照らし合わせ、同じ部位にそっくりそのまま事象を()()()()()()。だから腕の傷も、全身を覆う結界の籠も跳ね返された。…背中のキモ足は俺らには無い器官だから鏡合わせにならず、ダメージは跳ね返されなかったわけね。くそ、全然塞がんねー。傷深すぎ…取り敢えず、"結界術"でコーティングを……!)


 ボヤけた視界には自身を叩きのめした魔物の姿が見える。

 その更に向こうにはこちらを向いてる少女達の姿。

 すぐ背後で起きた異常事態に少女達も気を取られていた。


「宇宙!!お兄さんが!お兄さんが魔物に!!」


「戻っちゃ駄目!走って弥果!!」


 少女達の声に反応し、魔物が後方へと顔を向ける。


「逃げろ!お前らぁーーー!!!」


 迅内が叫ぶももう遅い。

 少女達の位置を把握した魔物はその巨体からなる膂力で捕獲対象へと駆け出す。


「何だってあの子達を狙って!」


 迅内は全身に“強化術(ブーステッド)”をかけ、魔物に接近する。

 しかし中々距離が縮まらない。

 それどころか少しずつ離れていく。

 

(なんだ!?さっきより明らかに速くなってる!まさかコイツ、俺たちの“強化術”を学習したのか!?)


 魔物の素の身体能力は人間のものとは比べ物にならないほど高い。

 それを穴埋めするために迅内達は”強化術“を使って身体能力を高め、穴を埋めていたがそれも意味がなくなった。


「バケモンが……!!」


 遂に魔物は弥果達へとあと少しで手が届きそうなほど近づき、背中の節足の先がガパッと音を立てて開く。

 

(ダメだ!間に合わねえ!)


 その瞬間だった。

 どこからともなく、1人の男の声が聞こえたのは。


「ギリギリ、か。よく持たせた」


 その場にいた誰もがその声を聞くまでその存在に気づかなかった。

 いや、()()()()()()()

 目の前の、今しがたその男に()()()()()()()魔物でさえもその声がするまでは。


「ウガァァァアァア⁉︎」


 魔物も突然のことに驚きを隠せない。

 激しい動揺ぶり。

 もはや悲鳴というより絶叫だ。

 男が返り血を一滴も浴びることはない。  

 軽やかに、鮮やかに、無駄のない手捌きで大鎌を操る。

 その男はどこまでも黒かった。

 髪も、目も、服装も、獲物(大鎌)も、その男が纏う雰囲気までもが。

 弥果と宇宙の脳裏に巡る、一つのイメージ。

 原始的な畏怖。

 死。

 圧倒的、死。

 その男は正しく死の化身だ。

 きっと目の前の男は生物にとって本能的に忌避するべき存在。

 なのに、見惚れてしまって目を離せない。

 まるで……まるで骨のように白く儚い花のような、まるで墓標のように黒くさびしい美しさが黒い男にはあったから。


「待たせたな。悠一」


「チェイン様!」


 チェインと呼ばれた男は辺りを見回している。

 魔物には欠片も興味を示さない。


「悠一、透は?透はどこにいる?」


「…透は、あそこで倒れてます。奴の…反射の術式にやられてしまって……」


「……そうか。二人共、一級の身でよく持ち堪えた」


 そう言うチェインの背後に魔物の大砲の如き左腕が迫る。

 この男には自身の術式が通用しない。

 加えて、この男が現れてから()()()()()()()()()()()()()()

 魔力を使えなければ再生も行使できない。

 野放しにすれば邪魔にしかならないのは目に見えている。

 早々に片付けねば捕獲の任が達成できない。

 習得したばかりの”強化術“を使えなくとも、元々高い身体能力を魔物は持っている。

 全身の筋肉を一斉に駆動し、筋肉のバネをフルに活かした一撃必殺の一撃を叩き込む!


