これは重き罪
計画を立ててたわけじゃない。
出来心じゃない。
理性がぶっ飛んでいたから、血を飲まないと生きていけないから。
そんな理由を並べても通じないの理解している。しているが、旅の途中で立ち寄った街で空腹で彷徨っていた俺は最大の禁忌を犯してしまった。
「ッ……!」
目の前の、痛みで顔を歪める彼女のアメジストのような瞳に写る俺は彼女の白い腕に噛み付いていて。
その血は今まで口にしてきたどんな食べ物よりも美味しく感じられた。甘くて、もっと飲みたくなってしまって、気づいたら夢中で吸っていた。
自分の意志とは関係なく動く身体。本能に抗う事なんて出来るはずもなくて。
"やめろって言ってんだろ!俺!!"
そう思うのに、口が言う事を聞かない。吸血鬼の性なのか、それとも別の何かか。自分じゃ分からないけど、もうこの衝動を抑える事は出来ない。
「……いいよ」
「……え?」
彼女は小さく呟くと、目を閉じて抵抗する素振りを見せなくなった。そしてもう一度、今度はしっかりと聞こえる声で言った。
「私は大丈夫だから、好きなだけ飲んでもいいのよ」
彼女は笑った。
それはまるで聖母のように優しく微笑んでいて。その瞬間、ハッとなり彼女の腕を解放した。傷口から流れ出る血を見て罪悪感に襲われる。
「お、俺は……」
彼女の腕を伝って滴る血液。
俺がやった、やってしまった。
罪悪感に襲われながら止血をしようと自身の上着を千切ってそれを傷口に巻こうとした時だった。当然上空からもふっとしたような物体が落下し、俺の目の前に現れたかと思えば。
「貴様ッ!お嬢様に何をしてる!!!」
「ぐぇっ!?」
腹部に強い衝撃が加わり、そのまま後方に吹っ飛ばされた。壁に激突し、肺の中の空気が全て吐き出される感覚に陥る。
「げほっ!ごほ……な、何すん……だ……?」
俺を殴った奴を見ようと顔を上げると、俺を覆えるような黒いタクシードを着た大柄の梟の鳥人族がいた。痛む体を擦りながら立ち上がると、そいつは俺を思い切り睨み付けてきた。
「その赤い目、鋭い牙……お嬢様から血を吸うためにわざと倒れていたのだな!吸血鬼め!!今すぐここで成敗してくれるわ!!!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「問答無用!!」
拳を振り上げて殴りかかってきた。慌てて回避するが、こっちの攻撃手段がない以上どうしようもない。
「やめてファジー!!」
しかし次の攻撃が来る前に彼女が叫び声を上げた。するとピタリとその動きを止め、彼女の方を向いた。
「ですがお嬢様、こいつは吸血鬼ですぞ?放っておいたらまたお嬢様に危害を加えるかもしれません!」
「それでも駄目!それに彼は何も悪くないの、ただお腹が減っていただけなのよ」
「で、ですがお嬢様……」
「ファジー……」
諭すように名前を呼ばれ、渋々と言った様子だったが引き下がったようだ。しかしファジーと呼ばれた鳥人に睨まれてるのが後ろを向いてても分かるし、いつでも飛び掛かれる体勢にされているのも嫌という程感じる。
壁にぶつかった衝撃で汚れた服を払い、赤く染まったであろう口元を右袖で拭おうと近づけようとすれば、横からスッとハンカチを差し出された。そちらを見ると、彼女が優しい表情を浮かべていた。
「よろしかったら使ってくださいませ」
「あぁ……ありがとう」
受け取ったハンカチを口元に当てる。彼女から受けとった純白のハンカチを赤く染めてしまって申し訳なさが込み上げてくる。
「……あの、さっきは本当にすまなかった。血を飲むつもりは無かったんだけど、その……本能的に体が動いちまって……」
「ううん、気にしないでくださいませ」
「いやでも……こんなんじゃ許してもらおうなんて思ってねぇけど……その、ほんとにごめん」
深く頭を下げれば、ファジーが俺の首根っこを掴んだ。
「謝って済む問題ではない!この吸血鬼め!!」
「ちょっ、首絞まるって!」
「ふんっ!このまま絞め殺してくれようか」
ギリギリと首を締め上げられて息が出来なくなる。
く、苦しい……。やばい意識飛ぶかもしんねぇ……、俺死ぬ……。
「やめてってば!」
「お嬢様……ですがこの者は」
「いいから下ろしてあげて!」
そう言われてやっと解放された。まだ頭がクラクラするけど、なんとか倒れる事は避けられた。
「お嬢様に感謝するんだな」
「分かってるよ。俺だって悪いと思ってる……」
「反省しているなら良い。だが次は無いと思え」
そう言ってファジーはどこからか日傘を取りだし彼女に差し出した。彼女はそれを受け取るとこちらに向き直った。そして俺に近づき、手を取った。
「な、なんだ?」
その行動の意味が分からず困惑してるとニコリと笑って言った。
「貴方のお名前を教えてくれますか?」
「え、俺の名前?」
「はい」
「お、俺は……ジン」
「私はキルシュ・ウィズルィードです」
「キルシュ……ウィズルィード……?」
ウィズルィード。聞いた事のある名だ。
確かここから少し東に進んだ国の貴族の家だったはず。
……ん?貴族?
