声変わり
職業柄、レオポルドにとって夜道を一人で歩くことなど、単なる日常以外の意味を持たないのだが、その日は違った。ナイツ・ヴィレッジのしけた酒場でのやり取りを思い出す。
「お客さん、旅の人だろ?」
酸っぱいエールに顔をしかめていると、マスターが親しげに話してきた。レオポルドはあいまいにうなずく。
「あぁ、傭兵だ。……依頼なら受け付けていないぞ。王都で仕事が控えているんだ」
「あぁ、いやいや、依頼とかじゃないさ。それに傭兵さんなら気にしなくてもいいけどさ」
思わせぶりないいかたに、レオポルドはまゆをあげた。
「おやじ、もう一杯頼む」
正直にいってそこまでうまい酒ではなかったが、話を聞き出すには酒を頼むのが一番手っ取り早い。それにいくら酸っぱいエールだろうと、酔えないわけではないのだ。
「あいよ。つまみはいいのか?」
「ああ」
マスターはうなずく。間もなくエールがカウンターにドンッと置かれる。レオポルドは一気に半分ほどあおってから、マスターに向きなおす。
「……で、いったいなにを気にしなくていいんだ?」
「あぁ、さっきの話ね。いや、ナイツ・ヴィレッジじゃ誰もが知ってることだけど、旅の人は知らないから、一応忠告しとこうと思ってさ」
「忠告? なんだ、夜盗でも出るのか?」
「夜盗じゃないけどね。傭兵さん、教会近くの宿に泊まってるだろ? この酒場からじゃ、帰りはまっすぐ行く道と、ぐるっと迂回する大通りの二つがある。……悪いことはいわないから、大通りを通りな」
「なにか出るってことか?」
マスターはわざとらしくきょろきょろして、それから首をたてに振る。
「ああ。魔物だよ。ハイドアンドシーク、知ってるか?」
「ん? ああ、子供の遊びだな。……それがどうかしたのか?」
「その魔物も、ハイドアンドシークが好きなのさ。あの道を歩いていると、どこからともなく『もういいかい』と聞こえてくる。そうしたら、『まーだだよ』と答えなけりゃ、斬り殺されるってうわさなんだよ」
「斬り殺される? ……ならば、やはり夜盗かごろつきのようなやつらなんじゃ」
「それがさ、その声はどう聞いても、子供の声にしか聞こえないらしいんだよ。まさか夜盗やごろつきも、子供を使うなんてことはないだろう?」
レオポルドは干し肉のかけらを口に放りこむ。しっかりとかみしめながら、そのうわさ話を思案する。
――夜盗どもも生活がかかっているんだ。その気になりゃ、子供を使うなんてこともあるだろう。だが、子供を使うとしても、なんでそんな声をかけるんだ? 闇討ちしたほうがはるかに効率がいいだろうに――
「ま、とにかく『まーだだよ』と答えておけば安心だからさ。それ以前に、大通りをとおりゃそいつらとも出くわさねぇよ」
「マスター、勘定だ」
「え、あ、ああ」
ぐいっと一気に残っていたエールを飲み干し、レオポルドがいった。きつねにつままれたような顔のマスターに、代金よりも銀貨を一枚弾んでやった。目を丸くするマスターをふりかえることもせずに、レオポルドは酒場をあとにした。
――面白い、どうやら本当に魔物のようだな。……百歩譲って夜盗だとしても、からだがなまっていたんだ。王都で一仕事する前の、いい準備運動になるさ――
しめった土のにおいがする道を、レオポルドはのらりくらりと歩いていく。酔いが回ったわけではないが、大股に歩いて魔物に臆病者だと思われるのはしゃくだった。
「……このあたりか?」
教会の十字架が遠くに見える。星も月も出ていないというのに、その十字架はわずかに輝いているようだ。レオポルドは鼻で笑った。
――まかり間違っても、神の威光とやらにビビッて、今日はやめにするなんてことはないだろうな? 戦場で神にすがるようなやつは真っ先に死ぬ。ましてや神の威光にビビるようなやつはいうまでもないぜ――
にやりとするレオポルドだが、その耳元でかすかに声が聞こえた。
「……もう、いいかい?」
声変わりしていない少年の、澄んだ声だった。讃美歌のように節をつけているのを聞くと、それこそ聖歌隊が歌っているかのように聞こえてくる。しかしレオポルドは油断なく周囲に気をはり、剣を抜いた。
「……いつでも、来い!」
ドサッと音を立てて、レオポルドの筋肉質のからだが地面に倒れた。血だまりが広がっていくのを見届けて、闇から先ほどの声とは違う、低い声が聞こえてきた。
「どうしてかなぁ? 誰も『まーだだよ』っていわなくなったよね」
血だまりがゴポゴポと音を立てて、それから先ほどの歌うような澄んだ声が答えた。
「もちろん、まーだだよっていっても無駄だけどね」
「助けてあげないの?」
意外そうな低い声に、澄んだ声はにべもなくいう。
「そうさ」
「だけど、助けてあげたら、かくれんぼは終わるんだよ。……ぼくたちも、この終わらないかくれんぼから抜け出せるっていうのに」
低い声が、わずかにとがめるような口調になる。闇の中に、ゴポゴポという音だけが響いていく。
「ねぇ、聞いてるの?」
「……君さ、声、変わったよね?」
声変わりしていないほうの、澄んだ声の子が唐突に聞き返した。声変わりした低い声の子が、「えっ」と口ごもる。
「……もういーよ」
歌う声が静かにいい、声変わりした男の子の悲鳴が闇の中にこだました。
お読みくださいましてありがとうございます。
ご意見、ご感想などお待ちしております。