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入城

 ルシィナが衛兵に案内され、ラーディガスト公主の控えの間に通されたとき、目の前には跪き、頭を垂れた正装姿のカドーシュがあった。

「お待ち申しておりました、ルシィナさま」

 ルシィナの背後にいた衛兵もまた、同じように跪く。彼はルシィナを迎えるため、カドーシュが館の近くに交代で待機させていた一人だった。

「カドーシュさま、そのような──」

 慌てて駆け寄るルシィナに対し、カドーシュが微笑みながらゆっくりと立ち上がる。

「あなたはこれより、我が主君となられる方です。どうぞこちらへ、閣下がお待ちでございます」

 そう言って扉を開けた先には、同じく正装したギボールが立っていた。

「よく決断してくれた。感謝する」

「閣下、生涯、おそばでともに生きることをお許しくださいませ」

 腰を折り、頭を下げるルシィナの姿を見ながら、しかしギボールはどう言葉を返していいかわからなかった。ややあって、ようやく思いついたのは別の名前だった。

「カドーシュ、ルシィナを部屋に案内してくれ」

「かしこまりました。ルシィナさま、お部屋をご用意しております。午後の出立までおくつろぎください」

 カドーシュは先の衛兵に彼女を託すと、珍しく何やら考え込んでいるギボールに目をやった。

「カドーシュ」

「はい」

「おれは今、『病人』だったよな」

 その日の午後、ようやく「回復」したラーディガスト公主の一行は出立した。その際、夫妻で見送りに出ていたトシュラータ公主に、ギボールがひそかにあるものを手渡したことに気づく者は少なかった。

 ギボールとカドーシュは復路もまた乗馬し、ルシィナは公主の馬車に乗ってラーディガストを目指した。公府まで二日の行程は途中、トシュラータと共同で管理する国境の離城に一夜の泊をとった。

 その夜、侍従や衛兵の食堂では、ある話題が花を咲かせていた。

「おい、見たか」

「見た」

「おれも見た」

 若い連中を中心に、みな、楽しそうで、どこか嬉しそうでもあった。

「きれいな方だったな」

「閣下のお馬車に乗られているということは──」

「そうだよ、間違いない」

 みながいっせいに頷く。ルシィナの姿は隠されることも、またその必要もなく、否応なく人目を惹いていた。

「どこかのお姫さまかな」

「あ、おれ、知ってる。確か、宴に出てた芸団の歌姫だよ」

「え?!」

 室内に驚嘆の声が響く。わずかな間、沈黙が流れ、そして歓声が上がった。

「ある意味、閣下らしいな」

「閣下が選ばれた方だ。間違いはないさ」

「なんにしろ、めでたい!」

「何がめでたいんだ?」

 兵たちのコップが高く掲げられたとき、不意に背後から聞き慣れた声がした。

「閣下!」

 そこにはいつものように簡素な綿の普段着で、周囲にとけこんでいるギボールが立っていた。また彼らが驚いたのも、噂の主がいたからであって、公主がこのような場所に現れたからではない。この主君に関しては、けっして珍しいことではないのだ。

