12.騎士との出会いイベントシーン
(……これは夢ね)
そろりと目を開けるより先に、レンシィはぼんやりと悟った。
自室で眠りに就いたはずのこの身は、いつの間にか真っ暗な世界の中に座り込んでいる。
身につけているのはナイトドレスではなく、普段着にしているお気に入りのドレスのひとつだ。
闇の中であるのに明るく感じるのは、目の前が大きく四角に切り取られ、鮮やかな風景が写っているからだろうか。
まるで本物のような青々とした木と、晴れ渡った空。
レンシィが立ち上がった時よりも明らかに大きなそれは、巨大な絵画を前にしたように感じた。
いや、絵画では無い。
あまりにも鮮やかだと思っていたが、どうやらその向こうにあるのは本物の景色のようだ。
風が吹き、草木が揺れ、雲が流れて行くのが見える。
ぼんやりとそれを見つめていると、突然その風景が動き出した。まるで誰かの視点で、歩いているかのように。
どこを見てもレンシィが知らない景色だ。
足元はレンガのようなもので舗装され、しばらく行くと見えてきた建物は活気のある町の通りへの入口。
その間を通り抜け、やがて一際大きな建物の前へと向かった。
レンシィの住む屋敷よりはるかに大きな建物で、しかしそれは貴族の屋敷というような人の住まう建物のようには見えなかった。
いつか本で読んだ、教会というものの建物の絵に少し似ている。
あの絵は上に高く建てられていたが、目の前の建物は横に広く長い。
立派な門が立ち塞がり、その視点の主(?)の足を止めさせた。
門の真横に、つるりとした天然石のようなもので文字が彫られていのか分かった。
レンシィは未だ文字を習ってはいないが、独学で勉強をし、父の本などを興味深く読み漁っているためこの程度を理解するのは簡単だ。
『レイ・グランディウス学園』
確かにそう書かれている。
「……学園?」
ケルトレイ国の貴族位の子供たちは、15歳になれば王都の学園に3年間通うことが義務付けられている。
その学園の名前が、確かそんな感じの名前だった気がするが。
「……なぜそんな学園の夢を?」
しかも明晰夢として、まるで第三者の視点を通して傍観するような形で夢を見るなど。
疑問に思いながらも目を離せないでいると、その視点はきょろ、きょろと視線を左右へ振った。
どうやら迷っているらしい。
やがて何故なのかは分からないが、渡り廊下となっていた通路を外れ、敷地の裏へと進んでいく。
右手には中庭、左手には校舎。
迷いなく進んで行くと、立派なガゼボが姿を現した。
3箇所から入ることが出来、腰の辺りまでの木枠に覆われぐるりと囲むように椅子になっている。
中心には大きめのテーブルが設置されており、ここで食事でもしたらさぞかし気分よく食べられるだろうと、レンシィは淑女らしからぬ事をつい考えてしまった。
この視点の主も同じだったようで、ガゼボの中へ座ると、どこからか小さめのバスケットを取り出し、籠の中から包みを取り出したのだ。
視界の中に、細い指が映る。
視点の主は若い女性のようだ。
白く細いその指は、包みを広げてみせる。
そこには美しく切られたサンドイッチが幾つも鎮座していた。
そのうちのひとつを手に取ろうとした瞬間。
「ここで一体何をしているんだ?」
少し低めの、男性の声が響いた。
ふいっと視点が向けられれば、とても若い青年が、訝しげな顔を隠しもせずにこちらを見ていた。
年齢は10代半ばか後半くらいだろうか。
ブラウンの明るめの瞳に、やや濃いめの同じくブラウンの髪。
キリリとした表情は、外見に不釣り合いな雰囲気を醸し出させていた。
ガゼボから僅かに離れた位置に立ち、こちらを訝しげに見ている。
「……昼休みなので、昼食を取ってます。ここではダメでしたか?」
「…いや、ダメということは無いだろうが。こんな外で食事を?ご令嬢が?」
視点の主の声を初めて聞いた。
随分と可愛らしい、高めの声だ。
まだ歳若い少女なのだろう。
僅かに怯えているのか警戒しているのか、控えめな声で答えた。
怯えさせたとでも思ったのか、先程まで鋭かった目元を若干焦りに変え、青年は軽く手を振って否定する。
その答えに、声の主である少女はホッとしたようで、軽く息を吐いたのが分かった。
「すまない、責めているつもりはなかったんだが。ご令嬢が屋外で従者も付けず1人で、というのは違和感があったものでな」
「……私はしがない男爵位の娘です。従者が認められているのは侯爵位以上。なにも不思議ではありません」
「……そうか、悪かったな」
そう告げる彼にも従っている者は見当たらない。彼女の理由に納得したのだろう。
「それにしても食堂か、せめてテラスの方がいいんじゃないか?」
「…………あそこは、騒がしくて……」
少女が少し俯いたようで、手元のサンドイッチに画面が映る。
広げられた昼食は美味しそうだ。
しかし、貴族の令嬢の昼食というよりは、市井の庶民的な食事に見えた。
これではおそらく悪い意味で目立ってしまうだろう。
未だ社交の場を経験していないレンシィですら分かる。
伊達に人間の世界を見てきた訳では無いのだ。
人間はとかく、見栄を貼りたがる生き物なのだから。
ガゼボに近づき、少女の手元へと視線を落とした青年は、なるほどと言わんばかりに軽く息をついた。
「随分と美味そうなのに、ご高位の方々は損な価値観をお持ちだ」
「貴方は呆れたりしないのですか?」
「俺は元々は地方の弱小子爵だったからな。貧乏貴族は違う世界の方々の思考にはついていけないのさ」
不思議そうに尋ねた少女に、彼は初めて笑った。
少しおどけたような、苦笑混じりのものだが、その整った顏が更に際立ち輝くように栄える。
貴族らしからぬその言動は、なるほど地方で揉まれてきた経験が影響しているのか。
「でも、あの……貴方は……」
僅かに戸惑ったような少女の雰囲気を察したのだろう。
青年は軽く頷いた。
「あぁ、俺はアダム・マントル。確かに今は伯爵位だ」
「でしたら」
「だが陞爵頂いたのはたかが数年前。それまでは地方の小領主だった家系なんだ。領民との関わりの方が深い」
アダム・マントル?
