喧騒
ルシィナが入城してから、一週間が過ぎた。
外廷においてはギボールやカドーシュが「御披露目」の準備に追われ、元老には表立った動きがない一方、内廷ではひさしぶりに女主人を迎え、華やかな雰囲気が満ちていた。
その新しいあるじは城での初めての夜が明けてからというもの、日中は国史や国家機構を学び、日が暮れれば、女官や侍女たちとの交流に時間を惜しまなかった。侍臣たちも、就学の速さや気さくな態度に驚きながらも好意を示しており、すべては順調に進んでいるはずだった。
公妃となるべくして、いよいよ国内に広く披露される前日、つまり三月の最終日、それは起こった。
毎月の末日、公主は緊急時を除いて政務から解放される。とはいっても、城内の礼拝堂でその月の平穏を感謝し、翌月の安寧を祈るのが暗黙の日程だったが、「任意」をよいことに、現公主などはさぼりっぱなしだった。その日、外廷の自室で早めの昼食を終えたあと、珍しくひとりで内廷に向かったギボールは、その後、ルシィナとともに姿を消していた。
城で最後にふたりを確認したのは馬舎の役人らしく、そのとき彼が聞いた言葉というのが、「あれには言うなよ!」だったという。
その「あれ」が何やら予感を覚え、内廷を訪ねたころ、ギボールはすでに公府の門を抜け、郊外に向けて愛馬を馳せていた。
「もういいぞ。暑かっただろう」
背後の門が小さくなると、ギボールは馬の足を止め、みずからのフードを取った。その言葉を受けて、頭から被っていたショールを外したのは、同じ馬上にいるルシィナであった。
「悪かったな。突然、連れ出してしまって」
「閣下、わたくしは大変、楽しみなのです。今度はどんな新しい世界を見せてくださるかと」
そう言って、ルシィナが微笑む。馬上で、今までになく身近な距離でそれを見せられ、ギボールは思わず目を泳がせた。その美しさときたら、春の陽光よりも暖かく、香る華よりも艶やかなのだ。
「もう少し行けば、田園地帯が広がっている。走るから、しっかりつかまっていてくれ」
「はい」
ルシィナがふたたび馬の背に体を寄せ、ギボールが馬の腹を軽く蹴る。それからまたしばらく走り、やがて目の前には見渡す限りの小麦畑が現れた。晴天に浮かぶ雲の影を映す緑の野では、たくさんの老若男女が農作業に精を出していた。
「まあ、公主さま」
初老の農婦を最初に、周囲の農民や子供たちも気づいた。ただ、その中で誰よりも驚いたのはルシィナであった。本来、雲の上の存在である公主を目の前に、彼らはけっして緊張することも卑屈になることもなく、その接するさまは、むしろ懐かしい友人を迎えるのにも似ていたのだ。
「ひさしぶりだな。どうだ、生育具合は」
ギボールのほうも視察とかいうよそよそしさはまったくなく、馬を降りると、気さくに近づいて行った。
「はい、おかげさまで順調です」
「そりゃよかった。よし、おれにも少し手伝わせてくれ。たまには土の匂いを嗅がないと──」
ギボールが腕まくりをしながら畑に入ろうとしたとき、若い娘が馬上のルシィナに目を止めた。
「公主さま、あの女の方は?」
「ああ、そうだった」
ギボールが慌てて振り返ると、ルシィナはまだ馬上でじっと待っていた。
「あんなきれいな方、初めて見ました。あ、もしかして、あの方が──」
娘の顔がほころぶ。公主の婚約の報は、明日の「御披露目」の招待状の発出とともに、市井の民にも広く発布されていた。ギボールは今さら少し照れながらルシィナのもとに駆け付け、抱き下ろした。さりげなくその手を取り、畑のそばまで連れて行く。
「あらためて、みなに紹介しておきたい。ルシィナ・グラディアスという。おれの妻になる」
短い紹介の言葉に合わせて、ルシィナが丁寧に頭を下げる。対して、農民たちは待っていたとばかりに歓声を上げた。
「おめでとうございます!」
「いやあ、春からこんなめでたいことはない」
