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精霊王の優雅な悪役令嬢生活  作者: 泉 太月
攻略対象2人目、執事
25/47

24.様々な幸せの形

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。






クロノスはアトラスの言葉の意味をしばらく考えていた。


難しい事を言っていると思う。

アトラスはきっと、とても頭がいいのだ。

同じ年とは思えないほど、色々知らない言葉を使っていた。

でもその中でクロノス自身が自分のこの、今居る〝伯爵家の嫡子〟という環境で、幸せかを問われているのは分かった。

自分で選んだ訳では無い将来の道筋。

対して目の前の兄弟は、自由な環境で将来になりたいものを自身で選んだという。


「……なりたいもの……」


クロノスが小さく呟く。

考えたこともなかった。


クロノスには分からない。

でもひとつだけ、ハッキリと言えることはある。


「僕も、とっても幸せだよ。だから大丈夫」


アトラスがハッとクロノスを見れば、応えるようににっこりと笑う。

それは決して無理に引き出された笑顔ではなかった。


「確かに勉強は難しいよ。やらなきゃいけないことも沢山あるし、覚えなきゃいけないこともいっぱいある。お父様が時々見に来てくれたけど、褒めてくれたことは1度もない」


そして今回、命が危うくなれば簡単に捨てられる。

父にとって自分はその程度の存在なのだと、クロノスは感じ取っていた。


「きっと僕、また同じような目に遭ったらまた(・・)お父様に「もういらない」って言われると思う」

「!?クロノス!貴方聞いて…っ!?」


ニルヴァーナ卿がこの部屋へ来た時、いずれもクロノスは意識がなく、毒に苦しんでいたはずだ。

実の父親のそのような酷い言葉を聞かせたくなくて、エバはニルヴァーナ卿がクロノスを切り捨てようとした事実は絶対に本人へ告げることは無いと決心していたというのに。

クロノスは知っていたのだ。

意識が無く、苦しんでいると思っていたクロノスは、しかしどこか夢現の中でも聞いていた。

父親の、あの冷たい言葉を。

それはどれほどこの子を傷つけるだろうかと一瞬震えたエバの手を、クロノスは掴み、そしてキュッと握った。


「でも、お母様は僕を何より愛してくれているよ。勉強を頑張れば褒めてくれる。できることが増えたら喜んでくれる」


それは、クロノスが〝自分で選んだ役割〟訳では無いものだった。

ただ幼い子供にありがちな、親が喜ぶことをして笑ってくれる顔が見たいという願望。

ただ母親を喜ばせようと、懸命になる姿。

今は、それだけのために行動するのが、とても幸せだと思えると。

笑って喜び、抱きしめてくれる母親の姿が何よりなんだとクロノスは言う。

強く握られた子供の小さな手に、母親はその言葉を聞きながら、じわりと目元が熱くなったのを感じた。


「ねぇ、アトラス。君のお母様は優しい?君のことを思ってくれる?」


クロノスの問いに、アトラスはぎこちなく頷く。

頭に浮かぶのは、いつも嬉しそうに微笑んでティータイムを楽しむ母の姿だ。

アトラスが入れた紅茶に感激し、抱きしめてくれる。

それは、何よりアトラスの中に歓喜を生んだ。


「じゃあ僕と一緒だね。僕の兄弟、僕の半身」

「…………いっしょ……」

「同じお父様を持ってて、君も僕も愛してくれるお母様がいて。だから僕達は同じだね」


そう言って嬉しそうに微笑んだクロノスを、茫然と目を見開き見ていたのはアトラスだけではない。

隣で寄り添っている、彼の母親が何よりも驚いていた。

伯爵家の後継者としてしか見られない自分。

実の父親が愛情をくれた記憶が無いクロノス。

だがそれでも、彼の傍には常に母親であるエバがいて、いつも抱きしめてくれていた。

「伯爵家の誇り高き唯一の跡継ぎなのだから、自信を持って」と、励ましてくれていた。

何より何度も「愛してる」と笑ってくれた。


他所ではどれほど酷いことをしているのか、クロノスは全く知らされていなかったが、それでも確かにクロノスにとっては、優しく暖かな母親なのだ。


シン、とした室内に、不意に嗚咽が響いた。


「……っ……う……ふ……うぅ……」

「お母様?どうしたの?」


たまらず泣き出したのは、クロノスの母親だった。

言葉もなく、次から次へと溢れる涙を止めることも出来ず、細い指で顔を押えて。

心配してその顔を覗き込むクロノスが、母親の肩に小さな手を置く。

それに導かれるように、涙でぐちゃぐちゃになった顔をバッと上げたかと思うと、そのまま両手で強く抱きしめた。


「うわっ!お母様?」


驚いて声を上げたクロノスに、母親は答えることはしない。

抱きしめ、そして腕の中の大切な存在に頬擦りをした。

クロノスはしばらくそれをじっと受け止めていたが、やがて自身も嬉しそうに笑い、抱き締め返したのだ。

そして母親の肩口から見えるアトラスに気づき、じっと目を合わせた。


おそらくそれは感じていたよりもわずかな時間だっただろう。

