5.空から降ってきた令嬢
火が爆ぜる。
軽いパキリ、とした音と共に小さな火の粉を撒き、周りに座る男達の顔を照らし出していた。
男達に生気は無く、随分と痩せている。
小枝を焚き火に投げ入れる腕は骨の形が分かるほどに肉が無く、動きも緩慢だ。
ため息は誰がついたのだろうか。
2人は火の番を、1人は滞留地の外へと意識をやり、魔物や獣、もしくは悪意ある人間の侵入を警戒していた。
しかし長距離を徒歩で移動し続けた上、満足な食料も得ることが出来ない日々に皆身体的だけでなく、精神的にも疲れ果てていた。
膝を抱え、ぼんやりと火を見つめ続ける男はふと思う。
いつまでこの生活を続けるのか。
本当にこの先、自分達はどこかの地に受け入れて貰うことは出来るのか。
(…………このまま……火の中に飛び込んで……しまえたら……)
楽になるのだろうか。
そんな考えが頭を過る。
それ程までに、飢えと渇きは想像を絶する苦痛だった。
更には道中に獣の群れに襲われ、死傷者も多く出ており前に進むこともスムーズには行かない。
昼間は未だに暑くとも、夜になれば地の精霊の月を迎えるこの時期は肌寒さが酷く、暖を取るための毛布も足りない上に汚れも酷い。
怪我人の治療に使える薬や包帯など満足にある訳もなく。
こんな状況で、どのように生きろというのだろうか。
一昨日産まれて間もない赤子が死んだ。
母親はそれを受け入れられず、泣きながら遺体を抱き締め続けている。
獣に襲われた子供は脚を食いちぎられ、若い男がその子を助けるために片腕を失っている。
他にも怪我をしている者、飢えと脱水で今にも命の火が消えそうな者。
そんな姿を見続けてきた。
しかもそれは見知らぬ誰かではなく、今まで親しくしていた同じ村の人間達なのだ。
誰も彼もが精神的に追い詰められていた。
一体自分たちは何をしたのだろうか。
ただ、真面目に田畑を耕していただけだというのに。
何故こんな目に遭わなければいけないのだろうか。クロウ領の領主であるクロウ伯爵は、飢えも寒さも硬い床も知らず、今も過ごしているというのに。
火の番をしている男が、あまりの惨めさに両手で顔を覆った時だった。
バシュン、という鋭い音と共に、目の前に何かが落ちてきたのだ。
「え!?」
「は!?」
「何だ!?」
余程の高さから落ちてきたのか、派手に巻き上がった土埃のせいかそれとも炎を消してしまうほど勢いが強かったのか、その焚き火が一瞬で消されてしまい辺りが闇に覆われる。
だが何が空から降ってきたのか確認することも出来ず、男達は立ち上がり警戒する姿勢を取った。
次の瞬間、半径5メートル程だろうか。ポポポポ、と手のひらほどの光の玉が複数個突然現れ、辺りを照らしだしたのだ。
闇に慣れた目に、突然の光は暫く眩しすぎて目を覆うほどだった。
しかしそれも徐々に慣れ、ゆるゆると顔の前に掲げていた手を降ろしてその場所を見遣れば、そこには驚いたことに、1人の幼い少女が立っていた。
それに男達は声も出ないほど驚愕する。
光に照らされキラキラと光る金の髪。深い水の奥のように青い瞳。滑らかな白い肌は闇を照らす一部の光ですら透き通るほどに白いことが分かる。
そして何より、その顔はまるでこの世のものとは思えない程に美しかった。
くべられ続けた焚き火の真ん中へと落ちたというのに、そのAラインドレスは、薄紅色の布地に灰や埃を一切付けることなくふわりと風に舞う。
幼い少女の小さな手は、スカートの端をそれぞれ摘み、見事なカーテシーを披露してみせた。
「今晩は。夜分遅くに申し訳ございません。貴方方の長にお会いしたいのですが、どちらに行けばよろしいでしょう?」
ふくよかな頬を滑らかに動かし、小さな唇で紡がれたのは見た目の年齢からは掛け離れた、まるで大人の淑女のようなセリフだ。
だがそんなことは些細と思える程に、その子供の存在は異様だった。
今彼らの周りをふよふよと漂う小さな光の玉は、明らかに魔法だ。
だがそれは火の魔法では無い。
炎に包まれた球体が浮いているのではなく、ただ光を放つものが周りを取り囲んでいるからだ。
ということは、目の前の少女は光の精霊の加護を受け、その力を借りて魔法を行使しているということになる。
