35.精霊たちは見てる
注意:子供を虐待してる描写があります。
苦手な方はご注意ください。
(あとでざまぁしてみせます!)
パン! と空気を裂くような音が響く。
同時に真っ直ぐ立っていたクロノスの身体が大きく跳ねる。
前に傾いた上半身に、続けて再びヒュンと振り上げられた音が聞こえた。
鋭い音が、クロノスの背中で鳴った。
「真っ直ぐに立ちなさい。それくらい出来るのでしょう?」
「……う……う……」
「ユースベル夫人の報告書にはクリアしたと書いてありましたよ?あぁそれとも人を選んでいるのですか?私の前ではそんなマナーを披露する必要は無いと?」
「……ち、違……」
「喋る暇があったら背筋を伸ばしなさい! 今日はあと2時間はその姿勢のままですからね!」
部屋の真ん中。
講義用の机から数メートル離れた位置に、クロノスはずっと立たされていた。
勉強の邪魔になるからと人払いをされ、休憩用のティーセットは部屋の隅に準備され置かれたまま。
まずはマナーの基本の確認からだと言われ、部屋の真ん中に立つように言われて1時間が経過していた。
1時間、同じ姿勢で立ち続けるのは大人でも辛い。
まして10歳にも満たない幼い子供が耐えるには、相当辛いものだった。
当然ながら身体が揺れ、膝が折れて自然と涙が出てくる。
その度に、ダンダル卿の手に持つ馬用の鞭が叫び声を上げるのだ。
上半身を裸にされ、剥き出しになった背中の皮膚を裂きながら。
「ほら! まだ揺れている! 真剣にやりなさい!」
「ひっ!……ご……ごめんなさい!」
鞭が唸る度、赤い蚯蚓脹れが背中に描かれていく。
大きく鋭い音は鼓膜に恐怖を植え付けるが、何度も打たれた背中はそれほど酷い傷にはなっていなかった。
おそらく数日もすればキレイに消えてしまうだろう。
貴族たちが使用人や子供への罰として使うことの多い馬用の鞭は、実は殺傷力はさほど高くない。
ただ、派手な音が鳴り強い衝撃を与える為、人の脳に直接恐怖を刷り込むのだ。
加虐性のある貴族が好んで使う理由がそれだった。
当然ながら、子供でも使用人でも、虐待や暴力は貴族院にて厳しく取り締まられる。
バレれば人殺しに準ずる重刑となるだろう。
そのため貴族たちは、音は派手だが証拠となる傷はそこまでつかない、もしくは軽い程度でしかない馬用鞭を好んだ。
身体的に加虐するだけでなく、精神的恐怖を植え付けるという加虐に魅了される所も大きい。
ダンダル卿も、そんな貴族の1人だった。
家格は子爵と、ニルヴァーナ伯爵家より下位とはなるものの、そこそこ事業で成功している一族だ。
そこの三男で、将来子爵位を継ぐこともなく、また事業を任せてもらえるわけでもなかった。
上の兄2人が有能で、どれほど努力をしても家業の何かを与えてもらえるはずもなく。
だがダンダルは知恵だけは誰よりも良かった。
貴族が何よりも重んじるものはなんなのか、よく理解していたのだ。
つまり、コネと評判なのだと。
またもや鋭い音が鳴った。
カタカタと震え出したクロノスの上半身に、ダンダル卿が鞭を振り下ろしたのだ。
「何を震えているのです。しゃんと立ちなさい。ユースベル夫人の報告では、貴族らしく真っ直ぐな姿勢を保つ課題は既にクリアしたと書かれていましたよ。あの報告は虚偽ですか?」
その言葉に、慌ててクロノスが振り向いた。
そんなことは無い。
あの楽しかった勉学の時間が、嘘のような言い方はしないで欲しい。
何よりもユースベル夫人の講義はとても面白くて、夫人の人柄は優しくて暖かくて、クロノスは大好きだったのだ。
「違う……違います……だって、寒くて」
「言い訳はいりませんよ!」
「ぎゃん!」
一際力を入れて鞭を振り下ろせば、流石に限界まで撓った鞭が皮膚を裂いた。
血が滲み、一筋背中を流れ落ちる。
それすらダンダル卿の目には忌々しく写った。
一方クロノスは、何故ここまで酷く痛いことをされるのか分からない。
確かに5歳の時からダンダル卿に講義を受けてはいたが、その時から厳しく叱責されることはあったものの、手を出すようなことは少なかった。
全く無かった訳では無いが、それでも手の甲を叩かれたり、軽く頭を叩かれたりした程度だ。
それだけでも十分恐ろしかったが、今とは比べ物にならない。
しかしクロノスが出来ないと言えば、ダンダル卿は尽くユースベル夫人を貶したのだ。
「彼女は嘘をついたのだ」と。
「出来もしないことを出来ると報告し、エバから偽りの評価を得ただけなのだろう」と。
そんなことは無い、クロノスは確かにユースベル夫人から太鼓判を押されるほど、見事なボウ・アンド・スクレープだと言って貰えたのだ。
だが部屋はやがて水の精霊の季節だというのに暖炉に火を灯すことすらせず、肌寒い室内で上半身裸にされているのである。