「う、ウィズルィード家!?」
「あら、御存知ですか?」
「し、知ってるも何も、俺みたいのが気軽に話しかけられる相手じゃ……」
「そんなことありませんわ。ねぇファジー」
「……はい、お嬢様」
相変わらずファジーの目線が痛いが、キルシュさんの和やかオーラが俺の心を高鳴らさせ、心臓がバクバクしてる。
落ち着け、俺の心臓!止まれ心臓、……いや止まるな!死ぬ俺!!
この気持ちを落ち着かせるために適当に視線を向けるとキルシュさんの左腕の傷の存在に気付いた。
「あっ……!ご、ごめん!怪我させて……!早く手当しないと……!」
「これくらい大丈夫ですわ」
「大丈夫じゃないだろ!血が出てるし……ほら、俺のせいでこうなったわけだから……」
ファジーに殴られたからキルシュさんに巻こうとしていた布切れがどこかに飛んでしまっていたことに気づく。探すのに手間をかけたりしたらキルシュさんが出血多量で倒れてしまうのが目に見えるし、なんて事になったら俺を睨んでるファジーに間違いなく殺される。
再び上着を千切りキルシュさんの腕に巻き付ける。
「痛かったら言ってくれ」
「……いえ、お気遣いなく」
そう言うと、何故かキルシュさんは嬉しそうな表情をしていた。
なんでだろう。特に喜ぶことなんてしてないのに。
不思議に思いながらも止血を終える。とりあえずこれで安心だ。彼女に酷い事をしてしまった罪悪感はまだあるけど、これ以上迷惑をかけないように立ち去ろう。
「あの……本当にすみませんでした。それと、ありがとうございます。もう二度と会うことはないと思いますが、お元気で……」
「待って!」
別れの言葉を言い終わる前に、キルシュさんが引き留めてきた。
「あの、もしよろしかったら……私の国へ来ませんか?」
「……は?行くって、どこに……?」
「私の国に、です」
「……はい!?」
「私やファジーのせいでお召し物が汚れてしまったようですし、着替えも必要でしょう?それにお腹も空いておいででは?」
「そ、それは……」
タイミング悪く俺の腹が鳴る。その音を聞いてキルシュさんはクスッと笑った。
「決まりですわね」
「いやいや待てよ!そんな簡単に決めていいのかよ!俺は……」
"キルシュさんを襲った吸血鬼"なんですよ。
そう言いたかったけど、彼女の陽だまりのようなオーラによりそれを口に出す事が出来なかった。
「吸血鬼であろうと、私にとってはただの困っている方にしか見えませんもの」
「だけど……」
「それに貴方には止血して頂いた恩も有ります」
「いや、あれは……」
「さあ、行きましょ」
やや強引に近い形で俺の手を引っ張るキルシュさんがファジーに何かを耳打ちすると、ファジーは小さく頷き俺を殴った大きな翼を広げて上空に飛び立った。俺とキルシュさんが徐々に小さくなるファジーを見上げてると、キルシュさんが俺の隣で言った。
「ジンさん、私……貴方の眷属になってしまったようです」
「…………はい?」
突然告げられた言葉に呆然としながらキルシュさんの顔を見る。その顔は先程までと変わらず、微笑みを浮かべていた。
「吸血鬼に血を吸われた者はその吸血鬼の配下になる……、そしてお互い離れてしまうと生きて行けなくなる、と本で見た事あります」
「……」
「私は貴方と離れたくありません」
「お、俺だって……!でも俺は……」
「なら決まりですわね」
そう言ってキルシュさんはまた俺の手を掴んで引っ張り上げた。抵抗しようと思えば出来たはずだけど、それをしなかったのは……俺の意思なのか。
「よろしくお願いしますね、ジンさん」
微笑みかけるキルシュさんの笑顔が、俺の胸に焼き付いて離れなかった。再び高鳴る心臓の音が彼女に聞こえてないか、ヒヤヒヤしてると隣から笛の音が聞こえたかと思えば俺は宙を浮いていた。
「東の国までよろしく頼みますわファジー」
「え、ちょ!鷲掴みしないでファジー!!」
「べらべら喋るな吸血鬼、舌を噛むぞ。あと気安く名前呼ぶな」
そう言ってキルシュを背に乗せ、荒々しくジンを荒々しく足で掴んだファジーは主の住処がある東の国へと向かうためスピードを上げた。