しかし精霊の加護というものは、王国の民全ては10歳になる年に加護の儀という儀式の場で受ける決まりとなっていた。
それよりも前の年齢では決して受けることは出来ないはず。
目の前で嫋やかに微笑む幼い少女は、どう見ても7歳前後だ。魔法が使える年齢では無い。
いや、それよりも。
「…………だっ……」
足元に置いておいた剣を掴んだはいいが、幼い子供に向けていいものか咄嗟に判断もできず、3人の男達はおろおろとしながらも中腰のまま警戒していた。
あまりに驚きすぎて若干呂律が回りにくい口から、それでも幾つかの質問を出そうと口を開く
誰だ、どこから、どうやって来た。目的は。
そんな在り来りなセリフを口にしようとした瞬間、後ろの方から鋭い声が飛んだ。
「おい! 一体何があった!? 大丈夫か!?」
先程少女が登場した際の音があまりにも轟音だった為に、流石に静まり返った夜の世界で響き渡り、数人の男達が駆けつけてきた。
先頭を走るのは50歳程の中年の男だろうか。
少女を取り囲む男達はその中年より若干若いが、皆似たり寄ったりな格好をしていた。
ボロボロの上下に走りにくそうな木の皮で作られた靴。
手に持つ剣は録に手入れできておらず、刃こぼれが目立つ。
頬は痩せこけ、目の周りが黒く縁取られ、色濃い疲れが見えた。
その中年を守るかのように、左右に同じような男が着いて走ってくる。
「グリムさん!」
少女を囲む男の1人が、安心したように中年の男の名を呼んだ。
これは間違いないだろうと確信を得る。
複数の光の玉に囲まれ、焚き火などより余程明るくなった周囲の中心で佇む少女を見つけるがいなや、グリムと呼ばれた男は剣を構えて立ち止まる。
左右の男共も、戸惑ったように一瞬視線を巡らせたが、暫くすると同じようにゆるく剣を構えた。
だがそんなことはお構い無しに、少女は先程と同じようにスカートを広げ挨拶すると、緩やかに告げたのだ。
「私はこのグロウレン領を治めるグロウレン公爵家が一子、レンシィ・レイ・グロウレンですわ。皆様方の長に用ができまして夜分遅くに不躾とは存じますが、お伺い致しました」
嫋やかに笑みを浮かべ告げられた名に、その場の男達全てが大きく目を見開く。
それも当然だ。
彼らはこの地がどの名を頂く場所であるのかを、正しく知っていたのだから。
しかし流石に目の前に突如現れた少女が、その嫡女であるとはとても思えない。
こんな場所に共も連れずに突如現れる公爵家の令嬢など、誰が信じるだろうか。
「……貴族様の、しかも公爵位のご令嬢だと? 一体どうやって信じろと!」
「グリムさん! 俺は見たぞ! こいつ空から垂直に降ってきやがった! とても人間ができる事じゃねぇ! きっと魔物かなにかだ!」
「なんだと!」
あまりにも理解が追いつかない登場の仕方を、しっかりと見ていたものがいるようだ。
1人の男が中心人物であるグリムと呼ばれる男へ報告すると、その場にいる誰もが恐怖の色を瞳に乗せ始めた。
だが目の前の幼い少女は、そんなことに怯みもせず穏やかなまま。
周囲の男達が今度こそ剣を構え、少女を取り囲んだ。
それを気にもしないかのように少女、レンシィはグリムの前へと1歩を踏み出したのだ。
思わず踏み出されたその1歩分を、グリムらが下がる。
「そうですわね。信じられないでしょう。当然有り得ないお伺いの仕方ですものね。皆様のお言葉も、無理ないこと」
軽く指を頬に当て、ほぅ、とレンシィが溜息をつく。
信じられない理由は登場の仕方云々だけではなく、そもそも人間として有り得ないからだろう。
公爵家といえば王国でも四家しか存在しない、王族とも縁が深く、王妃を立て、また姫君の降嫁を承った、最も家格の高い貴族位だ。
その一族である者が従者も護衛も付けず、しかもこんな時間に訪ねてくることは通常有り得ない。
王族とも肩を並べる程の立場である。
令嬢ともなれば、領地の中でさえ馬車でしか移動しないだろう。
何より、空から降ってきた人間が、無傷で汚れもなくその場に立つことが有り得なかった。
「ですが、そんなことはどうでもよろしいのです」