「……」


 対してチェインは魔物の渾身の一撃を冷えた目で一瞥する。


一幕(いちまく)脹相(ちょうそう)


 くるりと、緩やかに振り返り、凄まじい勢いで迫る大砲に手をそっと添える。

 チェインの手が触れた瞬間、魔物の腕は風船のように膨らみ、破裂する。

 腕が破裂したことで鮮血も火花のように辺りに飛び散る。

 周りを赤く染める中、やはりチェインだけは返り血は一滴も浴びない。

 まるで返り血の跳ねる方向すら操作しているかのようだ。


「———________ ̄ ̄ ̄ ̄!!!!!!」


 遂に両腕を失った魔物は声にならない叫びを上げる。

 左肩からその先は消失し、傷口からは摂氏600°を優に超える高温を発している。

 焼け爛れた傷口は魔物にかなりの激痛、屈辱を与えている。


九幕(きゅうまく)焼相(しょうそう)


 隙を見せた魔物にチェインが止まることなく、容赦せず追撃を仕掛ける。

 跳躍しながらも身を翻し、宙に浮いた足から黒炎(こくえん)が噴出する。

 遠心力を活かした飛び蹴り。

 蹴りが魔物の腹に直撃すると同時に炎が一気に燃え盛り、魔物を吹っ飛ばす。

 何本もの木々を薙ぎ倒し、地面を転がってようやく止まったその肉体は激しく損傷している。

 あまりにも激しいダメージを負ったせいか、魔物はぴくりとも動かず、声すら出せない。

 

(凄い!魔物の術式が機能していない!さっきのお兄さんは攻撃がほぼほぼ跳ね返されてたのに!)


「……あの方の前では魔力で運用する術式は無力だ」


 魔物を一方的に圧倒しているチェインに驚愕している弥果を見て悠一が口を開く。


「それはどういう……?」


「君、九神(きゅうしん)は知っているよね?」


「は、はい、それくらいは。昔小さい頃、ナルカミ討伐戦で遠くから死神様と全能神様の総攻撃も見ていましたし」


「その今代の死神が()の人だ。九神初席(しょせき)、死神、チェイン・レジス」


「!?あの人が!?死神様!!?」


 地に倒れた魔物が何とか起きあがろうと踏ん張ったところでチェインが魔物の胸に乗っかる。

 音もなく接近した黒い影。

 魔物は目の前に形となって現れた(それ)に恐れ慄くしかない。

 圧倒的な死そのものの具現化。


「奴の工房で、お前を見たことがある。確かお前の術式は「事象の重ね合わせ」だったな?なるほど、透が返り討ちに遭うわけだ。」


 大鎌の黒い刃は魔物の首を捉えている。

 

「だが俺には通用しない」


 魔物の目は、恐怖の色に満たされている。

 事実として、自らの命は今、すぐにでも割れる一つの風船としてこの男の手に握られている。

 脳をフル回転し、助かる方法を模索するがその結果は変わることはない。


「聞こえているんだろう?ジェパームド。相変わらず気色の悪いのを作っているみたいだな」


 そう言うとチェインは鎌をスナップを効かせて手首を返し、魔物の首を刎ね飛ばす。

 ボトボトンと音を立てて生首は転がっていく。


「その程度で人類に勝てた気になるなよ、ゴミ」


 最後に魔物の胸部を突き刺し、魔物の体内に仕込まれた盗聴器を破壊する。

 その一連の動きは芸術のように綺麗で、目を離せない。


「さて、大丈夫かな?君達は」


「わ、私達は大丈夫です!でも、あの人が…!」


「…そうだな。悠一、治癒の魔具は作れるか?」


「……傷が深すぎます。治しきれないと思いますが……」


「完全に治さなくても構わん。傷を塞ぐとこまででいい」


「は、はい!」


 迅内が指示を受け、術式で作成した魔具で阿牙倉の傷を癒そうとする。

 が、傷が深すぎるのか塞がりきらずにいる。


「…申し訳ありません。やはり、これほど深いと……」


「…これは不味いな。傷口を"結界術"でコーティングしてるとは言え、透の意識も薄くなってきている。だが転移鉱石は今切らしているし…。俺は"治癒術"は使えんしな……」


