31.執事との出会いイベントシーン
少しでも楽しんで頂けたら幸いです
(私はまた夢を見ているのね)
そう悟って、レンシィは夢の中でゆっくり目を開いた。
目の前には、以前見た覚えのある四角い切り取られた空間。
やはり絵画のように、外の景色が映し出されている。1年ほど前にも似たような夢を見た。それは今でもよく覚えている。
前と同じ少女の視点なのだろうか。
じっと見つめていると、やはり景色が移り代わっていき、まるで自身が歩いているかのような錯覚を覚えた。
実際は、レンシィは真っ暗な世界でただ佇んでいるのだけれど。
どうやら以前と同じくレイ・グランディウス学園にいるのだろう。
美しく整えられた廊下は、人が数人広がって歩いたとしてもぶつかることは無いほど広い。
所々嵌め込まれている窓には装飾がなされ、随分と高い位置に取り付けられている。
随分と華美だ。
「……まるでお城ね」
生徒に居心地のいい空間であることは大事だが、これほどに開放的な、それでいて絢爛に作る必要はあるのだろうか。
人間は時に己の力を誇示するために、何故か贅の限りを見せたがる面があることはレンシィも知っているが、実際それを目の当たりにするとなんともげんなりするものだ。
金を使い、財力や権力を主張したとて、実際に自身が強くなった訳でもないのに。
あまり魅力を感じない豪華な廊下を、視点の主は進んでゆく。
何か目的があるのだろうか。
廊下の曲がり角にさしかかろうかという所で、不意にバシッという鋭い音が響いた。
随分と派手に聞こえるそれに、視点の主がビクリと身体を跳ねさせたのが分かる。
再び鋭い音が鳴り、一体何事かと角を曲がる。
その先には、2人の人物が立っていた。
1人はおそらくこの学園の女生徒の制服を着た学生。
もう1人はその人物の従者なのか、黒いスーツ姿だった。
「……また、なの?」
視界に写ったのは、先日も登場した10代半ばと思えるレンシィだ。
空間の向こうに写るレンシィは、視点の主と目が合ったのか、随分と嫌そうに歪んだ。
「ユーリアナ様、ここはAクラスへ向かう廊下ですのよ。貴方のような下級貴族はBクラス。こちらへ立ち入るのはやめて頂けませんこと?あぁ、貴方は下級貴族と言っても汚らしい庶民の出なのですから、Bクラスですら許されない立場ですのにね」
「……グロウレン様……」
不快そうに鼻を鳴らし、肩を竦めたレンシィを前に、しかしユーリアナと呼ばれた視点の主は、注目している物がその手元であることがよく分かる。
レンシィの手には、馬用鞭が握られているのだ。
そしてレンシィの斜め前に立っている青年が、こめかみから血を流しているのが分かった。
おそらくレンシィの持つ鞭で叩かれたのだろう。
鋭く振れば、皮膚を裂くことも雑作ない。
「何をされているのですか!鞭で人を叩くなど!」
「私の〝物〟を私がどう扱おうと、貴方には関係なくってよ。分不相応は不敬罪に当たるわ。今すぐ消えてちょうだい」
レンシィが軽く手を振れば、鞭が空気を切りヒュンと高い音が鳴った。
ゾッとしたのか、ユーリアナが僅かに身を引く。
だがそれも一瞬で、軽く息を吸い込むと、ユーリアナは逆にレンシィたちの元へ走って行き、レンシィと青年の間に立ちはだかった。
怪我をした青年を、身を呈して庇うかのように。
「いいわけないじゃないですか!人は物ではありません!叩かれれば痛みを感じ、怪我をすれば血を流します!貴方も、私も、この方もみんな!」
「――――っ」
背に庇った青年が、軽く息を飲んだのが分かった。
しかしそれよりも目の前に立つレンシィが、美しい顔を鋭く歪ませて怒りを顕にしたのだ。
「馬鹿なことを言わないで下さらないかしら?貴方と私ではそもそも身分が違うの。下民は下民らしい生き方をするのが分相応ですのよ。そもそも〝それ〟は私の所有物なの。私が拾ってやった〝物〟なのよ。私の〝物〟を私がどう扱おうが、貴方に関係ないわ。そもそも口を出す権利もないのよ、不愉快だわ」
