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策動

 激しい靴音が牢舎の冷たい石壁に反響していた。

「閣下、お待ちください!」

 牢へと続く仄暗い通路を走るギボールを、カドーシュが追う。

「か、閣下?!」

 牢を前に突然現れた主君と、そのいつにない荒々しい形相に、見張りをしていたトゥームが驚きの声を上げる。

「牢を開けろ!」

「いけません、危険です!」

 続いて現れたカドーシュがそれを止める。

「開けろ!」

「いけません!」

 ふたりに真逆の命令を出され、気の毒なのはトゥームである。しびれを切らしたギボールが、トゥームではなくカドーシュに詰め寄った。

「なんで止める! プロッフルが死んだのは、こいつの仲間のせいかもしれないんだぞ!」

「隊長が?!」

 トゥームがふたたび声を上げる。そのとき、牢の中から尋常ではない笑い声が聞こえた。その場の三人が鉄格子の向こうを見ると、賊の男が焦点の定まらない目をし、よだれを垂らしながら笑っていた。それが正常な精神ではないことは、誰の目にも明らかだった。

「どういうことだ……」

 ギボールが誰に問うでもなく呟くと、途端、トゥームが頭を下げた。

「申し訳ありません!」

「トゥーム? 何があったんだ」

「実は……」

 トゥームの説明によると、先刻、上官が食事を運んできたので、場所を牢舎の詰所に移してとったあと、急な眠気に襲われたという。目が覚めて戻ってみると、牢の中の男はすでにこの状態だったのだ。

「毒ですね」

 カドーシュが顔色ひとつ変えずに言い、ギボールが顔を向けた。

「毒? だが、生きているぞ」

「殺しそこなったのか、それとも、精神を壊すのが目的だったのかはわかりません。ただ、これで、何かを聞き出すことはできなくなりましたね」

「わたしが眠ってしまったせいです。申し訳ありません!」

「トゥーム、おまえがいないあいだ、ここには誰かいたのか」

「それが……」

「わたしです」

 呼応するかのように、通路の奥から姿を現した人物があった。

「おまえは……確か、キディエルだったな」

「ご記憶に預かりまして、光栄に存じます」

 キディエルが恭しく頭を下げ、問われるまえに語り始めた。

「わたしがトゥームと賊の男の食事を持ってまいりました。しかし、食事を牢内に入れたあとは、この場を離れました。彼もすぐ戻ると思いましたので」

 キディエルがトゥームを感情のない目で見る。

「申し訳ありません!」

 ふたたび、トゥームが深く頭を下げる。今、牢舎に囚われているのはこの賊の男だけで、常駐の看守はいなかったのだ。

「その間に何者かが侵入し、毒を飲ませたというのか。だが、どうやって」

「眠っている人間から牢の鍵を盗むことは、そう難しくはないでしょう。むしろ、眠っていたからこそ、殺されずに済んだのかもしれません」

 ギボールの疑問に、カドーシュが答える。

「確かにそうだ。トゥーム、怪我はないか」

「は、はい。ありがとうございます」

 主君の心遣いに感謝したあと、トゥームは我に返ったように叫んだ。

「閣下、このたびの不始末の咎はお受けいたします。それより、隊長が……隊長が亡くなったというのは本当ですか?!」

「トゥーム……」

「なぜ……なぜ隊長が。何があったんですか!」

 身分も立場も忘れて無我夢中で迫るトゥームに対し、ギボールはその両肩に優しく手を置き、腰を曲げて目線を合わせた。

「トゥーム、残念だが、本当のことだ。おまえはここにいて知らないだろうが、さっき、ルシィナに矢が射られた」

「お妃さまに?!」

「ルシィナは無事だ。だが、プロッフルは……その責を負ってのことだろう。毒で自害していた」

「そんな──」

 トゥームが膝から崩れ落ちる。彼にとって、プロッフルとはただの上官と部下という間柄ではなかった。平民ながら、公主との縁故で入隊したトゥームを、貴族出身が多勢を占める近衛兵にはよく思わない者も少なくない中で、いつもさりげなく見守ってくれていた第二の「父親」のような存在だったのだ。いや、実の父親の記憶があまりないトゥームにとっては、それ以上の存在だったのかもしれなかった。

 主君の前で涙こそ見せなかったが、歯を食いしばって耐えるトゥームに、ギボールも気遣わしげな視線を向けていた。

「閣下、ルシィナさまもご不安のことでしょう。そろそろお戻りを」

 カドーシュの言葉に、ギボールが振り向く。

「カドーシュ、トゥームを休ませてやってくれ。ここはもういい」

「かしこまりました」

 ギボールとカドーシュは牢舎を出たあと、足早に城に戻った。場所を内廷の私室に移し、幾人もの近衛兵に守られながら、落ち着かない時間を過ごしていたルシィナは、ふたりの姿を目にして、とっさに走り寄った。

