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淵源

 翌朝、城内がある一報に騒然としているなか、その広大な敷地内にある離れに向かい、ふたりの男が足早に歩を進めていた。

「大騒ぎだったな」

 ふたりのうち、長髪に口髭を蓄えたわずかに背の高いほうの男が、となりを歩くもうひとりに小さく声をかける。

「それはそうでしょう」

 話しかけられたほうは、目深にかぶったつば広の帽子の陰からいたずらっぽい視線を向ける。

「主役のおひとりが突然のご病気で、すべての予定がお取り消しではね」

「………」

 どこか楽しそうな言い方に返す言葉もなく、そのまま無言でしばらく歩いたのち、木々の中から建物が見えてきたころ、数人の笑い声が聞こえてきた。

「ほらほら、そんなにはしゃがないで」

 聞き覚えのある声のほうへ向かうと、大きくはないが瀟洒な館のそばで、ふたりの少女──年のころは十二、三歳と、もうひとりはまだ五、六歳だろうか──と、彼らが目指す女性が洗濯物を干しているのが目に入った。

「さあ、これで終わりよ。お手伝いしてくれてありがとう」

 ルシィナが振り返り、腰をかがめて少女たちを片腕ずつで抱きしめる。そのとき、やや離れた木陰からこちらを見つめる、見覚えのない男たちに気づいた。

「あなたたち、みんなのところに戻って、甘いものでも頂いてらっしゃい」

「はーい」

 まるで少女たちを遠ざけるかのように館の中へ帰したあと、ルシィナは表情を改め、みずから男たちのもとへと歩んでいった。

「なにか御用でしょうか」

「わたしです。ルシィナどの」

 帽子をずらして覗いた容貌は、一度目にしたら脳裏に焼きつくとまで言われるカドーシュだった。

「カドーシュさま? では、こちらの方は……」

「さ、昨夜はすまなかった」

 言い淀みながら、鬘と口髭を外した「こちら」は、「急病で床に臥せっている」はずのギボールであった。

「ネツァー閣下!」

 ルシィナがとっさに膝を折り、深く頭を下げる。

「昨晩は、閣下にはご不快な思いを──」

「あ、いや、頭を上げてくれ。今日は、その……」

 ギボールがちらりと横目でカドーシュを見る。が、傍観者のごとく微笑んでいるだけの男に何かを諦めたのか、意を決したように口を開いた。

「話がある。少し時間をくれないか」

「はい?」

 顔を上げたルシィナにカドーシュが手を差し出して立ち上がらせ、三人が向かったのは、昨夜と同じ湖のそばのあずまやだった。

「まずは座ってくれ。実は、聞いてほしいことがある」

「かしこまりました」

 何の猜疑心も警戒感もなく、ルシィナは素直に腰かけ、ギボールの次の言葉を待った。

「昨夜はすまなかった。辛い話をさせた」

「お赦しを頂くのはわたくしのほうでございます。わたくしの過去なぞ、閣下にはお耳汚しで──」

「それだ」

「はい?」

「聞いてほしいのは、おれのこと──おれの昔話にしばらく付き合ってくれないか」

「………」

 予想もしていなかった言葉に、ルシィナもとっさに反応ができなかった。しかし、すぐに笑顔を見せ、「はい」と小さく頷いた。

 ギボール──正式な名はギボール・ネツァー・ラーディガストが生まれたのは二十七年前だが、話はその誕生からさらに数十年さかのぼる。時は彼の祖母である先々代の公主の御代であった。

 彼女はけっして好ましい主君とは言えなかった。むろん、「好ましい」という言葉が誰にとってのものかということには論の分れる所があるだろうが、公主としての特権は当然のこととして享受しながら、同時に課されるはずの責務にはあまり興味を示す人物ではなかったのだ。

 男女を問わず第一子が後継となる公国の「一人娘」として大切に育てられたのはいいが、「公人」としての自覚はあまり育たなかったようである。すべては気の赴くまま、つまりは「わがまま」で、私生活における振る舞いだけでなく、公務においても選り好みを繰り返した。派手好きで自己顕示欲は強かったため、華やかな「外交」などには顔を出しても、「内政」における民の生活には無関心で、数少ない視察等も「体調不良」を理由に避けるばかりであった。

 政略結婚で夫を迎え、三人の子を生したのちも、それは変わらず、むしろ第一子である息子への溺愛・盲愛ぶりには、少なからずの人間が眉をひそめた。

 「母子密着」とも言える結果、彼の行動は母親以上にやりたい放題だった。名ばかりの父親やふたりの妹たちには何の関心も愛情も示さず、母である公主の過剰な庇護のもと、佞臣や女たちに囲まれ、遊興にのみ勤しんだ。