「さあ、お祝いだ。仕事はもうお開きだ!」
人々は口々に祝いの言葉を述べ、我が事のように喜んだ。老いた目に涙をためる者もいる。それを見て、ルシィナはあらためてギボールという人間像を実感した。
「公主さまもお妃さまもどうぞこちらに」
みなに取り囲まれながら、ふたりは畑脇の道を通って、開けた場所へ出た。そこには小さな櫓が組まれ、周りには花で飾られた灯火が立ち並んでいる。一目で何か祭の支度だとわかった。
「なんだ、準備がいいな」
ギボールがあたりを見回して言うと、ひとりが事情を説明した。ちょうど明日、村でも若者同士の結婚式が執り行われる予定だったのだ。花嫁は、先に馬上のルシィナに気づいた娘で、夫となる男性は所用で出かけていた。
「そりゃ、めでたい。よし、一緒に祝おう」
ギボールの言葉で、祝宴が始まった。まだ日は高いが、はや、酒やら食べ物やらが集められ、振る舞われた。
「お妃さま、お召し物が汚れてしまいます。すぐに椅子を──」
ルシィナがギボールやみなと同じように地面に座るのを見て、農婦が慌てて止めようとしたが、ルシィナは微笑みながら言った。
「ありがとうございます。でも、それには及びません。土の上での食事には慣れています」
そして、ギボールを筆頭にみなが食べて飲んで踊り、陽気な歓声がこだました。ルシィナもすぐに溶け込み、昔からの友人のように気さくに言葉を交わしている。小さな子供たちも美しい主君にすぐになつき、ギボールが席を外しているうちに、彼女の周囲には子供たちの垣根ができてしまっていた。
そのうち、ルシィナはギボールが遠くを眺めやったりして、人待ち顔なのに気づいた。するとしばらくして、どこからか馬蹄の音が聞こえ、数人の青年たちが馬を駆って現れた。その先頭の青年を目にして、ギボールは思わず立ち上がった。
「ラシュ!」
「ギボールさま!」
ギボールと、馬を降りた青年がたがいに駆け寄る。親しげなふたりを見つめながら、ルシィナはその青年が「ギボール」と呼んだことに驚いた。あの名は「家族」が使えるものだと、ギボールは言ったはずである。そのとき、ギボールがルシィナに向かって叫んだ。
「ルシィナ、おれの弟だ!」
ギボールの言葉にルシィナは余計に混乱した。肩を抱かれた青年も苦笑している。一方で、青年たちが戻ってきて、祝いの輪はさらに盛り上がった。彼らの中に、今回の主役のひとりである夫となる青年がいたのである。
「閣下、こちらの方は……」
「言っただろう。おれの弟──」
「ギボールさま、お妃さまが困っておいでです。そう言ってくださるのは、この上なく光栄なのですが」
二十歳前後だろうか。笑顔も爽やかな好青年である。ただ、端正な顔の左側にあるはずのものがないことにルシィナは気づいた。
「そうは言っても、どう説明すればいいんだか」
「よろしければ、わたしがさせていただきます。みなのギボールさまを独り占めしておくわけにもいきませんから」
「じゃ、頼む」
苦手なことから解放され、ギボールはあっさりその場を離れた。次に、ラシュがルシィナを取り囲む子供たちに何某かの言葉をかけると、あれだけ固かった垣根があっという間に崩れ、子供たちはどこかに駆けて行った。
「お妃さま、隣に座ることをお許しいただけますか」
「むろんです。それから、どうぞ『ルシィナ』と呼んでください」
「ありがとうございます。『ギボール』さまとお呼びするのも、本来でしたら不敬に当たりますのに、わたしくらいはそう呼んでほしいとおっしゃいまして」
ラシュは小さく笑った。この素朴な笑顔の裏に、ギボールとどんな関係があるのか──
「もう十年以上も前のことです。わたしがギボールさまとカドーシュさまに命を救われたのは」
彼はみずからの過去──まだギボールと出会うまえ、「人」ではなく「家畜」であったころに思いを馳せた。
