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静夜

 ギボールとルシィナの婚礼は十一月の末日に決まった。

 毎月の最終日は公主の休日であり、翌日の定例報告に備えて、各地の長官が来府する日でもあった。「旅立ちの門」から大神官を招いたうえで婚礼の儀は行うが、婚約の際のような祝宴は開かず、その日の正午にふたたび民衆へのお披露目をもって、一連の儀式は終えられることとなった。

 ルシィナの体調は一進一退を繰り返しながら、しかし、けっして楽観視はできない状態であった。ギボールもなるべく内廷に足を運んでいたが、それが迎える側の負担になることもあり、顔も見られずに引き返すこともしばしばだった。

「カドーシュ、ルシィナは儀式に耐えられるだろうか」

「正直に申し上げて、かなり厳しいかと思います。ですが、ルシィナさまのことです。あなたのお立場のことを慮られ、どうあっても出られるでしょうね」

「おれの立場なぞ、この際、どうでもいい。これ以上、つらい思いはさせたくない」

「お気持ちはわかりますが、わたしたちにできることは、当日、できうる限りのお支えをすることです。その準備や指示はできています」

「頼む」

 何度となく同じ会話を繰り返しながら、やがて日は経ち、一週間前になって、まず老齢の大神官が来府した。今回はホミニスが同行していなかったことに、ギボールは両親の葬儀の際の「失態」を謝罪することも挽回することもできなかった落胆と同時に、一方で顔を合わせずに済んだという妙な安堵も感じていた。

「大神官どの、ルシィナのことは聞いておられると思う。挨拶ができず心苦しいと言っていた」

「それはそれは、このような老人にお気遣い、いたみ入ります」

「遠路、お疲れだろう。今夜は城内の部屋でゆっくり休んでくれ」

「そうさせていただきましょう」

 翌日からは婚礼の打ち合わせや予行が始まり、ルシィナも体調を押して姿を現した。大神官との対面時、膝を折ろうとするのを、ギボールと女官長、さらには大神官までがいっせいに止めようとするひと幕まであった。

 儀式はできる限り簡潔に催されることになった。ルシィナの婚礼衣装も最上の品質ながら、その意匠は簡素に作られ、装飾品も宝冠だけとし、その体に負担がかからないよう最大限、配慮された。

 二日前にはトシュラータから公主夫妻も到着し、ギボールはわざわざ公府の城門で出迎えた。そうして迎えた十一月末日の朝は、眩しいほどの晴天だった。

 高い位置にある窓から差し込む陽光に照らされた城内の神殿で、トシュラータ公主夫妻を筆頭に国内の貴族や高官が見守るなか、深沈たる威厳と神々しいまでの美しさをたたえて入場したギボールとルシィナは大神官の前で結婚の誓約を交わした。その後、公主とその配偶者のみが用いられる紋章入りの指輪をたがいの左の薬指にはめ、最後に口づけを交わして正式な夫妻となった。トシュラータの「観月の宴」で出会ってから、八か月後のことである。それと同時に城の鐘が鳴らされたのを合図に、公府中で祝鐘が鳴らされ、街中では民衆に酒や食べ物が振る舞われた。

 神殿での婚礼の儀式が終わると、ギボールとルシィナはその足で城の広場に面した露台へと向かった。トシュラータ公主夫妻も露台に立つはずであったが、エティーシャは婚約時の「事件」の衝撃がいまだ癒しきれず、ラツィエルとともに室内にとどまった。

「ネツァー閣下、公妃さま、おめでとうございます!」

「おふたりに幸いあれ!」

 露台にふたりの姿が現れると、春の日と同じように広場から歓声が上がった。完璧な警護を敷いてはいたが、ギボールはルシィナを自分のややうしろに下がらせ、眼下の民衆には笑顔を見せつつも、その瞳は周囲に鋭く向けられていた。あるとき、それに気づいたルシィナがギボールの腕にそっと触れ、安心させるかのように微笑みを見せた。

 十分程度の短い時間ではあったが、公妃の美しい微笑みを国民の心に焼き付け、ふたりは室内に退いた。その直後である。

「ルシィナ!」

 足から崩れ落ちるルシィナを、とっさにギボールが抱きとめ、悲痛な声で呼びかける。しかし、その目は閉じられたまま、開くことはなかった。

 ふたたびルシィナの目が開けられたのは、丸二日経った深夜であった。かすかに頭を動かすと、寝台のかたわらにオルディネが座っているのが見えた。

「公妃さま!」

 気づいたオルディネが立ち上がり、あるじの顔を覗き込んだ。あの気丈な女官が一瞬、瞳を潤わしていた。ルシィナが微笑み、上体を起こそうとするのを、オルディネが慌ててとどめる。

