3. いきなり引っ越しとか
「鈴子様はこの後、どうされるのですか?」
二枚目のパンケーキを頬張る鈴子様に俺は聞いた。
「どうもせん。」
鈴子様は指に付いたシロップを舐めながら素っ気なく答えた。行儀が悪いはずなんだが、何故か優雅に見える。
「そうですか。俺は下山してここで暮らすのに必要なものを揃えたいと思います。今から邸内を見回って何が必要そうか確認してもよいでしょうか。」
「好きにするがよい。しかし、来たばかりだというのに忙しないのう。まるで、吉之助じゃな。」
「吉之助さん、ですか。えっと、誰ですか?」
「以前におった従者じゃ。お前の五代前になるのかのう。井戸や風呂を作ったのも吉之助だ。いつも何かしら手を動かしておって、とにかく落ち着きのない男であったな。」
じゃあ、物置にあった掃除道具なんかも、その吉之助という人が作ったものだったのだろうか。昔の人は器用だな。
「はあ、すごい人ですね。」
「すごいのかどうかは分からんが、生き急いでも仕方なかろうにのう。」
確かに、こんな何も無く、人も滅多に来ないところでせかせかと働く方が難しい気がする。いや、それ以前に、さらっとすごいこと言わなかったか?五代前って何年前の話なんだよ。仮に一人十年努めたとして五十年前、二十年だと百年前、それ以上だと···鈴子様って何歳なんだ?
いや、待て···そうか。きっと、鈴子様自身も代替わりしているんだ。当時も生きていたように語るのは、きっと生き神としての慣わしか何かなんだろう。と言うことは、ここはやはり何かの宗教施設なんだろうな。その内、俺も入信させられるのかな。
「ところで、この辺りの冬はやはり雪に埋もれるのでしょうか。」
「そうじゃなあ。あと二月もすれば降り始め、三月目には完全に埋もれておるであろうな。それから更に三月ほどでようやく春が訪れるな。」
「その間は今までの従者の人達はどのように過ごしてたのでしょうか?」
「冬の間は里で過ごし、雪が溶け春になったらまたここ来ておったな。」
「鈴子様も里に下りられるのですか?」
「我はここにおる。」
「冬の間もですか?」
「そう言うておる。」
「えっと、寒くないのですか?」
「我にとっては夏も冬もそう違いはない。」
どういう意味なのだろう。母屋には極寒の冬でも快適に過ごせる何かがあるのか?仮にそんなものがあったとしても、わざわざここで冬を一人で過ごす意味があるのだろうか。やはり、宗教上の理由なのかな。暑さ寒さに耐えるのも修行とか。食が細いのもきっと断食修行だ。そうだ、そうとしか思えない。でも、パンケーキはめっさ食べてたよな。
質問しても断片的な答えしか返ってこないし、深く考えるのは止めた。その内に分かるだろう。それよりも、雪が降り始めるという二ヶ月後までにやるべきことを考えよう。
朝食を食べ終えた鈴子様が母屋に戻っていくのを見届けて、俺は納屋の中を漁った。薪を採るための道具はあるだろうか?探してみると、鉈と鋸が出てきたが酷く錆びついていた。鉈は砥げば使えるかも知れないが、鋸はちょっと難しいかな。何れにせよ、これで木を切り倒すのは難しいだろう。枯れ枝や間伐材を主に採取するか。
薪を縛るロープもいるよなあ。風呂場にあった薪の束は稲藁で作った綱で縛られていた。農家なら簡単に手に入れられるだろうけど、俺の場合はホームセンターかどこかで買うしかない。できれば使い回しができるものがいいな。
運ぶための背負子も欲しいとこだよな。親父が昔キャンプで使ってたステンレス製のものが家にあったはず。それを使わせてもらうか。
薪に関しては、こんなところか。後は、調理器具関連を何とかしたい。鈴子様は食事をしないと言うが、全く食べないわけではないみたいだし。どうせなら、もう少しマシなものを食べてもらいたいものだ。台所がないから、カセットコンロを持ってくるか。食器もいくつかはあった方がいいよなあ。手掴みで食べさせるのは流石にしのびない。