ある大家の奴隷であったこと。屋敷を逃げ出し、ギボールとカドーシュに出会ったこと。仲間を助けるために屋敷に戻り、捕まったあげく、仲間とともに吹雪の森に置き去りにされたこと。村人に助けられ、手厚い介護を受けたうえ、息子として育てられたこと──
「吹雪のなか、仲間はわたしをかばい、帰らぬ人になりました。そのとき、左の耳を凍傷で失ったのです」
ラシュがみずからの左側の髪をかき上げ、ルシィナが思わず表情を曇らせる。
「両親はわたしを実の息子同様に慈しみ、育ててくれました。村人たちも快く受け入れてくれた。わたしはギボールさまやみなのおかげで、初めて『人』として生きることを知ったのです」
その表情に過去へのわだかまりはなかった。いつか、ルシィナがみずからの過去を受け入れたように。
「カドーシュさまには、これから先、何があっても生きぬくように言われました。ギボールさまは、仲間を救えなかったことを謝られたばかりか、いつか必ず、その『権力』を手に入れたとき、わたしと同じ子供たちを助け出すと約束してくださったのです。そして公主になられて二年、あの方は約束を果たしてくださった」
ラシュは遠くを見つめた。その笑顔に涼やかな草原の風か吹き抜ける。
「ご求婚に際し、ギボールさまがあなたに何を約束なさったか、わたしには知る資格はありません。ただ、あの方は必ずご自分の言葉を守られます。それは信じていただきたいのです」
真剣な表情を向けるラシュに、ルシィナはうなずくかわりに微笑んだ。それを認めて、ラシュもまた笑顔を取り戻した。
すると、ふたりの話が終わったことを確認したのか、子供たちがはにかみながら近づいてきた。先頭の子の手にはできたばかりの花輪が握られている。もうひとりの花嫁の頭にはすでに飾られていた。照れくさそうに差し出されたそれを受け取ると、ルシィナは子供たちひとりひとりの手を握り、ときには抱き寄せ、感謝の意を示した。ラシュはそれを見ながら、ふたたび子供たちに場所を譲り、みなの中へ戻っていった。
時間はたち、風が涼しさより肌寒さを思わせるころ、ギボールとルシィナはふたたび馬上の人となっていた。
「みな、元気でな。また会おう。ラシュ、おまえもそろそろ相手を見つけろよ」
「はい。わたしよりずっと年上のギボールさまが結婚なさることを伺って、わたしもようやく相手を探すことができます」
「おまえの言い方、あれに似てきたな」
一同に笑いが起こり、ふたりはいつまでも見送られながら、城への帰途に就いた。
「ちょっと遅くなってしまったかな」
「閣下」
「暗くなるまでには帰れるといいんだが」
「閣下」
「ん、なんだ?」
ルシィナの声は馬蹄の音にかき消され、何度目かにようやくギボールの耳に届いた。
「どうした?」
「今日は、楽しい時間を過ごさせていただきました。お礼申し上げます」
「そうか、楽しんでくれたのならよかった」
「ただ、このたびのこと、カドーシュさまにはご内密でしたの?」
「まあ、いつものことだ」
ルシィナのほうはかなり心配しているようだったが、ギボールはけろりと答えた。公主になってからも、カドーシュとともにおしのびで城を抜け出すことはあった。ただ、ひとりで出かけることは、カドーシュは嫌がり、そのときは帰城後の説教は必須だった。
「心配するな、慣れてるから」
ギボールは笑って言ったが、ルシィナはなぜか素直に微笑み返すことができなかった。
それきり何も話すことはなく、馬を飛ばした結果、夕食の時間までには城の門をくぐることができた。馬が完全に制止するのを待ちかねたように急いで下馬し、ルシィナを抱き下ろすと、走ってきた馬舎の役人に手綱を渡した。
「あとは頼むぞ。おれは気づかれないうちに戻るから」
「──これはまた、ずいぶんと長い『お庭の散策』でいらっしゃいましたことで」
背後からの声に、ギボールの体が反射的に固まり、かたわらの役人たちの顔からは血の気が失せる。ほの暗い世界で、冷たい緑の瞳だけが妖しく輝いていた。