「起きられてはなりません。どうかそのまま。すぐに医師をお呼びします」

「……オルディネ」

 身をひるがえそうとするオルディネを、ルシィナが呼び止める。

「はい」

「お子は……」

「ご無事でございます」

「よかった……」

 その言葉にルシィナは深く息をつき、ふたたび目を閉じた。瞼の下からは一筋の涙が流れ落ちた。

 ほどなくオルディネが母でもある女官長を連れて戻り、ややあって宮廷医長と助手が駆け込んできた。老齢の医師がルシィナの脈を診たあと、厳しい表情で告げる。

「公妃さま、はっきり申し上げます。非常に危険な状態でございました。ご出産まで絶対安静にしていただきます」

「はい……ところで、オルディネ」

「はい、公妃さま」

「今、何どきですか?」

「夜の二時を過ぎたところでございます」

「では、閣下には朝までお知らせしないでください」

「しかし、閣下にはいつ何どきであろうとお知らせするよう命じられております。それに──」

「ルシィナ!」

 オルディネが言い終わるより早く、扉を派手に開けて飛び込んでくるものがあった。

「閣下、お静かに」

 女官長に鋭い視線でたしなめられ、ギボールは一瞬、たじろいだが、すぐに寝台に駆け寄った。

「閣下、ご心配をおかけしたうえ、このような時分に申し訳ございません」

「何を言っている。とにかく、無事でよかった──」

 ギボールがうつむき、大きく息をつく。安堵の表情ではあるが、眼下はやや窪み、疲労の色は明らかだった。よく見れば、深夜なのに寝衣ではなく平服で、この二日間、眠れていなかったことは容易に想像できた。

 ルシィナがそっと手を伸ばし、ギボールは慌ててそれを両手で包み込んだ。

「閣下、お子はご無事でございました」

「聞いている。だが、おまえが無事なことが一番だ。いや、こんなときに婚礼など、おれが無理をさせたばかりに、すまなかった」

「何をおっしゃいます。わたくしは──」

「閣下」

 ふたりの会話に医師が割り込む。

「公妃さまのご負担になります。今夜はどうかお引き取りを」

「そばにいてはいけないか。せめて、朝まで」

「しかし……」

「先生、わたくしなら大丈夫です」

 国の最高位のふたりから見つめられ、医師はほどなく陥落した。その際、ギボールにはそばにいるだけ、ルシィナには眠ることを約束させ、彼らを残してすべての人間が退室した。

「閣下、お寒くはございませんか?」

「大丈夫だ。それより、どうか眠ってくれ。また叱られてしまう」

 ギボールの言葉に、ルシィナが小さく笑う。その表情にいくらか安堵したギボールは、まだ握っていたルシィナの手を掛布の中にしまい、かたわらの椅子に腰かけた。その後、いくつか言葉を交わしたのち、ルシィナは眠りにつき、ギボールはその姿を見守り続けた。

 ひさしぶりのふたりだけの時間は、静かに流れていった。

 朝になってギボールが外廷の執務室に戻ると、カドーシュが待っていた。

「閣下、ルシィナさまのこと、伺いました」

「ああ」

 力なく笑い、それだけ言った途端、ギボールの体が傾くのを、カドーシュが慌てて抱き支える。

「閣下!」

「大丈夫だ、ちょっと眩暈がしただけだ」

「大丈夫ではございません。定例謁見やお客人の応対をなさったうえ、夜もほとんど眠っていらっしゃらないのでしょう。どうか少しでも横になってください」

「ルシィナを苦しめているのはおれだ。そんな資格はない」

「何をばかなことを。あなたが倒れて、誰が喜ぶのですか」

 カドーシュがギボールの体を支えながら、とりあえずソファに座らせる。ややあって、熱い紅茶を運んでくると、そのカップを主人の手に無理やり持たせた。

「カドーシュ、薬なんか入っていないだろうな」

「そうでした、忘れていました」

「おまえな……」

「お休みいただけなければ、お口にねじ込んででも、眠っていただきますよ」

 カドーシュの瞳には、およそ冗談とは思えない妖しい輝きがあった。ギボールは逆らうのをやめ、カップの中身を飲み干したあと、やはりカドーシュに支えられながら奥にある休憩室に入り、寝台にゆっくりと体を倒した。

 一昼夜眠ったあと、翌朝に目覚めたギボールは、ルシィナと、さらには彼が目覚めるのを待っていたラツィエルたちや大神官を謝罪とともに見送り、それから毎日、日中の執務と晩餐後に内廷の妃を訪ねた。彼女の体調が良いときは言葉を交わし、眠っているときには顔だけを見て、出産可能な日をひたすら待つ日々だった。

 そして、寒さも増していった十二月も半ばを過ぎた夜、ギボールは侍従の悲痛な声で起こされた。

「閣下、公妃さまが──」

「ルシィナが?!」

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