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虚実

 翌朝、ギボールのもとを訪れたトゥルスの報告は、けっして喜ばしいものではなかった。いわく、婚礼前に生まれた子を、嫡子として認めた例はない、と。

 トゥルスはルシィナの懐妊を知らされて以来、ジェシェウに命じて、公主一族の歴史を史書により調べさせていたのだ。

「そうか。ご苦労だった」

 ギボールが明らかに意気消沈するのを見て、しかしトゥルスはこうも続けた。

「閣下、サンダルフォン王国とともに公国が誕生して以降六百年あまり、正妃さまが常にお子に恵まれるとは限りません」

「そのときは親族、例えば弟妹やその子たちが継ぐのではないのか」

「正妃さまとはお子を成せずとも、ということでございます」

「だが、庶子には継承権はないはずだろう」

「みずからの血を分けたお子がいながら、公主の地位をみすみす『他人』に譲り渡す人間はそうはいないでしょう」

 口を開いたのはカドーシュである。きょうだいが他人より厄介な間柄になるのは珍しいことではない。現に、サンダルフォン王国の建国においても例外ではなかった。

「つまり、どういうことだ?」

「婚礼前に生まれた愛妾とのお子を、のちに正妃さまとの嫡子として召し上げた例がございます」

 それに気づいたのもジェシェウだった。公主の第一子が誕生後数年たって──表向きは、生まれつき病弱で療養していたということにはなっていたが──公表されたこと、併せてその直前に、愛妾が前触れなく「病死」していたことに疑念を抱き、当時の宮廷医による公主一族の診断記録を片端から精査した結果である。

「できるのか、そんなことが」

「誕生後、数年もたてば、年齢などごまかせますよ」

 主君の驚愕に対し、カドーシュが冷徹に言い添える。一方、ギボールは子を取り上げられたあげく、突然「消えた」生みの母親のことに思いを馳せていた。

「お生まれになったお子は秘密裏にお育てし、婚礼後、正式にご誕生を公表なさるがよろしいかと。数か月のことでございます」

「………」

「閣下?」

 難しい表情で黙っているギボールに、カドーシュが声をかける。ややあって、ギボールがトゥルスに対して口にしたのは、意外なことであった

「……婚礼を早めることはできないのか」

「服喪期間を切り上げるということでございますか?」

「ああ。たとえ数か月でも、生まれた子を隠すというのは……」

「お気持ちはわからなくもないですが、一生涯、隠し通すということではないのですよ。そもそも、あなたの『軽率な行為』のせいでしょう」

 「真実」を無慈悲に言い放つ書記官と、気まずそうな表情の公主を同時に見やり、トゥルスが思わず目を丸くする。ふたりの関係性は周知のこととは言え、目の当たりにするのは初めてだった。

「わかってるよ。とにかく、ルシィナとも相談を──」

「ルシィナさまに逃げないでください」

「逃げるってなんだよ」

 冷徹な表情と口調を隠そうともしないカドーシュに、ギボールが口を尖らせる。

「ルシィナさまにお伝えすれば、余計なご心労をかけるだけです。『決断』はあなたがすべきことです」

「………」

「閣下、恐れながら……」

 ギボールとカドーシュの睨みあいに、トゥルスがようやく割り込む。

「服喪期間を短縮すること、できぬわけではありません」

「方法があるのか?」

「そもそも公国法ゆえ、国内で変更は可能です。例えば我が国の第一子継承も、王族や宮廷貴族では男子のみが後継とされるなど、王都と公国での差異は珍しいことではありません。ただし、王都の形ばかりの『承認』は必要ですが」

「王都よりも国内のほうが面倒そうだな」

「はい。さらには、王都へもそれなりの『礼』は必要かと」

「つまり、金か」

「お気には召さないでしょうが」

 ギボールの表情が曇るのを確かめずとも、トゥルスとて公主の性格はわかっていた。

「トゥルス、その金は公主の手元金で賄えるか」

 手元金とは、公主が私的に使うことを許された費用である。名目上は公務やその立場のために必要な経費と区別してあるが、過去にはその境界が事実上崩され、湯水のように浪費された例も少なくない。

「恐れながら、法の変更ゆえ、お手元金でなくとも──」

「いや。民が納めてくれた金は本来、民と国の安寧のためのものだ。おれの事情でやすやすと使うことはできん」

「可能ですよ」

 ギボールが言いきるより早く、カドーシュが口を挟んだ。

「カドーシュ、おれは──」

「そちらではありません。お手元金で、ということです。あなたが即位なさってからというもの、ほつれた下着を繕わせて衣装掛を困惑させるわ、お食事は兵士と同じものを食わせろと料理人たちを泣かせるわ、せめてもの『贅沢』といえば、微行の際、市場で買い物なさるくらい。さらには──」

「あー、もういい。そもそも、なんでそんなこと知ってるんだよ」

「あなたのことで、わたしの耳に入らないことがあるとでも?」

「………」

 思わず絶句するギボールとトゥルスに同時に見つめられ、カドーシュが不敵な笑みを返す。

「そ、それより、余った手元金は国庫に返納していると思っていたぞ」

「貯えさせていただいていましたよ。将来、どんな女人をお迎えするはめになるかわかりませんでしたし」

 まるで息子の俸給を管理する母親のような言い回しに、トゥルスがふたたび目を丸くする。が、すぐに我に返り、一歩下がってから跪いた。

「では、閣下、どうぞご下命を。服喪法を変更せよ、と。法務大臣を拝命いたしました者として、かならずや成し遂げてみせましょう」

「ああ、頼む」

 退室し、足早に廊下を行きながら、トゥルスは表情がほころぶのを感じていた。ギボールが民のことを思う気持ちがうれしかったのだ。岳父の秘書として政治の中枢に関わるようになって以来、自身もまた醜いものをたくさん見聞きしてきた。そんなとき、新しい公主が即位し、彼に期待し、いったんは失望し、そして、この人たちこそ何かを変えてくれると目を覚まされた年月だった。