慣れているはずのギボールがかつてない「何か」を感じるのは、その声音がいつもと違うからか。彼だからこそ、それを感じ取ることができるからなのか。
「まずはお夕食を。そのあと、内廷にてお待ちしております」
まるで感情のない、だからこそ寒気しか感じえない声で言い終わると、「それ」は音もなく去っていった。あとには、動けない男たちのあいだを冷たい風が吹き抜けるだけだった。
それから数時間後、重く、暗く、張り詰めた空気が室内に満ち満ちていた。つい一週間前、公主と妃が笑顔で語らいあった内廷の居間には、沈黙のとばりの中、三人の人物が存在した。ソファにはふたり、公主ギボールと、妃となるルシィナがやや離れて座っている。そしてふたりの前に立つのが、筆頭書記官であり、この空気の元凶とも言えるカドーシュであった。
どれほど時間がたったのか、卓上の飲み物の湯気が立ち消えたころ、ようやく聞こえてきたのは澄んだ女性の声だった。
「カドーシュ卿、どうか閣下をお咎めにならないでください。わたくしも、あなたに内密であることを承知のうえでご一緒したのです。むしろ、お止めすべきところをしなかったのですから、わたくしのほうこそ──」
「それは違うぞ、ルシィナ。おれが無理やり──」
「ルシィナさま」
それまで無表情だったカドーシュの顔に、ようやく笑みが浮かんだ。それはそれで不気味ではあるが。
「わたしは誰も咎めるつもりはございません。済んでしまったことを、ただ咎めても、何も生まれませんからね」
「では──」
「でも、これからのことは別です。ちょうど良い機会ですので、この場で明らかにしておきたいことがあるのです」
「明らかに、ですか?」
「はい。どうやら、わたしの期待ゆえの買い被りであった恐れがございますので。ご自分の置かれた立場も、背負っていらっしゃるものも、それがどれほど大きく重いものか──そんなことにもいまだお気づきになれない、お気の毒なほど無自覚な方に」
「……おい」
「いったんその場に立つと、背負うと決めた以上、けっして降りてはならない、降ろしてはならないものもございます。だからこそ、それ以前の覚悟と判断が必要なのです。それを誤れば、本人だけではない、まわりの者にも累を及ぼしかねない。それからでは遅いのです」
「おい、カドーシュ」
「本日は大変、ご迷惑をおかけいたしました。咎を負うべきなのは、むしろわたしかもしれません。よもや、ここまでとは──」
「カドーシュ、こらっ!」
あくまで無視するカドーシュに、ギボールはついに立ち上がり、その肩をつかんで自分のほうに向き直らせた。
「閣下、わたしは今、ルシィナさまとお話しているのですが」
「わかってるよ。だがな、そこまで言うことはないだろ」
「何か失礼なことでも申し上げましたか? ルシィナさまに」
「ふざけるな。おれだって反省している。ただ、今回に限って、なんでそんなに怒ってるんだよ。今までは──」
「なぜ怒るか? 今までは、ですって?」
カドーシュの瞳にようやく人間らしい感情が現れた。明らかに怒りの色ではあるが。まだ自分の肩にあったギボールの手を冷たく払いのける。これほどのカドーシュを見るのは、ギボールもあまり記憶になかった。
「それで、よく反省しているなどとおっしゃれますね」
「なに?」
憤怒の化身に一時はひるんだギボールではあったが、そこまで言われると、さすがに癇に障るものがあった。
「わたしがこれまで、喜んで微行をお許ししていたとお思いですか」
「そこまでは言ってないだろ。だがな、おれは絶対、悪いこととは思ってないぞ。おまえの立場もわかるが……」
「それはありがたいですね、わざわざわたしの立場までご理解いただけて。ただ、願わくば、まずはご自分の立場を自覚なさってから、他人の心配でもなさいませ」
「なんだよ、その言い方は!」