そんな周囲をゆるりと眺め見やっていたレンシィは、やがて視線をグリムへひたりと戻すと、その瞬間、眼光を鋭くさせた。
それまで聞こえていた声すら、春の暖かさから突如真冬の雪国へと変貌を遂げたかのように温度を急激に下げたように感じ、グリムたちは1度ブルッと肩を震わせた。
大の男が、幼い少女相手にである。
「怪我人がいるのでしょう? 病で苦しんでいる者も。どちらに? 案内なさい」
告げながらも、レンシィは目の前に立ち塞がる男達に臆することなく歩き出した。
反射的にその身を引き、道を譲ってしまったグリムらは、すぐに我に返り悠然と先を歩く少女に叫び声のような静止をかけた。
「待て! 貴様のような正体不明のものを民の元へ連れていくなど」
「貴方方が追い詰められ、余裕が無くなれば無くなるほど、私のお父様のお心を疑い、お気持ちを無にしてしまう恐れがあるのです。それではお父様が悲しみますでしょう?」
強い言葉を更に強く切り、レンシィは告げた。
言葉と共に、土埃を巻き上げる風を宥めるかのように左手をあげながら。
するとまるで幼い子供が言うことを聞くかのごとく、さらりと収まったのだ。
レンシィは満足気に頷く。そして後ろで未だ剣を構え、立ち尽くす男達へ視線を僅かに投げた。
「そんなこと、私が許しませんわ」
レンシィは再び前へと視線をやり、誰に聞く訳でもなくそのまま目的の場所へと迷いなく向かったのだ。
その後を、しばし茫然と見送ったグリム達が慌てて追いすがった。
一体何が目的なのか。もしや病み、傷ついている者たちを排除しようとでも言うのか。
飢えと寒さ、不衛生に果ての無い旅。
それらが自分達の全てを追い詰め、レンシィの言葉通り余裕が無い故に全てを攻撃的に、また拒否気味に見てしまっている己の状況に、その場の男達は誰1人気づくことは無かった。
その事を、レンシィだけは知っていたのだ。
(……もしも、今この状態の彼らの前に、お父様が立ったとして)
果たして彼らは、まともにエドウィンの心を受け取るだろうか。
故郷の地では飢饉に見舞われ、それでも課せられる重税に耐えることが出来なくなり逃げ出すことになった。
今まで渡ってきた全ての領地の貴族から受け入れを断られ、追い出されてきた。
森の中を進むことを余儀なくされ、獣や魔物に追い立てられ、身内や顔見知りが犠牲となった。
助けを求めても手を差し伸べられず、迎え入れてくれる場所もなく、水も食料も金も移動手段も、そして体力も限界に達した状況。
そんな中で、それまで自分らを虐げていた貴族と同じ立場の人間から、突如優しい言葉をかけられ、全てを受け入れると言われる。
それがどれほど恐ろしく、また疑わしいだろうか。
まだ自分達で奪い取った方が安心だと思えるかもしれない。
疑心暗鬼に囚われ、彼らがエドウィン達に襲いかかる可能性は、素直にエドウィンの話に耳を傾ける可能性よりも余程高いと思えた。
当然ながら、エドウィン率いるグロウレン公爵家の騎士団が、たかだか少数の農民、しかも弱りきった、戦の経験もない相手に負けるはずがない。
おそらく容易く全てを切り捨ててしまうだろう。下手をすれば、公爵家への加害殺害未遂として、移住希望者のその全てを罰することとなるかもしれない。
そうなれば必ず、あの優しいエドウィンは傷つくのだろう。
仕方がないと分かりきったフリはしていても。
母であるグローリアにそのことを告げれば、グローリアは泣くかもしれない。
胸を痛めるかもしれない。
(……そのような事、私が許さないわ)
かの愛し子。このレンシィの元の持ち主である魂が泣いていたのだ。
両親を悲しませたくないと。涙に暮れる事が無いように祈ったのだ。
愛し子の祈りを、レンシィは確かに受け取り、そしてまたレンシィも両親を悲しませることを良しとしない。
「彼らの嘆きの元となるものは、全て私が払ってみせますわ」
やがてひたりと立ち止まったのは、大きな天幕の入口だ。
古い木材を支えに、汚れた布が張られただけの薄くみすぼらしい天幕。
中から僅かに饐えた臭いが漏れている。
その、左右に開く布の入口へと、レンシィは手を伸ばして開き、潜ったのだ。