道具だけじゃなくて食材も必要だ。米、砂糖、塩、醤油、味噌、料理酒···駄目だ、考えだしたらキリがない。どうせ数日しか滞在しないのだから、作るメニューをあらかじめ決めておいて、必要な材料だけ都度持ってくることにしよう。
納屋から取り出したものを片付け、鉈を持って屋敷の門を出て周辺の散策してみた。標高の高い場所だけあって、周りに生えている木々は針葉樹ばかりだ。落ちている枯れ枝はどれも細く湿気ている。薪としては使うには大量に必要になるし、乾燥にも時間がかかりそうだ。広葉樹の生えている麓で採取した方がむしろ効率的かな。
まず一度街に戻り、必要なものを揃えてここに運び、また下山して薪を採取してここに戻る、と。次に来る時は少し長めに滞在するか。となると、食材も多めにいるな。
俺は再び屋敷に戻って、今度は建物の状態を見て回った。古い木造建築で、人の手があまり入っていない割には、壊れたり建て付けが悪くなっている箇所は見当たらない。シロアリに食われている様子もない。素人判断だが、修繕する必要はなさそうだな。
と言うわけで、次回の訪問時に必要な物の目星はついたし、下山の準備をするか。
「では、下山しますが、次に来る時に何か要るものはありませんか?」
「特にない故、気を使わずともよい。荷を重くしては、ここへ来るのも苦しかろう。次はいつ来るのじゃ?」
「そうですね、二週間後くらいでしょうか。」
「本当に忙しないのう。今までの従者達はせいぜい月に一度程度であったぞ。」
えっ、そんなものなんだ。まあ、でも、俺はどうせ他にすることないもんな。この土地に慣れないといけないし。
「鈴子様をお一人にさせておくのは心配ですし、俺はもう少し頻繁に来ようと思います。流石に真冬は厳しいかと思いますけど。」
「心配?我をか?」
また鈴子様は声を出して笑い始めた。どこに笑いのスイッチがあるのか、全然分からない。
「本当に胤広は面白いのう。たったニ週間とは言え、居らぬのが惜しゅうなるわ。道中、気をつけるのだぞ。」
笑顔を見れたし、まあいっか。
地元の街に戻った俺は必要なものを買い揃えるべく、貯金の残高を確認して驚いた。いつの間にか、見たことのない桁数の金額が振り込まれていた。これが仕事の報酬なのか?ホットケーキミックスで作ったパンケーキの代金にしては破格過ぎる···富士頂上のカップラーメンが格安に思えてくる。
しかし、おかげで物を揃えるのに悩む必要はなくなった。一度に持てる量には限界があるけど、何度か往復すれば住環境をかなり改善できるだろう。
衣食住の内、住と食についてはある程度目処はついたとして、問題は衣だよな。俺じゃなくて鈴子様の。着物の下に何も無いというのは流石にダメだろ。いくら俺以外に人がいなくても。と言っても、女性用の服を俺が選ぶだなんて無理過ぎる。
通販のカタログを持っていって、本人に選んでもらうか。細身だから身長と肩幅が合えば大抵は大丈夫だろう。でも、下着とかは···これが一番の問題だよなあ。さて、どうしたものか···
あとは靴だ。何故かいつも裸足なんだよな。これもサイズの問題があるので、まずは測ってからかな。とりあえず、履きやすそうなサンダルだけ持っていくか。
何だかんだと用意をしている内に、あっという間に一週間が過ぎた。俺は再び久遠家に向かって出発した。荷物が多いので、山登りは前回より更に大変だろうけど、その分、時間をかけて野宿する回数を増やせばいいだけだ。仕事にアウトドアの経験を活かせるのは悪くない気がした。
汽車を降り立つと、前回来た時からまだ十日程なのに、山はもう色づき始めていた。秋から冬になるのも早そうだ。心なしか空気も前より冷たさを増している気がする。
