弔鐘
ふたつの棺に納められた太公夫妻の遺体は、翌朝、公府の城から迎えに来た葬礼用の馬車に載せられ、ふたたび公府を目指した。
その道中、別の馬車の中で、ギボールはルシィナとカドーシュとともに、最期まで側近くに仕えた侍女頭にこれまでの両親の話を聞いていた。毎月、大神殿でオルファニムのための祈りを捧げていたことや、日々の何気ない逸話などが涙ながらに語られた。さらに、ギボールからの親書を受け取ってからは、結婚以来、常によそよそしかった夫妻の態度に変化が現れたという。事故の前日には、宿泊した館で、ふたりだけで長く語り合う姿も見られた。ひと晩では語りつくせなかったのか、馬車には夫妻だけで乗ることを希望し、そして──
「フィールさまは、太公さまをずっと愛していらっしゃったのだと思います……だから、とっさに庇われたのでしょう。そして、太公さまもまた、本当はご夫君を慕っておられたのです」
数十年前の結婚前夜、翌日の衣装を前にしたフィランジェリが、頬を薄く染めながら微笑んでいるのを侍女頭は目にしていた。
「ただ、あのお母上さまのご命令による婚姻だったため、おたがいにわだかまりを抱えられたまま、なかなかお心を通わすことができなかったのかもしれません──閣下」
彼女の話を、それまで視線を落として聞いていたギボールは、呼びかけられて顔を上げた。
「ご夫妻は閣下からのお手紙をお喜びでございました。離城を出立なさる前夜、太公さまがおっしゃったのです」
──わたくしはずっと願っていました。もし来世が許されるのなら、次の生では地位も富もいらない。ただ、子をありのままに愛してくれる親のもとに生まれたい。そして、子をありのままに愛せる親になりたい、と。でも、「親」としては、まだ遅くはなかったのですね──
「太公さまのあのような穏やかなお顔、わたくしは初めて拝見いたしました。閣下のおかげでございます」
「………」
三人の視線が主君に集まる。それを受けて、ギボールは視線を窓の外に逃がした。
それからは誰もが無言のまま、やがて馬車が公府の門を通ると、いっせいに弔鐘が鳴らされた。公府中にその音が響くなか、街道沿いでは民衆が頭を下げ、一行を見守っていた。
フィランジェリは民にとって、凡庸ではあったかもしれないが、けっして悪い主君ではなかった。むしろ、良き公主であろうと、慣れぬ政務や国民との交流に必死になる姿が痛々しいときもあった。そのさまを、廷臣たちの中には煙たがったり、嘲笑さえしたりする者もいたが、多くの国民はその姿勢に好感を持っていたのである。
九年ぶりに公府に戻った太公夫妻は、城内の神殿に安置された。たっての希望で、ルシィナが侍女頭とともに毎日、その棺に寄り添う一方で、ギボールは葬礼の準備のためにみずから走り回った。何かにとりつかれたかのように不眠不休で動く主君の体を、臣下の中には心配し、カドーシュに進言する者もいたが、一番近くにいて、何よりその心──今は目の前のことに忙殺されることで、襲い来る悲しみや自分への怒りから目を背けたい──を察している書記官は、小さく苦笑を浮かべるだけであった。
それから五日のうちに、「旅立ちの門」の大神殿からは大神官が、トシュラータからはラツィエルの両親である太公夫妻が公府に到着した。
隣国の太公夫妻がルシィナと内廷で初めて対面したとき、無言で深く腰を折り、頭を下げるルシィナを、太公妃もまた何も言わず、優しく抱きしめたという。
一方、城の入り口で公主に出迎えられた大神官は、背後に控えるひとりの神官を紹介した。ホミニスである。彼が毎月、太公夫妻の依頼でオルファニムのために祈祷を捧げていたことを告げると、ギボールは小さく「世話になった」とだけ言い、頭を下げた。
その際、大神官はホミニスとふたりだけで語らうことを勧めたが、ギボールは気遣いに感謝しつつもそれを辞退し、彼らの接待をかたわらの廷臣に託すと、まるで逃げるかのように執務に戻っていった。その後ろ姿を見つめながら、ホミニスもまた主君の心情を思いやりつつ、大神殿での最後の祈祷ののち、太公が吐露した心のうちは伝えることはできない、してはならないと思っていた。
そして五月二十二日、死去から七日、城内の神殿で葬礼の儀が行われた。その開始に合わせ、正午の鐘の代わりに、公府だけでなく国中で弔鐘が鳴らされた。儀式には元老をはじめ、おもだった廷臣や貴族たちが参列したが、ルシィナは正式な妃ではないため許されず、内廷で女官長たちと祈りを捧げていた。
葬礼中、ギボールは寄り添ってくれる相手もいないままでひとり、しかし、もはや涙は出なかった。弟のときと同じ、いや、それ以上に思い出すことが何もなかったのだ。ただ、それはこれから先、新たに作ることはできないという事実に、今は悲しみよりも絶望を感じるだけであった。
儀式はつつがなく終わり、長かったのか短かったのか、その間の記憶はないまま、ギボールは参列者に短い感謝の言葉を述べて回ったのち、騎乗して公府の城門まで葬列を先導した。ふたたび自分ひとりを残し、弟のもとへと帰る両親が門を出て、その影が彼方へ消えてもなお立ち尽くしたまま、その場を動かなかった。周囲の誰もが声をかけられぬなか、しばらくたってから、ただひとりがそばへと進み出た。
「閣下」
カドーシュが小さく呼びかける。その声で我に返ったギボールはゆっくりと踵を返し、馬上でも誰とも目を合わさぬまま、城へ戻っていった。そして自室へ入った途端、意識を失い、その場に崩れ落ちたのである。
「ご機嫌がよろしいようで」
その夜、豪奢な部屋でひとり、葬礼時の衣装も着替えぬまま、最高級の葡萄酒のグラスを傾ける主人のもとを訪れたセバースが声をかける。
「そう見えるか」
プラキデがちらりと目を向ける。
「主君の悲劇に哀悼の意を捧げているようには見えぬか」
セバースは答えなかったが、グラスで隠されたプラキデの口元は笑っていた。
「しばらくは喪に服することになられますゆえ、婚礼は延期なさざるを得ないでしょう」
「運のないお人よ」
プラキデはわざとらしく気の毒な表情をしたのち、グラスの中身を一気に飲み干し、呟いた。
「──さあ、どう来る?」




