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精霊王の優雅な悪役令嬢生活  作者: 泉 太月
プロローグ
2/47

2.精霊王、産まれる





元気な産声が屋敷に響き渡る。

それは母体の為に誂えた心地の良い分娩部屋のドアを抜け、落ち着きなくウロウロと居室内を動き回っていたグロウレン公爵家当主、エドウィン・レイ・グロウレンの耳にも元気よく届いた。


それを悟った途端、エドウィンは止めようとする執事の声を無視し、ドアを勢いよく開くと廊下へと飛び出す。

向かうのは勿論、愛しい妻の元である。


「旦那様! お待ちください!」

「これが待っていられるか! グローリアあああ!!」


廊下にまではっきりと聞こえる赤子の泣き声。

それに向かい真っ直ぐに突き進む美しい若き公爵を、止められるものなどこの屋敷には居ない。


出産の邪魔になってしまうからと部屋から追い出されてしばらく。

今か今かと待ちわびたその瞬間に、心はもう限界だった。むしろ今まで耐えたこの苦行を誰か褒めて欲しい。


エドウィンは廊下の端に取り付けられた一際立派な樫の木製のドアへと辿り着き、すぐさま幾度もノックをした。

問答無用で開けなかったのはもはや奇跡だ。


「グローリア! グローリア無事か!? 開けてくれ! 誰か!」

「旦那様!」


途端、中から厳しい声がかかり、エドウィンの肩がビクリと戦く。

聞き間違えようもないその声は、エドウィンが産まれた時から既に25年世話になっているメイド長のエルメシアである。

元乳母でもあった彼女には、爵位を譲り受けたあともなかなか頭が上がらない。

今回の出産に伴い、新しく子供の乳母となる女性に、指導者役を買ってくれたのは心強いが。


激しくドアを叩くことこそ控えたものの、それでも一歩も譲らないとばかりにその前に仁王立ちとなった屋敷の主に気づいたのだろう。

内側に人の気配を感じたかと思えば、その美しい細工の施されたドアがゆっくりと開いていった。

既に赤子の泣き声は聞こえない。


ドアから出てきたのは予想通りエルメシアだ。

その腕には、真っ白なお包みが大事そうに抱かれていた。


「おめでとうございます、旦那様。お嬢様にございます」

「おぉ……」


言葉もなく打ち震えているエドウィンの前に、そっとお包みが差し出される。


布地の間からは、美しい金色の光が見えた。

父親であるエドウィンと全く同じ黄金色の髪、雪のような白い肌は産まれたばかりだからか所々紅潮している。

瞳は未だよく見えないのだろう、うっすらと開かれている瞼の奥には、まだ光を灯していな海のような深い青が見えた。

身に纏う色がエドウィンの血を色濃いものだと示している。


その腕にまるで繊細なガラス細工でも渡すかのようにそっと乗せられた宝玉とも言える存在に、エドウィンは感激に打ち震えて未だ言葉すら選ぶことが出来なかった。


それでもじっとその顔を見つめれば、じわじわと父親になったという実感が湧いてくる。

奥底から湧き上がってくる歓喜に我慢できずじわりと浮かんだ涙を誤魔化すように、穏やかに見上げてくる赤子に優しく笑いかけた。


「なんと美しく愛おしい子だろうか。間違いなくこのグロウレン家の至宝だな。溢れんばかりの祝福を与えられた名前をつけねばならん」