 心ある誰もが次の時代に絶望するなか、しかし、その「異様な親子」の関係はある日突然、終わりを迎える。過ぎた酒か女か、理由はともかく、「次期公主」の突然死である。

 むろん、母親の嘆きはいかばかりか。そして今度は彼女が絶望するなかで、公主の地位さえ、今までほとんど関心を示さなかった第二子である娘のフィランジェリに譲位してしまったのである。

「それが、おれを生んだ母親だ」

 ギボールの言い方に若干の違和感を覚えつつ、ルシィナは黙って次の言葉を待った。

 なかば押し付けられた公主の立場ではあったが、フィランジェリはできる限り良き主君であろうと努めた。しかし、それは民や臣下のためというより、母への反感か当てつけか、それとも、ただひとり心を通わしていた妹も幼い時に王都に嫁がされ、孤独の中、誰かに必要とされたい──それもある種の自己顕示欲だったのかもしれないが──そんな一心からだったかもしれない。それでも、前公主である太公は息子の死から立ち直ろうとはせず、公主となった娘に望むことはただひとつ、一刻も早く継嗣を作ることだけだったという。

 公主になる以前に、やはり母の命令で結婚していたフィランジェリは、やがて懐妊し、ふたりの息子を産んだ。それがギボールと、双子の弟、オルファニムである。

 国中が新たな公子の誕生を祝うなか、太公は出産を終えたばかりの娘を労うことすらせず、ギボールのみを母親から取り上げ、手元で養育し始めた。

 そのまま太公が健在だったなら、その庇護のもと、ギボールもまた彼女の亡き息子と同じように、自身の特別な立場に何の感慨もなく成長したかもしれない。ところが、ある雨の日、ふたたび運命が動いた。

 侍女が部屋を離れたわずかな間だった。生まれて半年足らず、ようやく一人で座れるようになったギボールの横で、太公は床に倒れたまま、こと切れていた。

 その後、盛大な葬儀が終わるやいなや、ギボールは宮廷を出された。母親により「病弱」と判断され、公府の城外に代々の薬園を構える薬師のもとへ託されたのだ。ちょうど同じ年齢くらいの息子がいることも「幸い」し、守役として指名されたのである。

「それがカドーシュの家だ。おれは宮廷に入るまで、そこで育った」

 「カドーシュの家」と言ったが、そこは確かにギボールにとっても「家」であり、「家庭」でもあった。守役夫妻の「忠誠心」というより「愛情」に包まれ、公国一とも言われる識者の薫陶を受け、また市井の人々とは文字通り肌で触れ合いながら、まさに自由闊達に青春を謳歌しながら成長した。

 そんな居心地の良い日々が永遠に続くかと錯覚しかけた、そんな時だった。

 ギボールが十七歳のとき、公国内にある布告がなされた。弟であるオルファニム公子の婚約の報せである。

 ギボールはそこになんの感慨も持つことはなかったが、カドーシュは違った。その夜、カドーシュは「主人」の部屋を訪れ、こう告げた。

「ギボールさま、ご決断の時です」

 最初、ギボールには意味がわからなかった。だが、カドーシュの表情はいつになく真剣で、さらに続けた。

 序列を重んじる宮廷において、継嗣である兄より先に弟が婚約するのは異例のことだった。しかも、相手は王都から王族の姫を迎えるという。カドーシュははっきり言った。公主閣下は弟君を後継にしたいと思っている、この婚約はその「箔付け」である、と。

 ギボールは公主の「地位」には何の魅力も執着も感じることはなかった。会ったこともないが、「母親」がそれを望むなら、と思わないわけでもなかった。が、一方で公主として「やりたいこと」がたくさんあるのも事実だった。これまでの人生で名もなき民たちの姿をその目で見、声をその耳で聞き、彼らのために行動するには公主という「権力」が必要だったのだ。

 珍しく逡巡するギボールを前に、カドーシュは冷徹にさらに言った。公主として「公人」の立場を選べば、「できること」より「諦めること」、また「やりたいこと」より「やりたくないこと」のほうが多くなるだろう。そもそも「きれいな権力」なぞ存在しえないのだから、宮廷というもっとも煌びやかで、もっとも醜い「汚泥」にまみれて生きることになる。その覚悟がないのなら、いっそその地位を譲り、「私人」としての自由を選べばいい。ただし、この公国には留まれなくなる。あなたの存在は次期公主を擁する者たちにとって、邪魔な存在でしかないのだから、と。

 黙って聞いていたギボールは、ややあって小さく口を開いた。

「カドーシュ、ひとつ訊いていいか。おれがどちらの道を選ぼうとも、おまえは──付いてきてくれるか」

 対してカドーシュは無言のまま静かに跪き、館の中でも常に佩いている短剣を目の前に置いて頭を垂れた。そして、一言だけ告げた。

「──『我が唯一の君』」

 それはサンダルフォン王国の創建から伝わる古い姿勢と言葉だった。生涯、ただひとりの人間に忠誠を誓うという。

 それを目の当たりにして、ギボールの心は決まった。

 婚約の儀の当日、ギボールは宮廷に初めて姿を現した。ラーディガストの公太子として。そのとき、彼が浴びた視線──母や貴族や廷臣たちからの様々な感情がこもったそれを、生涯、忘れられないだろうとギボールは思った。