目が合ったアトラスは、自分と同じ赤く美しい瞳が真っ直ぐに自身を射抜くのを受け止めていた。

目の前でその瞳が、緩やかに撓む。

頬を染め、僅かに水気を含んだ色を深紅の瞳に乗せて。

心から幸せそうにアトラスへ向けてクロノスは笑いかけた。


「……ほらね、僕はこんなに幸せだよ」


クロノスの言葉に、何か衝撃を受けたかのようにアトラスは1度だけ息を飲んだが、すぐに肩の力が抜けた。

そうして同じく、穏やかに微笑んだのだ。


「…………そうか……それなら良かった……」


その顔は、やはり兄弟だと分かるようによく似ている。

満たされている子供たちの顔だった。






「夫人、貴方の1番の望みは、何なんですの?」

「…………望み?」


ようやく落ち着いた部屋の中。

ベッドに並んで座るエバとクロノスを前に、レンシィは不意に声をかけた。


唐突な問いに、エバだけでなくクロノスやアトラスもその真意が分からない。

問いかけたレンシィと、問われたエバ。

子供たち2人は、この2人へ交互に目を向ける。

やがて僅かに躊躇い気味に、呟くような声でエバは告げた。


「……私は……この子が立派にこの伯爵家を継いでくれれば…よかった……それ以外は、何も望んでいなかったわ……」

「なぜ継いで欲しかったんですの?」


その問いにエバは喉が詰まる思いがした。


本当は分かっているのだ。

いや、つい先程〝分かった〟と言っていい。

クロノスが、母が愛してくれるから何よりも幸せだと笑ってくれた先程。

毒に犯され、今にも命の光が消えそうになっていた愛しい息子が、息を吹き返し微笑んでくれたあの瞬間。


それまで願っていた「自分の息子を伯爵家の当主に」という悲願が、どれ程独り善がりな願いだったかを。


「………………そうよ……理由なんて簡単なことよ……」


子供への愛でも、伯爵夫人としてのプライドでもなく。

ただひたすらに。


「……あの、だらしの無い、家族への愛情も無い男の好きにさせたくなかったから……それだけだったのよ……」


ただ悔しかっただけだ。

好きでもない男の元に嫁ぎ、後継を産むことのみを望まれ、女遊びばかりする夫であるはずの男に耐え続け、それでもクロノスという大切な子供を授かることが出来て。

やっと自分の忍耐の日々が報われる日が来たのだと。


夫が遊んだ女が産む子供に、家庭だけでなく我が子の未来さえも奪われたくなくて必死だった。

クロノスが伯爵家の投主となることが出来れば、全てが報われるのだと。

伯爵家の妻として、この血筋を残すことが出来るのだと。

そしてクロノスも幸せになれるだろうと信じていた。

こんなことになるなどと、思ってもみなかったのだから。


「……私は一体……なぜあんなにも執着していたのかしら……」


自分たち〝家族であるはずの存在〟を、とっくの昔に捨てている男なんかに。

毒を盛ったのはメイドだ。

だがその大元の原因を作ったのは、他の誰でもない「ニルヴァーナ伯爵」だった筈なのに。


父親が、自分のせいで、子供を死なせてしまいそうになったのに。

責任を感じることも無く、愛人だったメイドを憎むことなく、使えなくなったからとあっさりその子供を切り捨てるような男に。


そんな男の持つ爵位なんかに。


「……なぜ……」


そう自分自身に問いかけると、エバは1粒だけ再び涙を流した。


「…………息子と共に……故郷の領地へ帰ろうと思うわ……」


穏やかな声で、そう夫人は告げた。

最初にレンシィと対峙した時の面影は欠片もない。

隣に座る息子の頭に頬を寄せ、目を閉じて語る。


「クロノスのお爺様とお祖母様がいらっしゃるわ。とても優しい人たちよ。私のことをずっと心配しててくれてたんだけれど、私が意地を張って帰らなかったの。でもあの穏やかな田舎の地は、貴方のこれからの療養にもきっといいわ」


あんな、薄情な夫など離縁して。

1人でクロノスの育てればよかったのだ。

静かな地に移り住み、穏やかな気持ちで毎日を過ごして。


「……せっかく今まで頑張ってくれたクロノスには、本当に申し訳ないけれど。でももう無理に伯爵家を継ぐことは無い、貴方は貴方のやりたいことを見つければいいんだわ」


そうして、ゆるりと信じられないほど穏やかに笑みを浮かべ、アトラスを見た。


「…………貴方の……兄弟のように、ね……」


エバの言葉に、アトラスが軽く息を飲む。

初めてその存在を、この伯爵家の人間に認められたのだ。

アトラスが選んだ今の生き方を、ちゃんと知って貰えたのだ。

目の前の兄弟もきっと、これからは穏やかに生きていけるだろうと信じた。


だが、しかし。


「……ちょっと待って、お母様」


その当人であるクロノスが、母を呼んだ。

エバが視線を合わせようと少し屈むと、母親をのぞき込むようにクロノスが見上げて、そして意外な一言を告げたのだ。


「僕は嫌だよ。僕は、やっぱり伯爵家を継ぎたいと思うんだ」





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