「…………」


既に親バカになるであろう片鱗を見せつけてくるエドウィンに、エルメシアも苦笑を浮かべるばかりだ。

妻の腹に子が宿った時からなのだから、それはもう筋金入りになるだろうと覚悟はしていたが。


しばらく我が子を天に掲げんばかりに感動していたエドウィンだが、すぐに妻の容態を気にして室内へと入った。

しっかりと愛おしい姫を腕に抱きしめたまま。


「グローリア!」

「まぁエドウィン、そんなに慌てて。皆が驚いてしまうわ」


呼ばれた名に、すぐ様穏やかな応えを返されてベッドを見遣れば、そこには身を横たえてゆるりと微笑む愛しい妻がいた。


安堵のため息を吐きながら側へと寄れば、控えていたメイド達がするすると距離を取り道を開ける。

エドウィンへと伸ばされたほっそりとした手を取ると、それは思ったよりも力強く握り返してきた。


「グローリア、よくやってくれた。本当にありがとう。体調はどうだ? 大丈夫なのか?」


夫からの感謝と心配を同時に込めた言葉に、グローリアの顔が更に微笑ましいと言わんばかりに笑みを見せた。

どうやら思っていたよりも身体は大丈夫らしい。


「心配ないわ。むしろ驚くほど調子はいいの。産んでしまうまではとても苦しくて痛かったけれど、その子の顔を見たら吹っ飛んでしまったわ」

「そうか? 無理はしていないか? とても時間がかかっただろう?」

「旦那様、この度のご出産は驚く程に安産でございました。産後の処理も滞りなく終えることが出来ましたので、母体への負担は最小限に止められたと思います」

「なんだと!? あんなにも長時間苦しんでいたのにか!?」


エルメシアの言葉に驚いて振り向いたエドウィンだが、事実であると力強く頷かれてしまう。


「左様でございます。少なくとも、わたくしがこれまで取り上げ、また見聞きしてきました初産のご出産の中でこれ程スムーズにお産まれになった方は存じません。何より、陣痛の痛みも常よりも遥かに軽かったように思います」

「そうなのよエドウィン。気絶するほど痛いと聞いていたのだけれど、予想よりも痛みを感じなくて。そしてすぐに産まれてくれたの」

「まるで初めて出会うお母様の苦痛を少しでも減らそうと、御子様が魔法でも使われたようでございました」

「なんと……」


実際はそんな事ないと分かっているが、それでもあまりの安産に随分と助けられたのだろう。

体力は消費しているが、それでも目を覚ましていられる程度には元気のある妻が、嬉しそうに微笑んだ。


「この子の顔を見た? エドウィン。無事に産まれてくれただけでもとっても素晴らしいのに、こんなにも貴方にそっくりの髪の色と愛らしい面立ち。なんて可愛い子なのかしら」

「あぁ、あぁ、グローリア。こんなにも愛らしい赤子は世界に2人と居まい」


嬉しそうに笑うエドウィンに、グローリアは己が心底安堵していることを言えなかった。

「太陽の公爵」と言われるエドウィンは、その名の通り陽の光のように輝く金色の髪に、深い海のような青い瞳。30も目前と言うのに整った顔は、ともすれば20代前後に見えるほど若々しい。

貴族は元々が美しい容姿の者を娶ることが多く、故に整った顔立ちの者が必然的に多くはなるのだが、エドウィンのそれはまた別格と言えるほど美しく、まるで美術の彫刻を見ているかのようだ。


