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徒夢

 それは四年ぶりの再会だった。

「トゥーム?!」

「ジェシェウか!」

 城内の図書館で、かつての学友は顔を見合わせた。負けん気が強く、直情径行のトゥームと、理知的で、沈着冷静のジェシェウ。正義感が強いことを除けば性格はまるで反対だったが、同い年でもあるふたりは親友だった。成績優秀なジェシェウがトゥームに勉学を教え、姉に鍛えられたトゥームがジェシェウに剣術を教え、日が暮れるまで将来の夢や政まで議論する日々を過ごしていた。が、ある日突然、ジェシェウは両親とともに公府を去ったのである。

「なぜ、きみが城に?」

「なんで、おまえがここに?」

 同時に問いただし、そして同時に吹き出した。

「その衣装、近衛兵だね。それより、きみが図書館に顔を出すなんて」

「おれだってたまには、と言いたいところだが、お使いだよ。おまえこそ、いつ公府に戻ってきたんだ」

「つい先日だよ。実は──」

「そこのふたり、静かにせんか!」

 老齢の図書館長から一喝が飛ぶ。慌てて口をつぐんだ少年たちはたがいに苦笑し、小さな声で再会を約束して別れた。

 数日後、休みを調整したふたりは、城内にある近衛兵舎のトゥームの部屋で昼前に落ち合った。公主の婚約披露ののちのプロッフルの死により、キディエルが新しい隊長に就任すると、トゥームは隊長補佐官に任命され、隣の個室を与えられていたのだ。食堂からもらってきた軽食をつつきながら、近況など、尽きぬ話題で盛り上がる。

「へえ、オルディネさんがお妃さまの女官に」

「ああ、姉上は王都に行かれていたんだが、母上に呼び戻されたんだ」

「おばさんは女官長だし、お城で家族がそろったんだね」

「そうだな。まあ、おれには帰る家がないしな」

 トゥームの快活な表情に、一瞬、陰りがよぎる。はっとしたジェシェウが申し訳なさそうにしたのを見て、トゥームはあえて不満顔をして、ジェシェウを指先で小突いた。

「それより、いきなり姿を消しやがって。なんで何も言ってくれなかったんだ」

「ごめんごめん。父の異動で、ぼくにとっても突然のことだったんだよ」

「おじさんは有能な、法務官吏として将来を嘱望されていたと聞いたぞ。それがなんで、あんな田舎に」

「ぼくも詳しいことは知らないんだ」

 嘘である。ジェシェウは両親が話していたのをひそかに聞いていた。父親は当時の上役の不正を友人とともに告発しようとした。が、上役は元老の縁者であった。告発状は受理されたものの、父親はその意趣返しとして左遷されたのである。その結果をおおよそ予想していたのか、父親は告発状に自分の名前のみ記していたという。

「で、おじさんとおばさんは公府へ帰られなかったのか?」

「うん、このまま田舎で暮らすって。今回、後見人になってくださる方がいて、ぼくだけ戻ってきたんだ」

「後見人?」

「法務大臣のトゥルスさまだよ。今はそのお邸でお世話になっているんだ」

「すごいな。それがなんで図書館勤務なんだよ。おまえならもっと──」

「いや、まずは書物を読み込めって、お館さまのご指導なんだ」

「うえ~、おれには耐えられないな」

「だろうね」

 トゥームのわざとらしいほどにうんざりした表情に、ジェシェウが同調する。ふたりが笑い合っていたとき、不意に部屋の扉が開いた。

「トゥーム、邪魔するぞ。なんだ、客か?」

 現れたのはキディエルだった。近衛隊長の衣装を認めたジェシェウがすぐに立ち上がり、一礼する。それを無愛想に一瞥のみして、キディエルはトゥームに視線を移した。

「閣下から急なお召しがかかった。非番に悪いが、すぐに支度しろ」

「はい!」

 トゥームも立ち上がり、退室するキディエルに向かって頭を下げる。その後、急いで着替えながら、ジェシェウに話しかけた。

「ジェシェウ、悪いな。そういうわけだ」

「ひさしぶりにきみと話せて楽しかったよ。今度はぜひ、お邸にも遊びに来てくれ」

「いいのか?」

「お館さまなら歓迎してくれるさ。そうだ、ぜひオルディネさんも一緒に」

「ああ、楽しみにしているよ」

 ジェシェウを部屋の外まで見送り、ほどなく支度を整えたトゥームは隣室を訪ねた。待たせたのは長い時間ではなかったのだが、キディエルは葡萄酒のグラスを手にしていた。この新しい隊長は執務室でも常に酒の瓶とグラスをかたわらに置き、部下と対面するときはグラスを口にしていることが多かった。それは酒好きというより、みずからの口元を隠し、表情を見せないことに主眼を置いているとのもっぱらの噂だった。

