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劇場探偵

神戸ハイカラ壱銭洋食

 大正が終わって昭和の初めの頃のことである。

 文化と享楽、ハイカラと猥雑が混在する街、新開地。役所や会社が並ぶ街の隣に劇場や芝居小屋、活動写真小屋がずらりと並ぶ。

 福原の女目当ての客達や仕事終わりに癒しを求めてくる職工達が行き交う歓楽街。夜は煌々たるネオンが街を照らす。

 あまたの人が集うということは、誰も彼もが真っ当というわけでもないのだ。

 この男も、真っ当からは少し外れているのである。


「やあやあ、お呼びいただき光栄です。劇場探偵吾川(あがわ)三郎、ただいま参りました」

「大層そうに言うてんなや。ただの御用聞きが」

 入り口から顔を見せるなり、名乗りをあげたのはキャスケットにトンビコート、着物に袴、内側に立て襟のシャツを着た書生スタイルの男だ。

 しかし、書生にしては少し年が食っている。


 彼は、新開地の劇場と周辺の店をうろうろと回りながら面倒事を解決することを生業としていた。それ故、自らを探偵と名乗る。

 しかし、他者からの評価は御用聞きである。彼の普段やっている仕事は、芝居小屋の女に付きまとう男を捕まえて説教するだとか、代金を踏み倒されそうな飲み屋の亭主に代わってツケを回収しにいくだとか、一晩過ごした相手を探して欲しいだとか、そんな細かい用事ばかりだった。


「さて、本日はどのようなご用件で」

「あそこで揉めとるやろ。話し聞いたって」

 本日、吾川が呼ばれたのは活動写真小屋だった。受付の男に問えば、くいっとあごで示される。

 ロビーの一角で男の太い声が響いていた。



「盗ったもんを見せいと言うとるんや!」

 恰幅のいい男が少年に向かって声を張り上げている。少年はオカモチを抱えて、顔を真っ赤にしながら涙を堪えていた。

「劇場探偵吾川ですー!お話をお聞かせくださーい」

「ええい、部外者は引っ込んどれ!」

 後ろから肩を叩きながら声をかけるも、けんもほろろに振り払われる。これはいかん、と吾川は視界に割って入った。


「お話を、お聞かせください」

「近い!」

 笑顔で近寄れば、うっとうしそうに下がられた。


「この小僧が儂のタイピンを盗ったんや!」

 男が言えば、少年はすぐさま首を振る。

「儂が劇場から出るなり、この小僧とぶつかったんや!そしたら、あったはずのタイピンがなくなった!こいつが盗ったに決まっとるやろ!」

 ほうほう、と吾川はうなずく。


 そして、よくよく周囲を観察する。


「皆さん、傘をお持ちの方が多いですね」

 今日は、にわか雨に降られたので、傘を持った客が多かった。

「お願いがあるんですが、皆さん、今この場で傘を差してくださいませんか」

 吾川は笑顔でその場にいる傘を持っている人間全員に要求する。

 客達は、怪訝な顔をしながらもそれに従った。先程まで怒っていた男も促されて、傘を広げる。


 ポトン、となにかが落ちてきた。怒る男、の隣の男が差した傘からそれは落ちてきた。

「タイピン、ですねぇ」

「儂のやーーー!お前かーーーーー!」

 男の剣幕に、隣の男は首を振る。


「恐らくは、少年とぶつかった拍子に飛んで入ったんでしょうね」

 解説してみれば、実に単純なことである。

「……気ぃつけえよ!」

 怒っていた男は、気まずくなったのかそれだけ言い捨てると、あっという間に去っていった。


「これにて、一件落着!ですね」

 吾川は晴れ晴れと笑った。



「ちゃっちゃと帰らんから、そうなるんよ」

 解決後、帰るのが遅くなった事情を説明するために吾川は少年を家まで送った。

 少年の家は、食堂を営んでいた。

 話を聞いた少年の母親は、穏やかに少年をたしなめる。


 少年は活動写真に関心があり、出前を持っていったときは、いつもこっそりと入り口から中を覗くのが常であった。未練がましく中を覗きながら、ゆっくりと入り口前を通り過ぎていて、今日はあの男とぶつかってしまったのである。


「ちゃんと休みの日に連れていったるから、配達はさっさと済ませなさい」

「はい」

 少年は母の言葉にこくりとうなずいた。


「探偵さん。お礼といってはなんですが、おひとついかがですか」

 少年の母が、目の前の鉄板で薄く生地を広げていきながら、勧めてくる。

「壱銭洋食ですか!良いですねえ!」

 漂う焼ける生地の香ばしさ、出汁の香りに、食欲を刺激される。


「……できれば、二つもらえませんか。ひとつは持ち帰りで」

 吾川は少々厚かましく要求した。熱々を食べるのも好きだが、翌日に冷めたものを食べるのも好きなのだ。

 吾川の要望に、少年の母はにやっと笑った。

「ほな、ちょっとええもんにしましょうか」

「ああ、いやあ、どうもすいませんねえ」

 はははーと笑いつつも、吾川は遠慮しない。

「ちょっとハイカラにしてみましょ」

「えっ、これベーコンですか」

 生地の上に、ねぎ、天かすに続いて、刻んだベーコンが足された。

「これが美味しいかどうかは知りませんよ。だって、初めてやってみるんですから。でも、豪華になったことは間違いないでしょ」

 具材の上から生地を追加でかけ、裏返す。焼けたところで、半分に折り畳みソースと青のりをかけて、出来上がりだ。


「はい!熱いうちに食べや」

「いただきます!」

 吾川は手を叩いて、ありがたく頂戴するのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 一銭洋食、広島風お好み焼きの原型と言われている料理ですよね。 て、広島には一銭洋食は残ってないので、食べたことはないですが。 似たようなものだと、九州のはしまきもありますが、なぜ九州は巻き…
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