「その後、あいつに何があったのか、おれにはわからん。だが、あいつは──初めて会ったおれを『兄』と呼び、ただひとり、心から笑いかけてくれたあいつは、次に会ったとき、冷たくなっていた」

 公式には、誤って露台から落ちた事故と発表された。

 ただ、カドーシュによると、婚約の儀は執り行われたものの、ほどなく王都から婚約破棄の通告が来たという。先方にしてみれば、ラーディガストの「公太子」と婚約するはずだったのだから、約束を反故にしたのはこちらだというわけである。その後一年のあいだにオルファニムの周囲で何があったのか、ましてや彼の心のうちまでは、カドーシュは何も語らなかった。

「おれが死なせたのか」

 ギボールの誰に問うでもない言葉にも、カドーシュは肯定も否定もせず、やはり何も答えることはなかった。

 動かなくなった弟と対面しても、ギボールは不思議と涙が出なかった。正直、自分が悲しいのかどうなのかもよくわからなかった。ただ、もう逃げることはけっして許されないと思った。

 慌ただしい葬儀の準備のさなか、ふたりの息子の母であったフィランジェリはみずからの母と同じように、突然、譲位を発表した。そして葬儀と即位式が終わると、失った息子と夫とともに公府を去り、公主一族の代々の墓所がある離城に隠棲した。最後まで、残されたもうひとりの息子には一瞥も与えることはなく。

 ギボールが公主として最初に行ったのは、カドーシュを筆頭書記官に任ずることと、国中にある布告を発することだった。すなわち、謁見を一般の庶民にまで許すことと、民の「声」を聞くための「箱」の設置である。その「箱」は公主みずからが封印し、ふたたび公主のみが開けることを許された。サンダルフォン王国内にも他に同様のものは存在し、またラーディガスト公国の永い歴史のなかでも前例はあったが、絶えて久しいことも事実だった。

 多くの名もなき「声」を目にし、ギボールは当然、すぐに動こうとした。が、それを止めたのは、ほかならぬカドーシュだった。もっとも信頼すべき者に反対され、当惑したのはもちろんのこと、当然のごとく理由を問う主君に対し、書記官の答はあまりにも簡潔だった。

「今はまだ、その『時』ではございません」

 その言葉に、この国の最高権力者は従うしか術はなかった。それからの2年は、日々の政務は行うものの、それは前時代までの延長のようなもので、彼にとって、それまでの人生でもっとも辛い年月になった。惰性のような政務や自分が非難されることがではない。こうしているあいだにも苦しみ、悲しんでいる人間が存在し、彼らのために何もできないことが、である。

 ギボールのけっして長くはない「気」が限界に達しかけ、同時に新しい公主の出現に警戒していた者が安心し、期待していた者が失望を深くし始めた、そんな「時」である。カドーシュはふたたび言った。

「よく辛抱なさいました」

 その笑顔に、ようやくギボールは悟った。我慢の時を経て、真の「敵」と「味方」を見極め、堰を切った公主の「権力」はまさに怒涛のごとくであった。大臣や地方の長官をはじめ、国家に巣食う幾多の害虫どもを罷免し、あわせて数多の有用な人物を身分にかかわらず登用した。そして、これまでずっと記憶にとどめていた民の声に応え、数々の国内改革を実行したのである。

「前例がないほどに敵を作った公主と言われていることに、おれはむしろ誇りを持っている。あのとき、『公人』として生きることを決めた以上、何もしないことほど恥ずべき罪はないからな。だから──」

 ずっと遠くを見ていたようなギボールが、初めてルシィナをまっすぐに見つめた。

「どこかで、家族を持つことが怖かったのかもしれん。『公人』の責務を果たすことが第一義である以上、『私人』としての感情を抑えなくてはならないこともある。それでも、初めて思ったんだ。ともに生きたい、ともに生きてほしいと──おれの妻として」

 相対したまま、何も言えないふたりのあいだに、しばらく静かな時間だけが流れた。

「かならず幸せにするとは言えないが、おまえのことはおれが守る。だが、まず守らなければならないのはもっとも力のない民だ。むろん、ずいぶん勝手なことを言っているのはわかっている。だからこそ、その覚悟をしたうえで、心を決めてくれ」

 それまでどこかに控えていたカドーシュが、いつのまにか姿を現していた。それを認め、ギボールは先にひとり、振り向くことなくその場を去っていった。

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