幕間その1.ヒロインと騎士
その頃、この世界のヒロインであるはずの少女は
アリアが別の人間としての記憶を思い出したのは7歳の時だった。
王都よりほど近い村に生まれ、とても裕福というわけではないが、そこそこ恵まれた環境で優しい両親に育てられる。
ストロベリーブロンドに金の瞳という珍しい色を持って生まれ、人形のように整った顔であり人見知りもせず愛嬌があったため、周囲からもとても可愛がられていた。
少々お転婆なところがあり、その日も村の端にある大きな木に村の子供たちと遊びに来ていて、かなり上の方まで登った時、足を滑らせてしまい落ちてしまった。
幸い生い茂る木の枝や草、地面の柔らかい土がクッションとなり大きな怪我はしなかったが、そのまま気絶してしまい、そして目覚めた瞬間、全てを思い出したのだ。
「こんなことってある!?ゲームの世界に入っちゃっただなんて!」
しかも自分が大好きでやり込んでいた乙女ゲーム「光の花束を貴方へ」のヒロインになっているなんて!
こんな夢みたいなこと有り得るのだろうか!
最初はいつまでも覚めない夢の中なのだろうと思い、いつ目が覚めるのだろうか、随分リアルな夢だなんて思いながら過ごしていた。
なぜなら最後に日本の自室で過ごしていた時の記憶は、いつも通り夜に寝る時間となり、ベッドに横になったところまでだったからだ。
しかし何日経っても再び自室で目が覚める、なんていうことは起こるはずもなく。
更には両親や周囲の人達からこの世界の情報を聞かされる度に、覚えのある〝設定〟が自分の記憶の中のゲームとシンクロしていく。
詳細まで覚えているのは、日本の自室で眠りに落ちる直前までプレイしていたからだろう。
だがその日本人としての記憶と、7歳までこの世界のアリアとして生きた記憶が徐々に混ざりあっていく。
ひとつの季節が過ぎる頃には、アリアはこの世界のヒロインになっていた自分の事を自然と受け入れていた。
どちらかというと、日本人として生きていた時の記憶が、ゲームの内容以外にあまり覚えていないというのが、この世界をスムーズに受け入れることが出来た原因の一つかもしれない。
しかもゲームのオマケなのか、ヒロインが育った環境や両親は案外居心地良く、苦労と言えるようなものはあまり無いのだ。
「……覚えてることといえば、本名が鈴川 アリア。高校二年生でー……んー……親は忙しかったからあんまり一緒にいた覚え無いや。今のお父さんたちの方が一緒にいるかもー。スマホ無いの凄い不便ー。でもご飯は美味しいかも。お母さんの手料理とか憧れてたんだよね」
自宅の横の木に父親が作ってくれた手製のブランコに乗って、アリアは思い出した事をつらつらと確認してみるが、大した感情は湧いてこない。
それほど、日本人だった頃の生活は在り来りで、つまらないものだと思っていたのだろう。
両親はほとんど家に帰って来ず、いつもテーブルの上にお金が置いてあった。
特別親しい友人もおらず、将来の夢も特に無い。
だからゲームの世界にのめり込んだ。
特に自分が特別な存在となり、イケメン達に甘い言葉を掛けられ、大事にされる乙女ゲームはお姫様の気分を味わえる最高の物だった。
お小遣いだけはかなり多めに貰えていたので、課金までして何度もプレイし、色んなルートを確認した程だ。
両親も娘を構う時間が無いことを後ろめたく思っているのか、娘のお金の使い方に言及することも無く、むしろ足りないと言われれば追加で渡すほどに甘やかしていた。
そうなれば更にゲームへハマり、魅力的なストーリーを体験することが出来る。
現実世界とは違う華やかな世界に憧れ、アリアは乙女ゲームの世界に行けたらと幾度となく思ったものだ。
「……あ、だからかな」
アリアが強く願い続けたから、現実になったのかもしれない。
つまらない日常から、刺激的で素敵な世界に神様が生まれ変わらせてくれたのかもしれない。
だったらめいっぱい楽しまなければ損というものだ。
「だって私がヒロインなんだもんね!この世界はヒロインの幸せのために存在しているんだもの!どうせならハーレムルートとか狙っちゃおっかな~!隠しキャラの攻略だってしたいしぃ」
開き直ってしまえば、この状況はアリアにとって最高の世界、最高の舞台だと思えた。
(そうと決まれば、まずは覚えてるストーリーや設定の整理ね!記憶が鮮明なうちに書き残しておかなきゃ!)