「隊長、お待たせいたしました」

 公主への謁見を控えても酒かと思いつつ、トゥームは表情には出さなかった、つもりだった。その顔を見て、キディエルがにやりと笑う。

「主君に酒臭い息を吐きかけるつもりかとでも思ったか」

「え? い、いえ、そんなこと……」

「まあいい。おれも非番だったんだ。酔っぱらっていようと寝ぼけていようと、咎められる筋合いはない」

「………」

 トゥームはもう何も言わず、キディエルに付き従い、外廷に向かった。無言で歩きつつ、男にしては細身のキディエルの背中を見ながら、補佐官を命じられたときのことを思い出していた。

 前の補佐官はプロッフルより年嵩であり、その死とともに引退していたのだが、新隊長の名が発表されると、その後任にみずから手を上げる者はいなかった。そんななかで指名されたトゥームの異例の「出世」は、妬む者より同情する者のほうが多かったほどである。大いに戸惑いつつも拒むことはできるはずもなく、せめて理由を訊いたものの、キディエルから返ってきたのは「命令だ」のひと言だけであった。トゥームとて、彼の隊内での評判──腕は立つが、何を考えているかわからない変わり者、一匹狼、ついでに女たらし──は耳にしていた。ただ、そういう評判や噂話を鵜吞みにするつもりはなく、何事も自分でじかに接して判断するという姿勢は持っていた。

「閣下、仰せにより、ただ今まかり越しました」

 さきほどのうそぶく態度はどこへやら、キディエルは恭しく公主の執務室に入った。そこには、困ったような顔で机につくギボールと、その前には無表情のカドーシュが立っていた。

「キディエル、休みの日に悪かったな。なんだ、トゥームも一緒だったのか」

 ギボールがトゥームに目を留める。

「わたしの補佐官ゆえ、同行させました」

「そうだったな。すまん、遣いの者に私的な話だと言っておくべきだった。トゥーム、控えの間で待っていてくれるか」

「かしこまりました」

 トゥームが一礼して退室したあと、ギボールはやはり困惑した顔でキディエルを見やった。

「キディエル、単刀直入に言う。おまえに結婚の話が持ち込まれた」

「はい」

「相手というのが、その……」

「閣下」

 言いよどむギボールをカドーシュが促す。

「プラキデの娘だ。ヴェニスティといって、十七だそうだ」

「………」

 キディエルは眉ひとつ動かさなかった。ギボールはそれを、驚きのあまり硬直しているのだと推察した。

「とりあえず婚約をして、おまえの父親の喪が明けてから結婚をと言ってきてはいるが……キディエル、断ってもいいんだぞ。おれから伝えておくし──」

「かしこまりました」

「やはり断るか」

「いえ、お受けいたします」

「なに?」

 驚いて顔を強張らせたのはギボールのほうだった。一瞬、広い部屋が静まり返る。

「断れとのご命令ならば、お断りいたします」

「いや、命令するつもりはないが……」

「では、お受けいたします」

「………」

 ふたたび沈黙が流れる。ほどなく、場を取り持ったのはカドーシュだった。

「閣下、彼の意思は確認いたしました。もうよろしいですね」

「あ、ああ」

「キディエル、ご苦労だった。下がっていい」

「は」

 カドーシュに言われ、キディエルが退室したあと、ギボールは深いため息をつき、困惑した顔のまま視線を向けた。しかし、そのさきにいる男は始終、無表情のままであった。

「カドーシュ、どう思う?」

「何を、ですか?」

「決まっているだろう。あんなに簡単に結婚話を受けられるものか? しかも、相手はプラキデの娘だぞ」

「幸せにはなれないとわかっているのに、ですか?」

「そこまでは言わんが……」

「そうですね。それではヴェニスティ姫に失礼です」

「だが、あの娘はおまえのことを──」

「恋愛と結婚が別物だということは、貴族にとっては常識でしょう。結婚は家と家、力と力の結びつきですから。そこに個人の感情が入り込む余地はありません」

「それはそうだが……」

「支配階級の特権を享受しながら、結婚に自由恋愛を求めるのは強欲です。まして──」

「……おれは、それをやっちまったが」

 カドーシュの表情から何も読み取れないのはいつものことだが、今回はどこか冷たいと思いながら、ギボールがおそるおそる口を挟む。

「あなたはよいのです」

「あ?」

 面食らったような顔のギボールに、カドーシュが微笑む。それはそれで怖いものがあったが。

「でも、その分、負うべき責任が重いことは自覚なさっていますよね」

「あ、ああ」

「結構ですね。では、承諾の件はわたしから使者を送って伝えておきます」

「頼む」

 カドーシュは笑顔を絶やさぬまま、部屋を出た。ひとりで廊下を歩きながら、さきほどとは違う「笑み」を口元に浮かべて呟いた。

「幸せなお人だ」

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