カルミア ー高嶺姫の婚姻譚ー
楽園大陸、フィオーレ。
花から人が生まれるこの大陸には、それぞれ有名な花がある。
その最たる者は、薔薇から生まれる薔薇王だ。この大陸が六千年もの間栄えてきたのは、彼の王の存在が必要不可欠である。
他にも百合の宰相やブーゲンビリアの騎士など、個人で有名な者がいるが、『高嶺の花』と称されるのはただ一人。
その名を、石楠花という。
「わたしは王城で薔薇王の臣下として働いております。そしてこの美貌は他の花々からも美しいと評判なのですよ!」
「……」
「このように美しいわたしこそ、カルミア様の隣に立つにふさわしい男かと!」
あまりにも鬱陶しい自慢話に、カルミアはため息をこぼした。そして鋭く言い放つ。
「お話にならないわ! 出直して頂戴!」
「そ、そんな、カルミア様、お願いです、どうか今一度機会を……!」
今もなお追い縋ろうとする求婚者に対し、カルミアは肩にかかった自慢の鮮やかなピンク色の巻き髪を払いながら、とりつく島もなく退出を命じた。
そうして騎士に羽交い締めにされながら立ち去る男に、カルミアはため息をこぼす。
(誰も彼も、自分の自慢ばかりでうんざりするわ)
それでもカルミアが求婚者たちを拒絶することができないのは、ひとえに彼女の花としての在り方にあった。
『高嶺の花』。
カルミアは古くからそう呼ばれる、高山にのみ咲く花だ。そのため、彼女が今いる住まいも高山に建てられている。
問題は、その高山にはフィオーレに住まう花たちにとっての資源に溢れている、という点だった。
栄養水と呼ばれる、花たちにとっての最高級の飲み物も、この高山から湧き出ている。薔薇王が住まう王城にも下ろされているのだから、その品質は折り紙付きだ。
そしてこの鉱山の所有者はカルミア。
その上で、カルミアが男たちを魅了する美しさを持ち合わせているとなれば、その夫の座を狙おうとする輩が出てくる。
またカルミアは、高山から出られない特殊な花だ。そのため、恋愛をするなら相手が来るのを待つ必要がある。
だから彼女は、求婚者がやってくるたびに会うようにしているのである。
(けど、やってくる男なんか大したことないわ)
それよりもカルミアが気になるのは――
ため息をこぼしながら物思いに耽っていたとき。
「お疲れ様でした、カルミア様。こちらをどうぞ」
そう言い、音もなくテーブルにティーカップが置かれた。
その低く落ち着いた声に、カルミアの心臓がどきりと跳ねる。
それでも努めて冷静を装い、緑色の視線を持ち上げれば、そこには青い髪に紫色の瞳をした、片眼鏡姿の執事がいる。
ゲンチアナ。
竜胆の花から生まれた、カルミアの執事だ。
同時に――カルミアの想い人でもある。
「ありがとう、ゲンチアナ」
カルミアはティーカップを持ち上げてから、ツンとした態度で礼を口にした。
嬉しそうに微笑むゲンチアナの視線に気づかないふりをしつつ、カルミアはティーカップを傾ける。入っているのは栄養水と、この鉱山で採れる蜂蜜だ。
自然豊かで蜜蜂たちにとっても楽園であるこの高山では、栄養水の他にもたくさんの資源がある。そのうちの一つがこの蜂蜜だ。
花たちは、皆総じて甘いものが好きである。そのため、蜂蜜も人気のある品だった。
その中でも今回使われているのは、カルミアの花である石楠花のみを集めた蜂蜜だった。
ただし毒性があり、相性が悪いと死に至ることもあることから、カルミアが完全に個人の楽しみとして採取しているものだったが。
(……この山でした咲けず、挙句毒がある私を本当の意味で愛してくれる人なんて、いないわ)
そう、結局のところ皆が欲しがっているのは、この高山を間接的に得ることによってもたらされる富だ。カルミアのことはおまけ。もしくは、観賞用の花といったところか。
その証拠に、大抵の高山所有者たちは、夫と口づけはおろか肉体関係を持ったことがない。交配に必要なのは種であって、それは肉体関係なしでも得ることができるからだ。
どこまでいってもカルミアは高嶺の花で、愛されることはない。
だから。
(この気持ちを、ゲンチアナに知られるわけにはいかない)
ゲンチアナに気持ちを伝えず、求婚者たちを受け入れ続けているのはこれが理由だ。