「お母さーん!紙とペンない!?」
「まぁアリア、兎のように飛び込んできたかと思ったら!まずは手を洗ってきて頂戴」
「わかったー!ねぇ紙とペンはー?」
「出してあげるから、まずは手を洗ってからね。ほら、スカートに草までくっつけてきて!いつになったらお淑やかになるのかしら」
この世界では精霊の力を借りて、生活に便利な魔法を使うことが出来る。
子供は10歳で加護の儀を経ないと使えるようにはならないが、大人たちが皆使えるおかげで、生活するのに不便を感じることは無い。
設置されている水道を捻れば、日本と同じように水が出た。
水魔法を利用した上下水道が設備され、火魔法を利用した調理器具があり、地魔法を利用した丈夫な家を持ち、風魔法を利用して電気などを起こすことが出来る。
日本のゲームだからだろうか、そこは日本人の細かい設定が都合よくふんだんに利用されていた。
ゲームをプレイしていた時は、そんな細かいところまで描写になかったが。
異世界ゲームや漫画ではありがちな、平民は学がなく紙などは高級品、ということも無く、村には小さな学習教室も設置されており、基礎的な読み書きは子供の頃に教えられるようになっていた。
ただあまりにも貧しい村では、確かに識字率は高くないと聞くが。
幸いにもアリアが生まれたこの家は酷い環境ではなく、子供の頃に家の手伝いで学校には行けなかったなどということも無く、両親は将来のためにもなるとしっかり学習教室に通わせ、ノートとペンも買い与えてくれていた。
当然だが日本のようにノートが何冊でも安く手に入るということは無いため、1冊1冊を大事に使っているアリアだが、今回はその中の1冊をまるまる使い、マル秘ノートとすることにした。
「誰に見られてもいいように、マル秘ノートの中身は日本語で書こう」
そうして覚えていることの全てを、できる限り詳細に残した。
今はまだ7歳だが、ゲームの本編が始まる15歳の学園入学式を迎えるときのために。
幼い頃の邂逅に繋がるシーンも、忘れずにフラグ回収しなければと計画しながら。
だから、今回王国騎士ルートであるはずのアダム攻略のため、酷い凶作に見舞われ、村人たちと懸命に逃げてきたアダムとの幼い頃の初出会いとなる筈の出来事を回収しようと、反対する両親を無理矢理説得し、グロウレン領までやってきた。
母親を魔獣に殺され、妹を疫病で喪って、絶望の中グロウレン公爵の屋敷がある町をさ迷い歩いているはずのアダムに、偶然を装って会うために。
だが思い出のワンシーンとして見た出会いの瞬間が、待てど暮らせど一向にやってこなかった。
「アリア、一体どうしたの?貴方がこのグロウレン領の収穫祭を1度見てみたいと言うから、わざわざやってきたというのに。さっきから楽しみもしないで何かを探してばかり。何を探しているの?」
アリアに付き添って祭りで賑わう町中を歩く母は、アリアの様子が気になり尋ねてみるが、本人は聞きもせずに建物の間の小道を覗き込んだり、裏通りへと続く道に片っ端から入っていく。
時期は丁度収穫祭。
地の精霊の月となり、その1年の実りを精霊に感謝する祭り。
出会いはこの時で間違い無かったはずなのに。
「おかしいわ……なぜ出会えないの?……それにこの祭り。ゲームではちょっとした出店がある程度だったのに、こんなに賑わうってなんなの?」
明らかにゲーム画面で見た(と言っても邂逅シーンはほんのわずかなのでパッと見の印象ではあるが)感じでは、収穫祭とは名ばかりの穏やかな1日だったはずだ。
画面下のテロップでは「精霊に感謝をし、作物を捧げ、次の年の豊作を願う祭り」とだけ書かれていた。
そしてこの日だけは貧しい民のため、公爵家からスープとパンが振る舞われる。
配給に並ぶ人と、配給を受け取った人々で、町の中心にある広場はごった返していたという説明がされていた。
確か町の路地裏ですれ違ったアダムは、アリアの姿を一瞬見かけ鮮明に焼き付けるが、広場の配給の時間に間に合うよう急いで走り去る。
次のシーンでは配給を受け取って弱々しいながらも口に運んでいたはずなのに。
そんな姿を見て、アリアは自身が持っていた手作りのクッキーを入れた袋を彼に渡すのだ。
元気を出して、と願いながら。
その手作りクッキーが将来への伏線。
だからしっかりとクッキーを準備し、その回想シーンを何度もシミュレーションしながらここまでやって来たというのに。
「……なぜ、配給が行われてないの?」
「配給?」
広場の入口に立ち尽くし、唖然と呟く娘の言葉に、母は不思議そうに問い返した。
目の前の広場では、あの出会いのシーンの背景の薄汚れた石畳が広がる空間ではなく、これでもかと花が飾られ、出店が立ち並び、皆が買い食いしながら笑顔で歩いていく風景が広がっていた。
その名の通り「お祭り」のようである。
「どういうことよ!なんで?」
「あ!アリア!?」
アリアは母が呼ぶ声に止まることなく、広場の入口から1番近くの屋台へと飛び込んだ。
「おじさん!」
「へい、らっしゃい!何がいいかな?お嬢ちゃん」
手首ほどもあるソーセージとトウモロコシを焼きながら、ガタイのいいおじさんが笑顔で振り向く。
だがアリアは物を買う予定で来たのではない。
