41.下位精霊は嘆く
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正面を向いていたクロノスの背中は、たまたまレンシィから見えない位置にある。
代わりに起こそうと近寄ったアトラスが、大きく目を見開いた。
しばらく固まった後、徐に自身の着ていたジャケットを脱いでクロノスの肩に掛けてやる。
それは肌寒さに震えていただけが理由ではないことくらい、レンシィにもすぐに理解出来た。
肌を晒すには痛々しすぎるほどに、背中が腫れているのだろう。
服で隠れるところを狙うあたり、確信的な行為だ。
そして背中の傷は服に擦れやすく、鞭打ちが終わった後も長く痛みを味わせる。
だが鞭は刃物ほど殺傷能力は無く、傷も深く負わせることはない。
音だけは派手に鳴り響き、耳から恐怖を与えるが実際の傷は裂傷程度だ。
後にクロノスが伯爵位を正式に次ぐ頃には、背中の傷はどんなに酷いものでも薄く目立たない程度になっているだろう。
そこまで計算されて鞭を選択していたのならば大したものである。
レンシィは光の紐に羽交い締めにされ、芋虫のように転がっているダンダルへチラリと視線を投げる。
地面に這いつくばっていることが余程屈辱なのか、ダンダルはその両目をこれでもかと見開き、幼いレンシィを睨みつけていた。
「クロノスは後でちゃんと癒して差し上げますので、もう少しお待ち下さいませね」
「…………レンシィ様……」
アトラスの肩を借り、立ち上がったクロノスはレンシィとダンダルを交互に見やる。
不意に、レンシィの手のひらから下位精霊が飛び上がった。
その子はフラフラとダンダルの側へ飛んでいくと、悲しそうな表情で彼の傍らに止まっている。
自分に加護をくれた精霊の様子に気づくことなく、ダンダルはバタバタと激しく暴れだしたのだ。
レンシィ達に所業がバレたのにも関わらず、反省の色など全く見せないダンダルに、レンシィは呆れつつもその口を塞ぐ光の紐だけは解いてやった。
レンシィが人差し指をくるりと空中で回すと、その口の回りに巻きついていた紐が溶けるように消える。
ダンダルは一瞬驚きつつも、すぐにまたキッとレンシィを睨んだ。
「お前!このガキ!一体これはなんのつもりだ!?この光ってる紐のようなものはなんなんだ!解け!消せ!」
「なんだも何もただの光魔法ですわ。敵を捕縛するのに丁度いいんですのよ、この紐」
「は?はぁ!?ふざけるな!魔法なわけ無いだろ!詠唱どころか魔法名も口にしないで使える魔法があるか!!出鱈目もいい加減にしろ!」
「詠唱?魔法名?」
意味が分からず、レンシィはコテンと首を傾げる。
レンシィは昔から、それこそ精霊王として精霊界にいた時から、魔法を使う時はただ望むだけだった。
「この効果がある魔法」とイメージしてこの世界へ命じれば、レンシィの思うように魔法が展開される。
詠唱や魔法名と言われても、そんなものは考えたことも無い。
(……そういえば人間たちが魔法を使う時に、不思議な言葉を口にしていた気はするけれども)
遥か時を遡った際、生活魔法を使う時に人々は「火を灯して」「水を出して」「風を起こして」などと口に出して精霊たちにお願いしていたように思うが、いつからかよく分からない「ファイアボール」や「ウィンドカッター」などと変な言葉を口にするようになっていた気がする。
もしかしなくともそれの事だろうか。
(そういえば最終的には「我に加護を与えし精霊の御霊ようんちゃらかんちゃら」とか長々とポエムのような言葉を呟いてる者もいたわね。魔獣前にして随分余裕だなと呆れたことがあったっけ)
何を無意味なことをしてるのかと思っていたが、もしかしてあれは人間独自の何かのルールのようなものだったのだろうか。
ちなみにその長々と詠唱していた男は、相手にしていたダークベアがその口上を待ってくれる訳もなく、途中で襲いかかられて逃げ回っていた。
「詠唱、魔法名?初めて聞いたわ」
「レンシィ様、私たちはまだ授業を始めたばかりで魔法に関しては歴史を習っている所です。実践に関わることは、おそらくもう暫く経ってからではないかと」
「あ、そうなのねアトラス」
「来年の加護の儀を受ける前に、習うことになるのではと思います」
まるでこれからの授業の内容を知っているかのようなアトラスの説明に、レンシィは素直に感嘆した。
「執事たるもの、お嬢様の未来に関わることを調べることなど当然ですので」
たまにアトラスの目指す「執事」というものがどういうものなのか分からなくなってくる。
執事とは、果たしてそんなことまでするのだろうか。
「だそうですわダンダル卿。習っていないのだから、口にできるはずもありませんわね」
「だったらなぜこのようなことが出来る!?なんの道具も使わず、見かけはまるで魔法のようだ!」
「ようだ、も何も、正真正銘魔法ですけれど」
軽く溜息をつき、そんなことよりもと話を戻す。
ダンダルにとっては、自身のなかの魔法常識に大きく関係してくるため追求したかったが、現状がこれでは何も出来ない。
「さっさと縄を解けガキども!」
「俺を誰だと思っている!?」
「教育し直してやる!今のお前らは生きている価値などない!」
ダンダルが叫べば叫ぶほど、その場の空気が1度下がっている気がする。
そして声が通るほどに、屋敷の中がザワザワと蠢き始めた。
空気の変化を敏感に感じたのであろうアトラスとクロノスが、驚いて周囲を何度も見渡す。
このニルヴァーナ邸宅は、前当主であるクロノスたちの父親がいた頃、精霊たちに見捨てられて随分と悪い気のたまり場となってしまっていた。
だが前当主が処罰され、エバが当主代理となってからは誠実に領地運営をし始めたからか、少しずつ精霊たちが戻ってきていた。
故に今、レンシィの回りに邸宅の中に散らばっていた下位精霊たちが、徐々に集まってきてしまっているのだ。
彼らの王たるレンシィを、侮辱する者を処しようと。
そんな彼を、土の下位精霊はただ悲しそうにすぐ傍で見つめていた。
「くっそ!大人を舐めるなよ!こんなもの、すぐに切り刻んでやる!『大地の精霊よ!今こそその根を剣と化し我に与えたまえ!アースニードル!』」
おそらくダンダルは自身に巻き付く光の紐を真っ先に取り除こうとしたのだろう。
だが声高に叫んでも、空気一つ揺らぐことは無かった。
「…………え?」
茫然とするダンダルの傍で、土の下位精霊は静かに首を横に振ったのだ。
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