 一方、執務室では、ギボールが天を仰ぎ、大きく息を吐いていた。

「うるさいだろうな」

「そうでしょうね」

「だが──」

「矢は放たれました」

 ギボールが顔を下げ、真剣な表情でカドーシュに目を向けた。

「カドーシュ」

「はい」

「どんな非難もおれがすべて引き受ける。だから、ルシィナの耳には心無い言葉はけっして入れるな」

「心得ております」

 ふたりが不敵な笑みを交わしてのち、三日と経たず、公主の執務室には謁見の希望者が長い列を作っていた。法務大臣により服喪法の改変の方針が示されたからである。

 当初、トゥルスはギボールに対し、すべての批判や反対は自分が引き受けると申し出た。しかし、ギボールはそれを断り、しかも改変の理由──ルシィナの懐妊までも公にするよう指示したのだ。みずからの「軽率な行為」を後悔してないと言えば嘘になるが、いずれはわかることであり、なにより都合の悪い真実こそ隠してはならないことを知っていたからである。

 そして謁見の希望者の中には、プラキデの姿もあった。

「公妃さまのご懐妊のよし、閣下には心よりお喜び申し上げます」

「……ああ」

 慇懃無礼を絵に描いたようなプラキデの態度と言葉に、ギボールはあからさまに不機嫌な表情と口調で応えた。

「それで、おまえも文句を言いに来たのか。伝統ある法を変えるな、とか、ルシィナとの婚約を解消しろ、とか」

「何を仰せです。わたしはただ、祝賀の意をお伝えしに参りましただけ」

「祝賀だと? ルシィナを紹介したとき、おまえたち元老は──」

「はて。わたしはあのとき、反対の意思をお示ししましたかな」

「それは──」

 確かに、覚悟の上とはいえ、口々に猛反発したのはその他の元老たちであり、プラキデはひと言も発してはいないはずだった。ギボールが悔しそうに言いよどむのを見て、かたわらのカドーシュが笑いをかみ殺す。

「まことに私事ではございますが、服喪の期間を短縮していただければ、我が娘の婚礼も早められるというもの。そして閣下には、晴れてご婚礼とお子のご誕生を迎えられるというわけで、父として、また臣下としてこれを喜ばずして何を喜びましょう」

 笑顔で滔々と語るプラキデを見ながら、ギボールは今さらながらこの男の真意がわからなくなった。「伝統」とやらを何より重んじる元老の長でありながら、主君をあざ笑うことのほうが大事なのか、と。

「さて、お忙しい閣下のお時間をこれ以上、頂くのは忍びないゆえ、失礼いたします。おお、そういえば、閣下は近頃、市井を賑わせる『噂』をご存じですかな」

「噂?」

「ここ数か月というもの、太公ご夫妻のご不幸に始まり、天候不順や穀物の不作、さらには伝統ある法の改変による混乱──すべては公妃さまを我が国にお迎えしてからのこと。『あの女は疫病神だ』という『噂』が──」

「なんだと!」

 プラキデが言い終わるより早く、ギボールが顔を真っ赤にして立ち上がる。

「閣下のご心中、お察ししますぞ。まったく、まことに民衆というのは下品な『噂』ほど好きと見えますな」

 あまりに期待通りの公主の反応に、小さく、しかし残酷な笑みを浮かべながら、プラキデは退室した。怒りの持っていき場のないギボールは、控えの間への扉が閉まるやいなや、たまらず机を拳で叩きつけた。

「なにが市井の『噂』だ。それを流しているのは、どうせおまえたちだろうに!」

「まあまあ、閣下」

「カドーシュ、落ち着いてるんじゃない。これが黙っていられるか!」

「では、どうなさいます。巡察使の『目』を民のほうに向けて、ことごとく取り締まり、罰しますか?」

「できるわけがないだろう、そんなことが」

 ギボールが巡察使を使うのは、民ではなく支配層を監視するためである。国民が思いのままを口にする「自由」を守ることは、公主として彼らの「命」を守ることと同じくらい、いや、それ以上に大切だという信念を持っていたのだ。たとえ、それが自分への誹謗中傷であっても。

「まあ、あんな話を聞かされて、あなたに冷静にと申し上げても無理でしょうけれど、あのご老体を喜ばせてはしまいましたね」

「………」

「ルシィナさまのお耳に入らなければよいことです。トゥルス卿が改変の実務を取り仕切ってくださっているあいだ、あなたはなすべきことをなさってください。次の謁見の方をお迎えしてもよろしいですね?」

「……ああ」

「でも、言質は得ましたゆえ、利用できるものは利用させていただきましょう」

「なに?」

 謁見希望者の長い列が突如、雲散霧消したのはそれからほどなくのことだった。

 プラキデが法の改変に賛同した──謁見の場でカドーシュが告げたそのひと言は、またたく間に城内、そして公府中に広まり、反対していた貴族や官吏たちの口を塞ぐことになったのである。

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