40.助けに来たのか騒ぎに来たのか
少しでも面白いと思っていただけたら幸いです
ダンダルがその空間の隙間から出てきた少女と目が合った瞬間、その子供は幼いながらも恐ろしい程に整った甘く美しい顔をクリッと傾げた。
「あら、丁度いいタイミングでしたかしら」
しかも声まで可愛らしい。
低い柵でも乗り越えるかのように飛び出して来た少女は、絨毯の敷かれた床に音もなく着地する。
同時に少女の声に顔を上げたクロノスが、これ以上ないほど目を見開いた。
「レンシィ様!?」
「久しぶりね、クロノス。貴方とこの屋敷で会う時は、玄関から入った事がないわ」
と言っても、あまり領地から出ないレンシィはニルヴァーナ邸を訪れたのはまだ2回だ。
そのどちらともが魔法を使い、空間を繋げて移動しているのだからまともな訪問の仕方ではない。
しかし勘弁して欲しい。
どちらも火急の用事なのだ。
「……な……なぜ……ここに……?」
床にしゃがみこみ、唖然と問うたクロノスに、レンシィは不敵な笑みで答えてみせた。
「あら、だって私の可愛い小さな子が呼んだのですもの。応えないなんてことは有り得なくてよ」
「……小さな子?」
レンシィがフィッと視線を巡らせる。
その先には、涙で濡れた頬を小さな手で押さえ、しゃくりあげている下位精霊がいた。
しかしその姿はレンシィ以外、見ることは出来ない。
何も無い空間へ笑いかけたように見える彼女へ、それまで無視をされている形だったダンダルが遂に我慢の限界を迎え叫んだ。
「なんだね君は! 一体どこから入ってきた!? どんな仕掛けをしたんだ! まるで空間が裂けたように見せるなど! 余程大掛かりな仕掛けだな!」
「仕掛け?」
はて、とレンシィは首を捻る。
仕掛けとはなんのことだろうか。レンシィはただ魔法を使っただけだ。
むしろそれ以外の方法で空間を繋げられるならば教えてもらいたい。
レンシィだって知らないことがない訳では無いのだ。
もしかしたら、別の世界のいつかの時代に、魔法のような道具が作られて誰でも簡単に時空を繋げてしまえる。
そんな世界があるかもしれないとは思ったりしている。
夢があっていいではないか。
「そんなことより、私の可愛い小さな子を悲しませているのは貴方ですの? 許しませんわよ」
「何を訳の分からないことを! ここがどこか分かっているのか!? 今すぐ出ていきなさい!」
「レンシィ様、1人で先に行かないでください。危険があったらどうするのです?」
「あら、もし危険だとしたら余計に私が先に行った方がいいと思うわ」
「少なくとも僕は貴方の危機回避の能力がどの程度なのか存じ上げませんので」
「は!? もう1人出てきた!?」
ナチュラルに会話しているレンシィとアトラスの端でダンダルがうるさく叫ぶ。
しかもそれを完無視するものだから余計にダンダルがキレて足を強く踏み鳴らした。
それにクロノスがビクリと身体を跳ねさせて怯えたため、流石のレンシィとアトラスも口を一旦閉じた。
あくまでも、一旦、ではあるが。
2人の視線はダンダルではなくクロノスへ向けられ、すかさずアトラスが歩み寄る。
「おい! 動くな」
「貴方が動かないでくださいましね」
反射的に止めようと鞭を振り上げたダンダルへ向けて、レンシィが人差し指をクルクルと回す仕草をした。
途端に、ダンダルの足元から光で出来た紐のようなものが飛び出し、それらがクルクルとダンダルの全身に巻きついていった。
「は!? はぁ!? なっなんだこれは!?」
「うるさくてよ。少しお静かに願いますわ」
「もがっ! むぐー!」
鼻だけは塞がないように、その光の紐はダンダルの口にも3重ほど巻きついたおかげで、ダンダルの口が塞がれてしまう。
それに満足気に頷いている間に、アトラスがクロノスへと手を差し出し、ゆっくりと立たせた。
「……アトラス……君も来てくれたんだね……どうして?」
「どうしても何も、僕はレンシィ様に付き従ったに過ぎません」
半ば無理矢理付いてきたのだが、そこは省略する。
「レンシィ様から詳しい説明は受けてません。お部屋に戻られたと聞き、様子を見に伺ったところですぐにこちらへと向かわれましたもので」
「仕方ないわ、説明してる暇なんてなかったのよ。だって可愛い子が泣いているのよ?」
2人の会話にレンシィが参戦するが、その手のひらはそっぽを向いて両手を合わせて目の前に翳す。
そこに、レンシィを呼んだ下位精霊がフラフラと降り立ったのだが、残念ながらその姿はレンシィ以外には見えない。
だが〝見えないだけ〟なのだ。
「……レンシィ様、そこに〝誰かいらっしゃる〟のですね?」
確信を持って、問うというより断言したアトラスと、何かを感じ取っているかのように一心にレンシィの手のひらを見つめるクロノス。
そんな2人に、レンシィは嬉しくなり手のひらをそちらへ向けて翳してやった。
「私の可愛い、小さな子よ。助けてと叫んでいたのはこの子。土の下位精霊ね」
「精霊!?」
「え!? 見えるんですか!?」
「レンシィ様、土の下位精霊に加護を!?」
クロノスが驚きに声を上げ、アトラスがそう問うたのは、精霊が見える条件があるからだ。
精霊は基本的に自身の契約した精霊以外、ほとんど人の前に姿を見せることは無い。
実際はこの世界のありとあらゆる所に存在しているが、人間が彼らを見る力がないのだ。
姿が見えるようになるのは、精霊から加護を貰い、その力の影響を受けている時だけ。
つまりは精霊の力を使って魔法を使っている最中だったり、時には精霊に直接力を借りるために呼び出し、顕現させている時のみだ。
その他にも、もちろん精霊が自ら気まぐれで姿を見られるようにしている場合もあるが、そんなものは大抵が加護を与えた子供と2人きりの時だけだ。
気に入ったことおしゃべりを楽しみたくて、長時間姿を現したまま傍にまとわりついていた下位精霊の話も聞いたことがある。
レンシィが下位精霊の姿が見えているということは、つまりその下位精霊がレンシィに加護を与え、自身の姿を見えるようにしているのだと思ったのだ。
まだ10歳の加護の儀を受けていないはずであるのに既に加護を受けているかもしれないこと。
そしてレンシィの奇跡とも言える魔法の力を知ってしまった上で、相当上位の精霊から将来加護を貰うのだろうと思い込んでいた2人は、まさか何でもない土の下位の精霊から加護を貰ったのか、と信じられなかっただけである。
実際、レンシィは加護を貰っている訳では無いので、その心配は不要なのだが。
レンシィは未だ上半身を晒しているクロノスから目を逸らさず見合う。
淑女として、殿方の半裸など悲鳴をあげて気絶してもおかしくないものではあるが、悠久ともいえる月日を過ごしてきたレンシィにとって、男の半裸など開かれたアジの干物と何ら変わりない。
あらまぁこんな所に干すなんて、というような表情だ。
ただ、それも彼の背中を確認するまでだった。
読んでくださってありがとうございました