対して妻のグローリアは「月の姫」とも呼ばれるほど儚げな容姿で、エドウィンとはまた種類の違う美を湛えていた。

黒玉のような艶やかな黒髪は細く括れた腰まで伸ばされ、柳のように縁どっている。

同じく黒曜石のような瞳には、夜空の星を散りばめたかと思える銀色の光が入っていた。

それは例えるならば、職人が丁寧に作り上げたひとつの繊細なガラス細工のような美しさだ。

しかしその容姿が、長年グローリアを傷付けてきた。


「良かった……この子ならきっと、貴方のお母様にも受け入れて頂けるわ……」

「……グローリア……」


先程までの幸せを湛えた顔が悲しげに歪む。

グローリアの嘆きに気付き、エドウィンの顔も僅かに曇る。

理由はこの国、ケルトレイ国が信仰の対象としているものに由来する。


この世界において、人々は精霊と共に生活をし、精霊の力で文明を栄えさせてきた。

様々な属性の精霊と契約をし、その精霊の力を借りて魔法を使うことが出来る人々は、生活を行う上ではなくてはならない存在。

そのため精霊へと信仰は厚く、特にその精霊の中でも最高位とされる光の精霊は、神と同等の意味を持つ。

エドウィンの美しい金の髪は、まさしく光の精霊の加護と言われていた。


金の髪の子供が産まれるのは、不思議と王族の血を引いているものだけであり、グロウレン家も歴代のうち何代かの妃を輩出し、また王族の姫を降嫁頂いた事のある上位貴族だ。

名前に「レイ」という中間名を名乗るのは、古くから成る歴史ある貴族にのみ許されている、王族と深い関わりのある貴族という意味を持つ。


現に彼の実母である女性もまた、現国王の実妹である。

だが全ての王族の髪が金という訳でもなく、あまり多くはない。

それ故に見事な金の髪を持って産まれたエドウィンを、王族とグロウレン家は殊更に喜び、大事にした。


彼の妻である新興貴族の子爵家の娘であるグローリアと恋に落ち、婚姻を結ぶまでは。


「グローリア、もうお母様の事は気にしなくてもいい。確かに疎遠となってしまったが、あれでも私たちのことは理解してくれている。そうでなければ、私はグロウレン家を継ぐことは出来なかっただろう」

「分かっているわ、エドウィン。でもお義母様は、私には会いたがらない。それは私の醜い姿が、やはり受け入れられないからよ。でもこの子ならきっと、とても可愛がってくださるわ。だってこんなにも貴方に似た美しい髪だもの……」

「グローリア……そんな悲しい事を言わないでくれ。私は君の美しい艶やかな黒い髪も、夜空のような瞳も何もかも愛おしい」

「エドウィン……」


夜に降る雨のように、眦に涙を湛えたグローリアを慰めるように、エドウィンが親指で優しく拭って憂いを払う。

その大きな手に愛おしそうに擦り寄ると、グローリアは今度こそ華やかに微笑んだ。


「愛してるわエドウィン。愛しい貴方との子供を授かることが出来たなんて、私は世界一幸せよ」

「私もだよグローリア。今日はなんて素晴らしい日なんだ」


エドウィンは今はまだ起き上がることすら辛いグローリアの、その身を横たえる傍らに愛娘をそっと寝かせると、ベッドに覆い被さるように身を寄せ、その薔薇のような唇に軽いキスを贈る。

それだけで、グローリアの頬まで薄らと薔薇色に染まった。


「この可愛い愛し子に、最初の贈り物を下さいな、旦那様。父親となった貴方から、祝福と愛に溢れた素敵な名前を」


産まれたばかりの娘は、母親のすぐ横で気持ちよさそうにすぅすぅと眠っている。

先程までの激しい産声が嘘のようだ。

これ程すぐ傍で父母が騒がしくしているというのに熟睡するとは、将来大物になるかもしれないとエドウィンが笑った。


「勿論だとも。この子の顔を見た瞬間、まるで天啓を受けたかのように名前が降りてきたのだ」

「まぁ、どんな?」


期待に胸を躍らせ、グローリアが問いかける。

それにエドウィンは誇らしげに答えた。


「レンシィだ。全ての精霊を統べる光の精霊王、レンシィ様のお名前を頂き、この世の全ての祝福と光の加護をその身に受けるように願いを込めた。この子の名前は、レンシィ・レイ・グロウレンだ!」

「まぁ! なんて素敵なの!」


目を潤ませて感動するグローリアに、エドウィンも「そうだろう! そうだろう!」と胸を張って頷く。


後はもう互いの手を取り合い、エドウィンがグローリアの顔中にキスを送りながら甘い言葉を交わし合うイチャイチャタイムが始まるのだ。

それはいつものことであり、少し離れた壁際でエルメシアと侍女たちがただ苦笑いでその様子を見守っていた。

そんな両親に挟まれて、奇しくもその精霊王本人の魂が入った身体にまで自身の名前であるレンシィと名付けられた2人の愛娘は、隣で繰り広げられる愛の言葉の応酬に構うことなく穏やかに眠り続けていた。なかなかの豪胆である。


果たしてここに、この世界の精霊全ての上に立つ光の精霊王レンシィの魂は、とある公爵家の令嬢として生を受けたのだった。






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