36.精霊関係も複雑
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空が青く広がり、寒さが広がる前の少しだけ肌寒い風が時折吹くのを感じる。
だがその微かに冷たさを感じる風が、レンシィはお気に入りだった。
この僅かな期間しか感じることが出来ない、希少な風だ。
すぐに肌を刺すような冷たいものになってしまうのだから。
久しぶりに庭園で1人、暖かい紅茶を堪能していたレンシィは、ふと気配を感じてその動きを止めた。
この庭園は小さな精霊たちで満ちている。
そこらかしこで自由に飛びまわるのは地の下位精霊たち。
花や植木、樹木や草、土や砂に宿る小さな子たちは、自由に飛びまわりグローリアが管理するおかげで美しく保持されているこの場を、一際気に入っていた。
更にはレンシィがいるために、余計に精霊たちには心地の良い場所となっているのだろう。
何だか日に日に増えていっているような気がする。
精霊が集まれば自然と恩恵を受け、その土地は豊かとなる。
グロウレン領はそうして、人間たちの知らないうちにどんどん精霊を呼び込む場となっていっているのだった。
そのためレンシィの周りには常に騒がしい精霊たちがいる。
流石に自室までは遠慮して入っては来ないが、それでも下位精霊たちは近くを飛びまわり、楽しそうに遊んでいた。
その為すっかり穏やかな精霊たちの気配に慣れていたのだが、突然肌を刃で撫でるような感覚に、レンシィの全身が泡立った。
ゾワリと背筋を悪寒が走る。
驚いてティーカップへ落としていた顔をあげれば、視線の先には庭園の真ん中にある、美しいガラスでできた噴水の姿。
その透明な水から、水滴が空中へと落ちていた。
それはやがてテーブルからこぼれ落ちたコップの水のように、細く小さな滝を空へと伸ばし始める。
すぐに大きな水の玉に変わると、やがて徐々に人の形へと変化していった。
正体など、レンシィは分かりきっている。
「……久しぶりね、水鏡」
「久方ぶりのご拝顔、恐悦至極に存じます」
やがて姿を現したのは、透明な水で出来たような美しい女性だった。
その女性の身体の向こうには、水の中から見たようなぼんやりとした景色が透き通っている。
水の上位精霊である水鏡だ。
レンシィは軽く手を伸ばすと、ふわりと浮き上がった水鏡が、水のドレスの裾をたなびかせて近くへと寄る。
美しい仕草で1度膝を折ったが、顔を上げたその表情は浮かないものだった。
何より身に纏う気配が、空気を失った水のように重いのだ。
「どうしたの、水鏡。何を嘆いているの?」
「レンシィ様……」
まるで硝子のようなその顔や身体が、陽の光を反射させてキラキラと光る。
ゆっくりと腕を持ち上げ、レンシィへと手のひらを差し出したその上には、土の下位精霊が1人蹲っていた。
見ればその身体は随分と汚れている。
表情は虚ろで、今にも消えてしまいそうなほど脆弱だった。
「……この哀れな子を、助けてやってくださいまし……」
「えぇ、もちろんよ」
レンシィは手を伸ばし、水鏡からその下位精霊を受け取ると、両手で包み込んでやった。
すると両手の中が淡い光に包まれ、砂金のようなものがさらさらとその指からこぼれ落ちてゆく。
しかしそれは床に溜まることはなく、その直前で空気に溶けるように消えてしまうのだ。
やがてそっと両手を開けば、穏やかな表情で微笑み、こちらを見上げてくる、先程の可愛い下位精霊がいた。
「随分と穢れが溜まっていたようね。このままでは消えてしまうところだったわよ。その前に私の所へ連れてきてくれて、本当に良かったわ。全て浄化したから、もう大丈夫なはずよ」
水鏡がホッと息をついたのが分かる。
だがレンシィは安心しただけで終わらせるわけにはいかない。
本来、精霊が穢れて弱るなどあってはならないことなのだ。
