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精霊王の優雅な悪役令嬢生活  作者: 泉 太月
攻略対象2人目、執事
14/47

13.令嬢の専属執事見習い

少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。





その日は絹糸のような雨が降る日だった。


もうすぐ産まれる公爵家の御子のため、そろそろ出産道具を揃えなければと商会へ向かい、あれやこれや見せてもらった公爵家のメイド長であるエルメシアは、待たせていた馬車の元へ向かおうと店のドアから1歩踏み出したところで、微かな音を耳に拾った。

普通であればそれは考えられない。

人々のざわめきや町の至る所で奏でられる様々な音で周囲は賑わい、とても微かな声を拾えるほど耳に余裕を持たせることは出来ないだろう。


しかし、エルメシアは何かに引かれるように立ち止まったのだ。

彼女の周りにチラホラと飛び回る、小さな下位精霊には気づくことなく。


「……なにかしら……?」


それは小さな呻き声のようだった。

商会の建物とその隣の建物の間。少しだけ開いた裏道へと続く細いその場所。

覗き込んで目を凝らすと、少し先に壁に寄りかかるように誰かが座り込んでいるのが見えた。


グロウレン領にはスラムは存在しない。貧困の家庭へは公爵家が直接支援しているからだ。

だがそれでも溢れてしまい、行き倒れてしまう者はゼロではない。公爵領の支援を知らない他所から来た民などがその筆頭だ。


もしやそういった者が、飢えや病気で倒れているのだろうか。

そう思い、歩み寄ったエルメシアはその正体に気づくと慌てて駆け寄った。


「貴方!妊婦じゃない!しっかり!!」

「……う……うぅ……」


ぐったりと壁に寄りかかっていたのは、20歳前後かと思える若い女性だった。

だがその腹部は大きく、座り込むスカートが押し出されている。明らかに妊娠後期だ。

辛そうに目を閉じていた女性が、エルメシアの声にゆるゆると瞼を開けた。

その瞳がエルメシアを捉え、少しだけ息をついた時だ。


「うぅ!――――っうーー!」

「まさか!陣痛!?産まれそうなの!?」


焦って腹部に手を置いたエルメシアのその手のひらの下で、腹部が固くなっているのを感じた。これはまずいとすぐに察する。

伊達に過去に5人も子供を産んでないのだ。


「間隔は!?」

「ううー!――うー!多分……っ…っ数分!」

「まずいわ!すぐに運ばなきゃ!破水したら大変!」


エルメシアは自身の肩に掛けていたロングケープを毟りとると、その女性の肩に掛ける。そして勢いよく立ち上がった。


「すぐに馬車を呼んでくるから!その場で待っていなさい!動いてはダメよ!」


そう叫ぶように告げると、女性の返事を待たずすぐ様馬車を呼びに駆け出した。

そして馬車を近くまで移動させ、御者を無理やり引っ張ってくると、何度も訪れる陣痛の波で弱りきった女性を馬車へと運び、急いで公爵家へと戻ったのだった。







「……お母様、その話…もう数百回は聞きましたよ」

「あら?そうだったかしら?」


小さな黒いスーツに身を包んだ少年がげんなりとした顔で告げると、母と呼ばれたマリアベルがキョトンとしつつ、ティーカップを口元へと運んだ。

休憩時間、使用人のティータイムのお供にと選んだのは、フルーツのフレーバーを楽しめるティーセットと、可愛くて愛しい自身の息子だ。


公爵家に仕えて8年。

お嬢様と同い年で乳兄弟である息子は、周りの子に比べて随分と大人びて感じる。

グロウレン家の令嬢の乳母であるマリアベルは、そんな息子を誇らしく思いながら満足気に微笑んだ。


「仕方ないじゃない。何度も話したくなるものよ」

「貴方がエルメシアメイド長に深く感謝していることはよくよく知ってます」


「エルメシアメイド長だけではないのよ!屋敷へと運んでくださったエルメシアメイド長に、グローリア様はご自身が身重であるにもかかわらずお部屋を準備して下さり、医師を呼んでくださってずっと傍についててくださって!」

