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幕間

 一刻も経たず、カドーシュは帰ってきた。

 すると、すぐに控えの間で、不安な表情を隠そうともしない侍従になにやら耳打ちされた。わずかに苦笑を浮かべると、寝室への扉を叩くこともなく入っていった。

 はたして、目の前には昨夜と同じ光景が広がっていた。つまりは、床に脱ぎ散らかされた衣装と、ソファに転がった主君の姿である。

「閣下、ただいま戻りました」

「………」

「お休みまえに、明日のご予定を──」

「……おまえ」

「はい?」

「おまえ、おれに会いに来る連中を調べていたのか」

「はい」

 事も無げに答えるカドーシュに対し、ギボールがソファから上体を跳ね起こす。

「なんでそんなことをしたんだ! おれに会いたい人間は、誰であろうと通せと言ったはずだぞ」

「それが、あなたに仇をなそうとする者でもですか」

 カドーシュの緑瞳が途端に冷たく光り、ギボールの勢いをくじいた。

「あなたに危害を加えようとすれば、当然、主君を守ろうとする者たちが最初に傷つく。それでもよろしければ、いかなるご命令にも従います」

「………」

 ギボールという人間が、自身より、自分が大切に思っている人間が傷つくのを恐れていることは、当の本人よりもカドーシュのほうがよく知っていた。あからさまな皮肉にぐうの音も出ない主君に対し、今度は不気味なほどの優しい笑みをもって続ける。

「心配なさらずとも、お通ししなかった者はごくわずかです。当初のご命令どおり、あなたに献言を希望する人間は、身分や地位にかかわらず拝謁を許しております」

「その『ごくわずか』な連中はどうしたんだ」

「あなたがご存じなくても良いことです」

 そのとき、カドーシュは窓を閉めようと背中を向けており、その表情は見えなかった。ギボールにとっては、むしろそのほうが幸運だったかもしれない。

「それで、どうなさるのですか」

「あ?」

「ルシィナどののことです。お心はすでに決まっておられるのでしょう」

「………」

 ギボールがソファに座り直し、カドーシュがその正面に立つ。

「まあ……な。だが、あんな結果になってしまって、今さら……」

「『結果』はまだ出ておりません。あなたは何もなさっていないではありませんか」

「いや、辛い過去を無理に吐き出させ、あげく、頭ごなしにあんなことを──そういえば、どうしてもわからんことがある。なんで、おれが礼を言われたんだ」

「あなたに救われたからでしょう」

「宴の夜のことなら、その礼はもう済んでいるだろう」

「は?」

 本当にわからないのかという、カドーシュにしては珍しい表情を浮かべる。

「あなたはルシィナどのを過去のくびきから解放なさったのですよ」

「おれが?」

「これは、あくまでわたしの推測ですが──」

 カドーシュの瞳が遠くを見やるように、ギボールを見つめた。

「あの方は待っておられたのでしょう。おそらく、故国を離れてから、ずっと」

「何を?」

「ご自分を無理にでも『現在』に引き戻してくださる人を」

「……?」

「理不尽な形でご両親と故国を失った悲しみは、確かに筆舌に尽くしがたいものでしょう。でも、人は思い出だけでは生きていけません。それほど強くも、弱くもない──」

 そのとき、ギボールの脳裏をよぎるものがあった。

「『ルシィナ』となられてから、あの方は泣かれたことがなかったのではないかと推察いたします。周囲の人間を悲しませないようにとの配慮からでしょうけれど、そのためにご自分にまで『悲しむこと』を禁じてしまい、『過去』から逃げられなくなった。そんなとき、あなたはおっしゃった。『今、ここにいる』と」

「………」

「過去を忘れろとは申しませんし、黙って寄り添うべき時期も、確かに必要です。でも、あなたのいらっしゃる『新しい世界』──『未来』に飛び込むには、『過去』から『現在』に軸足を移さなければならない。そのためには悲しむべきときには悲しみ、辛いときには無理に前を向く必要はありません。その上で、今を生きる覚悟を──」

「カドーシュ」

「はい?」

「おまえ、どこまで知っていた?」

 今度は、ギボールの瞳がカドーシュを鋭く見据える。

「ずいぶんと都合よく事が運んだものだな。おまえなら、彼女の出自に疑問を持つのも不思議ではないと思っていたが……それにしても、すべてはおまえの想定内、いや、計画どおり──」

「ご明察のとおりです」

 カドーシュがまたも事も無げに答え、そして続ける。

「あの方の出自を、わたしはすでに存じておりました。それをなぜ知らないふりをしていたか、ですか? ご自分から吐き出したうえで、止まった時間をみずから動かさなければ、なんの意味もないからですよ。まあ、それでも沈黙を守られるようならば、それがこのたびの『結果』であり、あなたにしても同じこと。あの場で何もできなければ、それもまた『結果』です」

 終始、涼しい顔で滔々と語るカドーシュに、ギボールは、反論はおろか怒りを感じることさえできず、ただ呆れたように「感想」を漏らすだけだった。

「まるで、他人事のようだな」

「他人事ですよ、わたしのことではない。わたしはただ、あなたが良ければ、それで良いのですから」

「また、それか」

 ずっと前から聞き慣れた言葉に、ギボールが小さく笑う。だが、カドーシュは笑っていなかった。

「もう一度だけ、お伺いします。どうなさるのですか」

「そうだな。昔からからめ手は苦手だ。正面から当たって、それで砕けるのも、まあ、慣れているしな」

「結構ですね」

 天与の美貌に、ようやく暖かな微笑が浮かんだ。

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