しかもこの子は水鏡が管理する水の下位精霊ではない。
本来地の上位精霊が見守るべきである、土の下位精霊なのだ。
それがなぜ、水の上位精霊である水鏡の元へと助けを求めたのか。
「これは一体どういうことなの?何故ここまで弱ってしまうほどに、穢れを吸い取っていたのかしら」
「それが……その子が加護を与えた人間に、穢れがまとわりつき始めたからだと……」
穏やかではない言葉に、レンシィの目が見開く。
「加護を与えた当初は、少し甘えん坊ではあるものの純粋で賢い、普通の子供だったそうなのですが……。それが数年前から突然、不可思議な穢れがじわりと這い寄るようになり、その子の内側へどんどん入り込んでしまったのだと」
レンシィの頭の奥底で何かが引っかかったような気がしたが、それに手をのばそうとするより早く、水鏡はその細く美しい手を軽く降った。
空で手のひらを軽く翻すと下位精霊たちがヒラヒラと寄ってきて、小さな小さな手で水鏡の指先を掴んでいく。
楽しいことが大好きで、いつも笑いながら宿主の近くで遊んでいることの多い下位精霊たちが、顔を顰めていた。
以前、ニルヴァーナ卿に怒りを覚えたレンシィに呼応した下位精霊たちと雰囲気は似ているが、また微妙に違う。
怒りと苦しさを綯い交ぜにしたような、そんな気配だった。
彼らが怒りの矛先を向けているのは、レンシィの手の上。
未だ飛び上がることは出来ていない、先程穢れを浄化した土の下位精霊だった。
精霊同士で啀み合うなどありえない。
争いが生まれるとしたら、双方が加護を与えた者同士が何かしら争っているか、もしくは召喚に応じて先頭の手助けをした際に、相手方にも同じく召喚した精霊がいた場合か。
人間に加護を与えることと、人間の召喚に応じて力を貸すのは違う。
前者は人間そのものに魔法の力が宿り、簡単な生活魔法や便利な魔法を使えることが主だが、もしも上位精霊から加護を得られれば高位の魔法が使える。
魔獣を狩れるほどの攻撃力を得ることもある。
対して精霊を召喚して力を借りる場合は、基本的に攻撃力が主となる。
王宮所属の騎士団や、王都の衛兵たちが使う魔法はどちらかということこれが多い。
もちろん、過去には戦の場で使われたことも多い。
今回は一体どういう理由だろうかと一瞬思ったが、手の中の下位精霊が僅かに怯えていることに気づき、そっと手のひらで覆った。
レンシィが土の下位精霊を守る立ち位置になったため、仕方なく水の下位精霊たちも下がって水鏡の後ろへと回る。
本来、彼らは争いを好まない筈だ。
「その子の加護を受けた者が、この子達のお気に入りの子供を虐げているのです……」
僅かに後ろを振り返り、水鏡は悲しそうに理由を告げた。
なるほど、と思う。
ただの喧嘩程度であれば精霊たちも特に気にしないのだが、度を越したものとなると愛着のわいた者であればあるほど、その人間を庇護しようとする精霊ももちろん出てくる。
そうなると自然に争い相手である人間に敵意を持ち、またその人間に加護を与えた精霊へ怒りを覚えるのだ。
精霊同士が人間を介さずに直接争う、などということは無いが、素直な生き物であるが故に感情もストレートなのだろう。
今回、その水の下位精霊たちが気に入っている人間を、土の下位精霊が加護を与えた人間が虐げているという分かりやすい構図だからこそ、その怒りを向けられてしまっているのだろう。
悪いとわかっているから、土の下位精霊も抵抗ができない。
「だから懸命にその人間の穢れを取ろうとしたのね」
「はい……ですが当然ながら、下位精霊が人間の悪意で出来ている穢れを払い尽くすなど出来るはずもなく……」
レンシィの手の中にいる下位精霊が、その小さな両手でレンシィの指に縋っているのを感じる。
『……レンシィ様……』