「はいはい」


「貴方が産まれた瞬間!何をしてくださったと思う!?用意されていたお湯で!」

「僕の身体を丁寧に洗い流して下さったんですよね覚えてます」


「そう!そうなのよ!そしてお包みで温めてくださった貴方を私の隣へと寝かせてくれて!」

「『なんて可愛らしい赤ちゃんなのかしら。無事に産まれてくれて良かったわ。お誕生日おめでとう』と微笑んで下さったんですよね」


「そうなのよ!あの時のグローリア様の美しさといったら!慈愛に満ちた瞳が夜空の星を司る精霊様と見紛う美しさの中で一段と輝き!ハープを奏でるかのような麗しいお声で私にお祝いの言葉を!」

「はいはい」


「そして行き場の無かった私たちを追い出すどころか産後手厚くしてくださって!『貴方さえ良ければこれから産まれる子の乳母になって貰えないかしら』なんて救いの手を差し伸べてくださったのよ!」

「僕、紅茶のお代わり貰っていいですか?」


「いいけど!飲んでいいけど!聞いてるのアトラス!」

「聞いてます聞いてます寧ろ聞きまくってますよ」



ティーポットを掲げて紅茶を注ぐ息子のノリの悪さに、マリアベルはもうっ!と口を尖らせた。

何とも少女じみた仕草だが、これでも主人であるレンシィの前に出れば誰よりもキッチリと仕事をこなす乳母兼メイドだとは思えないだろう。


そんな彼女の一人息子であるアトラスは、その宝石のような深紅の瞳を僅かに細め、呆れを多分に含ませながら溜息をつき、顔の横に微かに乱れた銀髪を耳へと掬いあげる。

たった8歳と幼い筈であるのに、この屋敷の執事同様に黒いスーツで身を包んだ外見といい、妙に子供っぽさが逸脱していた。

だが母の若干パフォーマンスが入った不平などどうでもいいのだ。


こういうお茶を入れる場1つでさえ修行になる。

アトラスはまさに、その母の話の中心となっている公爵家の大切な一人娘のために、将来専属の執事になるべく修行中なのだから。


執事たるもの、紅茶のひとつでさえ完璧に入れなければならない。

この屋敷の執事であるウォークマンに着いて見習いとして働く日々の中で、ウォークマンから幾度となく教えられている「執事たるもの」のひとつだ。


「そんなことよりお母様、もうすぐお嬢様のマナー講習の時間が終わりますよ。あと10分後にはここも片付けて、お嬢様の元へと行かなくては」

「〝そんなこと〟だなんて!私たちがいかに公爵家の方々に助けられたか説明しているというのに!」


「それは分かっています。そうではなく、奥様方の優しいご対応に貴方がどれ程感動したか、一生を捧げると誓ったかと言う話がもうお腹いっぱいだと説明してるのでして」

「なんて事をいうのアトラス!私の命を掛けた誓いを貴方は!」


「分かりました、分かりました。この素晴らしい公爵家に仕えることが出来て、僕もとても果報者です」


このままではいつもの如く「このグロウレン公爵家がいかに素晴らしいか談」が始まってしまうと判断したアトラスは、母の言葉を遮るように一気に捲し立ててぶった斬る。

分かればいいのよ、と言わんばかりにうんうん頷くマリアベルに呆れつつ、自身で入れた紅茶に口を着け、喉へと流し込んだ。


(……エグ味もなく、喉越しもいい。香りがすこし散ってしまったな。ポットの湯が熱かったのだろうか?もう少し温度を下げるべきだろうか)