どこかで聞いた名前だとふと思う。
しかも最近のような気がする。
(どこだったかしら?ええと……)
元々が膨大な記憶を抱えているレンシィである。
更に日々増えていくそれらの中から、些細なことを思い出すのは時に手間取る。
ましてや夢の中だからだろうか、どこか思考しにくい気がした。
そんなレンシィに構うことなく、目の前の視界の中ではアダムと名乗った青年がガゼボへさらに近づき、少女の手元を覗き込んで今度こそ鮮やかに笑った。
「どこの店で買ったんだ?随分美味そうだ」
「え!いえ、これは私が作ったもので…」
「これを?君が?凄いな。店に出されているものと変わらないじゃないか」
「そんな……ただのサンドイッチで……あの、もしよければひとつ食べますか?」
自分で作ったものを褒められて嬉しかったのだろう。
少女は昼食のサンドイッチをひとつ、アダムへと差し出した。
「いいのか?」
「ええ、もちろん。お口汚しですが」
少女の好意に素直に喜び、受け取ろうとアダムが手を伸ばした時だった。
「あら、ユーリアナ様、こんな所にいらしたの?」
ふと声が聞こえ、サンドイッチを持った少女の手がビクリと震えた。
視界が移動し、横を向いたようで、ガゼボのテーブルから外へと映し出される。
だが次に視界に映った人物に、レンシィは思わず「え!?」と少し大きな声が出てしまった。
「さすがは庶民の出、どんな汚れた場所でも気にせず食事ができるなんて、淑女にはとても真似出来ない品の無さですこと」
「え?……私?」
唖然と呟いたその向こう。
四角に切り取られ、映像が映し出されているその中にいるのは、紛れもなくレンシィ自身だった。
ただしその姿は今のレンシィとは若干違う。
レンシィはまだ7歳だが、目の前に映し出されたレンシィはどう見ても10代半ば程の少女へと成長していたのだ。
姉妹でもいればレンシィの姉かと見紛うかもしれないが、グロウレン家の嫡子はレンシィのみである。
あの父親がまさか、あれ程までに仲睦まじい母親以外の女性に手を出すとは思えない。
何より、もしそんなことをすれば、この世界に溢れている下位精霊たちがレンシィへ告げ口しに来るだろう。
下位精霊たちはレンシィが命じた訳でもないのに、常にエドウィンやグローリアの周りに集まっており、さり気なく色々なものから護ってくれているのだ。
精霊は誠実で優しい気を好む。
不倫や浮気など、爛れた行為は精霊の嫌悪するものの1つでもあるのだ。
だからこそ責任感が強く、誠実で優しい両親は特に精霊から好かれているのだから。
目の前のその少女はまるでレンシィが大きくなった姿そのままだった。
美しく波打つ金髪。海のように深い青い瞳。
アーモンド型の目は大きく、小さな薄紅の唇。
可愛いと言うよりも美人の部類に入るだろう。
我ながらなかなか美少女に成長するじゃない、と頭の片隅で呑気に考える。
視点の先のレンシィは、その後ろに数人の少女を従えさせガゼボに歩み寄った。
丁度アダムの反対側だ。
後方では「やだ、雨ざらしのこんな汚い所で」や「でもユーリアナ様にはピッタリの場所で驚きましたわ」などとクスクス笑う声に混じって宜しくない感情の言葉が微かに聞こえる。
ふとアダムを見ると、さっきまでの好意的に笑みを浮かべていた顔が、視界の向こうのレンシィを冷たい瞳で捉えていた。
そんな彼の視線には気づかないのか、目の前のレンシィは高慢そうな笑みを浮かべて軽く髪を掛けあげた。
「嫌だわ、ユーリアナ様。まさかマントル様にそのような庶民臭い物を渡そうとしていたのではありませんわよね?この方がどのような方か、ご存知無いのかしら?」
「いえ……その……」
「グロウレン嬢、これは俺が彼女にひとつ貰えないかと頼んだんだ。あまりにも美味しそうだったからな」
気圧されたのか吃る視点の主の少女を庇うように、ガゼボの前へと進み出たアダムがレンシィと少女の間に立つ。
それが更に気に食わなかったのか、レンシィは不快そうに眉を寄せた。