「閣下、カドーシュ卿もどうか……」
とどまることを知らない、しかし子供の喧嘩のような舌戦に、ルシィナがおろおろしながら声をかける。だが、むろん届くはずもない。
「おれはいちばんに知らせたい、祝ってほしい連中のところへ行っただけだ。みな、ラシュも喜んでくれた。それを絶対に後悔はしないぞ」
「誰がそんなことを言いました。論点をすり替えないでいただきたい」
「だからおれが言いたいのは、なんで今日に限って、おまえがそんなに怒ってるかってことなんだよ!」
「だからあなたこそどうしておわかりになれない。なぜこんなときにルシィナさまをお連れしたのです!」
「なに、ルシィナ?」
ルシィナの名が出たとたん、ギボールは一瞬、たじろいだ。
「確かに微行については、以前にもお話をしました。しかし、ルシィナさまのことはそれとは別です。あなたはルシィナさまに対して、誰よりも何よりも大きな責任を持っておられる」
「わかってるよ、それくらい」
「それなのに、あんな危険な、いえ無謀なことをなさった。なぜです!」
「無謀って言うけどな、おれはルシィナを守ると誓ったんだ。でなければ、こんなところに連れて来るものか!」
「そういうのを何と言うか、ご存じですか? 自信過剰というのです。おのれを知らぬことほど危険なことはないのですよ!」
「な……」
「たったおひとりで、不逞の輩の群れを相手に何ができるというのです。本気でルシィナさまをお守りできるとお思いなのですか!」
「………」
「この際、はっきり申し上げます。あなたは公主であることのご自覚が足りないばかりか、いまだ『敵』もわかっていらっしゃらない。やつらは目的のためなら何だってしますよ、自分さえ傷つかなければね。それとも、大切なものを失うまで、ご自分の置かれた状況に気づけないのですか、あなたは!」
そこまで言われて、ギボールはようやくみずからの軽率さと、カドーシュの今夜の態度に思い当たった。もしかしたら村人をも巻き込んでしまったかもしれなかったのだ。さすがに返す言葉もなかった。
「失礼いたします」
あるとき、沈黙の空間を破ったのは、落ち着いた女性の声だった。
「アエテルネ夫人!」
ルシィナは願ってもない助け人を得たように、思わず立ち上がり、歓喜の声を上げた。ラーディガスト広しといえど、この事態を打開できるとしたら彼女ぐらいだろう。しかし、そんな思いを知ってか知らずか、女官長はまっすぐ直属の主人のもとへと歩み寄った。
「ルシィナさま、そろそろお部屋へお戻りを」
「夫人?」
「それでは、閣下、カドーシュさま、失礼いたします」
「ふ…夫人、わたくしは──」
有無を言わさぬように、夫人はルシィナを連れ出した。その間も、ふたりの男はたがいから視線を外していなかった。
「ルシィナさま、ご心配には及びません」
廊下をともに歩きながら、夫人は笑顔を見せた。
「あれだけご気性の違うおふたりです。たまにはぶつからないほうが不思議ですわ」
「でも、明日は大切な──」
「だからこそです。あれで、よい気分転換になっているのでしょう」
夫人といえども、さすがに言葉にするのは不敬と思ってか、口にこそしなかったが、一種の痴話喧嘩みたいなものだと言いたいのかもしれない。ともかく、ふたりをよく知る彼女にこうまで言われては、ルシィナとしてもただ信じるしかなかった。あとは、ただ祈るような気持ちで、明日の主役は床に就いたのだった。
そして、そのころ、もうひとりの主役といえば、書記官に睨まれながら、明日の挨拶の文言を睨んでいた。
「ここに、ふたりの……えっと、それから……」
「えっと? それから? どこからそんな台詞が出てくるのです」
「わかってるよ! ちょっと黙ってろ。ここに、ふたりの──」
「お声はもっと張って! そのように落ち着きのない──」
「あー、うるさい!」
その夜、部屋からはいつまでも灯りが漏れていた。