今回はストックを両手に持って登った。これだけでも足腰への負担が全然違う。道は分かっているから不安はないし、一歩ずつ歩を進めた。それでも辛いものは辛いのだが、何故だろう、この先に鈴子様がいると思うと苦にはならなかった。
結局、四日かかって到着した。脚がもうパンパンだ。門を開けて中に入り、荷物を下ろしていると鈴子様がやってきた。
「随分と荷が多いのう。引っ越してきたのか?」
「いえ、あれもこれもと揃えたら、こうなってしまいました。直ぐに片付けますので。」
「そうか。随分、疲れてるようじゃな。」
鈴子様は手を取って俺を立たせると、初対面の時と同じようにいきなりキスをした。また力が抜ける感じがしたが、疲労感も抜けて身体が軽くなった気がした。
いや、て言うか、キス···
「急がずとも、ゆっくりするがよい。」
「あ、ありがとうございます···」
頭の中が真っ白だが、かろうじて言葉を絞り出した。鈴子様は満足そうに頷くと母屋にさっさと入っていった。取り残された俺は余韻に浸りながらも、粛々と片付けを始めた。
夕方になった。晩飯はどうしようか。鈴子様にも食べてもらおうと持ってきた食材がいくつかあるが、果たして食べてくれるだろうか?宗教上の理由で食べられない、とか言われたらどうしよう。まあ、その時は自分で食べればいいか。
まずは飯盒と薪で白米を炊く。これ自体は慣れた作業だが、井戸水が冷たくて米を研ぐのが少々辛かった。
次に、七輪に炭を入れ、着火剤で火をつけた。ガスコンロも持ってきたが、直に炙るならやはり炭だよな。じゅうぶん火が回ったところで網を乗せ、その上で一夜干しのホッケを焼いた。こんな山奥だから海の幸は珍しいのではないかと思うのだ。流石に新鮮な生魚を持ってくるのは無理だけど。
その間に、椎茸やシシトウなどを串に刺した。魚は無理かもしれないが、キノコや野菜なら食べれるんじゃないか、という配慮だ。七輪が小さいので一度に沢山は焼けないのが難点だ。
ちゃぶ台の上に皿を並べていると、鈴子様が戸口に立っていた。
「なんか匂いがするのう。しかも、嗅ぎなれない匂いじゃ。」
「晩飯を用意してます。鈴子様も食べられますか?」
「これは食い物の匂いなのか?ふむ、どれじゃ?」
「多分、この魚ではないでしょうか。」
「ほう、海魚か!久しぶりに見るのう。」
「鈴子様用に箸を用意しましたので、よかったらどうぞ。」
焼いたホッケに醤油を刷毛で塗り、仕上げに少し炙ってから皿に乗せて鈴子様に差し出した。鈴子様は慣れない手つきで箸を使いながら、身を解して口に入れた。
「ふーむ、魚とはこんな味だったかのう。記憶にあるものはもっと臭かった気がするな。じゃが、これはよい香りがするのう。」
「ご飯も炊けましたので、どうぞ。」
「白米か。ふむ、噛むほどにほんのり甘い。これもまた久しぶりの味じゃのう。」
「以前の従者の人達は食事の用意はしなかったのですか?」
「要らんと言うておるのに持ってくるのは、お前くらいなものじゃ。」
「えーと、何かすみません。」
「謝らずともよい。我にとって食事を摂る意味はないが、味が分からぬ訳ではない。前のぱんけえきも美味かったが、この魚も米も美味いのう。そっちの串に刺しているのはなんじゃ?」
「キノコと野菜です。そろそろ焼けますので、どうぞ。あ、少し塩を振りましょう。」
喜んでもらえたようでよかった。でも、俺の食べる分が残りそうにないのはどうしよう。まあ、今夜ぐらいはいいか。
残った白米はおにぎりにしてアルミホイルに包んだ。明日は薪を採取しに行くので、弁当代わりだ。朝早くに出れば夜には帰れるだろうから、早々に寝ようかと思っていたところ、食後のお茶を飲んでいた鈴子様が話しかけてきた。
「実はな、お前が居らぬ間に、ちと頼まれてのう」