「おじさん!聞きたいことがあるんだけど!東の領地の端に、移住してきたたくさんの人たちがいたでしょう?あの人たちどうなったの!?」
「え?……あぁ、クロウ領から移ってきた人達のことかい?」
アダムの村の人達。
彼と共にクロウ領からこのグロウレン領に逃げてきたが、住むことを許された場所は領地の端。
充分な支援も与えられず、不衛生さから疫病も発生し、ほとんどが死んだはずだ。
それがゲームでの説明。
自分たちを苦しめたクロウ領を、そして助けてくれなかったグロウレン領を恨みながら、アダムは日々を必死に生きていた。
貴族というものを恨み、いつかこの世界を潰してやるのだと心の奥底で憎しみを燻らせて。
そんな荒んだ日々の中で、収穫祭の日に一瞬だけ出会い、優しい思い出を作るのがアリアだったはずなのに。
そのアダムと出会えない。
出会うためのストーリーで欠かせない配給自体が行われていない。
なぜなのか。グロウレン領は決して裕福な設定ではなかったはず。
そのため余計に領民から重い税を徴収していたはず。
それなのに何故みんな、こんなにも豊かそうな雰囲気なのだろうか。
アリアの問に、店主はニカッと豪快な笑みを返し、元気よく答えた。
「あの避難民たちならもう大丈夫だろ。グロウレン公爵が直々に支援のために赴かれたと聞くし、既に簡易じゃああるが家として充分使える小屋も建ち並んでいるんだと。ほら、このトウモロコシもその避難民らが作って売りに来たものだぞ。甘くて美味いぞー」
「え……えぇ?」
特別に試食だ!と小さめの焼いたトウモロコシを渡されて、アリアは目を白黒させた。
店主の言葉を頭の中で反芻しながら、ぼんやりと手に渡されたトウモロコシをひと口齧る。
驚くことにそれは日本の醤油風味で味付けされており、バターも塗られているようで香ばしく、実はプリプリしていてとても甘かった。
「……これが……東の地で採れたもの……ですって?」
信じられない。
グロウレン領の東の端の地は耕しても無駄と言えるほどの痩せた土地だという設定だったはずだ。
住む場所どころか、食べるものにすら困る生活だったと、アダムの過去の説明でも、それこそ気になって買ったファンブックでも書いてあったのに。
「……あの土地は……人が住めないんじゃ無かったの?」
「いやぁ、それが上手いこと土地を切り開く事が出来たようでなぁ。火の精霊の月に住み着いて畑仕事を始めたってのに、もうこんなに出荷できるようになりやがった。おかげで美味い野菜が更に入るようになって俺たちゃ有難いがなー」
満足気に笑っている店主に軽く頭を下げると、アリアはその場を後にした。
手の中にある焼きトウモロコシを齧りながら、広場の中を歩く。
トウモロコシは一つ一つの実が大きく、齧ればパンパンに張った実を包む皮が弾けて中身が飛び出す。
口の中にトウモロコシの甘さと、醤油のしょっぱさがマッチして最高に美味い。
町には活気があり、様々にズラッと並んでいる屋台に、行き交う人々は皆笑顔だ。
それはどこか日本の花火大会を連想させるほどの賑わいだった。
とても「アダムの辛い過去」へと繋がるような要素が無い。
なにより本人が不在なのだ。
かといって今どうなっているのか、東の領地を確認しに行けるわけもない。
「…………ま、いっか」
しばらく広場のど真ん中で立ち尽くし、考え込んでいたアリアは、あっさりとそう呟いた。
周囲をぐるりと見渡し、軽くため息をついて再び歩き出す。
目指すは本日泊まる予定の宿屋だ。
「どうせストーリーが始まるのは学園に入ってからだもんね。幼少時のちょっとした出会いが無くなるってだけで、ヒロイン補正とかあるだろうし。攻略手段は変わりないだろうしー」
それにしてもゲームとちょっと違うー。システムのバグかなぁ?
それとも実際に体験するのと画面で見て予想するのじゃこれくらいの差があるってこと?
お祭りは華やかでいいけどー。
そんなことをブツブツ言いながらトウモロコシを綺麗に齧り、広場の至る所に設置してあるゴミ箱のひとつへ食べ終わった芯を投げ捨てる。
「アリア!やっと見つけた!迷子になったかと思ったじゃない!」
「ごめんなさーいお母さん。私もう飽きちゃったー。宿屋でゆっくりしよー」
人の波に挟まれてアリアを見失っていた母が、ようやく見つけて駆け寄ってきてくれたが、アリアは軽く謝ると再びそのまま歩き出した。それには母親も唖然となる。
あれ程、絶対行きたい行かなきゃダメなの私はヒロインなんだからと、両親には分からない言葉まで使って我儘を言ってた娘が、望みの祭りに連れてきた途端、祭りを楽しむ様子も見せずに歩き回った挙句、突然帰ると言い出したのだ。
一体なんだったのだと叫びたくもなる。
だがアリアは後ろで呆れて棒立ちになった母親に目もくれず、さっさと宿の方へと歩いていってしまったのだった。
「あーあ、イベントないなら来て損したー。邂逅のスチル、欲しかったんだけどなー」
そんなことを呟き、すれ違った人たちが不思議そうに振り向いていた事など気づくこともなく。
これにて騎士の過去編は終了です。
次は執事編となります。
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