「閣下、ご無事ですか」

「ルシィナ、すまん。こんな目に遭わせてしまって……」

「閣下はとっさにわたくしを庇ってくださいました」

 ルシィナがギボールの右手を両手で優しく包んだ。曇りのない瞳で見つめられ、ギボールはそれ以上、何も言えなかった。

「わたくしのことより、近衛隊長どのが……」

「聞いたのか。だが、プロッフルのかたきは取る、どんなことをしても──」

 ギボールが我知らずもう片方の拳を握り締め、表情を険しくする。しかし、その決意とは裏腹に、新たな「賊」の捜索は困難を極めた。まるで、限られた者しか知らぬ「秘密の抜け道」でも使ったかのように、その痕跡も見つけられなかったのだ。

 一方で、広場に集まった民衆に対しては、負傷した者にだけでなく、その日のうちに全員に見舞金が支給された。人々は公主の気遣いに好感を抱くとともに、彼や、その妃に仇をなそうとした存在に思いを巡らせ、ある特定の人物たちに疑惑と憎悪の目を向けていった。

 そして、翌朝、プロッフルの遺体は家族に引き渡された。警護の役を果たせなかった「咎人」だと騒ぐ一部の高官を、ギボールはみずからの一喝とカドーシュの一瞥で黙らせ、親書を添えて見送った。そこには、責はいっさい問わず、職務に殉じたとして、貴族の身分と領地の安堵が記されていた。

「閣下、もうお休みください」

 夜、公主の寝室で、カドーシュが声をかける。しかし、ギボールはソファに座ってうつむいたまま、返事をしなかった。

「閣下」

「……カドーシュ」

「はい」

「おまえはどう思う」

「何を、ですか?」

「『賊』のことだ。やはり、あの連中──」

「証拠はございません。でも、そうだとしたら、どうなさいますか?」

「それは──」

 ギボールが思わず顔を上げる。だが、それ以上の言葉が出てこなかった。取り返しのつかない犠牲者まで出しながら、非情になりきれない自分が、それが弱さでもあると知っているからこそ歯がゆかった。

「おれは……公主として、失格かもしれんな」

「……お休みください、今日はもう」

 それだけ言って、カドーシュはギボールの前を去った。城内の私室に帰ってきたとき、灯りのない室内の窓辺に人影を認めた。

「よくやってくれたね」

 扉を閉めたあと、その影に向かって微笑みかける。雲間から差し込んだ月明かりに照らされたそれは、キディエルだった。

「さすが、隊一の弓の名手だ。牢舎でも、名演技だったよ」

 昨夜、カドーシュはキディエルにあることを命じていた──民衆へのお披露目の際、露台に矢を射ることと、トゥームには眠り薬を、賊には毒を盛ること、である。主君に大逆を成すような命令に、当然のごとくキディエルは驚き、理由を問うた。だが、カドーシュは「閣下のため」としか言わず、なぜか逆らうことはできなかった。

「なぜ、あの男を殺さなかったのですか?」

「『処分』はいつでもできる。生かしておけば、使い道もあるものさ。もっとも、もう元には戻らないけれどね」

「隊長の件は──」

「むろん、不可抗力だよ」

 カドーシュが平然と言ってのける。二の句が継げぬキディエルに、さらに言葉を続けた。

「そうそう。きみを新しい近衛隊長に推薦するつもりだから、その心づもりでいるように」

 前の隊長も自分が推したのだと付け加えた。対して、キディエルは驚くより皮肉めいた口調で言った。

「大逆人の息子を、ですか?」

「お父上のことは、閣下はむろん、誰にも伝えるつもりはないよ。きみもそのつもりでね」

「トゥームは知っています」

「あの子にはプロッフルどのから口止めしてあるし、口は堅い子だから心配はいらないだろう」

「ですが……」

「心配なら、きみの補佐官にして、見張っておくといい」

「……わかりました」

 キディエルが一礼して去ろうとしたとき、すれ違いざま、カドーシュが目を向けぬまま言葉をかけた。

「お父上に隊長就任のご報告も含めて、一度、家に帰るといい」

 さらに意外な「命令」に、キディエルが思わず振り返ったとき、カドーシュが呟くように続けた。

「たぶん、もう会えないだろうから」

 そのとき、薄闇の中、カドーシュの口元に小さな笑みが浮かんだのを、キディエルは認めた。そして、なぜこの男の命令に逆らえなかったのかがわかったような気がした。人として踏み込んではいけない「闇」に、自分はもう足を踏み入れてしまったのではないかと思ったのだった。

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