怖い。本当の気持ちを告げて彼が離れていくのが。
だったら、高山の所有者として、そして主人と執事として雇用関係を続けていたほうが、よっぽどいい。
こういうとき、自分の髪がピンク色で良かったと思う。
というのも、花の乙女たちは恋をすると髪が薄紅色に染まってしまうからだ。自覚があればあるほどより変わりやすい。
しかし、カルミアの髪は元からピンク色だ。それが多少薄くなったところで、気にする人はほとんどいなかった。
おかげでゲンチアナへの想いを隠し通せている。だけれど。
(彼が少しでも、私のことを見てくれたらいいのに)
ゲンチアナのそばでこれみよがしに求婚者たちの応対をしているのは、彼に少しでもいいから妬いてほしいからだ。
と言っても、真面目で礼儀正しい彼が執事としての立場以上のことをしたことはないのだが。
(……ふふ、夢は所詮、夢ね)
ふう、とため息をこぼしそうになるのを、カルミアはグッと堪えた。
すると、ゲンチアナが微笑みかけてくる。
「今回の求婚者もだめでしたが、まだ続けられるのですか?」
「もちろんよ、当たり前じゃない」
恋がしたいから。
それも理由の一つではあるが、一番はカルミアの性質にある。
というのも彼女は、他の花たちとは違い、野生で咲いて生まれるわけでも、薔薇王のように専用の温室で育てられ生まれるわけでもない。
異性と交配することによって次代を産み、そしてこの高山の所有権を受け継いでいっているからだ。
なので年頃になった高嶺姫は、こうしてやってくる求婚者の中から相手を選ぶ。
(まあ、所有権を捨てるのであれば、別に独身を貫いてもいいのでしょうけど……)
しかしそれで石楠花の花たちが一度、所有権を巡って問題を起こしたことがあるのだ。そのせいで一時期騒ぎになり、栄養水の供給が止まってしまったことがある。
それを危惧した薔薇王が「ならば所有権を決めてしまおう」と王命を出し、石楠花の花たちの中からカルミアの先祖が選ばれて、今に至る。
それを考えると、おいそれと争いの火種になるようなことはできない。王命に背く行為であり、戦争の原因になる可能性を秘めているからだ。
カルミアは、平和主義だ。争いは好まない。
また、この高山でカルミアの下に付き働いている者たちを養う、という使命がある。その中にゲンチアナもいる以上、彼女が相手選びをやめるわけにはいかないのだ。
(嗚呼、なんていう矛盾なのでしょう)
内心嘆きながらも考えを巡らせていると、ゲンチアナが口を開いた。
「でしたらカルミア様。このゲンチアナに一つ、策がございます」
「策? それは何かしら」
「それは次の機会にお見せできるかと。ですので次回の求婚者を集める会は、すべてわたくしにお任せいただけませんか?」
カルミアは少なからず驚いた。いつもは控えめなはずのゲンチアナがここまで強く意見することは、今までなかったからだ。
(けれど、どうせ次も同じようになるんでしょうし……それなら、たまには趣旨を変えてみるのも悪くないわね)
そう思ったカルミアは一つ頷く。
「分かったわ、ゲンチアナ。貴方の好きにして頂戴」
「ありがたき幸せ」
そう深々と頭を下げるゲンチアナ。
そうして、次の求婚者を招く会は、三日後に開かれたのだった。
*
今回集まったのは、六人だ。十人以上集まることもあるため、その点に関して言うなら今回は少ないと言えよう。
しかし問題は数ではなく、質だ。何よりカルミアとしては、自己主張の少ない者がいい。……まあ求婚をしてくる以上、そんな慎ましい者がくることはほとんどないのだが。
(ゲンチアナの策でも無理なようなら、使者を各地に送っていいヒトを見繕おうかしら……)
カルミアが諦め半分といった気持ちで、定位置である椅子に腰掛けていると、ゲンチアナが他の使用人たちを使って準備を始める。そうして用意されたのはテーブルだった。彼はそこに、紅茶の注がれたティーカップを人数分乗せる。
「本日お集まりいただきました皆様にやっていただきたいことは、ただ一つです」
そう言うと、ゲンチアナは手に持った瓶を見せる。
そしてその瓶の形状は、カルミアにとって見覚えのあるものだった。
(……あれって……もしかして、石楠花の蜂蜜が入った瓶!?)