ようやく吐き出された微かな声は、悲しい悲しいと涙を含んでいた。
『あの子を止めてください……傷つけられている子を、助けて』
その願いに、レンシィは全てを悟って頷いた。
「水の子たちが気に入っている人間だったから、水鏡の元へと助けを求めたのね。最後の力を振り絞るほど」
おそらく土の上位精霊の元へと助けを求めても、水の子たちがお気に入りの人間を助けることを優先するのではなく、ただ加護を与えてしまった加虐者の加護を剥がす程度しかしないだろうと分かっていたために。
何とかこれ以上、傷付けることをやめて欲しくて。
「もちろん、貴方の願いを聞きましょう、優しい子。貴方がそれほど傷ついて泣くようなことは、私は許しませんわ」
告げて、水鏡の方へと視線を投げる。
まずは詳しい話を聞かなければ、動くことも動けないのだから。
「分かっていることを教えてくれるかしら。水鏡、貴方はどこまで知っているの?」
「私はこの子達から話を聞いた程度で、その人間たちを直接は知りません。まずはその場に赴くのがよろしいかと」
「そうね。精霊たちの目を借りてもいいけれど」
それで、場所はどこなの?と問うたレンシィに、水鏡は両手を組み、まるで祈りの姿のように跪いた。
「ニルヴァーナ伯爵家という貴族の邸宅のようですわ。どうやらそこの家に雇われた家庭教師が、その下位精霊が加護を与えた人物のようで」
「え?またニルヴァーナ伯爵家なの?」
思わず口から出たのも仕方がない。
なにせニルヴァーナ伯爵家の問題に首を突っ込み、無理矢理解決させたばかりだ。
結果その当時の伯爵は貴族院名簿より除外。事実上の伯爵家からの絶縁となった。
「……その加護を与えた人間が虐待している人間は、水の子たちのお気に入りと言っていたわね。その子たちが加護を与えた訳ではなく……」
人間たちが精霊に加護を与えて欲しいと呼び出す、いわゆる「加護の儀」は10歳の時だ。
もちろんそれより以前に加護を与えられてる子供もいるだろうが、精霊は余程のことがない限りは、呼びかけられて初めて応えることを好む。
お気に入りの子に、自分の存在を知って欲しくて。
だから10歳より前に、いつの間にか加護を貰っている、という人間はほとんど居ないということになるのだ。
人間には精霊は見えないが、加護の儀で使用される六芒星を使用すれば、その間だけ人間にも精霊の姿が見える。
あとは召喚した時くらいだが、大抵の人間は出来ないため殆どの人間は、精霊を見ることが出来るのは加護の儀の場だけということが多かった。
だがまだその虐待されている人間は、誰からも加護を受けていない。
これほど水の精霊たちに愛されているというのに。
ということは、加護の儀を受ける前の年頃の、子供であるということだ。
ニルヴァーナ伯爵家で、家庭教師が専属で就くことがある10歳未満の子供とは。
「……まさか」
クロノスがグロウレン公爵家を出て、自身の邸宅へと戻ってから1ヶ月。
レンシィは特に、クロノスがその後、邸宅でどのように生活をしているか、確認してはいなかった。
ゆっくりと頷いた水鏡に、潔く認めた事実と勇気は評価したかったが。
その話の事実は、認めたくはない内容だった。
てっきり、恋しがっていた母親の元に戻れて、冷たい態度の父親もいなくなり、穏やかに日々を過ごせているだろうと思っていたというのに。
レンシィは素早く立ち上がると、ティーセットをその場に置き去りにして、邸宅内へと戻っていった。
途中で片付けてくれるよう頼んだのか、2人のメイドが小走りにかけてきて、全てを綺麗に整える。
誰にも気づかれることの無いまま、少し離れた位置で不安を抱えつつも、水鏡たちはレンシィからの報告を待つしかできなった。
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