「めでたいことなら、おれにも教えてくれ」

「え、いや、それは……」

 言いよどんでいると、突然、扉が勢いよく開けられ、元気のいい声が飛び込んできた。

「おい、衛兵のひとりが知っていたぞ。『ルシィナ』さまとおっしゃるそうだ!」

「………」

 ふたたび沈黙が流れる。ややあって、兵のひとりがギボールに向かって深く頭を下げた。

「申し訳ありません! 不敬にも、お妃さまの噂をしておりました」

「申し訳ありません!」

 四方からいっせいに頭を下げられ、戸惑ったのはギボールのほうである。

「謝ることはない。おまえたちにはまず知ってほしいと思っていたんだ。ルシィナ・グラティアスという。おれ共々、これからもよろしく頼む」

 主君が一介の兵たちに頭を下げるのを見て、今度は彼らが大いに戸惑い、慌てた。

「か、閣下、頭をお上げください」

「むろん、一命を賭してお仕えいたします」

「では、おふたりのお幸せを祈って、あらためて乾杯!」

 最初の祝賀会が行われているころ、もうひとりの主役はカドーシュと相対していた。

「ご入城後、ただちに元老の方々とお会いいただきます」

「かしこまりました。わたくしは何をすればよろしいのですか?」

「何もなさる必要はございません。すべて、閣下にお任せください」

「はい、カドーシュ卿」

 心からの信頼が現れている微笑みに、カドーシュもまた微笑み返す。それを見て、ルシィナの背後に控える年若い侍女たちがうっとりと頬を染めていた。

「そうでした。ルシィナさまにひとつお伝えしたいことがございます」

「はい」

「閣下には口止めされていたのですが、わたしは生来の口軽ですので」

「?」

「実は今朝がた、閣下とともに、お父上、セオスどのにお会いしました」

「父に……」

「閣下のご希望でございます。ご自分の岳父となられる方に会って、挨拶したいと」

 予想もしなかった人物の突然の訪問に、むろんセオスは驚いた。迎え入れたあとも、たがいにどう言葉を交わしていいかわからず、しばらくは沈黙が続いたが、やがてどちらともなく打ち解け合い、快活な笑い声まで上がっていた。そして去り際、ギボールはセオスにこう告げたのである。

「ルシィナに会いたくなったら、いつでもラーディガストに来てくれ。父親なんだから、なんの遠慮もいらないぞ」

 その言葉に、セオスは長い間、深く頭を下げていたという。

「ありがとうございます……」

 ルシィナの瞳に、かすかに輝くものがあった。

 その後、場を辞したカドーシュは、主君の部屋でも、自分のそれでもなく、まっすぐある場所へ向かった。

「そうですか~、お妃さま、辛い思いをなさったんですね~」

 ほどよく酔った泣き上戸らしい若い侍従が泣いている。

「それで、閣下はどのように慰められたんですか?」

「いや、慰めたんじゃなくて……怒鳴ってしまった」

「は?」

「よく覚えてないんだが、どうやら──」

 ギボールのたどたどしい説明に全員が聞き入り、話が終わるやいなや、異口同音に叫んだ。

「閣下らしいです!」

 そのとき、手を叩く音が二度、室内に響いた。いっせいに向けられた視線の先には、扉の前でカドーシュが「笑顔」で立っていた。

「カドーシュさま!」

 みなの酔いがいっせいに醒める。

「閣下、そろそろお戻りの頃合いかと」

「カドーシュ、先に言っておくが、おれが勝手に来て、こいつらを巻き込んだんだ。だから──」

「わかっております」

 笑みを崩さぬまま、カドーシュはギボールから兵たちに視線を向けた。

「おまえたち、ご苦労だった。よく休んでくれ」

「はいっ!」

 ふたりが退室したあと、誰かがぼそりと呟いた。

「閣下、無事かな」

 実際、ギボールはその夜、何事もなく寝台に入ることができた。

 そして朝を迎え、城を発ってさらに数時間、夕刻を迎えるころには、公府の城壁が視界に入った。

「ネツァー閣下、ご帰還!」

 城門が開かれ、整備された美しい街並みが広がる。石畳の街路を行き、やがて公主の城に入ると、廷臣たちが並び立ち、待ち受けていた。

「無事のご帰国、心よりお喜び申し上げます」

 似たような出迎えの言葉を聞き流しながら、進んでいたときである。

「ご命令のとおり、元老の方々もすでにお着きでございます」

「?!」

 足が止まり、哀れな廷臣を思わず睨みつける。しかし思い立ち、カドーシュに目をやると、お得意の「笑顔」で跳ね返された。

「支度をして行く。もうしばらく待たせておけ」

 言い残し、足早に自室に入るやいなや、カドーシュの目前に迫った。

「カドーシュ~、おまえは、また……」

「なんのことでしょう」

「なんで、あのじじいどもが来てるんだよ!」

「おや、お許しは頂いているはずですが」

「おれが? いつ!」

「昨日の朝、いつものとおりご予定をお伝えしようといたしましたら、いつものとおり『任せる』とおっしゃいましたので、早馬を飛ばしました」

「じじいどもを呼んで、どうする気だよ!」

「何を今さら。ルシィナさまのお披露目に決まっているでしょう」

「なに?」

 カドーシュが一歩、距離を置き、ギボールを鋭く見据える。

「ルシィナさまをお迎えするにあたり、何が最大の障壁となるか、ご存じでしょう」

「そりゃあ……」

「ならば、『既成事実』を作ってしまいませんと。面倒なことを後回しにすると、いらぬ口実を与えることになりませんから」

「………」

「どうなさいました。今さら、怖気づきましたか?」

「ふん、まさか。そういうことなら、思いっきりぶつかってやるさ」

「結構ですね」

 不敵な笑みが交わされる。旅装が解かれ、景気づけに葡萄酒を一杯あおると、ギボールはカドーシュを従え、部屋を出ていった。

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