20.時空の中位精霊、参戦
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
皆が寝静まるほど夜が深くなった時刻。
レンシィは自室のベッドからムクリと起き上がると、そっと抜け出した。
この西の別館には今、レンシィ付きの使用人はマリアベルとアトラスしか居ないため、何かあればベルで呼ぶからと2人とも休ませているのだ。
本邸であれば夜に見回りをする交代の者がいたりするが、屋敷の警備は門やその周辺から全て万全に騎士を配置しているため、屋敷内は必要最低限の人数にしていた。
何より屋敷に不逞の輩が侵入すれば、眠ることなど必要のない下位精霊たちがすぐにレンシィに知らせるだろう。
彼らの目を潜ることは、人間にはほぼ不可能と言える。
ベルを鳴らして目的の人物を呼び出してもいいが、真夜中とも言える時間帯に呼び出せば、主人に何かあったのかと心配させてしまうかもしれない。
レンシィはどうするのがベストかつらつらと考え続け、結局1番シンプルに行くことにした。
つまり、自分が部屋まで迎えに行けばいいのだ。
「時計、来てちょうだい」
やはりその名を呼ぶだけだ。
そして手を翳し、くるりと1度だけ回してみせる。
すると目の前の空間がぐにゃりと歪んだのだ。
やがて空中に光の線が1本、縦に走ったかと思うと、そこが左右に捻じ曲げられるように開かれた。
ぽっかりと開いた空間の向こうは、何だかパステルカラーの水色で染まっていた。
その中から突然、ひょいと顔を覗かせた者がいた。
時空を司る中位精霊「時計」である。
褐色肌に鮮やかなオレンジ色の髪を緩やかにウェーブさせ、金色の瞳を嬉しそうに弛ませた、見た目は男性である。
なかなかに派手な外見だなと、呼び出す度にレンシィは思うのだ。
「レンシィ様!どれ程ぶりでしょう!お会いしとうございました!」
「風月もいつぶりだろうかと聞いてきたのよね。私としてはつい最近のような気がしていたのだけれど、もしやこの世界では精霊界と流れが違うのかしら?」
「今更気づかれたんですか?」
時計が面白そうにククッと笑う。
なるほど、やはりレンシィが居た精霊界とは時が流れる感覚が大分差があるようだ。
いつかどれほどの差があるのか、調べてみようと思う。
だが今日の要件はそんなことではなく。
「頼みたいことは2つあるのよ。ひとつは、この別館の使用人用の部屋で寝ているアトラスの所まで繋げて欲しいの」
「この館の中のですか?そんなの、普通にドアから出て歩いていけばいいのでは?」
「ダメよ、もしもマリアベルが見回りでもしてたら、見つかっちゃうわ」
空間の割れ目の所へ肘をつき、不思議そうに小首を傾げた時計へ、レンシィは強く否定し説明した。
「マリアベルは夜中の外出なんて絶対止めてくるし、こんな時間に殿方の部屋を訪ねようとするなんて、はしたないことでしょう?だから見つからないように、こっそり行きたいのよ」
こっそりと行くことに関してははしたなくは無いのか、と疑問が浮かぶ時計だ。
まぁレンシィが望むのであれば否やはない。
時計は時空の裂け目を更に大きく切り開き、目の前で静かに立って自分たちを見ているレンシィへと手招きをした。
「この程度のことでしたら幾らでも。私たちの住む場所でもありますので、結界でもない限り、すぐに繋げられますよ」
「ありがとう。じゃあちょっとお邪魔するわね」
目の前の空間に出来た裂け目を、足を引っかからないようにその中へと入った。
驚いたのはその行先であるアトラスだ。
「え?……っな!?」
突如目の前の空間がおかしな形に歪んだ。
目を擦ってみてもう一度顔を上げたが、それは光の線のようだったものがどんどん太くなり、やがて2メートルほどの線が空中に引かれた時には流石にハッと意識を切りかえ、常に枕元へ置いてある剣を引き抜き、ベッドから飛び降りると腰を低くして控えた。
だが次の瞬間、そこから顔を出した人物と目が合った。
そして思わず口から悲鳴のような声がとび出てしまったのだ。
「おっお嬢様!?」
「しーっ!アトラス、静かにしてちょうだい」