するとどういうことだろう。ゲンチアナはその蜂蜜を、それぞれのティーカップに五杯も入れたのだ。
「ゲンチアナ……!」
「ああ、カルミア様はお気づきですね? そうです、こちらの蜂蜜は、石楠花の花から採れた蜜を集めたものになります」
「石楠花の蜂蜜……!?」
「はい。皆様もご存じの通り、毒のある蜂蜜になります。こちらを飲み干して問題のない方こそ、カルミア様のご伴侶となるに相応しいお方かと。何せ、これから先カルミア様と一緒にいるからには、彼女の毒性も含めて愛していただかなくてはなりませんから」
しぃんと、その場が痛いくらいに静まり返った。
それはそうだ。だって石楠花の蜂蜜には毒性がある。そして大抵の場合、花たちはその毒にやられてしまうのだから。それは、今まで石楠花の花の蜜を盗み取ろうとした先人たちが証明してくれている。
確かにカルミアのように平気な者もいるが、ごくわずかだ。そしてそのわずかに入れるかどうかは、ほとんど運である。
はたして、その運のために命をかけられる花はいるのだろうか。
答えは――沈黙が物語っていた。
そんな求婚者たちを見たゲンチアナは、鼻で笑う。普段はとても礼儀正しくて落ち着いている彼に似つかわしくない態度に、カルミアは目を丸くした。
しかしそれよりも驚かされたのは、彼がその後に取った行動である。
「この中に、勇気のおありになる方がいらっしゃらないとは……大変嘆かわしいことです。でしたら、わたくしが挑戦させていただきましょう」
「え?」
そう言うや否や、ゲンチアナは紅茶を一気飲みした。あまりのことに反応が遅れてしまったカルミアは、少し遅れてから絶句する。
「ちょっ……ゲンチアナ、貴方なんてことを……!」
慌てて駆け寄り吐かせようと思ったが、それより先にゲンチアナに抱き上げられてしまった。
「カルミア様」
「な、何をしているのゲンチアナ……!」
「貴女様に相応しい異性は、わたくしを除いて他にはおりません」
そう言うと、ゲンチアナが深く口づけを交わしてくる。
あまりのことに驚いて頭が真っ白になってしまったカルミアは、気づけばそのまま広間から退場していたのだった――
カルミアが正気に戻ったのは、ゲンチアナが彼女をベッドの上で下ろしたときだった。
「カルミア様」
片眼鏡を外したゲンチアナが、カルミアを見下ろしている。彼が自身を見下ろすという新鮮な光景に驚かされたが、それよりも気にしなければならないことがあった。カルミアはガッと彼の顔を包むように掴む。
「ちょっと、ゲンチアナ、なんてことを……! 今すぐ吐き出しなさい!」
「カルミア様」
「本当に貴方というヒトは、なんて危険なことをしたのよ!」
「カルミア様こそ、現状をご理解されていないのではございませんか? 今からわたくしは、貴女様を辱めようとしているのですよ……?」
「え?」
ぐいっと、ゲンチアナがカルミアの手を掴む。するとあっという間に、彼女の両手は頭上でまとめられてしまった。しかも彼の片手のみでだ。
「先ほども申し上げました通り、わたくしは石楠花の蜂蜜を飲めた者こそ、カルミア様の伴侶にふさわしいと思っております。そして……わたくしはそれを飲んでもなお、こうしてピンピンしております。わたくし以上に、貴女様の伴侶にふさわしい男は他にいないかと」
「え、それ、は、」
つまりそれは。
(ゲンチアナが私のことを好きだと。そういう、こと……?)
それとも、彼も富が欲しいのだろうか。そう思いぐるぐると思考を巡らせ混乱していると、呆れ顔のゲンチアナがつつ、とカルミアの頬に指先を滑らせる。
「富が欲しいだけでこのようなことをするとでも? そんなまさか。わたくしはそんなものよりも、貴女様のすべてが欲しいのです。美しい方」
「な、なんで……!」
「ずっと想いを寄せていたからです。そして……貴女様のことを独占したいと思っておりました。執事としてそれは失格ですので、今までこらえていただけです」
ですが。
そう言い、ゲンチアナは笑う。その笑みにどことなく仄暗いものを感じ、カルミアの背筋がぞくりと震えた。
「ですが、こうも目の前で見せつけられてしまいますと……わたくしも嫉妬してしまうのですよ、カルミア様」
嫉妬。
あの、ゲンチアナが。
危ないのに。
彼の想いの大きさに震えるほどなのに。
それよりも先に湧き上がってきたのは恐怖ではなく――喜びだった。
(嬉しい)
まったく効果のないと思っていたカルミアの行動が、ゲンチアナの理性を刺激してここまでの行動を起こさせたなんて。
嬉しくて嬉しくてたまらなくて、ドキドキが止まらない。そう思ったとき、自分の髪が薄紅色に染まっていくのを感じた。
さすがのゲンチアナも至近距離で髪色が変われば、カルミアの想いに気づいたらしい。目を丸くして、カルミアの両手を押さえていない方の手で彼女の髪に触れる。
「ふふ。お揃い、ね」
「……カルミア様……」
「ずっと、ずっと好きだったの。貴方が妬いてくれればいいと思っていたわ。だから……貴方になら、私の全てをあげられる」
いつの間にか、カルミアを拘束していた手から力が抜けていた。それをいいことに、彼女はゲンチアナの首に自身の腕を絡め、口づけを交わす。
瞬間、理性のたがが外れたゲンチアナが舌を滑り込ませてきて、互いに舌を絡めあった。
まるで、カルミアのすべてを貪るようなキス。
(でも、構わない。だって私は、一番欲しいものを手に入れたんだもの……)
だから愛も、恋も、毒も、富も、幸福も、すべてすべてあげる。
代わりに、どこまでも一緒に堕ちて欲しい。
そう思いながら。
カルミアとゲンチアナはお互いの存在を確かめ合うかのように、体を重ねたのだった――
それから数日して、フィオーレ中にカルミアの伴侶が決まったという一報が広まる。
それから一年後に開いた結婚式には薔薇王も参列し、今までの高嶺の花が開催したどの式よりも盛大なものだったという。