頼まれた?誰に?来客でもあったのだろうか。
「急じゃが、ここを立つことになった。」
俺は一瞬、思考が停止した。
「えっ、旅行か何かですか?」
「物見遊山ではない。ここにはもう戻らぬ。」
「そんな···どちらへ行かれるのですか?」
「うむ、確か、よおろっぱとか言うておったか?遠い遠いところじゃ。」
「ヨーロッパですか···確かに遠いですね。戻らない、ということは、そこに移住するのですか?」
「そういうことじゃ。」
「そう、ですか···」
俺は、ここで鈴子様と一緒に暮らす未来を漠然と思い描いていた。何もないところだが、それでもいいと思っていた。仕事として報酬がよいからではなく、異性として鈴子様に惚れている、という訳でもなく。
何故かは自分でも分からないけど、鈴子様の側で鈴子様のために生きたいという想いがあったからだ。それが突然、放逐されることになるなんて。まるで暗闇の穴に落とされたような気分になった。
「それでな、胤広よ、お前も一緒に来ぬか?」
「へっ?」
「無理にとは言わぬがの。」
「行きます。」
「ほう、よいのか?」
「はい。鈴子様のお側にいて、お守りします。」
鈴子様はキョトンとした表情になった後、また腹を抱えて笑った。
「お前が我を守るのか。そうか、頼もしいのう。」
冗談かと思われているようだが、実は俺はそこそこ腕が立つ。と言うのも、阿久津家には代々伝わる格闘術があり、小さい頃から親父に叩き込まれていたのだ。今思えば、これは鈴子様をお守りするために伝承されてきたのだろう。
そして、鈴子様にお仕えしたいという想いもまた、阿久津家の血がそうさせるのだと思う。ならば、迷うことなどない。
「それで、いつ旅立つのでしょうか?」
「次の満月の夜に迎えの者が来るはずじゃ。」
と言うことは、あとニ週間ほどか?急いでパスポートを用意しなければ。ビザの取得や旅行保険の手配なんかもいるはずだが、それは誰がするのだろう。その迎えの人かな?
つか、鈴子様の服!海外に行くのに、この格好は流石にヤバい!
「鈴子様。」
「お、なんじゃ。険しい顔だの。」
「長旅にその格好は不向きです。母屋には他の服はありますでしょうか?」
「服?ふむ、それは考えなんだな。母屋にあるのはこれと似たような物ばかりじゃ。昔、千代がたくさん持ってきてのう。」
「千代···さん、ですか?」
「うむ、以前におったおなごの従者でな。その千代が、人前では着物を着ろと煩くてな、今でも仕方なく着ておるという訳じゃ。」
では、それ以前はどんな格好をしていたんだろう。聞くのが怖いからスルーすることにした。
「外の世界へ出るなら、最低でも下着は着用してください。あと、外を歩く時は靴を履いて下さい。」
「う、うむ。分かった···胤広も千代にどこか似ておるのう。サラシと腰巻きがどこかにあったはずじゃから、探すとするわい。窮屈で好かんのじゃが···しかし、靴とやらはないぞ。」
「では、サンダルを持ってきましたので、取り敢えずはこれを使ってください。足のサイズを測って、急いで街で購入してきます。あと、下着ですが、よかったらこれを···」
実家に戻った時、母親に鈴子様のことを相談したら、この下着を教えてくれた。ブラパッド付きのキャミソールにボクサータイプのパンツだ。伸縮性があるから、細身の身体なら大抵はフィットするはずとのことだった。一応、各サイズ数着用意しておいた。あと、フリーサイズの服も何着か。
もう、今更、裸がどうこうとか言ってられないので、心を鬼にして鈴子様に試着させた。
「ほほう、これはいいのう。全然、窮屈ではないわい。」
キャミとパンツを身に着けた鈴子様は、それはそれはとても健康的な女子に見えた。
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