パシン、と鞭を手のひらで鳴らしてみせる。
だがユーリアナはその位置から動かず、レンシィへ物申した。
「人間は物ではありません!どのような身分の人でも、傷つけられていい訳がありません!彼はグロウレン様に雇われている身なのかもしれませんが、どのような理由でも乱暴に扱うのは間違ってます」
「私が間違っているですって?……へぇー……」
レンシィは僅かに考える素振りを見せると、不意に今までの表情を一変し、ニヤリと笑って見せた。
それはどこか、人を不快にさせるものだと感じる。
美しい顔であるだけ、余計に際立っていた。
「……アトラス、その女が貴方を庇うせいで、私はとても不快になったわ。前に出て両手を差し出しなさい」
「……はい、お嬢様」
「え?」
「……え?」
ユーリアナの後ろに庇われていた青年が呼ばれたようで、少女の肩を引いてその前に出た。
目の前に美しい銀の髪が柳の枝のように揺れる。
ユーリアナが彼の行動に驚いて声を上げるが、それと同時にこちら側にいる8歳のレンシィも思わず声が出た。
なぜなら、見慣れた銀髪と共に呼ばれた名前が、とても馴染みのある名前だったのだから。
しかし驚いている間もなく、切り抜きの向こうのレンシィが鞭を振り上げる。
その動きに、目の前にいる青年はなんの反応もせず受け入れようとただ頭を下げる。
ヒュン、と空気が鳴り、直後に派手な音が鳴り響いた。
同時にはね飛ばされたようにブレたのは、青年の両手だった。
「え!?」
レンシィに両手の甲を鞭で叩かれたのだと瞬間的に悟る。
だがそれでは終わらない。
再度鞭を振り上げた姿に、視点の少女は咄嗟にその青年を抱きかかえたのだ。
「ダメ!」
「え!?」
鞭は止まることなく、ユーリアナの肩を激しく叩いたようだ。
派手な音が鳴り、ユーリアナが軽く息を飲んだのが分かる。
目を閉じたのか、僅かな時間その空間が闇におおわれ、しかしすぐに視界が明るくなる。
目の前には唖然として目を見開きこちらを凝視する、深紅の瞳をした美しい青年がいた。
やはり、と思う。
先程向こう側のレンシィが「アトラス」と呼んだ時に気づいた。
その青年は、いつも傍にいて本当の兄妹のように育った、従僕のアトラスとそっくりだったからだ。
「君!何を!?」
「…っ……いっ……たぁ……」
身を固くして痛みに堪えつつも、それでもアトラスを庇おうと、ユーリアナはレンシィを見上げながら腕を広げた。
視界に写る肩は制服が裂け、腕が腫れている。
服が若干衝撃を吸収したのか、裂傷までは至ってないようだ。
視界にレンシィが写る。
その顔は、忌々しいものを見るかのように酷く目を歪めていた。
「鞭の前に飛び出すなんて、流石庶民の出は違いますわね。もしかして馬や牛のように、鞭で打たれることも慣れているのかしら?」
「………………」
レンシィの言葉に、しかしユーリアナは無言で睨みつけ続ける。
しばらく睨み合っていた2人だったが、レンシィが不意に顔を背けると、あっさりと背を向けてしまったのだ。
「下賎の者と同じ空間にいるなど、私は耐えられませんわ。しかも他家の従僕を庇うなどと……帰りはウォークマンを寄越してちょうだい」
「……はい……お嬢様……」
やがて遠く見えなくなってしまったレンシィの姿を見送り、不意に力が抜けたのか。
ユーリアナの視点がグラリと歪み、膜が閉じるかのように暗転した。
「ちょっ!君!?大丈夫か!しっかり!」
遠くアトラスの声が聞こえる。
今とは違う、声変わりをした低い男性の声だ。
おそらく気絶してしまったのだろう。
視点を写しているその切り取られた空間は、そのままブラックアウトしてしまった。
「………………」
その空間を前に、8歳のレンシィはワナワナと拳を震わせる。
なんなのだ、今のは。
一体どういうことなのだ。
明晰夢であり、しかも成長した自分たちの姿が映し出される夢ということは、もしかしたら未来の自分に関係があるものなのかと思った。