自身の紅茶に及第点をつけながら飲みほし、胸ポケットから懐中時計を取り出す。

白い手袋に包まれた指でそっと開くと、予定時間の5分前だった。そろそろ迎えに行かねば。

アトラスが席を立ち、マリアベルへと退席の意を告げようとした時だった。


「マリアベル、アトラス、ここにいたのね?見つけたわ」

「お嬢様!」


中庭から庭園へと続く道に沿うようにテーブルを広げていたからか、庭園を囲う緑の壁から顔を覗かせたのは、今まさにアトラスが迎えに行こうとしていた人物だった。


「マナー講習は終わられたのですか?いつもより10分ほど早いと存じますが」

「アトラスはどこまでキッチリと私の予定を把握しているのかしら」

「執事たるもの、主の予定を完璧に頭に入れることは当然ですので」

「貴方はまだ8歳の子供なのよ?子供は子供らしく遊ぶべきだわ」

「レンシィ様には言われたくありません」


応酬の間にもレンシィは広げられた簡易テーブルへと歩み寄り、先程までアトラスが座っていた椅子に腰を下ろしてしまう。

本来であれば使用人と同じテーブルに着くなど有り得ないのだが、レンシィにとっては珍しい行為ではない。

この公爵令嬢は、時折使用人たちに混じってお茶を楽しんでいる。

マリアベルも慣れたもので、幼いレンシィが少し高めの椅子に僅かに苦戦して座るのを微笑ましく見守りつつ、一応表面上だけでもお止めした。


「レンシィ様、このような使用人のために広げた席にお座りにならなくとも、あちらの庭園に改めて席をご準備致しますよ」

「いいのよマリアベル。私はここでお茶を頂きたいの。貴方方の秘密の話にも混ぜて欲しいわ」


レンシィが笑顔と共に告げるのと同時に、目の前に入れたての香り鮮やかな紅茶がそっと置かれた。

音一つ立てることなくソーサーをテーブルに着地させるアトラスに、レンシィの眉間が微かに寄った。


「……また腕を上げたわね、アトラス」

「お褒めに預かり光栄です」


僅かに得意げなアトラスの顔をじっと見上げていたレンシィだが、さすがに冷めてしまうのは勿体ないと思ったのか、早速アトラス特製の紅茶を手に取り、口へと運ぶ。

その頬が僅かに色付き、にっこりと笑みの形を作るのを見る度に、アトラスは胸の奥で誇らしい思いが溢れだしてくるのだ。


更には子供同士だからか、レンシィは他の大人に対する時よりもアトラス相手には口調が碎ける。

令嬢としての丁寧な言葉選びから、町の子供たち程までは行かないにしても年相応のように崩れている口調を聞く度に、それが自分にしか向けられないことに大きな優越感を生んでいた。


母であるマリアベルですら、そこまで砕けた物言いにはなってくれないことに若干悲しみを覚えているのだ。

レンシィを誰よりも理解しているのは、産まれた時から常に共にいる乳兄弟である自分だと、アトラスは自負していた。


「それにしても、本当に講習は終わったのですか?抜け出してきたのではなく?」

「今日のノルマを達成したら終わろうと、レビュ夫人と決めていたのよ。歩行と立ち姿、扇子の使い方の練習。あっという間に終わってしまって、急遽テーブルマナーをやることになったのだけど、それも早く終わってしまったのよね」


レビュ夫人というのは、グロウレン領に属する村の小領主である。レビュ男爵の奥方で、大人しい感じの貴婦人だ。

レンシィは8歳になってから、週に2回、2時間ずつのみ、社交学を習うことにした。


デビュタントはまだまだ先のことではあるが、一般的なマナーや常識を今からじっくりと勉強しておくのはいい事だと思われたからだ。

既に母親の様子を見て覚えていたのか、カーテシーや控える仕草は美しく整えられていた。

その姿に感激したレビュ夫人が、どんどんマナー講習のレベルを上げていってる気がする。


習い始めて3ヶ月。

何だか講習が幼い子供向けというレベルから、若干10代の令嬢子息が習うものに変化してきているのではと疑わしいのは、時折見せるレンシィの見事な淑女然とした仕草のせいだろうか。

しかし今は休憩時間とばかりに至福の顔で紅茶を口へ運ぶレンシィに、アトラスもマリアベルも微笑ましく見つめるだけに留めていた。


優しく穏やかな風が3人の髪を揺らし、通り抜けてゆく。

穏やかな日常が、留まることなくずっと続いていく。この幸せに、過去を思い出すことも少なくなってきたマリアベルは、大切な我が子と敬愛する公爵家の方々に仕えながら過ごせる喜びをじんわりと噛み締めていた。

しかし、波乱というのは忘れた頃にやってくるものなのだ。










 

読んでくださり、ありがとうございます。

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