慌てて両手で口を覆い、声を抑えるが無理な話である。
突然何も無い空間から、敬愛する主が姿を見せたのだ。
今の叫び声で、隣の部屋で寝ているマリアベルへ聞かれ、何事かと飛び込んでこられてもおかしくは無いのだが、どうやら聞こえていないらしい。
しばらく2人でじっと様子を見るが、ドアがノックされることは無かった。
「フフッ…何だか久しぶりに悪戯している気分だわ」
「何を言ってらっしゃるのですか!一体どういうことです?これは何なんですか!?」
叫びたいのを我慢しつつ、密かな声でもつい強めな声が出てしまいそうになりながらアトラスがレンシィに詰め寄る。
そんな彼の手をそっと握ると、意識してにっこりと無邪気さをふんだんに混ぜ込んだ笑顔を見せた。
「迎えに来たのよアトラス。私だけが行っても解決はできるけど、貴方の心は報われないでしょう?」
「え?…は?……あの……」
「だから自分の目で見て、言いたいことを伝えて、そうして元の場所に納めてやろうと思うのよ。だから」
戸惑いがちに揺れるアトラスの赤い瞳が、それでも迷いを含むことなく光を帯びる。
全てを説明せずとも理解出来たのだろう。
主人の言葉や望みを、僅かな言葉や仕草で読み取る。それが執事たるものだと教えこんでいるウォークマンの教えが活きていた、
どこに、誰に、何をしに、どうやって行くのかという、必要な説明が全く何一つ無くとも。
アトラスは一方的にレンシィに掴まれている右手の上から、レンシィの手を包み込むように左手を添えた。
「……ですが、どれほどの距離があるか。それにもうこんなにも夜が深けております。従僕として、ご主人様の外出を促すことは出来ません」
「まぁ、真面目だ事。でもそれがアトラスのいい所でもあるのよね。大丈夫よ」
安心させるようにそう告げ、レンシィはくるりとアトラスへ背を向けると、後ろを振り向いた。
そこには先程までレンシィが出てきた割れ目があったはずだったのだが、いつの間にか消えている。
レンシィはその何も無い空間を撫でるようにくるりと手のひらで円を描き、再びアトラスの方へ半身振り返った。
「あちらとこちらを繋げるから、移動する時間はほんの僅かよ。私も色々と考えたのだけれど、やっぱり暗闇の中でもスカートの中が見えてしまうような行動ははしたないと思うのよ」
だからこの移動方法を考えたのだ、と。
若干胸を張って言われても、アトラスには何が何だか分からない。
スカートの中身が見えてしまう、などという聞き捨てならない言葉が聞こえたのは分かったが。
「さぁ、行きましょうアトラス」
レンシィの言葉に顔を上げれば、空に円を結んでいたその空間が再び縦にスッと光の切り込みのようなものが入る。
レンシィがそこをなぞれば、先程と同じようにぐんにゃりと変化した。
流石のアトラスも唖然としてしまう。
グイッと手を引かれ、その空間の裂け目が出来上がったところまで連れていかれる。
そして次の瞬間レンシィは、その裂け目の向こう、パステルカラーの水色で美しく染められたその裂け目の中へと迷いなく足を踏み入れたのだ。
流石のアトラスもギョッとして、自身の腕を引っ張るのを阻止しようとするが、振りほどくことは出来ない。
「お待ちくださいお嬢様!これは!?」
「大丈夫、次に目を開けたら」
あっという間に引きずり込まれてしまい、反射的に強く目を閉じた。
だが瞼の裏が一瞬鮮やかな光を感じたかと思うと、すぐにまた暗闇が訪れる。
そろそろと目を開くと、そこはもう既に知っている場所ではなかった。
「ニルヴァーナ伯爵の邸宅だから」
まるで悪戯が成功した幼子のように、レンシィはアトラスの唖然とした表情を面白いと笑ったのだった。
「……レンシィ様、先に説明しないと。精霊の気が強いから人一倍悪戯好きで好奇心旺盛なんですよね。人間になっても変わらないんだから」
呆れたように密かに呟く時計のチクリとした言葉は、都合よくレンシィに聞こえないフリをされた。
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