しかしこれはあまりにも違うと。
レンシィ自身とは考え方がまるきり違う、成長したレンシィの姿に困惑してしまう。
そもそも何があったからは知らないがアトラスを馬用鞭で叩くなんてとんでもない話だ。
なぜあの空間の向こうにいるレンシィは、今この場にいるレンシィと考え方や性格が違うのだろうか。
あのレンシィは、本当にレンシィ自身が成長した姿だとでも言うのだろうか。
「……――さま」
だとしたら、一体なぜそんな考え方になるように成長してしまったのか。
まるでこれでは、そう。
「……シィお嬢……ま」
お母様が密かに本棚に並べていた、空想の物語の中に出てきた人物。
「レンシィ様!お嬢様!」
ヒロインとヒーローの恋を邪魔する「悪役令嬢」というもののようではないか。
自分を呼ぶ声に、パッと目が開く。
途端に視界の中へドアップで写りこんだのは、先程まで切り取られた空間の向こう側にいるのをずっと見ていた人物の、今の姿。
「お嬢様、ソファーで寝てはいけません。風邪をひかれますよ。眠いのであればベッドへ行かれてください」
「………………アトラス……」
あまりにも先程まで見ていた光景と、今自分がいる場所だと認識した事実が随分衝撃的で、レンシィはしばらくの間、ぼんやりと天井を見上げていた。
その顔を、視界の端からひょいと覗いてきたのは、レンシィを揺り起こした張本人であるアトラスだった。
呆れたような顔から、次第に訝しげに、しかしどこか不安を帯びた声でアトラスがレンシィの肩を軽く揺する。
「お嬢様?ソファーで寝るなんて珍しいとは思いましたが、そんなに身体が不調なのですか?医師を呼びましょうが」
それでも反応が薄いレンシィに、アトラスの声が僅かに焦る色を帯びる。
だがレンシィは軽く「いらない」と手を振ると、ゆっくりと起き上がった。
久しぶりに見たあの夢だ。
これで二回目。
一体何を表しているのか、それとも本当にただの夢なのかは分からない。
しかしそんな些細なことはどうでもいい。
レンシィはレンシィらしくしか生きられないのだ。
レンシィは1度目を閉じ、そしてゆっくりと開くと、まだどこか不安そうに傍に控えているアトラスをキッと見た。
「アトラス、貴方は私の家族なのよ。よく覚えておいて?」
「え?は?」
「分かった?貴方は物ではないの。分かったかしら?」
「あぁ、はい……ありがとうございます……」
不思議そうに、だが確かに頷きそれでも首を捻るアトラス。
その疑問に答えるよりも、レンシィは先程の夢を最初から思い出すのに懸命だった。
「……とりあえず、何かに書いておこうかしら」
不思議な夢であることに変わりはない。
なにか意味のある予知夢のようなものであれば、後々困ったことがあった際、解決策を模索する時のいい手掛かりになるかもしれない。
「ありがとうアトラス。ちょっと自分の部屋へ帰るわね」
思い立ったが吉日。
すぐに書き出してしまおうと、レンシィはそれまで寝ていたソファーから立ち上がった。
「ありがとうアトラス。少し休んでくるわ。貴方も、今のうちにゆっくりしてね」
「あ、はい……ありがとう、ございます……」
レンシィはアトラスの返事を聞き終わる前に、さっさと自分の部屋へと引っ込んでしまったのだった。
そのレンシィの後ろを見送り、アトラスが軽くため息をついたのには気づくことなく。
「……いつか、特別な家族になりたいと……願ってしまうのは罪でしょうか……」
そう1人呟いて、レンシィが起きてくるまではレンシィの言葉に甘えて少し休憩しようと、使用人控え室のドアを開けた。
その気配を感じながら、自室で早速夢の内容を文字に起こそうとしたレンシィが、こっそりとその姿を見送り、安堵していたことなど知らないままに。
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