「マントル様、ユーリアナ様は男爵位と言いましても、元は庶民の出なのですよ?たまたま光の精霊の加護を受けることが出来たから、男爵家に養子として売られただけですわ。実の両親もお金としか子供を見ていないなんて、さすがはみすぼらしいお生まれの方ですこと」
口元を艶やかな扇子で隠し、上品に笑い出す。
その後ろでも似たようにクスクスと声を殺して嘲笑う令嬢達の姿が見えた。
立ち上がった視点の主の少女が、両手を胸の前で握りしめ、僅かに俯く。
視界の端では、アダムが不快そうに顔を歪めて。
「そんな庶民の血が入った者の食する汚い食べ物を、王国最年少で騎士に選ばれたマントル様へ渡そうとするなんて、恥を知りなさい。マントル様を穢すおつもりですの?」
「そんな!私は!」
おそらくじわりと涙が浮かんだのだろう。
目の前の風景がまるで水の中のようにみるみるぼやけてゆき、その四角く切り取られた世界はふつりと消えてしまった。
その場に、7歳のレンシィだけを残して。
「……え?」
自分の声があまりにもリアルに耳に届き、レンシィは今度こそ目を開けた。
途端に目に映し出されたのは、未だ夜明け前で薄暗くはあるものの、ベッドから見上げる自室の天井だった。
どうやら夢から覚めたらしい。
ゆっくりと起き上がり、片手でペタリと自身の頬を触ってみる。反対の手を見て、ギュッと握ってみる。いつもと変わらない。光の精霊王であり、7歳の貴族令嬢のレンシィがそこにいた。
「……あぁ、思い出したわ。アダム・マントル。あの少年ね」
頭が冴えればすんなりと引っかかっていたものも解ける。
先程、夢の中で見たどこか見覚えのある青年は、つい先日他領から避難してきた民の中にいた、あのアダムという少年だ。その少年が、そのまま大きくなった姿だった。
それこそ他人の空似とは思えないほど、そのままに強く美しく。
そんな姿になった夢を見るなど、不思議なこともあるものだ。
しかも覚えのない場所で、行ったこともない学園の中の風景で、他人の視点を介して見るなど。
何より、成長した自身の姿を第三者視点で見る夢なんて。
「……それにしても、おかしな夢だ事」
まだ起きるには早い。
再び横になろうと、レンシィはポフンと軽い音を立ててベッドにそのまま倒れ込んだ。
レンシィの背中を、ベッドのマットレスが優しく受け止める。
「庶民の食べ物が汚いって……なぜそんなことを夢の中の私は言ったのかしら。つい昨日、町のパン屋でお母様とバケットサンドを食べたばかりなのに」
グロウレン家の家風として、民の暮らしを理解し、より良い領地の発展を常に目指すことを教えこまれているレンシィは、領地から出たことは無いが、領地内の至る所に両親と出かけ、その目で民の暮らしを見聞きし、体験している。
もちろん騒ぎになるため変装はしているが、どうにもバレているように感じるこの頃である。
町に出る度に色んな人に声をかけられ、様々な物を渡される。
人々は活気を持って動き回り、笑顔ですれ違ってゆく。
そんな町を指さし、父親はレンシィに繰り返し教えるのだ。
この民の笑顔を守ることこそが、私たち貴族の存在意義であり、誇りなのだよ、と。
市井の民のためにあれ、と常々教えられているレンシィが、あのように民を見下すような言動を取るなどと、自身のこととは思えなかった。
所詮は夢であると分かってはいても、気持ちのいいものでは無い。
夢は深層心理を現すというが、まさか自分の知らない深い所で、民を見下すような気持ちがあるのだろうかと一瞬疑い、すぐに軽く首を振る。
もしも本当にそんな気持ちがあるのなら、きっとエドウィンやグローリアは自分の娘の思考を嘆き悲しむだろう。
「そんなこと、絶対許せないわ」
誠実で優しい両親。そんな彼らを悲しませることはしない、させないと誓っているのだ。
自分自身がそんな存在になってはいけない。
夜が明けたら更に市井の民へ敬愛を抱き、その生活に触れる時間を増やしていこうと強く誓い、レンシィは夜明けまでの僅かな時間のため、再び目を閉じた。