 2人の会話は深刻さを帯びていく。

 その空気は伝播し、宇宙の顔にも不安の影がちらついている。

 だがただ1人。


「っ……!!」


 その少女だけは違った。


「お、おい君!何やってるんだ!」


 阿牙倉に駆け寄る弥果に迅内は声を荒げてしまう。


「傷を塞がられればいいんですよね!それなら私、できるかもです!私にやらせてください!」


「み、弥果!まだコントロール上手くできてないでしょ!?今のままじゃ治すどころか、怪我させるかもだよ!」


「だとしても!助けなきゃ!どちらにせよ八方塞がりなんでしょう!?それに!これでコントロールも身につくかもしれない!!」


「駄目だ!コントロールが出来ないというのであればそんなことをさせる訳には———」


「出来るのか?」


 周囲の人間が反対する中、チェインだけは違った。


「チェイン様!?」


「君の術式なら透の傷を塞げる、間違いないんだな?」


「しかしチェイン様!術師でもない、それどころかコントロールもできない子供に任せるのは…!」


「俺がその程度どうとでもできないと思っているのか?」


「!いえ!そんなことは!」


「なら邪魔をするな、透を助けるにはこれしかない」


「は、はい…」


 迅内に叱責した後、その黒曜石の如き黒い瞳は真っ直ぐに弥果を見つめる。

 ただそれだけで、十分な迫力があった。

 その迫力に一瞬だけ怯んだが、弥果はすぐに姿勢を正す。


「できるんだな?」


「…はい!はい!!」


 力強い声。

 その言葉に満足したのか、チェインは深く頷く。


「余計なことは考えるな。君はただ目の前のことだけに集中しろ。暴走だとか抑えるだとかは気にしなくていい」


「え、で、でも…!」


「それは()()()()だ。君は君のしたいことをしなさい」


「…!分かりました!」


 一度だけ、深く深呼吸する。

 大きく、吸って、吐いて。

 彼女の中のスイッチを切り替える。


「いきます!」


 両手を前に突き出し、阿牙倉にかざす。

 それを合図に弥果は自身の炉心を稼働させ、魔力を精製する。

 無色の魔力は炉心から回路へと伝い、その体に満ちていく。


「……っ!うぅ…!」


 回路という道を巡っていく魔力。

 遂にその魔力は内核(ないかく)へと辿り着く。

 内核で加工された魔力は術式という色を着色され、その効果(かたち)を伴うのだ。

 弥果の両手からは魔力が光という効果を伴って溢れ出し、阿牙倉を包み込む。


「これは…!」


 そのエネルギー量の大きさに迅内が思わず感嘆の声を漏らす。


「……」


 対してチェインはただ、目の前の少女を見守っているだけだ。

 

「う、ぐ、うぅぅ……!!」


 全身に張り巡らせた水道管を熱々の熱湯が通り抜けていくようなこの感覚。

 やがて熱は少しずつ膨れ上がり、水道管(かいろ)を膨張させる。

 回路とは神経系の一種である。

 神経が膨張すれば、それに伴い痛みが出る。


「う…んんぅぅぅ……!!」


 普通、回路が膨張するという現象はありえない。

 あるとすればエネルギーの調節が出来ず、回路が受け止めきれない量の魔力を回しているということに他ならない。


(…凄まじい魔力だ)


 だがチェインが着目したのはその回路の耐久性だ。


(これほどのエネルギー量に耐えうる回路はそうそうない。器としての格も充分…いや、俺や総議長殿と同じ程度か。充分すぎるほどだな。コントロール能力は赤子に毛が生えた程度でしかないが、この娘であれば指導すれば数年で何とでもなるだろう。間違いなくこの娘は核になれる。十天(じってん)先祖返り(かけい)か?有馬とグリムハーツが復活している現状、あり得ない話ではない。とにかく、この娘は逃してはならない。あとは『()()』を目覚めさせれば…)