痛みで背中の感覚は鈍化しているが、それでも全身が凍えてしまうのは当然だった。
ダンダル卿など、厚手のコートを着たままという室内では信じられないスタイルで授業を続けている。
カタカタと震えてしまう上半身を抱え、遂にクロノスは蹲ってしまった。
2時間近く立ち続け、鞭で打たれ続ければ当たり前である。
だがそんな彼の背中目掛けて、鞭が何度も振り下ろされた。
「ほらご覧なさい! これほどの出来損ないはそう居ませんよ! まともに立っていることすら失敗する貴族の子供がどこにいますか! 貴方は無能です! 失格なんですよ! お母様に恥ずかしいと思わないのですか!?」
何度も何度も罵倒と共に叩きつけられる鞭の先が、やがてクロノスの血で赤く染まっていった。
音は派手だ。鋭い痛みも走る。そのため恐怖は最大値だ。
しかし実際皮膚は蚯蚓脹れ程度がほとんどで、人に見えない位置であれば更にバレにくい。
貴族のマナーとして、人前では脱ぐことの無いシャツをもってすれば問題はなかった。
彼の世話をする、メイドにさえ気をつけていれば。
「いいですか、クロノス様」
少しだけ上がった息を整えながら、目の前で床に蹲ってひたすら耐えていたクロノスへと話しかける。
その顔は、どこか寒気を覚える薄ら笑いを浮かべていた。
幸運だったのか、クロノスは顔を埋めていて気が付かない。
「その背中は、貴方の恥です。貴方がどれほど無能なのかを証明しています。誰かにバレてしまえば、ユースベル夫人は偽報告として厳しく罰せられるでしょうね」
その言葉に、固く小さくなってただ耐えていたクロノスがそろそろと顔を上げた。
向こう側で、ダンダル卿は確信を持って告げる。
無知で無垢な幼い子供は、素直に言うことを聞いてしまうだろうと。
「もしもその背中をメイドにでも見られたら、ユースベル夫人はもう2度と誰かを教えたりする資格を、取り上げられてしまうかもしれませんねぇ」
今度こそ大きく、ハッキリと目を見開いた姿に、ダンダル卿は満足気にニヤリと笑う。
「気をつけてくださいよ、クロノス様。もし入浴などで介助してもらったら、その背中はバレてしまいますね。もしかしたらお母様にもご迷惑がかかるかもしれません。出来の悪い息子は、家門の恥ですからね」
ダンダルの言葉に、クロノスはじわりと涙を浮かべながら謝り続けた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「だったらほら! 立ち上がるんですよ! 先程2時間と言いましたが、もう1時間追加です! クリアするまで昼食も食べられとは思わないでくださいね!」
「ぎっ!」
鞭がまだ未発達の細い腰を思い切り打ち、鋭い痛みを与える。
クロノスは再びノロノロと立ち上がると、立ち姿のポーズを取った。
これがデビュタントの際、何より目を引かれるものだということは理解しているのだ。
ただ、痛みと寒さと恐怖で、身体が強ばってしまっているだけで。
「ほら! 最初からですよ! まずは挨拶を! そして陛下のお言葉が終わるまでの姿勢を!」
今にも崩れ落ちそうな膝てで、ボウ・アンド・スクレープ、そして忠誠の姿勢を。
頭に流れるのは、優しく教えてくれたユースベル夫人と、その横で「なんて素晴らしいの!」と褒めてくれたレンシィの笑顔だ。
あの時はとても誇らしく、堂々とポーズを決めていたのに。
「首の角度が1ミリ違う! 下げなさい!」
「ぎゃっ!」
打たれ続けて皮膚が裂けた部分を、もう一度鞭が苛む。
クロノスの喉から悲鳴が出ると、更にもう一発振り下ろされた。
「なんです! そのみっともない声は! 紳士は悲鳴なんて出さないんですよ! 貴方は失格です! 出来損ないです!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「恥ずかしい! お母様が可哀想ですね! こんな無能しか跡継ぎがいないなんて!」
「ぎゃっ! いたい!……やめて……やめて……」
「情けない声を出すんじゃありません!」
何度も何度も繰り返される、指導という名の暴力に、しかし駆けつける大人はいなかった。
エバはダンダル卿に任せている間は領地の見回りと整備などで忙しく、邸宅の使用人は近づくなとダンダル卿に命令されて、寄ることすらできず。
誰にも見られていない、完全に自分の好きにできる世界だと。
目の前の貴族の子供を恐怖で支配し、服従させることが出来るのだと思い込んでいるダンダル卿は気付かない。
人には見えないいくつもの小さな目が、そんな2人をじっと、全て見続けていたことを。
読んでくださってありがとうございました!