 メキ、メキメキメキ。

 術式の効果が制御しきれていないのか、阿牙倉の周囲から芽が生えてくる。

 芽は葉を増やしながら上へ、上へと伸び、早く樹木(おとな)になろうとしているかのようだ。


「弥果!」


 あの時の事件を知っている宇宙からすればそれは大惨事の予兆に過ぎなかった。

 鈴の家を半壊させたあの日。

 当時5歳だった弥果が術式を行使した直後、施設の庭を森にしたのだ。

 術式に目覚めたばかりの彼女が意図した形ではないとはいえ、それなりに負傷者も出してしまった。

 宇宙は事故が発生した時、現場にいなかったとはいえその爪痕をよく覚えている。

 年月と共に大分マシになったとはいえ完全ではない。

 もって数十秒、限界を迎えれば制御は即座に破綻するだろう。


「まだ、まだ塞がり切ってない…!」


 自らの限界は自らはよく知っている。

 血は止まったがまだだ。

 救わねば、救わねば、救わねば。

 ここで救わねば、自分の存在価値はない。

 弥果は更に術式効果を強めようと更に魔力を注ぎ込もうとする。


「もう十分だ、ありがとう」


 そう言ってチェインが右手を下に振る動作をした瞬間、弥果に変化が起きる。

 弥果から放たれている魔力が…いや、弥果が体内を循環させ、運用していた体内魔力(オド)も含め、全ての魔力が霧散した。

 まるで最初からなかったのように、全て。

 途端、急な脱力感が彼女を襲う。


「弥果!大丈夫!?」


 ふらつく弥果を咄嗟に宇宙が受け止める。


「あ、ありがとう宇宙」


「…上手く行ったんだね」


「…うん」


「おめでとう」


「…っ…うんっ!」


 親友の賞賛が、ずっと応援してくれていた友達からの賞賛が弥果の心を満たしていく。


「傷は十分に癒えた。これ以上は不要だ」


 弥果には目の前の男が一体何をしたのかまでは分からない。

 ただ分かるのは自分の魔力の暴走を阻止したのだということだけ。


「血が止まる程度には塞がった。透を麓まで連れて行け、悠一。アイラが控えている」


「はい、直ちに」


 迅内は術式で作成した籠に透を乗せ、その籠を浮かばせる。

 立ち去ろうとするがその前にくるっと振り向き、弥果と顔を合わせる。


「弥果、だったか?…透を救ってくれてありがとう。今度礼をさせてくれ」


 そう残して迅内は山を降りていった。

 その言葉を聞いた今、弥果の胸の中は今まで生きてきた中で一番の充足感で満たされている、

 やっと、自分でも誰かを救えたんだと。

 やっと、自分の命を燃やせることができたんだと。

 あの人のように人を救うことが出来たんだと。


「まずは部下の命を救ってくれてありがとう」


 チェインの言葉に背筋が一気に張り詰めたような感覚になり、姿勢を正そうとする。


「楽にしていい。少し魔力酔いを起こしているんだろう?無理はするな」


 そうは言われても、緊張するものは緊張するものである。

 この世界には9人の神の称号を持つ人間がいる。

 死神、天命神(てんめいしん)、太陽神、月下神(げっかしん)、時空神、空間神、豊穣神、戦神(せんしん)、全能神、それらの力を受け継ぎ、魔王に対抗できうる者達。

 今2人の目の前にいる男はこの世界を守護する世界最高戦力たる九神の1人にして、今代の死神である。

 その名を、チェイン・レジス。

 2人にとって天と地ほどの差がある地位にある人物である。

 緊張せず、体が強張らないようにするなど土 土台無理な話であろう。


「2人の名前を聞かせてくれ、フルネームで、だ」


「あっ、はい!に、日来 弥果と言います!」


「奈桐 宇宙です!」


 まだ少しバランスが覚束ない弥果を宇宙が支えながらシャンとした姿勢になるように座り直す。


「弥果、君に話がある」


 その目は真っ直ぐ少女に向いている。

 どこか威圧的にも感じ取れるその視線はやはり慣れない。

 しかし、怖気付くだけではないのがこの少女である。


「…なんでしょうか」


 そして彼は、こう言葉を被せてきた。

 彼女、日来 弥果の、これからの全ての運命を決定づけたこの言葉を。




 君、()()()()




 ……これが彼女の術師としての始まり。

 そしてこれは、彼女が世界を救う物語。



○次回、『後継』に続く

後々重要になる設定が出てくるので長くなってしまいました!すみません!もしかしたら前編、中編、後編で分けるかもしれません!文の形などに関しては未熟ゆえ皆さんのご助言を賜ればなと思います!

これからよろしくお願いします!

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